小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

76 伊和大神と大国主

2012年12月31日 01時19分31秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生76 ―伊和大神と大国主―


 伊和の里の神が伊和大神ではなくオオナムチになっていることに加え、スクナビ
コナと合体したような名前も登場するですから、いろんな神がゴチャ混ぜになって
いる感があります。
 オオナムチとホアカリの神話に登場する匣丘の地名の由来について『播磨国風土
記』はまた別の神話も載せています。

 匣丘の由来は、大汝少日子根命(オオナムチスクナヒコネノミコト)が日女道丘
(ひめじおか)の女神と契りあった時に、日女道丘の神が、この丘に食べ物や匣の
器などを備えたので匣丘といわれるようになった。

 ちなみに、この日女道丘は、姫路城の天守閣が建つ姫路丘に比定されています。
 『播磨国風土記』では、オオナムチとスクナビコナが一緒に登場する神話も載せ
ていますから、播州でもこの2神が別々の神であったわけなのですが、匣丘の神話
にかぎっては、オオナムチとスクナビコナが合体したような神名になっているので
す。

 他にも、美嚢郡の志深(しじみ)の里の項では、

 三坂に坐す神は、八戸挂須御諸命(ヤトカカスミモロノミコト)なり。大物主葦
原志許(オオモノヌシアシハラシコ)、国をかためしし後、天より三坂の峯に下ら
れた。

とあり、大和の三輪山のオオモノヌシとアシハラシコオが合体した神名が登場し
ます。
 これまでに何度もお話したように、アシハラシコオはオオクニヌシの別名の1つ
と記紀に記され、またオオモノヌシは、『日本書紀』ではこれまたオオクニヌシの
別名の1つにされていますが『古事記』だとオオモノヌシとオオクニヌシは別の神と
して描かれています。
 それに、『播磨国風土記』のこの記事では、オオモノヌシアシハラシコはヤトカ
カスミモロという名も持っていることになっていますが、ミモロは、三輪山の別名
あるいは三輪山の古い名称と考えられている御諸山に重なります。

 オオモノヌシアシハラシコはともかく、伊和大神がオオナムチと混合されている
ことについては、この神が出雲から来たとされることが影響しているのかもしれま
せん。
 すなわち、『播磨国風土記』の讃容郡の項にある次の記事です。

 筌戸。大神、出雲国より来られた時、嶋の村の岡にて腰掛を置き、坐して、筌
(うえ=魚を捕らえる道具)を川の中に置かれた。ゆえに筌戸とよばれる。

 もっとも、ここでは大神とだけ書かれていますので、この神が伊和大神ではなく
オオナモチのことである可能性もあります。
 ですが、他のエピソードを見る限りでは、この大神は伊和大神と考えるべきで
しょう。

 また、託賀郡の項では、袁布山(をう山)の神話として、

 袁布山というは、昔、宗形の大神、奥津嶋比売命(オキツヒメノミコト)、伊和
大神の子を孕みまして、この山に来て、
 「我が産むべき時を訖う(おう)」
と、言ったので袁布山という。

と、ありますが、オキツヒメは『古事記』には別名タキリヒメとあり、オオクニヌ
シの妻となってアヂスキタカヒコネを生んだ、とあります。
 ここでも、オオナムチ(オオクニヌシ)と伊和大神が同神として語られているこ
とになります。

 アシハラシコオについてもそうです。
 そもそも、『古事記』に登場するアシハラシコオは、オオナムチが八十神から迫
害を受け、根の国のスサノオを訪ねた時に、スサノオが、
 「この神はアシハラシコオだ」
と、言ったもので、すなわちオオクニヌシの別名とされています。
 このアシハラシコオの神名は『出雲国風土記』には登場せず、『播磨国風土記』
にはアメノヒボコとの土地の占有争いをするエピソードがいくつも紹介されていま
す。
 この点で言えば、『播磨国風土記』のオオナムチとアシハラシコオは別神のよう
に思えるのですが、アシハラシコオとアメノヒボコの争いに混じって、伊和大神と
アメノヒボコの土地の占有争いも語られているのです。

 このように他の神との混同が見られる伊和大神の本来の姿とはどのような神だっ
たのでしょう?


・・・つづく

最新の画像もっと見る

コメントを投稿