小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

600 八千矛の神 その5

2017年07月03日 00時48分33秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生600 ―八千矛の神 その5―
 
 
 八千矛神(ヤチホコ神)は『古事記』では大国主として扱われています。
 『古事記』には、神語(かむがたり)と呼ばれる歌があり、これは、大国主が高志の沼河比売
(ヌナガワヒメ)の許を訪ね求婚する際に、大国主が詠んだ歌、それに対して沼河比売が返した
歌、それから、このことを知った正妻の須世理毘売の嫉妬を恐れて大国主が須世理毘売に
詠んだ歌と、これに対しての須世理毘売が返した歌の、計四首の歌を指します。
 
 まず、八千矛神(大国主)が贈った歌です。
 
 八千矛の 神の命(みこと)は 八島国 妻枕きかねて 遠々し 高志国に 賢し女を 
有りと聞かして 麗し女を 有りと聞こして さ婚ひに あり立たし 婚ひに あり通はせ 
大刀が緒も 未だ解かずて 襲をも 未だ解かね 嬢子の 寝すや板戸を 押そぶらひ 
我が立たせれば 引こずらひ 我が立たせれば 
青山に 鵼(ぬえ)は鳴きぬ さ野つ鳥 雉はとよむ 庭つ鳥 鶏は鳴く 心痛くも 鳴くなる鳥か 
この鳥も 打ち止めこせね いしたふや 海人馳使 事の 語言も 是をば
 
(現代語訳)
 八千矛神さまは、八島の国の中では(ふさわしい妻を手に入れることができず、遠い遠い
越の国に、賢い、美しい乙女がいるとお聞きになって、さっそうと求婚にお出かけになり、太刀の
緒もまだ解かず、襲もまだ脱がないでいると、その乙女の寝ている部屋の板戸を、押したり
引っぱったりして立っていらっしゃると、木の茂った山ではもう鵺鳥がないてしまった。(さ野つ鳥)、
雉も鳴き立てており、(庭つ鳥)鶏も鳴いている。(せっかくたどりついたというのに)腹だたしくも
鳴く鳥どもめ。この鳥どもを、ぶったたいて(鳴くのを)止めさせてくれ。(いしたふや)海人駈使が、
事の語り言として、このことを申し上げまする。
 
 これに対して、沼河比売は次のような歌を返します。
 
 八千矛の 神の命 萎草の 女にしあれば 我が心 浦渚の鳥ぞ 今こそは 我鳥にあらめ 
後は 汝鳥にあらむを 命は な殺せたまひそ いしたふや 海人馳使 事の 語言も 是をば
 青山に 日が隠らば ぬばたまの 夜は出でなむ 朝日の 笑み栄え来て 拷綱の 白き腕 
沫雪の 若やる胸を そだたき たたきまながり 真玉手 玉手さし枕き 股長に 寝は寝さむを 
あやに な恋ひ聞こし 八千矛の 神の命 事の 語言も 是をば
 
(現代語訳)
 八千矛の神さまよ。私は(なよなよとした草のような)女の身でございますから、私の心は浦渚の
鳥のように、殿方を求めております。(でございますから)ただ今はわがままを申しましょうとも、
後はあなた様のお心に従いましょうほどに、恋い死になぞなさりますな。海人駈使が、事の語り言
として、このことを申し上げまする。
青山に日が隠れて、夜になりましたら、出ていらっしゃいませ。その時は(朝日のように)にこに
こと笑みこぼれておいでになって、私の(栲綱のような)白い腕を、(沫雪のような)若々しい胸を、
しっかりと抱擁して手を貫き、玉のようなお手を巻きつけ、股を長々と伸ばしてお寝みになって
よろしゅうございますから、今はむやみに恋いこがれなさいますな。八千矛の神さまよ。事の語り言
として、このことを申し上げまする。
 
 最初の八千矛神の歌は、出だしが八千矛神を第三人称で客観的に叙述して、途中から第一人称で
語られる、という構成になっています。そうして最後に海人駈使(あまのはせつかい)がこの歌物語を
語っております、という形になっています。
 
 次の沼河比売の歌ですが、こちらは2部構成になっており、前半の最後に、やはり、「海人駈使(
あまのはせつかい)がこの歌物語を語っております」という形になっています。
 後半の最後も、守護こそありませんがやはり「この歌物語を語っております」という言葉で締められ
ています。おそらく欠けている主語は海人馳使だと思われます。
 
 続いて八千矛神が須世理比売に贈った歌は次のものです。
 
 ぬばたまの 黒き御衣を まつぶさに 取り装ひ 沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此れは適はず 
辺つ波 背に脱ぎ棄て 山県に 蒔きし 異蓼春き 染木が汁に 染め心を まつぶさに 取り装ひ 
沖つ鳥 胸見る時 はたたぎも 此し宜し いとこやの 妹の命 群鳥の 我が群れ往なば 引け鳥の 
我が引け往なば 泣かじとは 汝は言ふとも やまとの 一本薄 項傾し 汝が泣かさまく 朝雨の 
霧に 立たむぞ 若草の 妻の命 事の 語言も 是をば
 
(現代語訳)
 (ぬばたまの)黒いお召し物を取りそろえて身につけ、(沖の鳥が胸を見るように)着付けをながめて
みると、袖の上げ下ろしも、これは似合わない。そこで(岸に寄せた波が後ろに引くように)後ろにさっと
脱ぎ捨てる。次に(カワセミのように)青い色のお召し物を取りそろえて身につけ、(沖の鳥が胸を見る
ように)着付けをながめてみると、袖の上げ下ろしも、やはり似合わない。そこでこの着物も後ろへさ
っと脱ぎ捨てる。さて次には山の畑に種を撒いて栽培した藍蓼を臼で春き、その染め草の汁で染めた
衣を、よくよく取り装うて、(沖の鳥が胸を見るように)着付けをながめてみると、袖の上げ下ろしも、これ
こそよく似合う。いとしいわが妻よ。
(群鳥のように)あたしがおおぜいの家来といっしょに行ってしまったら、(誘われてゆく鳥のように)私が
誘われて行ってしまったら、あなたは泣いたりなんかしないと強がりを言っても、山本の一本薄のように、
しょんぼりとうなだれて泣くことでしょう。そして嘆きの息は、朝雨が霧となる時のように、深い霧となって
立つことでしょうよ。(若草の)いとしい妻よ。事の語り事として、このことを申し上げまする。
 
 こちらもまた、最後は「この歌物語を語っております」という言葉で締められています。やはり同様に
欠けている主語は海人馳使だと思われます。
 こららの歌は海人馳使が神話を唱和する、あるいは神を演じるというスタイルになっているわけです。

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