小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

399 古事記とはちがう事代主の異伝

2015年06月11日 01時29分55秒 | 大国主の誕生
 大国主の誕生399 ―古事記とちがう事代主の異伝―
 
 
 『日本書紀』にある「一書」には、『古事記』などに描かれる事代主とは違う形の
伝承が記されています。
 その内容は以下のものです。要約してみました。
 
 
 大国主が国譲りを承諾した後も、高天の原に帰順しない神々が多くあった。その
首領は大物主と事代主であった。
 そうして八百万の神々を天高市に集めてそれを率いると、天に昇って自分たちの
意志を告げた。
 この時、高皇産霊尊(タカミムスヒノミコト)は、大物主に、
 「汝がもし国つ神の女神を妻にしたなら我らは汝が反逆の意志があると見做す
だろう。だから、わが娘の三穂津姫を汝の妻にしよう。これからは八百万の神々を
率いて恒久に皇孫を護れ」
と、言って、地上に帰らせた。
 それから、紀伊国の忌部氏の祖手置帆負神(タオキホオヒ神)を作笠者(かさぬい)
とし、彦狭知神(ヒコサチ神)を作楯者(たてぬい)とし、天目一箇神(アメノマヒトツ神)を
作金者(かなだくみ)とし、天日鷲神(アマノヒワシ神)を作木綿者(ゆふつくり)とし、
櫛明玉神を作玉者(たますり)とした。
 それから、太玉命(フトタマ神)を御手代(みていしろ=代行者の意)として大国主の
祭祀をおこなわせた。
 
 
 ここでの事代主は、『古事記』などで描かれる、高天の原に恭順する姿と正反対の
立場を取りますが、話の内容そのものは大物主の物語です。
 ただ、その内容に、高皇産霊神が大物主に「皇室の守護者になれ」と言うところが
含まれています。
 これは出雲国造神賀詞の中で、大国主が自分の和魂や御子神たちの御魂を大和の
各神奈備に鎮座させて、「皇室の守り神とならん」とするところと一致します。
 
 ところで、大国主と大物主の関係をここで少し採り上げてみたいと思います。
 出雲国造神賀詞では、大物主は大国主の和魂、つまりは大国主の分身としています。
 『日本書紀』でも、大国主の別名が大物主だとあるので、どちらも大国主と大物主は
同神だとしているわけです。
 
 これに対し、『古事記』では大国主と大物主は別の神として扱っています。
 今も紹介しました『日本書紀』の「一書」も大国主と大物主は別の神としています。
 
 『先代旧辞本紀』では、スサノオの御子が、大己貴神(オオナムチの神)、またの名を
大国主神、または大物主、とあり、その御子が事代主で、三世の孫(事代主の子)が
天日方奇日方命、九世の孫がオオタタネコだというのです。
 『古事記』もオオタタネコは大物主の子孫と記しますがその系譜は、大物主の御子、
櫛御方命の三世の孫で、事代主は含まれていません。
 『日本書紀』でもオオタタネコは大物主の御子とあるので、やはり事代主は含まれて
いないのです。
 ただ、『日本書紀』は異伝として、オオタタネコの母は奇日方天日方茅渟祇の娘とあり、
この名は、『先代旧辞本紀』の天日方奇日方命と似ています。
 
 さて、上記の『日本書紀』の「一書」に高皇産霊神が登場することを見過ごしては
いけません。
 高皇産霊神は飛鳥坐神社に事代主らと一緒に祀られていますが、重要なことは
他にもあるのです。

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