小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

129 戸座と大物忌

2013年04月24日 01時37分56秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生129 ―戸座と大物忌―


戸座が仕える内裏の三所の竈神が、忌火、庭火、平野のことであることは
先にお話ししたとおりですが、庭火御竈は天皇の日常の食事を炊く竈、忌
火御竈は旧十一月の新嘗祭、六月と十二月の神今食(かんいまけ)神事の
御飯奉仕の竈で、この二所の御竈は神祇官から毎日朔日(ついたち)に祀
られました。
残る平野の御竈ですが、こちらは陰陽寮から毎月癸日(みずのとのひ)に
祀られ、天皇の御物忌日などの日のものと推測されています。

 御竈の置かれた内膳司は内裏の西北、乾の方角に位置します。
 同時にこのことは竈神の祭祀方角が内裏の西北になる、ということでも
あります。

 天皇が譲位し、上皇となると院の御所に移ります。この時、在位中の竈も
内膳司から院に移されるのですが、新しく置かれる場所もやはり御座所の
西北でした。

 竈神とは、『古事記』にあるオキツヒメのことであろうと推測されるので
すが、この神は女性神です。
 それに仕える戸座は、7歳から15、6歳までの少年。しかも、身長の面
で成長が著しくなると解任されたとありますから、まさに童男です。
 この関係性は、母と子に当てはまります。
 易で言えば、母は「坤」で、「地」になります。
 戸座は童男なので、「少男」。少男は「艮」で「山」になります。方位は
「西北」になります。
 すると、「少男」の戸座が西北にいて祭祀を行うのは当然のことになりま
すが、「母(坤、地)」の方位は北になりますから、竈神が西北に祀られる
のはおかしいことになってしまいます。
 それに、『説卦伝』においても、

 「坤を地となし、母となし、布となし、釜となす」

と、ありますから、母であり、釜である竈神はやはり北で祀られなくてはいけ
ない。

 今回は、吉野裕子の著『易と日本の祭祀』を参考にさせていただきながら進
めているのですが、この矛盾点についての吉野裕子は次のような解釈をおこなっ
ています。


 先天易では北は「坤」である。しかし後天易においては北は、「坎」(水)
なのである。土気で、しかも火気の竈神にとって、後天易が考慮に入れられる
場合、土剋水・水剋火と剋し剋されて、竈神とって北は生きた心地もしない方
角のはずである。
 そこで竈神は西隣の「艮」の座において祀られることになる。「艮」は「坤」、
即ち「竈」と同気の土気、しかも大きな土気の「山」であって、「地」の「坤」
とは互いに扶けあう仲である。
 西北の「艮」は、竈の座、即ち戸座となり、「艮」の象徴としての童男は、そ
の戸座の名をそのままに負う生きた竈、或いはその祭祀者となったと推測される
のである。


 なお、ここでもう少し解説を入れますと、文中にある先天易とは、天地自然を
表わすものです。
 一方の後天易は、人間の暮らしや営みをあらわすもので、周の文王によって始
められ、子の周公旦によって完成されたといいます。
 それから、土剋水・水剋火ですが、易では世界に存在するものは木火土金水の
五元素から成ると考えられています。
 この五元素はお互いに作用しあうのですが、「相生」と「相剋」の2通りの関
係があります。「相生」は、ある元素が別の元素を生み出していく関係、反対に
「相剋」はある元素が別の元素を打ち消していく様をあらわします。
 水剋火は、水が火を消してしまう様をあらわすものです。

 戸座が幼い少年ならば、伊勢神宮における大物忌は幼い少女でした。
 大物忌と天照大御神の関係は「天沢履」で、この卦は、上下の秩序が保たれ、
為政者は徳に満ちた政道が行われ、人民は礼節を守り安心した暮らしをおくるこ
とができる、というものでした。すなわち「天下泰平」なのです。

 それでは、戸座と竈神の関係はどうでしょうか。
 戸座は「山(艮)」で、竈神は「地(坤)」です。
 すると、「地山謙」になります。

 謙は、「謙亨。君子有終吉(謙はとおる。君子、終わりよし)」。

「謙」は謙遜、謙虚の謙で、君子は終わりを全うすることができる、という意味です。

 この卦は、高くて、尊いものが頭を低くして様を指します。山は、「動かざること
山のごとし」と言われるように、どっしりとした強さがあり、やはり泰平の状態をあ
らわすのです。

 一方、天照大御神と大国主の関係をあらわす卦は「地天泰」で、こちらは天地陰陽
がお互いによく交感交合して、万物は発生・繁茂・結実・枯死の循環が可能となり、
その結果、民生が安定し天下泰平となる、というものでした。

 皇祖神である天照大御神とそれに仕える大物忌との関係、天照大御神と大国主の関
係、それに加えて、天皇の元で竈神とそれに仕える戸座の関係。
 ここにも三所による天下安定の図式が描かれていたのです。


・・・つづく

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