小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

幼児の解釈は自分が中心?

2013年04月24日 01時42分55秒 | 日記
2010年7月8日(木)(2歳3か月)


 毎週木曜日の和泉中央ファミリーの帰りに、僕と
みんたのいきつけの接骨院の前を通ると、春奈が、

 「今日はてんてえ(先生)お休み?」

と、訊いてきた。

 木曜日は休診日なので、みんたが、

 「お休みやで」

と、答えると、

 「とっかー(そうかあ)、てんてえ休み。モモちゃ
んとこ?」

と、言った。

 モモちゃんとは、和泉中央ファミリーのフェロウさん
ことである、

 なるほど、「今日は先生お休み?」と、言うのは、「今
日は、ママ接骨院に行かないのか?」という意味だったか。

 それで、「接骨院行かずに和泉中央のファミリーに行った
のか?」と、言ったのだな。

 そう理解して僕が、

 「先生が、お休みなんやで」

と、僕が言うと、みんたも、

 「今日は先生おうちやで」

と、言ったから、春奈が、

 「てんてえ、おうち行ったん?」

と、さらに訊いてきた。

 「おうち行ったんやなくて、おうち帰ったんや」

と、みんたが言ったけど、たぶん春奈は、「先生がわが家に
来た」という意味のことを言ったのだろう、と僕は解釈した
ので、

 「先生のおうちに帰ったんや」

と、言うと、春奈も納得してくれた。

 春奈とみんたのふたりだけなら噛み合っていない会話もも
う1人僕が加わることでうまく通じ合う。やっぱり2人より
3人、できればたくさん、という方がことばのやり取りには
ちょうどいいのだろう。
 

 春奈の意味の取り方は、自分を中心にしてるんじゃなかろ
うか?

 接骨院が休診だからヒッポに行った、ではなくて、通院を休
んでヒッポに行った、と言うのは自分の意思でやった、みたい
になる。

 先生はおうちにいる、も先生の家ではなく自分の家、と解釈
している。

 先日僕が春奈に、「枕は頭のせるもん」と言うと、春奈が頭
の上に枕をのせたことがあった。

 それだって、頭を枕に持っていくのではなくて、枕を自分の頭
に持ってくる、という解釈だ。

 幼児の意味の取り方は自分中心なのかもしれない。


 ところでヒッポファミリークラブのオリジナルCDの『世界に
広がる多言語仲間』の多言語版をかけていると、春奈が、

「やったれ、言うてる」

と、言った。

 ん?今かかっていたのは日本語の場面だったな。

 でも、「やったれ」なんて言葉あったっけ?

 と、一瞬考えたけどすぐにわかった。「やったぜ」だった。

 これって響く音なのか?

最新の画像もっと見る

コメントを投稿