大国主の誕生215 ―ミチノウシ王と竹野媛―
ただ、日子坐王だけにかぎらず、開化天皇に始まる系譜を見てみた時に、
丹波に関わる人物が多いことに気づきます。
開化天皇の妃のひとり竹野比売(タカノヒメ)は、『古事記』に、旦波
(丹波)の大縣主、由碁理(ユゴリ)の娘、とあります。
同様に『日本書紀』にも、
「天皇、丹波竹野媛(タンバノタカノヒメ)を納(めしい)れて妃とした
まう。彦湯産隅命(ヒコユムスミノミコト)、またの名を彦蒋簀命(ヒコモ
スノミコト)を生む」
と、あるのですが、前回に紹介した、ヒコイマス王(日子坐王)の子、ミチ
ノウシ王(丹波比古多多須美知能宇斯王)について、『日本書紀』は、
「彦坐王(ヒコイマス王)の子なり。一に云く、彦湯産隅命の子なりという」
と、同じくヒコイマス王の子と記しつつ、ミチノウシ王がヒコユムスミの子で
あるという異伝も記しています。
どうも、ミチノウシ王については、記紀に混乱があるようです。
と、言うのも、垂仁天皇の皇后となった、ミチノウシ王の娘ヒバスヒメを
はじめとする娘たちについて、『古事記』は4人の姫がいた、とし、『日本
書紀』は5人の姫がいた、と記すのですが、『古事記』は、一方で、ヒコユ
ムスミには、大筒木垂根王(オオツツキタリネノミコ)と讃岐岐垂根王(サ
ヌキタリネノミコ)のふたりの子があり、このふたりの王には合わせて5人
の姫があった、と記すのです。
なお、『古事記』が記すミチノウシ王の4人の姫ですが、「垂仁記」のとこ
ろで、
比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)
弟比売命(オトヒメノミコト)
歌凝比売命(ウタゴリヒメノミコト)
円野比売命(マトノヒメノミコト)
(註:『古事記』の「開化記」にはウタゴリヒメノミコトの名が抜け落ち
ています)
と、あります。
これに対し、『日本書紀』の方では、
日葉酢媛命(ヒバスヒメノミコト)
渟葉田瓊入媛(ヌハタニイリビメ)
真砥野媛(マトノヒメ)
薊瓊入媛(アザミニイリビメ)
竹野媛(タカノヒメ)
と、5人の名が記されています。
ここで「おや?」と思うのは、開化天皇の妃に竹野媛がいて、ミチノウシ王
の娘にも竹野媛なる人物がいることです。
ただし、こちらの竹野媛は『古事記』にはその名が見えないことから、開化
天皇妃の竹野媛と同一人物で、伝承に混乱があるとも考えられます。
あるいは同名の別人物である可能性も十分に考えられるのですが、その場合
でも、単に同名の人がいても不思議ではない、などと軽く見過ごすわけにはい
きません。
なぜなら、竹野という名は丹波国(後に分割されて丹後国)竹野郡に通じる
からです。
ただ、日子坐王だけにかぎらず、開化天皇に始まる系譜を見てみた時に、
丹波に関わる人物が多いことに気づきます。
開化天皇の妃のひとり竹野比売(タカノヒメ)は、『古事記』に、旦波
(丹波)の大縣主、由碁理(ユゴリ)の娘、とあります。
同様に『日本書紀』にも、
「天皇、丹波竹野媛(タンバノタカノヒメ)を納(めしい)れて妃とした
まう。彦湯産隅命(ヒコユムスミノミコト)、またの名を彦蒋簀命(ヒコモ
スノミコト)を生む」
と、あるのですが、前回に紹介した、ヒコイマス王(日子坐王)の子、ミチ
ノウシ王(丹波比古多多須美知能宇斯王)について、『日本書紀』は、
「彦坐王(ヒコイマス王)の子なり。一に云く、彦湯産隅命の子なりという」
と、同じくヒコイマス王の子と記しつつ、ミチノウシ王がヒコユムスミの子で
あるという異伝も記しています。
どうも、ミチノウシ王については、記紀に混乱があるようです。
と、言うのも、垂仁天皇の皇后となった、ミチノウシ王の娘ヒバスヒメを
はじめとする娘たちについて、『古事記』は4人の姫がいた、とし、『日本
書紀』は5人の姫がいた、と記すのですが、『古事記』は、一方で、ヒコユ
ムスミには、大筒木垂根王(オオツツキタリネノミコ)と讃岐岐垂根王(サ
ヌキタリネノミコ)のふたりの子があり、このふたりの王には合わせて5人
の姫があった、と記すのです。
なお、『古事記』が記すミチノウシ王の4人の姫ですが、「垂仁記」のとこ
ろで、
比婆須比売命(ヒバスヒメノミコト)
弟比売命(オトヒメノミコト)
歌凝比売命(ウタゴリヒメノミコト)
円野比売命(マトノヒメノミコト)
(註:『古事記』の「開化記」にはウタゴリヒメノミコトの名が抜け落ち
ています)
と、あります。
これに対し、『日本書紀』の方では、
日葉酢媛命(ヒバスヒメノミコト)
渟葉田瓊入媛(ヌハタニイリビメ)
真砥野媛(マトノヒメ)
薊瓊入媛(アザミニイリビメ)
竹野媛(タカノヒメ)
と、5人の名が記されています。
ここで「おや?」と思うのは、開化天皇の妃に竹野媛がいて、ミチノウシ王
の娘にも竹野媛なる人物がいることです。
ただし、こちらの竹野媛は『古事記』にはその名が見えないことから、開化
天皇妃の竹野媛と同一人物で、伝承に混乱があるとも考えられます。
あるいは同名の別人物である可能性も十分に考えられるのですが、その場合
でも、単に同名の人がいても不思議ではない、などと軽く見過ごすわけにはい
きません。
なぜなら、竹野という名は丹波国(後に分割されて丹後国)竹野郡に通じる
からです。
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