大国主の誕生47 ―出雲国風土記とワニ伝承―
『出雲国風土記』に登場する和邇(わに)の伝承とは、意宇郡の語臣猪麻呂
(かたりのおみいまろ)と、仁多郡の恋山の玉日女(たまひめ)の伝承です。
語臣猪麻呂の話は次のとおりです。
天武天皇の時代、語臣猪麻呂の娘が日女埼(ひめさき)を散策していると、
ワニが現れ猪麻呂の娘は食われてしまった。
猪麻呂は娘の死体を浜に埋め、大層苦しみもがき、憤りを抑えることがで
きなかった。天に向かって叫び、地をたたき、娘を埋葬したところから離れ
ることがなかった。
時間が過ぎても苦しみは消えず、矢を磨き鉾を研ぎ、
「1500柱の天の神よ、1500柱の地の神よ、この国に鎮まりし399
社よ、また海の神たち。大和の和魂(にぎみたま)は静まりて荒魂(あらみたま)
は猪麻呂の思いをかなえたまえ。まことに神がいるならば私に仇をとらせたまえ」
と、訴えた。
すると、百匹ほどのワニが、一匹のワニを囲むようにして現れた。
猪麻呂は真ん中にいるのが娘を食らったワニだと悟ると、鉾で刺し殺した。
それを見届けるかのように、他のワニたちは去って行った。
猪麻呂がワニの腹を裂くと、中から娘の脛が出てきた。
猪麻呂はワニを串に刺して道の脇に掛け置いた。
この猪麻呂は安来の郷の語臣興(あたう)の父である。今から60年前の話
である。
(註:天武天皇の時代とあるので、『出雲国風土記』編纂の年より60年前と
いうことなのでしょう)
それから、仁多郡の恋山(したいやま)の話は次のとおりです。
古老の伝えにいわく、一匹のワニが、阿伊の村に坐す神タマヒメノミコト
(玉日女命)を恋慕い、川を上って来た。そのタマヒメは石で川を塞いでし
まったのでワニは逢うことができず恋慕ったので恋山という。
タマヒメは阿伊の村に坐す神、と記されていますが、名前からしておそら
くは神に仕える巫女ではなかったかと思われます。すなわち玉依姫です。
この2つの伝承を眺めてみますと、和邇は信仰の対象ではなく、敵(かたき)
役であったり、残念な存在であったりします。
しかし、蛇神と言われる三輪山のオオモノヌシの場合、蛇神というのは原御諸山
の神で、新しく崇拝されることになったオオモノヌシに取り込まれたと思われる
のと同様で、出雲大社の龍神信仰も原杵築大社の信仰する神だった可能性もあり
ます。
水野祐の提唱する、美具久留御魂神=龍神=大国主、というのも、古い信仰の龍神
が新しい信仰の大国主に取り込まれたものだったのではないでしょうか。
猪麻呂の伝承も、天武天皇の時代と記されており、比較的新しい説話なのです。
すでにオオナムチ=大国主の信仰が確立された以降の時代であり、それゆえに和邇
が悪役で最後は復讐されてしまう存在になっているとも考えられます。
ちょうど、原御諸山の神と考えられる神が蛇の姿で小子辺栖軽に捕らえられてし
まったように。
玉日女の伝承では、ワニが遡ってきたのは、阿伊の村とあることから斐伊川支流
の阿伊川(あい川)ではないかと思われますが、『日本書紀』にある、コトシロヌシ
が八尋和邇になって摂津三島のミゾクイミミの娘玉依姫の元に通った、とある、その
溝咋神社は安威川(あい川)沿いに鎮座しているのです。だから、コトシロヌシの
変身したワニもアイ川を通って来たことになるのです。
ただ想いを遂げたコトシロヌシと違って『出雲国風土記』のワニは想いを遂げる
ことが叶いませんでした。
『古事記』のホムチワケが出雲を訪れてヒナガヒメと一夜を共にするけど、ヒナ
ガヒメの正体が大蛇だったのであわてて逃げかえる話に共通したものがあると思え
ます。
なお、この時のヒナガヒメは、船で逃げるホムチワケを、「海原を照らしながら」
追いかけたとあります。これは『播磨国風土記』で、火明命がオオナムチを追いかけ
る時の様子と共通していますし、記紀における御諸山に坐す神がオオクニヌシの前に
現れた時に「海を照らしながらやって来た」とあるものと同じものではないでしょうか。
また、ホノニニギの子ホヲリノミコト(火遠理命=山幸彦)の妻トヨタマビメの
正体が八尋和邇でした。その間に生まれたウガヤフキアエズの子が神武天皇なので、
初代天皇の祖母はワニだったことになります。
それから、オオクニヌシの子とされるアジシキタカヒコネが『古事記』の中で、
妹のシタテルヒメから、
「天なるや 弟棚機(おとたなばた)の うながせる 玉の御統(みすまる)
御統に 穴玉はや み谷 二渡らす 阿治志貴高日子根の神ぞ」
と、歌われていますが、その中にある、「み谷 二渡らす」は、アジシキタカヒコネ
の体が長大なもの、すなわち大蛇もしくは龍であったことをうかがわせるものです。
ですが、記紀風土記のいずれも、アジシキタカヒコネが龍神と思わせる表記がこれ
以外にはないのです。
このように見てみますと、和邇、龍、大蛇の神は古い信仰であると考えられるの
です。
・・・つづく
『出雲国風土記』に登場する和邇(わに)の伝承とは、意宇郡の語臣猪麻呂
(かたりのおみいまろ)と、仁多郡の恋山の玉日女(たまひめ)の伝承です。
語臣猪麻呂の話は次のとおりです。
天武天皇の時代、語臣猪麻呂の娘が日女埼(ひめさき)を散策していると、
ワニが現れ猪麻呂の娘は食われてしまった。
猪麻呂は娘の死体を浜に埋め、大層苦しみもがき、憤りを抑えることがで
きなかった。天に向かって叫び、地をたたき、娘を埋葬したところから離れ
ることがなかった。
時間が過ぎても苦しみは消えず、矢を磨き鉾を研ぎ、
「1500柱の天の神よ、1500柱の地の神よ、この国に鎮まりし399
社よ、また海の神たち。大和の和魂(にぎみたま)は静まりて荒魂(あらみたま)
は猪麻呂の思いをかなえたまえ。まことに神がいるならば私に仇をとらせたまえ」
と、訴えた。
すると、百匹ほどのワニが、一匹のワニを囲むようにして現れた。
猪麻呂は真ん中にいるのが娘を食らったワニだと悟ると、鉾で刺し殺した。
それを見届けるかのように、他のワニたちは去って行った。
猪麻呂がワニの腹を裂くと、中から娘の脛が出てきた。
猪麻呂はワニを串に刺して道の脇に掛け置いた。
この猪麻呂は安来の郷の語臣興(あたう)の父である。今から60年前の話
である。
(註:天武天皇の時代とあるので、『出雲国風土記』編纂の年より60年前と
いうことなのでしょう)
それから、仁多郡の恋山(したいやま)の話は次のとおりです。
古老の伝えにいわく、一匹のワニが、阿伊の村に坐す神タマヒメノミコト
(玉日女命)を恋慕い、川を上って来た。そのタマヒメは石で川を塞いでし
まったのでワニは逢うことができず恋慕ったので恋山という。
タマヒメは阿伊の村に坐す神、と記されていますが、名前からしておそら
くは神に仕える巫女ではなかったかと思われます。すなわち玉依姫です。
この2つの伝承を眺めてみますと、和邇は信仰の対象ではなく、敵(かたき)
役であったり、残念な存在であったりします。
しかし、蛇神と言われる三輪山のオオモノヌシの場合、蛇神というのは原御諸山
の神で、新しく崇拝されることになったオオモノヌシに取り込まれたと思われる
のと同様で、出雲大社の龍神信仰も原杵築大社の信仰する神だった可能性もあり
ます。
水野祐の提唱する、美具久留御魂神=龍神=大国主、というのも、古い信仰の龍神
が新しい信仰の大国主に取り込まれたものだったのではないでしょうか。
猪麻呂の伝承も、天武天皇の時代と記されており、比較的新しい説話なのです。
すでにオオナムチ=大国主の信仰が確立された以降の時代であり、それゆえに和邇
が悪役で最後は復讐されてしまう存在になっているとも考えられます。
ちょうど、原御諸山の神と考えられる神が蛇の姿で小子辺栖軽に捕らえられてし
まったように。
玉日女の伝承では、ワニが遡ってきたのは、阿伊の村とあることから斐伊川支流
の阿伊川(あい川)ではないかと思われますが、『日本書紀』にある、コトシロヌシ
が八尋和邇になって摂津三島のミゾクイミミの娘玉依姫の元に通った、とある、その
溝咋神社は安威川(あい川)沿いに鎮座しているのです。だから、コトシロヌシの
変身したワニもアイ川を通って来たことになるのです。
ただ想いを遂げたコトシロヌシと違って『出雲国風土記』のワニは想いを遂げる
ことが叶いませんでした。
『古事記』のホムチワケが出雲を訪れてヒナガヒメと一夜を共にするけど、ヒナ
ガヒメの正体が大蛇だったのであわてて逃げかえる話に共通したものがあると思え
ます。
なお、この時のヒナガヒメは、船で逃げるホムチワケを、「海原を照らしながら」
追いかけたとあります。これは『播磨国風土記』で、火明命がオオナムチを追いかけ
る時の様子と共通していますし、記紀における御諸山に坐す神がオオクニヌシの前に
現れた時に「海を照らしながらやって来た」とあるものと同じものではないでしょうか。
また、ホノニニギの子ホヲリノミコト(火遠理命=山幸彦)の妻トヨタマビメの
正体が八尋和邇でした。その間に生まれたウガヤフキアエズの子が神武天皇なので、
初代天皇の祖母はワニだったことになります。
それから、オオクニヌシの子とされるアジシキタカヒコネが『古事記』の中で、
妹のシタテルヒメから、
「天なるや 弟棚機(おとたなばた)の うながせる 玉の御統(みすまる)
御統に 穴玉はや み谷 二渡らす 阿治志貴高日子根の神ぞ」
と、歌われていますが、その中にある、「み谷 二渡らす」は、アジシキタカヒコネ
の体が長大なもの、すなわち大蛇もしくは龍であったことをうかがわせるものです。
ですが、記紀風土記のいずれも、アジシキタカヒコネが龍神と思わせる表記がこれ
以外にはないのです。
このように見てみますと、和邇、龍、大蛇の神は古い信仰であると考えられるの
です。
・・・つづく
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