小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

120 豊玉毘売・玉依毘売姉妹と建御名方

2013年04月03日 01時02分28秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生120 ―豊玉毘売・玉依毘売姉妹と建御名方―


 豊玉毘売(トヨタマビメ)が古い太陽神の一面を持っていることに対し
て、一方の玉依毘売(タマヨリビメ)は、巫女としての顔を持っていると
言えるでしょう。
 タマヨリビメという名は、他にも登場します。
「山城国風土記逸文」で、火雷神(ホノイカヅチの神)の妻となって賀茂
別雷命(カモノワケイカヅチノミコト)を生んだのも玉依日売(タマヨリ
ヒメ)でしたし、『古事記』で、大物主の妻となったのも女性も活玉依毘
売(イクタマヨリビメ)でした。

 ワタツミの娘タマヨリビメは、姉が生んだ天孫の御子を嬰児の時から養
育しますが、これは嬰児のホノニニギが地上に降臨した状況と同じもので
す。
 ホノニニギが天から地上にやって来たのに対し、ウガヤフキアエズは海
から地上(陸)にやって来た形になります。むしろ、この形こそが、海か
らやって来る太陽神の姿に忠実と言えるかもしれません。
 タマヨリビメは、海から来た神を迎え、仕える巫女の姿です。
 そして、成長したウガヤフキアエズの妻となり、神武天皇を生むのです
が、これは、まさしく神の妻となる玉依日売や活玉依毘売と重なります。


 ところで、式内社、すなわち『延喜式』神名帳に載る、豊玉姫の名を冠し
た神社は、阿波国名方郡に、和多津美豊玉比売神社と天石門別豊玉比売神社
の2社があります。
 一方、式内社で、玉依毘売の名を冠した神社は、信濃国埴科郡の玉依比売
神社があります。
 このように、トヨタマビメとタマヨリビメの名を冠した式内社が阿波の名
方と信濃にだけあるのですが、建御名方神(タケミナカタの神)の名を冠し
た式内社も、阿波の名方と信濃にだけあるのです。

 それは、徳島県名西郡(旧名方郡)にある多祁御奈刀弥神社(たけみなと
み神社)で、信濃にあるのは、諏訪市の諏訪大社、それに長野市の健御名方
富命彦神別神社(たけみなかたとみのみことひこかみわけ神社)と飯山市の
健御名方富命彦神別神社です。

 徳島県名西郡の多祁御奈刀弥神社が鎮座する地は名西郡石井町浦庄字諏訪
で、諏訪という地名からも信濃の諏訪大社との関係がうかがわれます。


 タケミナカタが登場するのは、『古事記』の、大国主の国譲りの場面です。

 初め、天つ神たちは、アメノホヒを使者に遣わしますが、オオクニヌシに
媚び従い3年たっても戻って来ませんでした。
 それで、次にアメノワカヒコを使者に遣わすのですが、アメノワカヒコも
また、オオクニヌシの娘シタテルヒメを妻にして自分が葦原中国を得ようと
考えてしまい、8年たっても戻って来ませんでした。
 ここに天つ神たちは三度使者を送ることにしたのですが、この時使者とし
て選ばれたのが、天鳥船神(アメノトリフネの神)と建御雷神(タケミカヅ
チの神)でした。
 2神は出雲の伊那佐(いなさ)の小浜に降り立ち、オオクニヌシに国譲り
を迫りますが、この時にオオクニヌシは、
 「吾は答えず。わが子コトシロヌシが代わりに答える」
と、答えます。
 その八重事代主神(ヤエコトシロヌシの神)は、
 「かしこし。この国は天つ神の御子に献じましょう」
と、答えて身を隠しました。さらに2神が、
 「汝の子コトシロヌシはこう申したが、他に尋ねておくべき子はいるか?」
と、オオクニヌシに尋ねましたので、
 「もう1人、タケミナカタという者だけです」
と、答えますと、ちょうどそこにタケミナカタが、千引の岩(ちびきの岩=
千人もの人数で引くことができるほどの巨石)を手先に掲げてやって来て、
 「わが国に来て何をコソコソと話しておるのだ。ここはひとつ力比べをし
ようではないか。よし、まずはその手を組もうではないか」
と、言うと、タケミカヅチの腕を掴みました。
 すると、掴んだその腕が氷と化し、次に剣に変わりました。これに驚いた
タケミナカタが手を離すと、今度はタケミカヅチがタケミナカタの両腕を掴
むと引きちぎって投げ捨ててしまいましたから、タケミナカタは逃げ出して
しまいました。
 タケミカヅチはそれを追いかけ、ついに長野県の諏訪湖に追い詰めます。
 タケミナカタは、
 「かしこし。我はこの地に住まい、一歩も他の地には行かない。わが父オ
オクニヌシとコトシロヌシの考えに従います。この葦原中国を天つ神の御子
に献じます」
と、誓ったのでした。

 このタケミナカタと、トヨタマビメ・タマヨリビメ姉妹の名を冠した式内
社が阿波と信濃にのみ存在するというのは決して偶然とは思えない共通点が
あります。



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