小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

頷いてくれていたのに

2015年05月20日 01時53分05秒 | 日記
2012年8月27日(月)(4歳3か月)
 
 
 時々、ゆうきやりえから、些細なことで責められることがある。
 
 たいていは、本当に取るに足りない些細な内容のことだ。
 
 まあ、子供たちなりに何か不満に思うことがあった時などに、
それを僕にぶつけてきているように思える。
 
 そんな時などには、
 
 「そんなことはないよ。なあ、はる?」
 
 と、春奈に振ると、春奈がコクンと頷いてくれた。
 
 「いや、はる絶対にわかってないし」
 
と、りえは言うけど。
 
 
 
 それが今日、いつものように、
 
 「なあ、はる」
 
と、振ると、
 
 「え?何?」
  
 今までならコクンと頷いていたのに・・・。

389 剣根命と高照姫命

2015年05月20日 01時45分10秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生389 ―剣根命と高照姫命―
 
 
 オオタタネコの本拠、陶邑に比定される地には陶荒田神社が鎮座しています。
 祭神は高魂命(タカミムスヒノミコト)、剣根命、八重事代主命、菅原道真で、
荒田直が祭祀氏族でした。 
 社伝では、オオタタネコが初代の神主で、陶荒田神社も当初はオオタタネコの
祖霊を祀っていたといいます。
 祭神の剣根命(ツルギネノミコト)は荒田氏の始祖で、この神は高魂命の五世の
子孫とされています。
 この神の名にも剣という言葉が含まれているところが興味深いところです。
 
 『新撰姓氏録』によれば、葛城国造もこの剣根命の子孫とあります。
 このことは、『日本書紀』にも、
 
 「また剣根という者を以って葛城国造とす」
 
と、記されています。
 これは、大和を平定した神武天皇が、自分に従って活躍した者たちを国造や縣主に
任命する場面にある一文です。
 この時に、倭国造に任命されたシイネツヒコや猛田縣主に任命されたオトウカシらの
活躍は『日本書紀』にも記されていることなのですが、剣根の活躍についてはどのような
働きがあったのか記されていません。
 
 もっとも、役職としての国造はもっと後世になってからできたものなので、剣根が葛城
国造に任命されたという一文は後世にねじ込まれた可能性もあります。
 それに、剣根命を始祖としている葛城国造は、仁徳天皇から允恭天皇の時代に権力を
握った葛城氏(葛城臣)とは別系統であったろうと思われます。葛城臣は建内宿禰の系譜
だからです。
 
 おそらく葛城国造は、葛城臣、さらに、その後継者とも言える蘇我氏が歴史の表舞台
から退場した後に登場した氏族なのでしょう。
 ただ、それでもこの葛城国造とオオタタネコの出身地陶邑の荒田直が同族であることも
興味深いところではあります。
 
 葛城の「中鴨社」である葛木御歳神社の祝である三歳祝(みとしのはふり)はオオタタ
ネコの子孫と言います。
 これについては、『新撰姓氏録』に、
 
 「大物主命の五世の孫、意富太多根子命(オオタタネコノミコト)の後といへり」
 
とあります。
 この葛上御歳神社の祭神は、御歳神、大年神、事代主の妹の高照姫命です。
 御歳神は大年神の御子神ですが、おもしろいのは、『古事記』によると、この大年神は
伊怒比売(イヌヒメ)との間に、韓神、曾富理神(ソホリ神)、白日神など、朝鮮系と思われる
神をもうけていることです。(御歳神は『古事記』によれば香用比売との間に生まれた神)
 
 問題は高照姫命です。
 高照姫は下照比売と同神と言われています。『古事記』には下照比売の別名として高比売、
『日本書紀』にも高姫とあります。
 ただ、『古事記』も『日本書紀』もともに高比売=下照比売をアヂシキタカヒコネの妹と
しています。
 もっとも、前にお話ししたことですが、葛城におけるアヂシキタカヒコネの信仰は比較的に
新しいものである可能性があるのです。
 そうすると、元々は事代主の妹であった高照姫=下照比売が後世にアヂシキタカヒコネの
妹に替わったと解釈することもできるわけです。
 
 アヂシキタカヒコネも下照比売もともに、難波においても祭祀されている神です。
 そのために、ふたたび難波に話を移す必要があります。