小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

美具久留御魂神社②

2015年05月12日 00時01分56秒 | パワースポット
パワースポット 美具久留御魂神社②

 それでは、参拝するとしよう。
 まずは拝殿。



 鳥居のその向こうに拝殿。



 神社の説明文では、二礼四拍手一礼。さすが大国主をお祭りする神社ですね。
出雲大社と同じです。
 けど、説明文には二礼二拍手一礼でもいいと書いてある・・・。



 拝殿のその向こうに本殿がある。



 本殿に至るまでには石段を登っていく。本当は拝殿の横から回る道が参道と
なっている。
 実は、この上の山こそが本来の御神体。



 これが本殿前の拝所。



 ↓ 左手前が拝所で右手奥が本殿です。



 しかし、どうして出雲や丹波から離れた大阪府の富田林市にこのような神社と
伝承があるのでしょう?
 明治時代に、全国に数あった神社がそれぞれの地域にある1つの神社に統合
された。
 美具久留御魂神社の場合、ここに統合された神社に大伴神社があり、また、
郡天神社や利雁神社などの、元は羽曳野市にあった神社もここに統合されている。
 この羽曳野市に隣接した藤井寺市には、伴林氏神社(ともはやしのうじ神社)が
あり、伴林氏は大伴氏の一族なのだ。
 大伴氏は天忍日命(アメノオシヒノミコト)の子孫と『古事記』は伝えているが、
この神は『古事記』の中では、天津久米命(アマツクメノミコト)とともに、天孫
降臨で日向に降り立つホノニニギの先導をする役目を担っている。
 出雲国造神賀詞では、アメノヒナトリノミコト(『古事記』ではタケヒラトリノ
ミコトという名前)が天孫降臨の使者となった、とされている。
 アメノヒナトリ(タケヒラトリ)はアメノホヒ神の御子神である。
 出雲大社の宮司の千家家はタケヒラトリの子孫だと『古事記』に書かれている。
 そして『日本書紀』には、出雲フルネの神宝とは、「武日照命(タケヒナテルノ
ミコト)が天より持ち来れる神宝」と記し、さらにタケヒナテルとはタケヒナトリの
ことだとしているから、出雲フルネもタケヒラトリの子孫のようだ。

 伝承としては、出雲と大伴氏は密接な関係にあり、そのことからこの地に美具久
留神の祭祀が生れた可能性も考えられるのである。

 それに、『新撰姓氏録』によれば、河内国の氏族のひとつに出雲臣の名が見える。
 河内にも出雲臣を称する氏族がいたのである。
 出雲フルネや出雲大社の千家家はアメノホヒの子タケヒナトリの子孫だけども
河内の出雲臣は、『新撰姓氏録』に、アメノホヒ12世の孫、吾田片隅命の子孫と
なっている。



 さて、次は近つ飛鳥風土記の丘だ。
 ちなみに、奈良県の明日香村は「遠つ飛鳥」という。
 なぜ、大和王権が奈良の飛鳥を「遠つ飛鳥」で大阪の飛鳥を「近つ飛鳥」と呼ん
だのかはよくわかっていない。

 スタート地点に建つ近つ飛鳥博物館では「古代出雲とヤマト王権展」をやって
いたけど、春奈が早くハイキングしたいと言うので後ろ髪をひかれつつパス。


 丘、と言っても、風土記の丘の奥にある平石城跡まで登っていけばちょっとした
ハイキング気分である。



 道もハイキングできるよう整えられています。



 風土記の丘は一須賀古墳群の史跡公園である。
 古墳の数は120基。そのうちのいくつかは中に入ることができる。体験型の見学が
できるわけだ。



 ↓ 中に入ることができますけどライトを持っていた方がいいです。



 展望台。河内平野を見渡せます。なお、平石城跡へはここからまだ上に登って
いきます。



 ちなみに春奈は登り始めて10分後に早くも「もう帰りたい」と言い出し、途中
ヘビに出くわして半泣きになるなどしながらも、平石城跡まで登り、風土記の丘を
一周しました。

(おわり)