小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

大事な話って何?

2015年05月08日 00時55分06秒 | 日記
2012年8月17日(金) (4歳3か月)


 今日の春奈はいつにも増しておしゃべりである。

 風呂のお湯が沸いたので、みんた相手にしゃべりまくって
いる春奈を風呂に急かす。


 浴室の中でも、僕を相手に饒舌だった。

 うんうん、と相槌を打ってやりながら春奈の頭や体を
洗ってやる。

 上がり湯も済ませ、浴室から出るように言うと、春奈が
僕にこう言った。

 「大事な話またするからな。大事な話する時はまた聞いてな」


 いや、今までの話、そんなに重要な内容だったようには
思われへんねんけど・・・。

 そもそも「大事な話」って意味わかって言ってんのやろか?

 きっと「大事な話」という言葉を使っている場面に何度か遭遇
して、自分なりの解釈で「大事な話」という語を使っているの
だろう。

387 鋤持神と新羅

2015年05月08日 00時38分59秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生387 ―鋤持神と新羅―


 ここで気比大神に再登場していただくことにしましょう。

 福井県敦賀市の、気比神宮の祭神である伊奢沙和気命(イザホワケノミコト)、別名を気比大神、
または御食津大神(ミケツ大神)と『古事記』は伝えます。

 そして、このことは前にお話ししたことですが、金達寿は、北陸の郷土研究者や神社の宮司らを
訪ね、それらの人々がイザホワケはアメノヒボコのことである、と語ったことをその著『見直される
古代の日本と朝鮮』に記しています。

 また、『古事記』では、このイザホワケノミコトが、神功皇后の皇子ホムタワケノミコト(後の
応神天皇)と名を交換した、とありますが、これが、「気比大神の名イザホワケを
皇子と交換した」ということなのか、「気比大神の名ホムタワケを皇子と交換してオムタワケ皇子と
なった」ということなのか、よくわかりません。

 一方、応神天皇と共通した伝承を持つ神武天皇が、その名に気比大神の別名ミケツ大神と同じ
「ミケ」という語を含んでいることは無視できません。

 神武天皇の名は、『古事記』では、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)としてい
ますが、またの名が若御毛沼命(ワカミケヌノミコト)、豊御毛沼命(トヨミケヌノミコト)である、
と『古事記』は記しているのです。

 さらに、神武天皇の3人の兄のうちの、3番目の兄の名も御毛沼命(ミケヌノミコト)と、「ミケ」
の語を含んでいます。

 ところで神武天皇の2番目の兄、稲氷命(イナヒノミコト)は『古事記』、『日本書紀』がともに、
海に入っていった、と記していますが、『日本書紀』には、イナヒノミコトは海に入って鋤持神(サヒ
モチの神)となった、という一文も載せています。 
 もっとも『古事記』の方では、イナヒノミコトではなく、綿津見大神を訪ねた火遠命(ホヲリノ
ミコト。神武天皇の祖父)を陸まで乗せて行った一尋和邇(ひとひろわに。鮫のことだと解釈されてい
ます)のことを鋤持神と記しています。

 鋤持神という名は、気比大神が「剣(つるぎ)」という語と関係していることからも、スサノオの剣
「オロチの韓鋤の剣」を連想せずにはおれないものですが、鋤持神も剣に関係した神のようです。


 鋤持神について、日本古典文学大系『古事記』は、

 「サヒは刀剣を意味する語であって、紐小刀や剣と関係づけられていることを見ても明らかであろう
(中略)一尋わに(鮫)を刀持の神としたのは、漁夫の鮫に対する畏怖の念に基づく神格化ではある
まいか」


と、します。
 一方、日本古典文学全集『古事記』の頭註は、サヒには剣と鋤の意味があるとした上で、
と、します。
 また、日本古典文学大系『日本書紀 上』も、
 「サヒは剣または鋤を意味するが、同時に鰐を意味する」
と、しています
 
 鋤持神が剣に関係しているとして、では、イナヒノミコトがその鋤持神と結びつけられた理由は何
でしょうか。
 『新撰姓氏録』には、イナヒノミコトの子孫に新良貴氏(しらき氏)が記されています。
 新良貴氏は新羅のことであろうと思われるわけですが、その祖イナヒノミコトについて、『新撰
姓氏録』は、『古事記』や『日本書紀』と同じようにウガヤフキアエズの子とした上で次のように
記しているのです。

 「是出於新良国、即為国主。稲飯命、出於新羅国王者祖合」

 この解釈については諸説あり、

 「イナヒノミコトは新良国の出身で新良国主となり、ついで新羅国に行き新羅国王になった」

とする説や、新良国を新羅のこととして、

 「イナヒノミコトは新羅国の出身で、新羅国王になった」

 あるいは、

「イナヒノミコトは新羅国に行き、新羅国王になった」

とする説の解釈などがあります。
 いずれにせよ、新羅と関わりがある、とするのです。