小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

パワフルキットちゃん

2015年01月26日 01時20分27秒 | 日記
2012年6月9日(土)(4歳2か月)


 春奈の保育所でもパワフルキットちゃんをやっている
らしい。

 最近、春奈が家の中でもよくパワフルキットちゃんの
歌を歌っている。

 僕は中身まではよく知らないけれども、全国の幼稚園
や保育園でこの体操が流行っている、ということは知って
いた。

 たぶんだけどこれは最近のことだろう。

 ゆうきやりえの時にはやってなかったから。

 りえもよく知らないから、春奈に、

 「カラフルキットちゃんって保育所でやってるん?」

と、訊いていた。
 僕が、
 「カラフルキットちゃん、やなくて、パワフルキット
ちゃん、やで」

と、言うと、りえ、

 「そうなん?春奈、カワフルキットちゃん、って言うて
るからカラフルやと思ってたけど、パワフル?」

 それで注意して聞いてみると、たしかに春奈は

 「カワフルキットちゃん」

と、言っている。

 まだ、春奈はパワフルなんて言葉を知らないから聞き
間違えてそのまま覚えてしまっているのだろう。

 一方、りえの方は知っている言葉が多いものだから、
「カワフル」と聞いて「カラフル」のことだろう、と想像
したようだ。

 ちょっとおもしろい。

355 シタテルヒメと太陽(後編)

2015年01月26日 01時17分34秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生355 ―シタテルヒメと太陽―


 「(大己貴が)辺津宮に坐す高降姫神を娶って生まれたのが、一男一女。その子は都味
歯八重事代主神で、倭国高市郡高市社に坐す。または甘南備飛鳥社に坐すという。妹は
高照光姫大神命で、倭国葛上郡御歳神社に坐す」

と、記されているのです。
 文中にある大己貴は言うまでもなく大国主のことで、高降姫神は「辺津宮に坐す」と
あるから、多紀理毘売のことと解釈してよいでしょう。
 しかし、ひとつ奇妙なことがあります。倭国葛上郡御歳神社は葛城の「鴨中社」と呼ば
れる御歳神社のことと考えて間違いないのでしょうが、『延喜式神名帳』には御歳神社の
祭神は一座となっているのです。
 その一座とは、御歳神社とあるからには現在の御歳神社の祭神と同じ御歳神であるとしか
考えられないのです。
 もっとも『延喜式』自体は平安時代に編まれているので、はじめ高照光姫を祀っていた
のがいつしか御歳神に替わった、と考えられなくもありません。
 ですが、それならば『先代旧辞本紀』には大神命と称されている高照光姫の祭祀が絶たれ
た理由が必要になるのです。
 奇妙なことはもうひとつあります。
 葛城では、シタテルヒメの兄アヂシキタカヒコネを祀る高鴨神社が鴨上社、事代主を祀る
鴨都波神社が鴨下社とされ、そして御歳神社が鴨中社とされています。アヂシキタカヒコネは
『古事記』に「迦毛大御神(カモ大御神)」と記されており、高鴨神社が上社で、しかも
『延喜式神名帳』には名神大社と記されているにもかかわらず、その『延喜式神名帳』の
葛上郡の条は、

 鴨都波八重事代主命神社
 葛木御歳神社
 葛木坐一言主神社
 多太神社
 長柄神社
 巨勢山口神社
 葛木水分神社
 鴨山口神社
 高天彦神社
 葛木大重神社
 大穴持神社
 大倉比売神社
 高鴨阿治須岐詫彦根命神社

となっていて、高鴨神社が末尾にあるのです。
 鴨下社の鴨都波八重事代主命神社が筆頭に、中社の葛木御歳神社2番手にあることを考え
れば高鴨阿治須岐詫彦根命神社の位置づけは明らかに異常と言えます。
 このことについて、三谷栄一(『日本神話の基盤』)は、高鴨神社が末尾、大国主を祀る大穴
持神社が末尾から3番目にあるのは、大国主やアヂシキタカヒコネといった出雲系の神々が葛城
で祭祀されるようになったのが比較的に新しい時代のことだからであろう、と考察しています。

 ところで、『新撰姓氏録』では、御歳神社の祝(はふり)について、

 「三歳祝(みとしのはふり)、大物主命の五世の孫、意富太多根子命(オオタタネコノミコト)
の後といえり」

となっているので、タカテルヒメの祭祀はオオタタネコ系の一族が行っていたようです。もし
これが事実であれば、葛城におけるタカテルヒメの祭祀はやはり新しいものと考えるべきでしょう。

 それでは、シタテルヒメの神名の方はどうでしょう。
 先述のとおり、『古事記』が高比売命の名を先に挙げてから「またの名を下照比売命」として
いながら、アメノワカヒコの伝承を語るところではシタテルヒメの名を用いていることを考えると、
この神名は出雲系のものだと思われるのです。
 それでいて、『出雲国風土記』などにこの神名が登場しないのは、おそらくこの神が「下照ひめ」
とあるように、太陽神の巫女的存在だったからではないでしょうか。

 これに対し、「高照ひめ」の方は「天照」に相当する名ですが、これはオオタタネコ系が祭祀して
いることから考えれば多神社の祭神、天祖賢津日女神尊(アマツヲヤサカツヒメ)のような存在か、
あるいは同神であったと思われるのです。