小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

ツブツブ?

2015年01月09日 01時41分53秒 | 日本語
2012年5月30日(水)(4歳2か月)


 冬の間、春奈は乾燥肌である。

 春になり、今はもう乾燥肌ではなくなったけど。

 肌と言えば僕も肌が弱い方だ。シャツのタグなんか
が肌に触れるとかゆくなる。

 もう一つ言えばみんたも肌が弱い方である。

 両親がともに肌が弱いから春奈も弱い方なのかも
しれない。

 それでも、今のところアレルギーやアトピーなどは
なさそうである。
 けど、最近はアレルギーやアトピーの子が多い。

 春奈の保育所のお友だちにもやっぱりアレルギー
などの症状が出る子がいるようだ。

 「〇〇ちゃん、すぐにお肌にツブツブできる」

と、春奈が言った。

 それは「ツブツブ」じゃなくて「ブツブツ」と
言うのだが?

 ところで、関西ではニキビや発疹のことを「ブツブツ」
と言うけど、全国的にはどのくらいの地域でこういう
言い方をするのだろう?

 寒い時に肌が収縮して「ブツブツ」になることを
関東では「鳥肌」と言うようだが、関西では「さぶいぼ」
と言う。

 漢字で書くと「寒疣」である。

 関西では「寒い」を「さぶい」と言うから。

 この「さぶいぼ」もどのくらいの地域で使われている
言葉なんだろう?

 日本という国は方言が豊かだから全国的にはいろんな
言い方があるんだろうなあ。

 春奈、今日で満4歳2か月。


349 アカルヒメと天光受胎

2015年01月09日 01時38分45秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生349 ―アカルヒメと天光受胎―


 阿加流比売(アカルヒメ)については、『古事記』は次のような内容の伝承を
記しています。

 新羅に阿具奴摩(アグ沼)という沼があった。
 この沼のほとりでひとりの身分の卑しい女が昼寝をしていると、太陽の光が虹の
ようにその女の陰部を射した。
 ここにひとりの、これも身分の卑しい男がおり、この光景を不思議に思って、
それからというもの、その女の行動を常に見ていた。
 女はその時の昼寝から身重になり、ついに赤玉を生んだ。
 男は女に懇願してその赤玉を譲り受けた。
 ある時男が牛をつれていると、新羅の王子天之日矛(アメノヒボコ)に出くわした。
 アメノヒボコは、男に、「その牛を殺して食おうとしているのだろう」と、言って、
男を牢に入れようとした。
 男は、そのようなことはしない、と弁明したがアメノヒボコがそれを信用しようとは
しなかったので、例の赤玉を差し出して、投獄を許してもらった。
 赤玉を受け取ったアメノヒボコが帰って、床のあたりにそれを置くと、その赤玉は
美しい乙女へと姿を変えた。
 そこでアメノヒボコは乙女を自分の妻にした。
 しかし、次第にアメノヒボコは傲慢になり、妻を罵るようになったので、妻は、
 「私はあなたの妻となる女ではありません。私は祖の国に行きます」
と、言って、密かに小舟に乗って逃げだすと、難波に留まった。
 これは難波の比売碁曽(ヒメゴソ)の社に坐す阿加流比売という神である。

 この伝承にある、日光が陰部を射して妊娠する話は天光受胎と呼ばれる型のものです。
 有名なのは高句麗の建国神話の朱蒙で、その母親の柳花に日光が射して妊娠し、やがて
卵を産んだといいます。その卵から生まれたのが朱蒙だというものです。
 この型の神話や伝承はアジアに分布するものですが、日本にもその影響を思わせる
承が残されているのです。

 たとえば、太陽神だとも言われる大物主神について『古事記』が伝えるものがそうです。
 三島溝咋(ミシマノミゾクイ)の美貌の娘勢夜陀多良比売(セヤタタラヒメ)が厠で用を
足している時に便を流す溝から丹塗矢が流れ下って来て、姫の陰部を突きます。それで、
姫が大層驚き、ともかくその矢を持って帰って寝室に置くと、丹塗矢はたちまち麗しい男性
の姿に変わります。この丹塗矢は大物主が化けたものだったのです。そうして大物主は姫と
契り、姫は女の子を産みます。この女の子が初代神武天皇の皇后イスケヨリヒメだという話
です。
 また鴨県主の始祖伝承にもこれと同じようなものが見られます。
すなわち、賀茂建角身命と丹波の神野の神伊可古夜日女(イカコヤヒメ)との間にうまれた
玉依日売(タマヨリヒメ)が石川の瀬見の小川で川遊びをしていると、河上から丹塗矢が流れ
てきます。それを拾い、家に持ち帰って寝床の側に挿して置くと、懐妊して男の子を生んだ、
それが鴨県主の始祖だというものです。

 ところで、大物主といえば、『日本書紀』にあるモモソヒメの伝承がありますが、この中で
モモソヒメは箸で陰部を突いて死んでしまいます。
『古事記』には、天照大御神が服屋(はたや)にて神御衣を織っている時に、スサノオが服屋の
屋根を破り、そこから馬の皮を剥いで投げ込んだので、天服織女(アメノハタオリメ)が驚き、
その拍子に梭(ひ)で陰部を突いて死んでしまった、とあります。

 さて、若日下王は、『古事記』には、

 「波多毘能若郎女(ハタビノワキイラツメ)、またの名は長目比売命、またの名は若日下部命」

とあり、『日本書紀』には、

 「幡梭皇女(ハタビノヒメミコ)」

と、あります。
 大和岩雄(『神社と古代王権祭祀』)は、ハタビの「ハタ(服)梭」で、梭は、天服織女が梭で
陰部を刺す話と重なる、と解釈しています。

 これらのことを総合すれば、日光が陰部を射す型と同じものが日本神話の中に見られるという
ことになるわけです。