小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

聞こえてくるな♪

2015年01月21日 01時30分08秒 | 日本語
2012年6月6日(水)(4歳2か月)


 春奈がカエルの歌を歌っている。

 曲名は知らないけど、「かえるの歌が 聞こえて
くるよ♪」と、いう歌詞の、誰もが知っている有名な
歌である。

 ただ、春奈が歌っているのを聞いていると、

 「かえるの歌が 聞こえてくるな♪」

と、歌っている。

 何で比定文やねん?

 だけど、どうやらワザとではなくてホントに間違って
覚えているらしい。

 きっと本人も否定形になっていることに気づいて
いないだろう。

 ところで、言葉と言うものは常に変化する。

 日本語の否定形、と言うか禁止の言葉も変化した。

 現在の日本語では、これは、「笑うな」、「食べるな」
といったように、動詞の後ろに「な」を付けて禁止の
命令形になる。

 これが古い時代だと、「な笑いそ」と、「な」が頭に
来たのだ。(なお、語尾に「そ」を付ける。「な〇〇そ」
で禁止の命令形)

 まあ、これは大人の人なら高校生の頃に古典の授業で
習ったはずだから知っていると思うけど。

 でも、頭に付けていた「な」が語尾に付けるように
なったとは、いとおかし、である。

354 シタテルヒメと太陽(中編)

2015年01月21日 01時28分16秒 | 大国主の誕生
大国主の誕生354 ―シタテルヒメと太陽(中編)―


 ニギハヤヒとアメノワカヒコの関連について、少々深入りしてしまいますが、ニギハヤヒ
が降り立った哮峯がどこなのかよくわからないのと同様に、トミビコの本拠もよくわかって
おりません。

トミビコは『古事記』には登美能那賀須泥毘古(トミノナガスネビコ)通称トミビコと書か
れています。また日本書紀には長髄彦とのみ書かれています。
 イワレヒコの大和入りを阻止した人物でイワレヒコ最大の敵として描かれたトミビコです
が、その所在地については諸説あります。
 奈良県桜井市の鳥見山(とみ山)と外山(とび)周辺とする説。
 奈良県奈良市の富雄。
 東大阪市周辺

 鳥見山、富雄の説については、登美のナガスネビコの、登美から来る考えです。
 大和入りするイワレヒコの軍を迎撃することを考えると、大阪府と奈良県の県境である
生駒山に近い富雄は有力なように思えます。が、富雄からは古代豪族の本拠地だったと推測
されるような遺跡が発見されていない。
 さて、東大阪周辺ですが、こちらもイワレヒコの大和入りを阻止したことから地理的には
合理性がみられます。
 中山千夏は(『新古事記伝』)、サホビコ、サホビメ(11代垂仁天皇の皇后)の本拠地を
大阪府の旧三島郡周辺(摂津市や茨木市周辺)とする古田武彦説を発展させて、トミビコを
銅鐸文化圏の王ととらえ、その本拠地を東大阪市から旧三島郡の周辺という説を打ち立てて
います。
 一方、鳥見山、外山の方は、前期古墳が多く残されており、またトミビコの主人ニギハヤヒ
を祀ったともいわれる志貴御県坐(しきみあがたにます)神社が近くにあることなどから、
かなり有利と言えるでしょう。
 鳥見山は三輪山の南に位置し、外山は三輪山と鳥見山に挟まれた地域です。
 それに、音声的に「ミ」と「ビ」は非常に近い音になりますから、外山(とび)は「トミ」
であったと考えられなくもないわけです。
 この外山で無視できないのが宗像神社の存在です。
 なお、この宗像神社の鎮座する地はかつての城上郡で、『延喜式神名帳』の城上郡の条に
ある式内社宗像神社の論社です。『延喜式』には「宗像神社 三座」とあるので祭神はいわ
ゆる宗像三女神のことでしょう。すなわち福岡県宗像市の宗像大社にて祀られる田心姫神、
湍津姫神、市杵島姫神です。
 ならば、この地に宗形氏(宗像氏)がいたということでしょう。城上郡の宗像神社が式内社
であることは同時にこの神社が古くから存在していた証拠でもあります。
 このことは非常に興味深いことでもあるのです。
 なぜならアヂシキタカヒコネとシタテルヒメは宗像三女神の一柱、多紀理毘売命を母として
いるからです。
 多紀理毘売命は田心姫神のことです。漢字で表記すると何だか別の神様みたいですが、多紀
理毘売(タキリビメ、もしくはタギリビメ)と田心姫(タゴリヒメ)は「キ(ギ)」の音が
「ゴ」になっているだけの違いなのです。
 この音の変化は、アヂシキタカヒコネがアジスキタカヒコネとも言われるのと同じことです
が、三谷栄一(『日本神話の基盤』)は、本来この神の名はアジスキであり、この桜井市の
宗像氏の影響により、地名の磯城(しき)の音を含んだアヂシキに変化したのではないか、と
考察しています。
 (註:磯城はこの周辺のこと。外山に近い金屋には志貴御県坐神社が鎮座し、ここは崇神天皇
の磯城瑞籬宮の比定地でもあります)

 さて、アメノワカヒコがニギハヤヒと酷似した伝承を持ち、そのニギハヤヒゆかりの登美に
比定される外山に宗像神社が鎮座することを偶然で片づけてよいのでしょうか。
 アヂシキタカヒコネとシタテルヒメが大国主と宗像の多紀理毘売との間に生まれたとする伝承
といい、この神たちには出雲や海人氏族たちの関わりが強く見られるのです。