小春奈日和

赤ちゃんは、人間は、どのように言葉を獲得するの?
わが家の3女春奈と言葉の成長日記です。

伊勢神宮その3

2014年01月02日 11時15分22秒 | パワースポット
パワースポット編 ―伊勢神宮その3 荒祭宮の神―


 そして、正宮に到着。
 が、しかし!ものすごい人だかり。
 もう、遠く離れたところから手を合わせるだけにした。 



 ただし、次に行く荒祭宮だけはしっかりと神前まで行っ
て手を合わせよう。

 荒祭宮は内宮の第一別宮で、天照大御神の荒魂(あら
みたま)を祀る、とされる。
 と、同時に、伊勢神宮最大のパワースポットだとも言
われる。
 荒魂は、神霊が勢い盛んな形の示現である。他にも和
魂(にぎみたま)・幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみ
たま)がある。
 神の魂ではあるけど、別神格を持つこともあり、その
場合は神の分身とも言える。
 荒魂は例えるなら真夏の太陽に似ている。緑が生い茂
り育成のパワーを与えるけど、農作物を枯らしたり人間
を弱らせるほどのパワーをも持っている。
 そんな荒魂を祀るだけに、荒祭宮は御正殿よりも願い
事をかなえてくれる、とも言われるほどだ。
 いや、そう言われるのも別に不思議じゃない。

 『日本書紀』の「神功皇后紀」には、天照大御神の荒魂
が神功皇后に力を貸す場面が登場するが、それとは別に天
疎向津姫命(アマサカルムカツヒメ)という神が登場する。
この天疎向津姫命もまた天照大御神の荒魂だと言われる。

 『日本書紀』によれば、仲哀天皇と神功皇后が筑紫にい
た際、神が皇后に憑き神託を下した、と記されている。
 「この海の向こうに新羅国がある。吾を祭祀すれば新羅
は天皇のものになるであろう」
 ところが仲哀天皇がこの神託を信じなかったために、
 「汝の治める国にあらず。皇后の胎内にいる御子が治め
るであろう」
と、いう新たな神託が下され、仲哀天皇は薨去した、とあ
る。
 そこで神功皇后が占うと、三度神託が下され、
 「吾は神風の伊勢国の度会の五十鈴宮に坐す神、撞賢木
厳之御魂天疎向津姫命(ツキサカキイツノミタマアマサカ
ルムカツヒメノミコト)ぞ」
と、名乗るのである。
 この言葉からは天疎向津姫命が天照大御神の分身だと解
釈することができる。
 神の言葉を信じない無礼を行えば天皇であっても殺して
しまう荒魂が坐す荒祭宮はまさに最強のパワースポットか
もしれない。

 また、この荒祭宮の神様こそが伊勢神宮の本来の祭神だと
する説がある。
 内宮第一の別宮であり、正宮遷御の後にはこの荒祭宮も遷
される。特別な宮なのである。
 しかも、正宮よりも願い事が成就すると言われるほどのパ
ワー。
 荒祭宮が伊勢神宮本来の神と言われるのもこの辺りから来
ているようだ。



 ところで、天疎向津姫命は大和の多神社(おお神社)に坐
す神でもある。
 多神社の祭祀氏族は多氏。多氏は太氏とも書く。『古事記』
を編纂した太安万侶の家系である。
 ここは近鉄橿原線笠縫駅の近くで、宮中より天照大御神を
遷したとされる笠縫邑の比定地なのだ。
 現在の多神社の祭神は神八井耳命(カムヤイミミノミコト)
とされているけど、『延喜式』に「は多坐弥志理津比古神社
二座」と、記されている。多神社はこの多坐弥志理津比古神社
に比定されている。
 二座とあるから、2神が祀られていたわけだ。
『多神宮注進状』には、祭神は珍子賢津日霊神尊(ウツノミコ
サカツヒコ)と天祖賢津日女神尊(アマツヲヤサカツヒメ)と
あり、珍子とは天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)、の
こと、とあり、また天祖賢津日女神尊についても、社伝「社司
多神命秘伝」は天疎向津姫命のことだとしている。
天忍穂耳命は、天照大御神の御子神なので、それならば天疎向
津姫命はやはり天照大御神と同神ということになる。
 ところで、多神社の付近には十市御縣坐神社があり、この神
社の祭神は豊受大神なのだ。
 このことは、伊勢神宮が、外宮が豊受大御神を祀り内宮が天
照大御神を祀っているのを連想させる。

 それと、『倭姫命世記』には荒祭宮の祭神は瀬織津姫だと記さ
れているけども、この瀬織津姫は天疎向津姫と同神である、とも
言われている。


(つづく)