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甲尊について(その続き)

2010-02-08 14:04:31 | 日記
 さて、よく易は卑しいものという言葉が出てきます。
 現代の人には、中々理解しにくい言葉です。
 大熊光山という画相の大家のことばでは、易は結果しか判らないから卑しいとしています。
 他の占術にしろ、事実を知るもので、真実を知るものではないはずです。
 また、昔の人の哲学では、生きるために他人に影響を与えることは卑しく感じたかもしれません。
 その考えからいくと、奇門遁甲なんか、方位を使って、造命を行うという物凄く、卑しい占術でないでしょうか。
 国家の浮沈を決する戦を勝ち抜く為の占術ですから、本来は、一般人の欲望をかなえる為に使うべきではないわけです。
 でも、いざという時にちゃんと使えるように訓練したり、実験したりするのは、必要なことで、卑しいとは思えませんね。
 また、遁甲を頭でっかちに知っていて、実際使えないのだったら、卑しいことも出来ない半端な人ということです。
 そういう卑しいと言う言葉で、使い手を篩にかけるのも兵法の1つで、遁甲らしくもありますね。
 なにしろ、自分たちだけがメリットを押さえ、他人には少々で、ほんの少ししか情報を与えないのは遁甲家の常套ですので、がんばって疑いながら研究してください。
 占術には、秘伝・奥伝が多くありますが、方位学は下手に本当を教えると、教えた人と戦をするハメになった時、大変ですから、完全なものを教えないわけです。
 

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1 コメント

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「あたま」 (yama)
2010-02-10 05:00:32
的を得たご回答ありがとうございます。実際、「頭でっかち」な半端、、。な使い方?自身、自分で言うのもなんですが、地に付いてない生き方をしています。「庚」だから、「戦格」、「大格」だから、天地同干だからこっちの遁甲盤、、”吉”格で動けども、ただの”キチ”ガイになりかねない自分がいます。情けない、。
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