3月27日(日)に僕はYYDの仲間と伊豆ヶ岳東尾根を歩きました。
さっちゃんの痰の吸引について悩み考え、胃瘻造設の決断をしたころです。
さっちゃんの状態がどうであろうと、コロナ禍では面会も出来ず、僕には何も出来ることがありません。
鬱々とし続けているよりも、せめて肉体的には元気であろうと山を歩くしかありません。
さっちゃんは以前からよくこんな風に言っていました。
「山を登れなくなったら、私はどう生きて行けばいいの」と。
それほどさっちゃんは山が好きでした。
なので僕はさっちゃんが山を歩ける限り、一緒に山を歩き続けました。
それも2020年12月6日が最後でした。
80歳を過ぎても山歩きしていたのですから、一般的な感覚では十分山を楽しんだ人生だと言えるでしょう。
でも、僕はそうは思いません。
おそらく、さっちゃんも同様でしょう。
もっともっと山で過ごしたかったことと思います。
手前勝手な言いようかもしれませんが、さっちゃんの無念を晴らすためにも僕は山を登り続けたいのです。
さっちゃんの大腿骨転子部骨折から途中10日間の自宅での生活はありましたけれど、肺炎で再び入院してしまいました。
4ヶ月半の入院生活の後、今は老健へ入所しています。
良くも悪くも、さっちゃんの居ない暮らしに僕は慣れてしまいました。
慣れるしかありませんよね。
さっちゃんのことを想って、涙が滲むのは日常ですけれど、そんな僕を自然な心情レベルに保ってくれているのが山歩きだと感じます。
山の仲間や山の友の存在の大きさや大切さも感じます。
いろいろな想いを込めて、山を歩いていますし、歩き続けようと思います。
独りよがりな前置きが長くなってしまいました。
伊豆ヶ岳東尾根の記録は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。
YYDの地図読み山行で伊豆ヶ岳東尾根を歩いて来ました
▲12:09。伊豆ヶ岳頂上直下の崖状箇所では、練習を兼ねてザイルを出して登りました。
昨日の夕方、僕は久し振りに多摩川土手の基本周回コースを散歩しました。
一時は夏日が連続していましたけれど、昨日は冬がぶり返したような日でした。
温かさに慣れた体には北風の寒さが身に沁みました。
▲17:52。この景色をさっちゃんと共に眺める日が早く来るように、祈りながら僕は歩きます。
さっちゃんの痰の吸引について悩み考え、胃瘻造設の決断をしたころです。
さっちゃんの状態がどうであろうと、コロナ禍では面会も出来ず、僕には何も出来ることがありません。
鬱々とし続けているよりも、せめて肉体的には元気であろうと山を歩くしかありません。
さっちゃんは以前からよくこんな風に言っていました。
「山を登れなくなったら、私はどう生きて行けばいいの」と。
それほどさっちゃんは山が好きでした。
なので僕はさっちゃんが山を歩ける限り、一緒に山を歩き続けました。
それも2020年12月6日が最後でした。
80歳を過ぎても山歩きしていたのですから、一般的な感覚では十分山を楽しんだ人生だと言えるでしょう。
でも、僕はそうは思いません。
おそらく、さっちゃんも同様でしょう。
もっともっと山で過ごしたかったことと思います。
手前勝手な言いようかもしれませんが、さっちゃんの無念を晴らすためにも僕は山を登り続けたいのです。
さっちゃんの大腿骨転子部骨折から途中10日間の自宅での生活はありましたけれど、肺炎で再び入院してしまいました。
4ヶ月半の入院生活の後、今は老健へ入所しています。
良くも悪くも、さっちゃんの居ない暮らしに僕は慣れてしまいました。
慣れるしかありませんよね。
さっちゃんのことを想って、涙が滲むのは日常ですけれど、そんな僕を自然な心情レベルに保ってくれているのが山歩きだと感じます。
山の仲間や山の友の存在の大きさや大切さも感じます。
いろいろな想いを込めて、山を歩いていますし、歩き続けようと思います。
独りよがりな前置きが長くなってしまいました。
伊豆ヶ岳東尾根の記録は『ザイルと焚火と焼酎と』を読んでみてください。
YYDの地図読み山行で伊豆ヶ岳東尾根を歩いて来ました
▲12:09。伊豆ヶ岳頂上直下の崖状箇所では、練習を兼ねてザイルを出して登りました。
昨日の夕方、僕は久し振りに多摩川土手の基本周回コースを散歩しました。
一時は夏日が連続していましたけれど、昨日は冬がぶり返したような日でした。
温かさに慣れた体には北風の寒さが身に沁みました。
▲17:52。この景色をさっちゃんと共に眺める日が早く来るように、祈りながら僕は歩きます。