さっちゃん 空を飛ぶ

認知症で要介護5の妻との楽しい日常を 日記に書き留めたいと思います

先日の夕食時でした。僕はさっちゃんに「ウルサイ!」と言われてしまいました

2021-06-15 23:00:18 | 食事・食器
さっちゃんの食欲がどうなっているのか、僕にはさっぱり分かりません。
1日に食べる量がたったあれだけでよく我慢できるなぁと思ってしまいます。
かと言って、食事量が少なかった翌日や翌々日に食べる量が増える訳でもありません。
僕など凡人は満腹になったり空腹になったり、食欲を巡って一喜一憂、右往左往するばかりです。
さっちゃんには凡人によくあるそんな様子が一切見られないのです。

凡人風情の僕などは腹が減っていたり、やけに美味いおかずだったりすると、ガツガツと喰ったりしがちです。
僕だって、そんなに貧乏臭く振る舞うことばっかりではありませんよ。
一椀一皿の美味を静かに味わうことだって出来ます。
渋くウ~~ンと唸ったり、その料理への蘊蓄を宣ったりも出来ます。
今のさっちゃんからはどちらの様子も感じたことはありません。
花や鳥や夕陽や月を見て感動することは多いのに、美味しい食事に感動することはないようなのです。
そうなんです、さっちゃんには空腹を満たす喜びや美味しいものを食べた感動は見られません。
ですから、僕がさっちゃんに願うことは少しでも食べて欲しい、少し食べたら更にもう少し食べて欲しい、それだけなんです。
2、3年前までは「美味しい」と言ったり、美味しい食事を食べた後には笑顔を浮かべたりすることがあったんですがね。)

さっちゃんは小さなものしか口には入りません。
軟らかなものしか噛むことが出来ません。
繊維質のものも食べるのは無理です。

例えば、冷奴は豆腐を1cm立方くらいに小さく切って、そのひとつひとつに醤油を垂らした削り節を載せて置いたりします。
先日、葉付の大根が美味しそうでしたから、葉をお味噌汁の具にしました。
さっちゃんはその大根葉を食べることが出来ませんでした。
さっちゃんにはあのシャキシャキ感を味わうのは無理なんです。

さっちゃんはを上手に使いこなせません。
スプーンも水平に保ち続けるのが困難です。
ナイフとフォークは多分それがなんなんだか忘れていると思います。

僕はさっちゃんの右手に箸を握らせますが、上手く使えないので諦めるのかいらつくのか、その内手から箸が離れてしまいます。
自分の指を使って食べたりしますが、それを無理に止めさせようとすると怒り出します。
指を使って食べること(インドではそうですしね。ただし、きちんとした作法があるようですが)も僕は許すことにしています。
とは言え、僕はティッシュで時々指を拭いてあげたり、隙あらば再び箸を持たせようとするんです。

数日前のこと、僕はさっちゃんに上記のようなことをしていました。
他にも、1本の箸で食べようとしているので、もう1本を右手に滑り込ませようとかしていました。
そんな時のこと、さっちゃんはいきなり「ウルサイ!」と大きな声ではっきりと叫んだんです。

さっちゃんは僕の手助けをお節介とか邪魔とか感じたんでしょうね。
そんなことはよくあることなんですが、僕が驚いたのはそこではありません。
「ウルサイ!」とはっきりとさっちゃんが喋ったことなんです。
「うるさい」という言葉自体も認知症になったさっちゃんからは初めて聞く言葉ではなかったでしょうか?

その瞬間の僕の感情は複雑でした。
嬉しいやら、悲しいやら、腹立たしいやら。
結果的にはこれをきっかけにしてさっちゃんは席を立ち、僕も「そんなに言うんなら、もう食べなくてもいいよ」となってしまいました。
でも、心の中では「ウルサイなんて言葉をはっきり喋ったよ」と少し感動していたりしてたんです。

そのまま布団の中に行って、寝てしまったさっちゃんは、もうその晩は一度も目を覚ましませんでした。
コメント
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