中田先生は担任を持たなかった
田舎の中学校で音楽だけを受け持っていた
飴色のフチが特徴のメガネをかけ
レンズの奥から生徒たちに笑みを投げかけた
オルガンを弾くときは手元をしっかり見ていた
タクトを振るときは大きな躯を揺すってスウィングした
腰から上は可動域いっぱいまで動いたが
大きな尻は微動だにせず二本の脚が錘となった
「先生、モーツアルトって本当に三歳で作曲したんですか」
「知らんねえ、付き合いはなかったからね」
教室中がどっと沸いた
進路指導の憂鬱を抱えていたぼくらの憩いの時間だった
「知らん先生」のあだ名をつけたのはみんなの総意だった
中学校でこんなにユーモアを感じさせる教師はいなかった
オルガン演奏は楽しそうに見えなかったが
タクトを振るときは水を得た魚のようにイキイキしていた
その中田先生を僕は一度だけ怒らせたことがある
卒業一年前のクリスマスが近づいたころ
クラス全員で「聖夜」の輪唱を練習していた
その最中に僕がプッと噴きだしたのが原因だった
なぜ笑ったのか理由はわかっている
キヨシという上級生と噂のある女の子が頭に浮かんだのだ
ばかな中学生の性衝動に由来したのか
ひとり涙しながらクククク、ククククと笑いを引きずった
とっくに忘れてしまいたいことなのに
紫蘭の咲く季節になると中田先生のことを思い出す
きよしこの夜の歌い出しでキヨシを連想した失敗を
紫蘭と「知らん先生」でまたも繰り返そうとしているのだ
この歳になってふと気づくことがある
音楽教室の壁をぐるりと飾っていた作曲家たちの肖像画
ベートーベン、シューベルト、ショパン、シューマン、バッハ・・・・
中田先生はその中の一枚になることを夢見ていたのではないか
一介の音楽教師として生徒に接していても
ウィットやエレガンスや自由への憧れが滲み出てくる
中田先生はどこからやってきたのだろう
きっとオーケストラの花咲く国から派遣されて来たに違いない
(2917/04/25より再掲)
紫蘭
(ウェブ画像)より
何気に思い浮かべてみたら、紫蘭に囲まれた中田先生が、指揮棒を手に流れるような三角形をつくっている情景が思い浮かびました。
下手な表現で申し訳ありません。😅
悪ガキが音楽の先生(若い女性教師ばかり・・)をいじめてばかりで、先生が居つかずに殆ど中学の3年間はまともに音楽の授業を受けられなかった私は、とても羨ましいです・・・
紫蘭に囲まれた中田先生が、指揮棒を三角形に振る。
そのイメージ、ありですね。
いろいろと想像していただき、ありがとうございます。
困った悪ガキですね~
若い女性の先生だと、扱いきれなかったんですね。
知らん先生は、確かに、ほかの先生とは雰囲気が違っ
ていて、都会の匂いがしました。
しかも、当時の田舎の学校としては、音楽だけの先生というのが異色で、「音楽の専門家」だったんだろうなと思っていました。
コメントありがとうございました。
オーケストラの花咲く国から派遣されて来た中田先生。
すてきな思い出、そしてとってもすてきな音楽の先生ですね。読んでいて羨ましくなりました^^
オーケストラの花咲く国から派遣されてきた先生だと、今も思っています。
戦後十数年しか経っていない頃ですから、田舎の学校では信じられない経験でした。