どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設20年目を疾走中。

思い出の連載小説『吉村くんの出来事』(16)

2024-01-19 01:01:00 | 連載小説

    天草薫風

 吉村と久美の新家庭がスタートして半年、こんどは八代の兄が嫁取りを考え出したとの連絡が母からの手紙に記されていた。
 相手は地元のスナックで働く二十八歳の女性とのことだった。
 兄が米屋の会合の流れで立ち寄った際、カウンターの奥でママを手伝う控え目な女の様子に心を引かれたらしい。
「本人がいうには天草生まれの家庭的なオナゴで、浮いた話など何もないんじゃと。ばってん、よかオナゴがこれまで嫁の話がなかちゅうんはどうしたわけじゃろと、かえって身分ば心配しとんのよ」
 その相談のためによこした手紙のようであった。
 しかし吉村にも相手のことはわからないし、かといって母の危惧も理解できないではなかったので、ありきたりのことを書き送るしかなかった。
 兄は、弟の洋三が完全に実家を離れ東京に所帯を持ったことで、長年わだかまっていた心が解放されたのだろう。結婚式のために東京まで出向いてくれたときの表情からも、ほっとした胸中がうかがい知れた。
 兄にとっては、父が残した米穀商の看板を受け継ぐことが唯一の存在証明でもあった。母とは血の繋がりはないし、洋三とは半分だけの血縁で、何も知らない子供の頃ならともかく、長じてからはあれこれ家族関係を頭で考え余計な雑念に災いされることが多かったのだろうとおもうのであった。
「兄貴にしっかり跡を取ってもらえれば、ぼくも安心だな。母さんはいずれぼくたちと一緒に住めばいいし、久美さんも喜んでくれるとおもうよ」
 と、手紙に記した。
 先行きは相手の女性次第との思いはあったが、兄が安心して城を構えられる環境をつくってやりたかった。
 祖母が元気なころは、八代の実家の二階でふざけあい兄弟喧嘩をして、床が抜けるほど大騒ぎをした。
 洋三が泣かされることも少なくなかったが、祖母は仲裁に入ったときでも『喧嘩両成敗』と声に出して分け隔てなく叱った。
 振り返ってみると、どれも無邪気な思い出ばかりなのに、歳月が過ぎてみれば少しずつ変質して、今は気を遣う関係になっている。
 去年の夏久美を連れて実家に一泊したときも、米穀商組合の旅行にかこつけて家を空けた兄の心中がうすうすと見えてきたものだった。
 だから順序は逆になったが、吉村が東京で所帯を持ったことが、兄を結婚する気にさせたのだろうと推測することができた。好い刺激になったことは吉村にとっても嬉しいことであった。
 それに相手が天草出身の女性と聞いただけで、なんとなくエキゾチックな気分に引き込まれた。
 兄の言うとおり家庭的な性格なのかもしれないが、昔から異国の文化に晒されてきた地域だから、そうそう見た目どおりのはずはあるまいと興味をそそられるのだった。
 何度か手紙のやり取りをするうちに、先方のスナックのママが仲立ちになって、兄たちの話も進展しているようであった。
 なんでも地元の新聞社やテレビ局のスタッフがよく訪れる場所らしく、女子大出のママの教養と気さくな応対が気に入られて、地方にしてはセンスのいいスナックとしてかなり繁盛しているらしかった。
「先週はふたりで天草ドライブをしてきたらしいんよ。ママさんが世話好きで握り飯やらエビフライやらいろいろ持たせてくれたんだと。土産に面白かもん持たされて来たばってん、お前にも見せてやりたか」
 続く説明によれば、ヨメガカサガイ(嫁が笠貝)といって、天草の女性が嫁入りのときに被る笠にたいへん似ている貝殻なのだそうだ。
 どうやら相手はその気になっているらしく、兄の喜びようとともになんともほほえましい気分になる。
 新緑の季節を迎えて、さぞかし気持ちのいい一日だったろうと、天草をつなぐ橋また橋の景観を想い起しながら、頬を撫でる風を感じたものだった。
「なにニヤニヤしているの?」
 久美に訊かれて、吉村は兄たちの様子をかいつまんで話した。
「応援団がいっぱいいて、お兄さま幸せね。・・・・これから相談ごととかあるでしょうから、遠慮なく電話もかけてくださるよう書いといてね」
 手紙のやり取りが多いのは、母が久美に気を遣ってるのではないかと心のどこかで気にしているのかもしれなかった。
 どちらにしても、話が煮詰まってくればもっと頻繁に連絡があるだろうと、あまり煩く問い合わせたりせずにほうっておいた。
 吉村にはやることがいっぱいあって、郵便局での仕事のほかにも家庭のこと<ふくべ>の手伝いのことなど、日々気を遣って捌いていかなければならないことが目白押しだったのである。
 その一つである慰霊のための山行きが、あと二ヶ月ほどのところに迫っていた。 早川が遭難して以来、東条とともに毎年北穂高岳山荘に赴いている。今年の予定も大分先のことのように思っていたが、忙しく日を追っているうちにもう現実に考えなければならない時期が来ている。
 東条と二人日程を合わせて有給休暇を申請するだけでも、そのくらい前からのすり合わせが必要なのであった。
 そのほかにも早川の家族に声を掛けるタイミングがある。
 特定局に勤めたエリカちゃんに連絡して、そのつど慰霊のための品物を預かったりしている。
 遭難の翌年、母親が息子に書いたという手紙を託されたときは、西穂へのとっつきの尾根に築いたケルンの下に埋めて早川に報告した。
 花束を捧げ、ほどなく風雨によって朽ちていくだろう紙の束として眺めるようにした。
 内容は読まなくても想像は付いたが、母親と同じだけの慟哭は捧げられないから、思い入れをするのを避けたのだった。
 だから山頂の風に吹かれて、早川の白い顔を思い浮かべただけだ。
 ニコニコと微笑むその笑顔だけが岩の窪みにふわふわと浮かんでいた。
「今年も行くからな・・・・」声には出さずに呟く。
 すると、ゆっくりと生きている自分のありようも空気のように実感される。
 早川のように急いではダメなのだ。急がなくても、今いる保険課への転勤が実現したように、時が経てばいつか向こうから折り合ってくるのだ。
 急ぐことは厳禁だ。・・・・自分を戒めるようにおもった。
 やることは重なっていたが、吉村は忙しいなりに一つ一つ片付けていった。
 これまでの経験から、時とともに何度も事態が好転したのを覚えている。淡々と自分のやるべきことをこなしていると、運命ですら勝手に変化し別の顔を見せるようになるのだ。
 調理師の免許を取ることだって、まだ諦めたわけでなないから、いつかチャンスが巡ってくるような気がしていた。
 
 吉村は身辺のことに注意を向けながらも、それらに囚われることなく日を送っていた。
 保険外務の仕事に限って言えば、郵便局を取り巻く環境はしだいに悪くなっていた。
 都民共済や全労災などに混じって、いつの間にか手軽に入れる外資系の保険が伸びてきていた。
 これまでは民間生命保険会社の加入条件が厳しいために、医師審査のない簡易保険が重宝がられていたが、それを上回る安直さと低料金でアメリカやスイスを拠点とする掛け捨て保険が年々加入者を増やしていたのである。
 当初は、棲み分けが利くし高が知れた相手と油断していたが、規制緩和のもと外国の大手保険会社が勢力を拡大してきていた。
「うちの女房が掛け捨て保険のパンフレットを送ってもらって、これに入れって言うんだよ。郵便局にだって定期保険というのがあるよって説明したけど、テレビで洗脳されちゃってるから全然言うことを聞きやしない。困ったもんだよ」
「おう、お前のところも亭主の意向なんぞ無視かい?」
 電話での申し込みとともに、ネット経由の加入や問い合わせが周知されてきて、ますます人気が高まっていったのだった。
 もっとも、ここまで外資系保険が広まった決定的な要因として、国内の預金金利が目に見えて低下してきた状況があげられる。
「あんたの安い給料では、養老保険なんて入っていられないわ」
 むしろ解約したいぐらいだと、女房からも不満をぶつけられていた。
 このところ生命保険に貯蓄性を加味する商品はすっかり見放され、死亡保障や医療保障といった明確な目的を備えた機能別保険に人気が移ったのである。
 外資系保険が伸張するに連れて、これまで保険金支払いに厳しすぎる条件を課していた民間生保に、さまざまなトラブルが目立つようになってきた。
 泣き寝入りに近い状態に置かれていた契約者が、各地で声を挙げはじめたからである。
 支払い条件が比較的緩やかだった簡易保険にも、そうした波は及んできた。告知義務違反が明らかなケースでも、なんだかんだとごねてトラブルを長引かせる例が少なくなかった。
 その背景には、保険外務員自身のルーズな対応も関係していた。契約欲しさに曖昧な説明でチェックをおろそかにするケースもみられたからである。
 たとえば予測に過ぎない配当金を、あたかも確定したもののように説明してしまう例がある。現在満期で支払われている配当金が十年後にも同じように支払われるかというと、そんなことは全く不確定なのだ。
 それなのに客の幻想を誘って保険契約にみちびく。
 そうした話法は、明確な痕跡があろうがなかろうが、客の申し立てがあれば好ましくない勧誘例としてチェックされるのである。
 逆に客の曖昧な健康告知に気付かないふりをして、保険契約を結んでしまう場合がある。
 入院履歴や歴然たる病歴はなくても、現に体調が勝れなそうに見える人に外務員の側から無意識のサインを送ってしまう例だ。
「ああ、この項目に丸が付いていないと、入れないかもしれませんね・・・・」
 最終的に審査ではじかれたりすれば、被保険者自身に迷惑がかかることになるのだが、つい流されてしまう外務員が少なくないのである。
 保険に対する国民の目が厳しくなると、国にしろ民間にしろ被保険者に対してより多くの情報を明らかにしていかなければならないことになる。
 いわゆる情報開示である。
 外資系保険会社の透明度が高ければ、相対的に国内の保険会社に対する要求もたかまり監視も厳しくなる。
 従来のような杜撰さは許されなくなってきたというわけだ。
 簡易保険を利用した会社契約にも、しだいに網が掛けられてきた。
 法人契約と称していても、民間の場合と異なって厳密には個人の契約の寄せ集めなのである。
 だから本来なら社員一人ひとりに面接をし、告知欄を書いてもらわなければならないのだが、そのあたりのチェックはかなり曖昧だ。
 しかも各々の限度額は一千万円と決まっているから、会社に枠を使われてしまうと家庭で入れなくなってしまうケースも生じるのである。
「吉村君、今度の会社契約、内務の代理がごちゃごちゃ言ってるから始末つけといてくれんかな・・・・」
 唐崎から突然言い渡された。
「えっ、なんでですか」
「だから、話を聞いてうまく処理してほしいんだ」
 どうも下駄を預けられたような按配だった。
 実情は分からないが、事務的なことは吉村に任されている。まずは唐崎の指示に従って内務代理の話を聞くしかなかった。
「ああ、吉村君か。ご苦労だね」
 内務代理が憮然とした顔で言った。「・・・・いやあ、今回の契約なんだが、チェックしてたら全く同じ印影が三箇所あってね。それで、これはどういうことなんだと問題になっているんですよ」
 聞けば同姓の被保険者が三人いて、どれも市販の同じ三文判で押印しているのだという。
「一人ひとりにちゃんと告知させているのかどうか、場合に依ったら上部機関から調査が入るかもしれないですよ」
 警告とは分かっていても、保険課自体が契約額を競っていた時代には考えられない推移であった。
 上部機関というけれど、その機関が考え出した局横断の組織が<職域センター>なのだから、これまでは契約優先の姿勢があったとしても仕方のない成り行きだった。
 しかし、時代は確実に変化していた。
 『変化には変化を』などと、聞きかじりのスローガンを連発する上司は身の周りにいたが、にわかに風当たりが強くなった法人契約への締め付けをどうかわしたらいいのか、教えてくれる者は誰もいなかった。
「先方に確認してみますので、少し時間をいただけませんか」
 吉村は時間稼ぎを図った。
 すべて承知の経緯なのだが、ここで白旗を揚げる訳にはいかない。罪をかぶってでも白を切るしかないのだ。
「唐崎さんはどうしたんですか。吉村君だけじゃ責任取れないでしょう」
「いえ、とりあえず私が・・・・」
 近頃やっと解ってきた同行者の役割が、吉村の腹にずしりと堪えた。
(おれはトカゲの尻尾だったのか?)
 唐崎が吉村を必要とした一端は、そんなところにあったのかもしれない。
「蜂谷のような奴が、いつか仕返しをしようと狙っているからな・・・・」
 いつか吉村に漏らした唐崎の警告は、こうした時のためのアリバイ作りだった形跡もある。暗に責任はおまえが負えよと言っているのかもしれなかった。
 しかし、吉村は唐崎に謀られたとはおもわなかった。
 唐崎と仕事を通して付き合ってみて、契約が彼の紙一重の決断で成否を分けたことが少なくなかったからだ。きれいごとだけではライバルの民間生保を出し抜くことなどできなかったと思っている。
 風当たりが強くなったとたんに、従来のやり方を否としてあげつらう。
 これまで全面的に支援してきた上層部も、いまや我関せずと距離を置き始めている。いつの時代でもそうだが、変わり身の早いのは現場で汗を流す者ではなく、涼しい顔で状況を眺めているスーツ姿の男たちであった。

 法人契約専門に立ち上げられた<職域センター>が、その年の秋に一部を残して廃止・統合された。
 御用済みになった職員は元の保険課に戻され、そこで小規模な会社契約などに活路を見出した。
 唐崎が統合した組織の中枢として残ったことで、吉村も相棒としてそれまでと同じポジションを維持することになった。
「悪いようにはせんから、残ってくれ」
 選択の余地もないわけではなかったが、吉村は唐崎のいう通りにした。
 腐れ縁という思いは一方にはあった。と同時に、唐崎の限界点を見てみたいという願望も捨て切れなかったのである。
 この前の契約の際には、吉村は面接不履行を理由に始末書を書かされた。
 法人契約を成立させる過程で、相手先の社員の一部が告知書の本人記入をしないまま申込書を提出し、それを受理をしたという不備についてであった。
 そのことが問題になったきっかけは、高橋姓の三名が同じ印影の押印をしているという事実だった。自分で書いていれば当然ハンコも違ってくるはずだというのが審査者の見解だった。
「おっしゃるとおりです」
 吉村は罪をかぶった。
 いちいち言い訳を始めたら、契約自体が瓦解する惧れがある。会社側に非を背負わせるわけにはいかないのだ。
(以前ならなんの文句もなかったのに・・・・)と不満は残ったが、風向きが変わった以上、それにしたがってセーリングするしかない。
 一度始末書を書いたことで、吉村には妙な胆力が備わってきた。人道に悖ることさえしなければ、人間それほど身綺麗に生きなくてもいいではないか。
 国家公務員ゆえに謹厳実直な奉仕者像を要求されもするが、国民の皆様よ、そしてマスコミの方々よ、あなたがたはどれほど穢れなき人生を送っていらっしゃるのですかと、聞き返したい気持ちを抱いていた。
 善は善、悪は悪。しかし、公務員が罪を犯せば普通以上の糾弾を引き受けることになる。
 民間企業であれば問題にもならない省略や融通が、やがて訓告、戒告といった処分につながっていくのだ。吉村はいつになく気持ちが昂る自分を抑え切れないでいた。
 この頃になって、唐崎の生き方が少しは分かった気がした。
 ずるいところも賢いところもひっくるめて、民間に伍して戦える数少ない男なのだ。
 郵便局を見渡しても、これほど懐の深い人間はそういるものではなかった。
「唐崎さん、今までお聞きしませんでしたが、蜂谷さんとの間で何があったのですか」
 吉村はかねがね気になっていたことを、直接訊いてみた。
「いや、別に大したことじゃないよ。内務の方針と我らの考え方が正面からぶつかっただけだわ。確かにヤツの言い分は正論だったが、それじゃあ仕事ができないだろうとやりあったんだ」
 いまから五年も前に、ちょうどキミが現在ぶつかっているような状況に立たされたのだと説明した。
 その時は上部機関の意向もあって、正論を押さえ込むことができたが、蜂谷に代表される規則信奉者は、水さえ得ればいつでも生き返るものだと警告したもののようであった。
 吉村にはもう一つ腑に落ちない気持ちが残ったが、それ以上追及することはできなかった。
 その後も法人契約縮小の流れは変わらなかった。成功報酬ともいえる手当ての率は極端に減らされた。しかも契約が一年以上続かなければ、手当ての全額返納などという噂が流れてきた。
 これでは堪らんとばかりに、保険課外務員が法人契約を敬遠しはじめた。税務署発表の高額所得者をピックアップしたり、独自に調査した住居者名簿や既契約者カードを駆使して、個人契約に方針転換する者が増えていった。
 中にはもっと先を行く者もいた。
 さっさと退職して、外資系保険の代理店を開くツワモノまで現れた。
 吉村が聞いた話では、かつて自分が法人契約した会社を訪問し、新商品への乗換えを勧めて簡保を引っくり返してしまうのだという。
 二、三年も積み立てを重ねた簡易保険なら、解約返戻金と掛け金の損金処理の兼ね合いで経理上利益が生じるのだ。
 そのカネを役員の退職金や社員旅行の費用に活用すれば、会社は大いに潤い、乗換えを勧めてくれたかつての郵便局員に感謝することになる。
 簡易保険どうしでは固く禁じられている乗換えが、他社商品との間では阻止しようがないのだ。
 後ろ足で砂を掛けるような行為と蔑まれても、独立した男には彼なりの言い分があるらしく、局側の非難もあまり堪えていない様子であった。
「利用するだけ利用して、必要がなくなれば厄介者扱いじゃないか・・・・」
 掌を反したような上層部の方針に、心の底で反発しているのだ。
 退職してドライな関係になってしまえば、乗換えなど朝飯まえだ。客の希望で行なったことをとやかくいう権利はあるまいと開き直っている。
 しかし、唐崎は違っていた。
「課長、なんでヤツを告訴せんのかね。明らかな情報漏えいじゃないか」
 目端の利くはずの男が、一般人のような義憤をぶつけている。この時代の変化の激しさに、さすがの保険王も付いていけなかったのかもしれない。
 結局、守秘義務違反を振りかざすことなく事態は放置された。
 そうなると我も我もと後を追う者も出たが、真に成功したのは最初の男だけで、あとは転職を重ねる結果となったらしい。
 唐崎は不本意な思いを隠して、自らが責任者に坐った組織の引きしめに邁進していた。保険課職員の動揺を抑え、一時の嵐をやり過ごすことを説いていた。
 嵐が一時的なものとはおもえなかったが、吉村は唐崎の対処の仕方に好感を持った。
(あるいはこの男、郵便局に骨を埋める気になったのか・・・・)
 仕事が暇になって、吉村に将棋の相手を求めるようになった初老の男が、可愛く見えた。
(そろそろ、どこかで調理の見習いを始めよう)
 吉村は気力を新たに自分に活を入れた。
『待てば海路の日和あり』
 祖母の口癖にしたがって得をしてきた人生だが、ただ待つのではなく次の航海に備えて帆の手入れをしておくことも大事だろう。
 マンションに戻ると、妻の久美が笑顔いっぱいで出迎えてくれた。
「洋三さん、きょうお母さまからお電話があったのよ」
「へえ、めずらしい。それでなんだって?」
「お兄さまの件、うまくいきそうなんですって。ご飯を食べたらお電話してあげてね」
 一瞬、天草の女性が古風な嫁入り衣裳でしずしずと向かってくる映像が目に浮かんだ。
 開け放った畳の部屋に、薫風が舞い込んだ。南国の日差しの匂いがしている。
 八代の兄貴の部屋も、ぼくの部屋も、母さんの部屋も、ばあちゃんの部屋も、父さんの部屋も、みんな新しいイグサの畳表で張り替えればいい。そうおもった。
 天草からの風を迎え入れるには、せめてそのくらいの思いやりが必要なのだろうと、九州の地に思いを馳せていた。

 

   (第十六話)

 

(2007/05/19より再掲)

    
 

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2 コメント

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唐崎の本音 (ウォーク更家)
2024-02-01 21:56:42
そう言えば、郵便局の外交員がデタラメをやって、善良な田舎のお年寄りを泣かせていた時期がありましたね。

唐崎が主人公に目を掛けて重用した理由も徐々に分かってきました。
しかし、唐崎は、意外に、公務員としては珍しくヤリ手で有能なのかもしれません。
取り敢えず、兄の結婚が上手くいきそうで良かったです。
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外資県保険の急成長の中で (tadaox)
2024-02-05 12:46:24
(ウォーク更家)様、コメントいただいていたのに気づくのが遅くなってすみません。
唐崎という人物は民間生命保険と競り合って実績を残してきたヤリ手なんでしょうね。
公務員とは思えない有能さを発揮して簡易保険を引っ張ってきた存在として描きました。

吉村の兄は異母兄という設定で、吉村の結婚に刺激されて自身の嫁とり話が進んでいます。
周りに応援団がいるのできっとうまくいくと思います。
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