どうぶつ番外物語

手垢のつかないコトバと切り口で展開する短編小説、ポエム、コラム等を中心にブログ開設19年目を疾走中。

新作KAIDAN その1 『忘れ物』

2024-04-16 03:27:27 | 短編小説

喜一さんはヘラブナ釣りの名人である。

ふだんは僅かな田畑を耕して生計を立てているが、冬場は釣ったフナの甘露煮を作って貝の佃煮とともに引き売りしていた。

喜一さんが活動する場所は茨城県の牛久沼、流れ込む大きな川がないことから湖ではなく沼と呼ばれている。

フナは溜まり水のような環境のほうが生息しやすい。

県外からもヘラブナ釣りに訪れる客がいるぐらい有名な場所であった。

最近では釣った魚をリリースして帰るのがマナーになっているが、喜一さんが活動した昭和の中頃には捕った魚は当然食用にされていた。

ついでながら入漁料などを払う習慣もなかった。

制度はあったのかもしれないが地元の人間は払わなくてよかったのだろう。

ともあれ喜一さんは週に何回かはヘラブナ釣りに出掛けた。

午前中から夕方まで田舟を操ってヘラブナとの駆け引きを楽しんだ。

春ともいえぬ3月の寒い時期、フナが水草に卵を産み付ける浅瀬への乗っ込み漁は一番の稼ぎ時だった。

餌は茹でてつぶしたジャガイモと小麦粉を指で丸めたグルテン団子。

枯れた葦の根元をめがけて放り込めば食欲旺盛なヘラブナがぱくりと飲み込む。

竹竿一本あれば尺越えの獲物が面白いように釣れた。

こうして魚籠いっぱいの魚を田舟に引き上げ、岸辺に停めておいた自転車の荷台に積んで帰ろうとすると「忘れ物」とささやく声がする。

明らかな言葉でいうのではなく耳元で風の音のように聞こえるのである。

喜一さんも気になってあたりを見たが、思い当たる忘れ物など何もなかった。

 

二三日たって田舟を出し葭原に向かったが、もうヘラブナの姿はなかった。

乗っ込みの時期が過ぎたのか一枚も上がらない。

やむを得ず引き返す際ふと舟底に水天宮のお守り札が転がっているのに気づいた。

娘の出産のときに東京の水天宮まで出向いてもらってきたものだ。

孫が6歳になり用済みとなった守り札が喜一さんのポケットに入っていたのを、グルテン団子を釣り針につけた状態で載せたことを思い出した。

「そうか、あの時のささやき声は水天宮さんだったのか」

今日の不漁は水天宮さんをないがしろにした罰だったのかもしれないと反省した。

この日は冬の寒さがぶり返していた。

背筋に寒気を感じ、クシャミを連発した。

もともと信心深い喜一さんは、改めて神様の存在を心に止めた。

 

   〈おわり〉

 

 

 

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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (ベル)
2024-04-16 10:05:47
神様の声って本当にありそうですよね
気持ちの問題なのでしょうけど
古いもの言い伝え等はそれなりに理由がありそうですね
聞こえる人だけに届く声 (tadaox)
2024-04-16 14:31:56
〈ベル〉さん、ありがとうございます。
神様の声って突き詰めて言えば自分の声なのかもしれませんね。
信じようとしている者にしか聞こえない気もします。
古いものを扱っていると物に宿った思いにに気づくことが多いでしょうね。
それにも神様の声と同じように気付ける人にしかわからないのだと思います。
祈らなくなったのはいつのころからだったろうか (知恵熱おやじ)
2024-04-17 00:09:28
子供時代から17,8歳ころまでは、祈るような気持ちも結構あったような気がしますが、それ以後は不思議なことに、そういう心持になることが皆無になってしまいました。

なぜでしょうかねえー。

ところが今この歳(86歳)になって自分の人生の転機になったような出来事を思い返してみると、あの時が(その人と出会ったことも含めて)大事な人生の瞬間だったんだなあ~、と思い知ることがぞろぞろ出てきてびっくり!!!

生きていく、生かされていくというのは、いやはや不思議なものですねえ~
天才作家鴻みのるとの縁で窪庭さんと出会わせていただいて、今もこうして窪庭さんの文章を読ませていただけるのもまさにその一つで・・・感謝あるのみです。
これからもお元気で書きつづけてください。
祈る気持ち (tadaox)
2024-04-17 03:06:18
〈知恵熱おやじ〉様、おはとうございます。
祈らなくなったのはいつごろからか・・自分の過去を思い出すと様々な場面で祈るような気持ちを抱いていたんですねえ。
それが壮年期にはすっかり消え失せ、社会の尺度で仕事をするようになる。
そしてまた老境に入ると祈りを思い出す。
不思議です。人間て面白い。

長くお付き合いいただいている間、エールを送っていただいて感謝しています。
拙い文章ですが今後ともよろしくお願いいたします。
Unknown (yamasa)
2024-04-17 04:09:28
こんばんは。
ヘラブナ釣りを楽しむ方多いですね。
時々、行くことがある毛呂山町に2つの湖畔がありますが、どちらも釣り客が多いです。
自分は紅葉や桜を撮りに行きますが。。。
主人公は、水天宮様に守られているんですね。
Unknown (クリン)
2024-04-17 07:55:29
水天宮さんのれいげん話を初めて聞いた気がします🐻🍀✨✨✨
ヘラブナ釣りの名人の名が喜一さんというところがすでに良いですよね💛さすがくぼにわさま💎⤴
毛呂山町のスポット (tadaox)
2024-04-17 11:27:11
(yamasa)さん、こんにちは。
そうですか、毛呂山町にもヘラブナ釣りができる場所が二つもあるんですか。
ご自身は紅葉や桜の撮影で訪れるんですね。
ぼくは以前、毛呂山町のツツジを撮りにいったことがありますが山の斜面いっぱいに咲き乱れる花々は壮観でしたよ。
もすぐ5月、機会があったら行ってみていただけませんか。
名人の名前 (tadaox)
2024-04-17 11:42:05
〈クリン〉さん、こんにちは。
水天宮さんに安産祈願はしますが他に霊験話は僕も聞いたことがありませんね。
ヘラブナ釣りの名人の名前が喜一さん。
おどろおどろしくないKAIDANの中身に合わせてそのように名付けました。
名前に気づいていただいてありがとうございます。
水天宮のお守り札 (ウォーク更家)
2024-04-19 17:30:46
旅行のときに、あちこちの神社で買い求めたお守り札が、大掃除の際に、いくつも出てきて、正直、取扱いに困ってしまっったことがあります。
旅の安全、孫の安産、家族の健康等々、それなりの想いと願いがあって買ったのでしょう。

しかし、人間は勝手なもので、それぞれのお礼の奉納が面倒くさくて、そのまま全部棄ててしまいました。

私も「忘れ物」とささやく声が耳元で風の音のように聞こえるのかな?・・・(-_-;)
お守り札 (tadaox)
2024-04-20 17:00:48
(ウォーク更家)様、こんにちは。
お守りも貯まると厄介ですね。
もし捨てる時に耳元で「忘れ物」とささやく声が聞こえたらお礼の奉納をしたらいいのかなと思います。

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