ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

アイムソーリー

2012-12-05 23:24:55 | Weblog
たぶん日本の人にとっては「何をいまさら」なんだろうけど、
ガラケーでgmailが見られなくなって・・・、痛い。
一応、海外パケ放題に切り替えているので、
中国から海外に行くときには、日本の携帯でメールチェックを、と思っていたのだが、
それができなくなってしまった。

中国の携帯を外国でも使えるようにすればいいだけなんだけど、
窓口に行くのが面倒くさくて、行く気にならない。
しかも申し込んでから30日しか有効期限がないとか、
パスポートが必要とか、いろいろとげんなりする。

全世界レベルで、通信会社を選べるようになったらいいのになあ。

帰り道、歩きながらそんなことを考えていたら、
自転車に乗った中国人の男の子に声をかけられた。
最初上海語で。「聞き取れない」と言ったら、次に北京語で。

すごくオタクっぽい雰囲気の子が、オタク特有の早口でこんなことを言っていた。
「僕はしゃべり方がちょっと変わってますが、緊張しているわけではありません。
 これが地なんで安心してください。
 僕は受験生です。予備校に行き帰ろうとしたところ、
 カギを忘れてきたことに気がつきました。
 家族はみんな外出しているので、家に入れません。
 もし僕を助けてくれるようなら、今晩泊めてもらえませんか」と。

キョトンとしながら、こう答えた。
「わたしは 日本 人 なので、聞き とれま せん」(つたない北京語で)

すると、「中国人じゃないの?」と言われたので、うなづくと、
「アイムソーリー」と言いながら自転車で去って行った。

思い切り聞き取れてるし。
それに「アイムソーリー」は日本語じゃないから、
外国人だからって英語にする必要ないけど。

ちなみに中国人の場合、一人暮らしをしていることは稀だから、
必ずしもやらしい意味で聞いてきたのではないと思う。

没頭したい

2012-12-03 23:32:16 | Weblog
なんで日本人はつらそうな顔をして仕事をしているんだろう。

つらかったり楽しくない仕事はなるべく凝縮して、
時間の大半を楽しく過ごそうとしていると、
どうやら、他の日本人からはバカに見えるらしい。
あるいはKYと言われる。

でもKYかどうかなんて、実際は、
一番機嫌が悪い人の神経をそれ以上に逆撫でして、
もっとイヤな雰囲気にならないように、
とりあえず静かにしているだけに過ぎない。

心配事がたくさんあって、イヤなことでも我慢するのが美徳で、
いつもたくさん不安と不満をかかえてて、
それでも努力するから偉いなんて、本当にそうなの?

会社のなかで、機嫌が悪い人から順に顔を思い浮かべて行くと、
上位は見事に日本人だらけで、
その中でも、
誉められたい人、お金儲けがしたい人ほど不機嫌だった。

もちろん誉められたりお金儲けすることは悪いことじゃない。
そこに価値が生まれるというのは、素晴らしいことだ。

でも、自分が「認められる」ためなら、
どんなに不機嫌であってもいいと思っている人は、
きっと小さい頃、お勉強だけやっていれば親は何も言わないような環境で
育ったんだろうなあ、と思う。

あ~あ。
明日は朝からそんな日本人と出張なんだけど、気が重いぞ~。

でも、いったん高速鉄道のシートに座り、本を開けば、
ぷりぷり、イライラしている隣の人なんか視界から消える。
そして勝手に本の世界に没頭している姿を見られると、
たいていは、降りる駅あたりで、
あなたって単純で幸せな人ね~という顔をされる。

ああ、明日は話しかけられませんように。
どうしようもなく、没頭してしまう本を持って行こう。

赤と灰色

2012-12-03 01:26:57 | Weblog
深圳で久しぶりに獅子舞を見た。

結構愛らしく見える「頭」部分が、置かれていた。



まぶたと下あごが動く仕組みだったんだけど、
まぶたにエメラルドグリーンのアイシャドウが塗られていたために、
まばたきをすると、一瞬宇宙人みたいな顔になる。



グレーだ。
いや、レッドなんだけど。

ま、色なんて大したことない。

上海には広州の白雲空港から帰ってきたのだけど、
上を見上げたら、なんだかよかったので写真を撮った。



昼間、昨日読み終わらなかった『龍神の雨』を読み終わった。
後半、中国語だということを忘れるくらいに没頭して、
そして、涙があふれてきた。

これが文章のもつ力、作品のもつ力なんだなあ、と感動していたら、
出掛けようとしていた時間をとうに過ぎていて焦った。

でも、ここは中国。大丈夫。

待ち合わせをした中国人は、私よりももっと遅れたから。

ちゃんと帳尻が合うように、できている。

翻訳本

2012-12-02 00:01:04 | Weblog
思ったよりも仕事が早く終わったので、
いっそのこと早く上海に戻りたいのに、
会社で買ったチケットは変更できない格安チケットだったので、4時間近くつぶすことに。

久しぶりの広州だし喜んで遊ぶところなんだけど、
仕事道具が重くてその気になれず、空港のラウンジで座って待つことにした。
どこかに荷物を預けようかとも思ったのだけど、
なんとなくそんな気にもなれなくて、
たぶん疲れてるんだろうと思って中国語の本を買い、読みながら待つことにした。

買ったのは、翻訳本。
なぜか日本人作家の本が2種類だけあって、ひとつは『1Q84』。だけど1巻がなかった。
そこで、道尾秀介さんの『龍神之雨』を買った。
中国の小説を買えばいいようなものだけど、
これまたどうやら疲れているようで、中国人の心の叫びを受け止める余裕がなく、
日本の本にしてみた。

中国語であっても、舞台が日本だと言うだけで、こんなに読みやすい。
言葉は、その先に見えるものを共有したり、あるひとつの世界観を表すためにあるもの。
そして、日本を訪れたことがない中国人も、小説の世界観をある意味で共有する。
言葉によって、世界を新たに構築する。

たまには中国語の小説を読んでみるのもいい。
ペースは日本語ほどはあがらないけれど、
でも、ある一文の意味をとらえるために、何度も読むなんて言うこと、
もう久しくしていなかった。

むかしは、小学生や中学生のころは、
背伸びして手に取った本の、いたるところの意味がわからなかった。
母に「ここがわからない」と本を見せに行くと、
「何度もその場所を読み直しなさい。何度も何度も読んでいるうちに、わかるものだから」
そう言われた。

これは、今まであまり気が付かなかったけれど、とても深い言葉だったんだ。
言葉によって世界を構築するのは、あくまでも私の頭の中。
それを誰かに頼るようでは、本を読む意味が薄れてしまう。

外国語を学ぶのは、学校でいい成績をとったり、生活するためでもなく、
母国語だけでは見逃しがちな、ある種の価値観に出会う扉を手に入れるためだ。

とはいえ、やはり帰り道だけでは読み終わらなかったのが、
自分では少し残念。