ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

翻訳本

2012-12-02 00:01:04 | Weblog
思ったよりも仕事が早く終わったので、
いっそのこと早く上海に戻りたいのに、
会社で買ったチケットは変更できない格安チケットだったので、4時間近くつぶすことに。

久しぶりの広州だし喜んで遊ぶところなんだけど、
仕事道具が重くてその気になれず、空港のラウンジで座って待つことにした。
どこかに荷物を預けようかとも思ったのだけど、
なんとなくそんな気にもなれなくて、
たぶん疲れてるんだろうと思って中国語の本を買い、読みながら待つことにした。

買ったのは、翻訳本。
なぜか日本人作家の本が2種類だけあって、ひとつは『1Q84』。だけど1巻がなかった。
そこで、道尾秀介さんの『龍神之雨』を買った。
中国の小説を買えばいいようなものだけど、
これまたどうやら疲れているようで、中国人の心の叫びを受け止める余裕がなく、
日本の本にしてみた。

中国語であっても、舞台が日本だと言うだけで、こんなに読みやすい。
言葉は、その先に見えるものを共有したり、あるひとつの世界観を表すためにあるもの。
そして、日本を訪れたことがない中国人も、小説の世界観をある意味で共有する。
言葉によって、世界を新たに構築する。

たまには中国語の小説を読んでみるのもいい。
ペースは日本語ほどはあがらないけれど、
でも、ある一文の意味をとらえるために、何度も読むなんて言うこと、
もう久しくしていなかった。

むかしは、小学生や中学生のころは、
背伸びして手に取った本の、いたるところの意味がわからなかった。
母に「ここがわからない」と本を見せに行くと、
「何度もその場所を読み直しなさい。何度も何度も読んでいるうちに、わかるものだから」
そう言われた。

これは、今まであまり気が付かなかったけれど、とても深い言葉だったんだ。
言葉によって世界を構築するのは、あくまでも私の頭の中。
それを誰かに頼るようでは、本を読む意味が薄れてしまう。

外国語を学ぶのは、学校でいい成績をとったり、生活するためでもなく、
母国語だけでは見逃しがちな、ある種の価値観に出会う扉を手に入れるためだ。

とはいえ、やはり帰り道だけでは読み終わらなかったのが、
自分では少し残念。