まあ、あれだ。
外国人、特に日本人にはチベットを勝手に歩かせないこと=漢族のガイドが監視につく。
2日目は、ポタラ宮、セラ寺、ジョカン寺。
巡礼者に混じって、ポタラ宮の前を歩く。
やはり荘厳だ。
チベット人にとって、死ぬまでに一度は巡礼したい仏が宿るところ。
とはいえ、ポタラ宮を自分の足で登るのは、結構つらい。
空気が薄いから。
前回来た時は、ポタラ宮の4階まで登った瞬間に高山病がマックス状態になり、
その後ずっと視界が目の前30cm、周囲はブラックアウトの状態だった。
今回は要注意でゆっくり登る。
さすがチベット人は、私たちをどんどん抜かして行く。
が、ちゃんと息はきれていた。
観光シーズンだと、このエリアは何分以内に通り過ぎること、という規制が今はあるらしく、
平地からいきなりいくと、辛いだろう。
壁はこんなふうになっている。
チベタンも記念撮影。
そして、ここからポタラ宮の中へ。この先は撮影禁止。
ダライ・ラマの謁見室や瞑想室、
宝塔や歴代ダライ・ラマのミイラが安置されている塔などを見ることができる。
多くの宝が中国人によって奪われてしまったけれど、
15年前に来た時よりも、宮殿内の空気は、若干落ち着きを取り戻していると思った。
僧侶たちが窓辺で経典を独唱し、暗記している。
少し空虚な読経の声ではあったし、
裏側では中国人が銃をもって管理しているとはいえ、
表向きはポタラ宮内で、仏に対し祈れるようになった。
たとえこれが観光客向けのパフォーマンスであったとしても、大きな前進だ。
自分を導いてくれる上位のラマがいないなか、
そして観音菩薩の化身であるチベット人にとっての主がいないポタラ宮で、
不安とともに読経する気持ちというのは、いったいどんなものなのだろう。
と、感慨に浸っていたら、漢族ガイドに先を促された。
はいはい、すみませんね。
以前来たときには、観光客のほとんどが外国人だった。
いまは、漢族の観光客が激増し、香港人も多かった。
私のガイドは、運悪く漢族だったけど、チベット人のガイドもいて、
彼らは外国人に対し、英語で解説をしていた。
私についた漢族のガイドは、まるで中国共産党宣伝部。
この宝物は、中国の皇帝順治帝から送ったもの、
ダライ・ラマは中国の皇帝によって認められていた存在。
チベットは常に権力争いで、ダライ・ラマも暗殺されてばかり。
ダライ・ラマは、チベットでも一地方の実力者であっただけで、チベットが国だったことはない。
と、何度も言うのだけど、
チベット人のガイドは、チベットの神話やチベット仏教の特色を、
英語を駆使して一生懸命に解説した。
たとえ、中国とチベットが持ちつ持たれつの関係だったとしても、
その行政区分、独自文化の発展、そして信仰は、まったく違う次元のことじゃないか。
ということで、私は漢族ガイドの説明を聞かず、チベット人による
欧米人向け英語解説を聞いていた。
思い切り漢族ガイドの面子をつぶしたけど、まあいいでしょう。
こういうとき、私はとことん卑劣になる。
だいたい、仏像の前には弥勒菩薩、毘盧遮那仏、観音菩薩、って
漢字で表示されているのだから、それを読み上げてもらわなくたってわかるよ。
それよりも、その先に広がる文化や歴史が知りたいんじゃないか。
って、中国共産党による教育を受けた、模範的漢族ガイドにそれを求めても無理だ。
つまり無視にこしたことはない。
ただ、今回は、ここに来る前に高地順応をしていたので、
ポタラ宮の中でも意識が遠のくことがなく、自分なりによく見ることができた。
満足だ。
ポタラ宮の外に出る。裏側から山を下りる。
祈りがここにもある。
やはりポタラは美しい。
で、次に昼食とあいなった。
食べたかったトゥントゥクとモモ。
なのだが、漢族のガイドはナンしか口にしない。
漢族のドライバーはネパール風カレープレートを食べていた。
ガイドに食事をすすめても食べない。
とことんチベットを見下し、チベットの食べ物なんて口にするのがイヤなようだ。
やれやれ。
午後はセラとジョカン。
外国人、特に日本人にはチベットを勝手に歩かせないこと=漢族のガイドが監視につく。
2日目は、ポタラ宮、セラ寺、ジョカン寺。
巡礼者に混じって、ポタラ宮の前を歩く。
やはり荘厳だ。
チベット人にとって、死ぬまでに一度は巡礼したい仏が宿るところ。
とはいえ、ポタラ宮を自分の足で登るのは、結構つらい。
空気が薄いから。
前回来た時は、ポタラ宮の4階まで登った瞬間に高山病がマックス状態になり、
その後ずっと視界が目の前30cm、周囲はブラックアウトの状態だった。
今回は要注意でゆっくり登る。
さすがチベット人は、私たちをどんどん抜かして行く。
が、ちゃんと息はきれていた。
観光シーズンだと、このエリアは何分以内に通り過ぎること、という規制が今はあるらしく、
平地からいきなりいくと、辛いだろう。
壁はこんなふうになっている。
チベタンも記念撮影。
そして、ここからポタラ宮の中へ。この先は撮影禁止。
ダライ・ラマの謁見室や瞑想室、
宝塔や歴代ダライ・ラマのミイラが安置されている塔などを見ることができる。
多くの宝が中国人によって奪われてしまったけれど、
15年前に来た時よりも、宮殿内の空気は、若干落ち着きを取り戻していると思った。
僧侶たちが窓辺で経典を独唱し、暗記している。
少し空虚な読経の声ではあったし、
裏側では中国人が銃をもって管理しているとはいえ、
表向きはポタラ宮内で、仏に対し祈れるようになった。
たとえこれが観光客向けのパフォーマンスであったとしても、大きな前進だ。
自分を導いてくれる上位のラマがいないなか、
そして観音菩薩の化身であるチベット人にとっての主がいないポタラ宮で、
不安とともに読経する気持ちというのは、いったいどんなものなのだろう。
と、感慨に浸っていたら、漢族ガイドに先を促された。
はいはい、すみませんね。
以前来たときには、観光客のほとんどが外国人だった。
いまは、漢族の観光客が激増し、香港人も多かった。
私のガイドは、運悪く漢族だったけど、チベット人のガイドもいて、
彼らは外国人に対し、英語で解説をしていた。
私についた漢族のガイドは、まるで中国共産党宣伝部。
この宝物は、中国の皇帝順治帝から送ったもの、
ダライ・ラマは中国の皇帝によって認められていた存在。
チベットは常に権力争いで、ダライ・ラマも暗殺されてばかり。
ダライ・ラマは、チベットでも一地方の実力者であっただけで、チベットが国だったことはない。
と、何度も言うのだけど、
チベット人のガイドは、チベットの神話やチベット仏教の特色を、
英語を駆使して一生懸命に解説した。
たとえ、中国とチベットが持ちつ持たれつの関係だったとしても、
その行政区分、独自文化の発展、そして信仰は、まったく違う次元のことじゃないか。
ということで、私は漢族ガイドの説明を聞かず、チベット人による
欧米人向け英語解説を聞いていた。
思い切り漢族ガイドの面子をつぶしたけど、まあいいでしょう。
こういうとき、私はとことん卑劣になる。
だいたい、仏像の前には弥勒菩薩、毘盧遮那仏、観音菩薩、って
漢字で表示されているのだから、それを読み上げてもらわなくたってわかるよ。
それよりも、その先に広がる文化や歴史が知りたいんじゃないか。
って、中国共産党による教育を受けた、模範的漢族ガイドにそれを求めても無理だ。
つまり無視にこしたことはない。
ただ、今回は、ここに来る前に高地順応をしていたので、
ポタラ宮の中でも意識が遠のくことがなく、自分なりによく見ることができた。
満足だ。
ポタラ宮の外に出る。裏側から山を下りる。
祈りがここにもある。
やはりポタラは美しい。
で、次に昼食とあいなった。
食べたかったトゥントゥクとモモ。
なのだが、漢族のガイドはナンしか口にしない。
漢族のドライバーはネパール風カレープレートを食べていた。
ガイドに食事をすすめても食べない。
とことんチベットを見下し、チベットの食べ物なんて口にするのがイヤなようだ。
やれやれ。
午後はセラとジョカン。