ゆっくり読書

読んだ本の感想を中心に、日々、思ったことをつれづれに記します。

2015-07-07 21:53:59 | Weblog
上海株は、正直、面白い。
自殺者も出ているので笑い事ではないのだけど、中国人民らしいなあと思う。

友人から借りた茅盾の『子夜』。
株に一喜一憂する中国人がたくさんでてきて、
誰一人として登場人物に感情移入できない、珍しい本だ。

中国人というのは、なるべく労働をしないで、
一気に賭けて儲けて、一気に逃げる人たちなんだな、と思う。
逃げ先は、国外も多い。
ピンチがあっても、コネを使ってなんとか乗り切る。
相手を信用はしないが、とことん利用はする。
愛国心は皆無。お金が大好き。

共産党が中国をおさめる前から、中国はずっとこうだった、と思わされる。
日本のように、和をもって尊しとするという精神はない。

日本と中国が気が合わなくても、これはもうしょうがないことだ。
根っこが違いすぎるのだから。

中国の会社で、前任者からの引き継ぎはまず、ない。
きれいに引き継ぎ書を作っても、使われることは、ない。

そういえば、宋が臨安に逃げ南宋をたてたとき、
多くの書物が失われ「散逸して見えず」がたくさんあったことを思い出した。
戦火で失われたわけだけど、たぶんこの南宋への遷都と文化大革命が
中国史や中国思想史の大きな断裂なんだろうと思う。

毎回新しく作っては、ぺんぺん草が生えないくらいまで搾り取って、
そして移っていく人たち。それがわたしにとっての中国人のイメージだ。

それにしても、上海株のニュース、テレビでやらないのは、なぜだ。

2015-07-07 02:41:08 | Weblog
自分の本名を書きたい。
わたしはずっとそう思いながら、その気持ちを抑えつけてきたんだなあ、と思う。

もう30年も名乗ってきた姓なのに一向にしっくりとこなくて、でも慣れてしまった名前。
自分をあらわすものなのに、人から与えられ、それを自分として受け止める名前。

名とは、不思議なものだ。

いまなら、ジャック・デリダの「名」についての試論も、別な角度で読めるかもしれない。
神の名と人の名。
言葉では言い表せない超越的な神の名、手が届かないあらゆる他者の名。

認識するために記号化し、記号化しても認識できない存在。
そして、ただひたすら一体化することを求める名。
井上靖の『蒼き狼』で描かれたジュチが、自分を認めるために証明し続けたもの。
洋の東西を問わず、存在の根幹を為すもの。

久しぶりのブログなのに、こんなにとりとめのないことを書いてもしょうがないけど、
泡沫のように、思考が去来する。

ひとつだけ言えることは、キリストやイスラムの神ではなく、
わたしが仏教圏に生まれたことの幸せだ。

三世を超えて届く仏の光は、わたしの過去、現在、未来を救ってくれる。
一方向に流れ、神の前での審判をひたすら恐る宗教では、敗北もやり直しもきかない。
だから、「名を救う」ことができるのは、仏教だけだと思う。

たくさんの後悔と、それでも自分は一生懸命だったという自己肯定。
それを誰かに認めて欲しいという欲求と、そんなこと関係なく受け止めてくれる家族への愛着。
すべてが「名」を基点にして渦巻く感情だ。

個人では、自分では、自分を救えない。
あくまでも他力を求める。

いまの日本が思考的に偏るのも、ストレスに満ち、健康でなくなるのも、
すべては慣れない「個人」を進めたからだと思う。
そもそも、日本人に「個人」は合わない。
そんな気がする。