1億の恒星と4億5000万の銀河をマッピング
太陽光をプリズムにかけると7色に分光できるが、SPHERExの場合は0.75~5.0マイクロメートルという非常に狭いスペクトル帯域幅の近赤外線を102 色のカラーバンドに分光する能力を持つ。これは過去に運用された宇宙望遠鏡よりもはるかに高い色分解能を意味する。
■1億の恒星と4億5000万の銀河をマッピング
SPHERExは全天をスキャンすることによって、私たちのホームグランドである天の川銀河に存在する1 億以上の恒星と、その外側に散在する4億5000万以上の銀河のデータを収集する。超高精度な観測機器によって過去には観測できなかった遠方の銀河まで捕え、宇宙の主要な光源のすべてを3Dマッピングし、その光の総量を測定する。
天体が発する光(可視光や赤外線など)を観測すれば、その天体がどんな物質で構成されているかが解る。それぞれの物質は特定の波長の光(輝線)を発し、または吸収するからだ。
たとえば鉄(Fe)を源とする光を観測した場合には、382.044nm(ナノメートル)、358.121nm、527.039nm、750nm、1100nmなどの波長に「輝線」や「吸収線」が表れる。その波長はそれぞれの元素に固有かつ普遍的なため、何億光年離れた天体であってもその構成物質を知ることができる。
ただし、ビッグバンの発生以後、宇宙空間は膨張し続けている。そのため遠方の天体が発した光は、宇宙を旅する間にその波長が空間とともに引き延ばされ、地球に届くころには可視光が波長の長い赤外線などに偏移する。これを「赤方偏移」という。
特定の物質を源とする光の輝線や吸収線の組み合わせが赤方偏移によってどの程度ズレているかを測定すれば、その光を発する天体が地球からどの程度の距離にあり、どのくらいの速さで地球から離れているかが解る。こうした観測方法を「赤方偏移サーベイ」という。SPHERExはこの法則にもとづき、4億5000万以上の銀河の赤方偏移の度合いを調べ上げ、各銀河の位置を厳密にマッピングしていくことで、かつてなく精密な立体宇宙地図を作成する。
ビックバン以降に物質がどのように生成され、拡散されたかを明らかにする
■「再電離」と「氷」の分布も解明
SPHERExという機体名は略称であり、その正式名は「Spectro-Photometer for the History of the Universe, Epoch of Reionization, and Ices Explorer」とされる。これを直訳すれば、「宇宙の歴史と、再電離の時代と、氷の探査のための分光光度計」となる。この名称からSPHERExに託された課題が宇宙の進化過程の解明だけでなく、「再電離」と「氷」にもあることがわかる。
138億年前に発生したビッグバンの直後、宇宙には水素やヘリウムなどの元素が生成されたが、その時期の宇宙は極めて温度が高いため、水素などの原子核と電子が結合できず(電離)、プラズマ(イオン)の状態で飛び交っていた。そうした環境では光も直進できない。つまり当時の宇宙には光がなく、真っ暗な状態だった。
やがて宇宙の温度が3000度程度まで下がると、水素の原子核と電子が結合し、光子が直進できるようになった。ビッグバンから38万年後に発生したこの現象を「宇宙の晴れ上がり」という。
その後しばらくは天体が存在しない「暗黒時代」が続くが、原子核と電子が結合した水素は中性の水素ガスとなり、そのガスやチリが集まることで最初の星が生まれた。ビッグバンから2~3億年後に起こったこのイベントは「宇宙の夜明け」と呼ばれている。
しかし、誕生した星が放つ紫外線によって中性水素ガスは再び電離する。「宇宙の再電離」と呼ばれるこの現象がいつからはじまり、どのように進行したかは現在も解明されていない。
水素は水を構成する元素であり、生命誕生の源でもある。その水素の生成過程や分布をSPHERExは解明しようとしている。同時に、炭素、酸素、鉄など、星の内部の核融合で生成され、その星が爆発(超新星爆発)したことで拡散した物質の量と分布も観測する。そうした分子は星が生まれる領域(分子雲)などに氷として分布しているはずだ。
SPHERExは宇宙に存在する銀河や水素ガスの位置や総量を特定するだけでなく、ビックバン以降に物質がどのように生成され、拡散されたかを明らかにする。それらの空間的、時間的データの延長線上に、インフレーションのアウトラインが浮かび上がることが期待されている。
日本時間の3月11日、NASA(米航空宇宙局)の宇宙望遠鏡SPHEREx(スフィア・エックス)が、ヴァンデンバーグ宇宙軍基地(カリフォルニア州)からファルコン9ロケットによって打ち上げられ、予定軌道に無事投入された。
【画像】予定軌道に無事投入されたNASAの宇宙望遠鏡SPHEREx
SPHERExは地球を南北に周回する極軌道(高度700km)から、全方向に拡がる宇宙を撮像して、かつてなく精巧な宇宙の立体地図を作成する。そのデータから銀河などの分布を測定することで、宇宙最大の謎とされる「インフレーション」の解明などに挑む。
インフレーションとは、極小の真空で発生した量子の「ゆらぎ」をきっかけに、真空のエネルギーが指数関数的(いわゆる倍々)に急膨張した現象のこと。その発生期間は「10のマイナス34乗」秒以下とされ、言い換えれば「1兆分の1」×「1兆分の1」×「10億分の1」秒以下となる。
インフレーションが真空のエネルギーの急膨張であるのに対し、それが熱エネルギーに相転移したことによって発生したのがビッグバンだ。インフレーションからビッグバンに至るわずかな瞬間に、極小の真空は「1兆倍×1兆倍」まで引き延ばされ、その結果として宇宙が誕生したとされる。インフレーション理論と呼ばれるこの仮説は、佐藤勝彦氏などによって1981年に提唱された。
SPHERExが製作する高精度な3D全天マップによって、私たちが観測し得る宇宙の大規模構造を明らかにすると同時に、宇宙の進化過程や今後の変容を検証する。こうした研究を突き詰めれば、インフレーションからビッグバンに至る1秒にも満たない瞬間に、どんな事象が発生したかを解き明かすカギが見つかる可能性がある。
SPHERExはどんな機体なのか?
■SPHERExはどんな機体なのか?
SPHERExは高さ2.6m、太陽光パネルの全幅が2.7m、総質量502kgという小ぶりな機体であり、極軌道を周回しながら帯状に宇宙をスキャンしていく。その軌道は常に地球の昼夜の境目にあるため、地球が太陽を半周公転した半年後には全方位の撮像が完了し、全天マップが完成する。SPHERExのミッションは25ヵ月が予定されており、その間に4枚の全天マップを製作することになる。こうして取得されたデータは球体(sphere)の画像として再現することも可能だ。
SPHERExは近赤外線を使って観測する。私たちの眼に見える可視光では、宇宙空間に漂うガスなどに遮られればその先を見ることができないが、可視光よりもわずかに波長の長い近赤外線であればガスを透過し、さらに遠方の天体まで観測できる。これはFMラジオよりもAMのほうが遠方まで受信できる現象に似ている。
赤外線は熱源から放出されるため、遠方の銀河が発するわずかな赤外線を捕えるには、太陽光や機体の熱が弊害になる。そのためSPHERExには、太陽光からレンズを守るメガホン状の「光子シールド」が搭載され、観測機器自体もマイナス210度以下に冷却される。かつてのスピッツァー(NASA、2003年打上)やハーシェル(ESA、2009年打上)などの赤外線宇宙望遠鏡には冷却剤として液体ヘリウムが搭載されていたが、SPHERExの冷却にはヘリウムも電力も必要なく、機体構造が大幅に簡略化されている。
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