(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

読書&エッセイ 『プーチンの世界』

2021-01-06 | 読書
大冊『プーチンの世界』、をやっと読み終わりました。読んでいて楽しいというようなものではありませんが、国際政治に関心がある人間にとっては、読み解く意義はあると思います。お正月ということもあり、いつもよりは比較的短めにまとめました。いいわば、ゆらぎのメモワールのようなものですので、どうぞ遠慮なくお読み捨てください。

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『プーチンの世界』

(結論)①この本は、プーチンの人間像を描き出そうとしたものである。そして、恐らくそれを元に外交政策立案の参考にしようとしたアメリカという国には、底しれぬ力を持っているように感じる。

②この本を読んでいると、なぜか中国のことを描いているように感じる。西欧諸国から痛めつけられ、その敗北を噛み締めて立ち上がって行き、大国としての位置を確かなものにしようとするところに、今の中国の現状を思い浮かべる。プーチン、即 習近平のようにも思えてくる。諸兄姉は、どのように感じられるであろうか。ちなみにプーチンはレニングラード大学出身のエリートで、習近平も清華大学の出身のエリートである。。


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 現ロシア連邦の大統領であるウラジミール・プーチンは2018年の選挙に圧勝し、その任期は2024年までとなっている。元KGB(情報機関・秘密警察)のエージェントであり、仕事一筋の人間である。しかし彼の人物像はよくわかっていない。むしろ謎の部分が多い。

 この500ページになんなんとする大作は、プーチンの考え方や世界観について長年にわたって調べ上げたものである。しかし、プーチンという人間や彼の政策あるいは行動について評価しようとしたものではない。では、どういう内容の調査をしたのか? また、なぜそのような調査をするに至ったのか。アメリカの有力シンクタンクの一つであるブルッキングス研究所は、アメリカがロシア政府との交渉にあたってプーチンの人物像に迫り、また彼が率いるロシアの行動原理がどのようなものか探ろうとしたのである。

 プーチンは伝統的かつ保守的な信念を持つロシア人政治家であり、世界秩序の中でロシアが特別な役割を果たしてしかるべきだと信じている。ロシアは唯一無二の歴史、文化、言語を持つ世界でも類まれな文明大国の一つなのだ、と。プーチンは、ソ連崩壊後に形成された現在の世界の政治およに安全保障秩序は、ロシアの”特別な役割”を否定するだけでなく、主権国家としての存続を脅かすほどロシアを不利な立場に置くものだと信じている。そのてめ、プーチンは現在の秩序を変えることを自らの責務としている。

 2012年3月、プーチンはウクライナからクリミア半島を切り離し、ロシア連邦に正式に編入した。このプーチンの行動は過去のパターンからはかけ離れていた。著者は、”過去の行動パターンから逸脱したときこそ、その人の本当の正確を理解するチャンスだと考え、(プーチンという)個人の行動を分析する上で、パターンの変化に注目した方がいい、変化した時にこそ、その人物の自我の中で、「不変の要素」が際立つようになり、隠れた原動力、根底にある(リーダーとしての動機ともっとも重要な価値観が明らかになる”、と考えた。このアプローチこそが本書の根幹にある。プーチンとは、一体何者なのか? それを彼の動機、つまり現在の行動へと駆り立てる要因という視点から解き明かそうとしたものである。


 1990年代のロシアは崩壊した国家危機にあった。ロシアの国内・外交政策は屈辱的な失敗を繰り返していた。当時はボリス・エリツインがロシア初代の大統領であった。
 
(1990年代のロシアの実情とプーチンの動き)
 1991年11月、ロシアの北コーカサス地方にあるチェチェン共和国はソ連からの離脱と独立を一方的に宣言した。94年11月ロシア政府はチェチェンに大規模な軍事攻撃をしかけた。チェチェンの主要都市であるグロズノイをほぼ壊滅状態においこんだが、死者数が増え、戦闘部隊としての機能が失われていた。軍需品も不足し、アフガニスタン紛争以来の最大の敗北となった。外交政策も行き詰まり。アメリカからは、”もはや敵国同士でなはない”との共同声明があったが、ボスニアの首都サラエボでの大規模紛争も勃発し、国連の国際平和維持軍が介入。ロシアと近隣諸国との関係は、みるみる悪化した。

西側諸国からは、二流国扱いされるに至った。NATOは、ロシアが果たすべき伝統的な役割を否定し、バルト三国からロシアを追い出した。同盟国だったはずのウクライナや旧ソ連諸国は、利権を巡ってロシア政府と戦った。アメリカとの関係は後退する一方だった。そんな時(1996年8月)、プーチンはモスクワへと異動し、大統領府に加わった。1999年12月、プーチンは「新千年紀を迎えるロシア」と題して、5000語の論文をロシア政府のウエブサイトに発表した。(当時、プーチンは首相) その二日後、ロシア大統領のエリツインは、大統領職を辞して権限をプーチンに引き継ぐと宣言した。

プーチンは、ロシアはアメリカやイギリスのような歴史的自由が根付く国ではないと強調し、次のように述べた。

 ”国家とその構造は、この国や国民の生活において常に極めて重要な役割を果たしてきている。ロシアに人々にとって、重要な国家とは立ち向かうべき敵ではない。その逆に、強力な国家は秩序を保証する源であり、あらゆる変革を開始する主な原動力でもある。・・・社会は国家の指導力や統率力の回復を望んでいるのだ”
                                    (ゆらぎ思うに)今の中国のように思える。

プーチンは、二流どころか三流国家に落ちぶれる真の危機に直面し、その事態を避けるために、国内のあらゆる知的、物的、精神的な力を総動員した。プーチンーは首相在任中に「ロシア2020」を策定、経済成長の促進、生活水準の改善、新テクノロジーの導入、経済の再工業化を推進した。2015年。プーチンは大統領三期目を迎えるにあたって、「ロシア国家のための大々的な改革プログラムの現代版の旗手」というイメージを打ち出そうとした。プーチンは、戦略的計画として外貨準備高を増加させた。それも不慮の事態や予期せぬ出来事に対する計画であった。2006年、連邦国家備蓄局は、ロシア全国民の最大三ヶ月分の食料、燃料、衣類、薬品などを蓄えるに至った。この国家備蓄は安全保障システムの重要な要素であるだけでなく、経済発展のための安定化要因である。ソ連の崩壊によって、軍事力だけでは主権を確保できないことを認識していた。ソ連崩壊後のロシアの債務、IMFの援助、世銀の融資への依存などを利用して西側諸国はロシア政府が政策問題(たとえばバルト三国からの撤退)で譲歩せざるを得ない状況に追い込んでいた。

プーチンーが大統領に就任してからの10年間(1999年から2008年)、ロシアは世界でもっとも急成長を遂げた国の一つとして外貨準備高は、世界第三位の額に達した。そのおかげで2008年~2010年の金融危機を乗り切った。またプーチンは、国家の戦略物資備蓄を十二分に活用してロシア軍の戦力が低下しないように、軍に物資を供給した。それもあって、プーチンは200年代を通してひたすら戦い抜き、チェチェン紛争でのロシア軍の勝利を宣言することができた。第二次チェチェン紛争が始まった時、プーチンは、”チェチェン紛争を終結できなければロシア国家は崩壊するかもしれない”、と指摘していた。


 その後、プーチン率いるロシアはどのように動いていったのであろうか? そのおおよそを列挙すると:

 ①プーチン率いる経済発展・・・2011年4月のロシア議会でプーチンは世界金融危機から4年近くが経ったロシアの経済情勢について、こう言った。”金融危機はロシアにとっても試練だったが、我々は多くの他国よりずっとも早く回復した。今日、ロシアの経済成長率はG8の中で最高で、成長率は4.3%だ” ロシアの対外債務ゼロはほぼ。国際通貨基金への債務も前倒しで完済した。(ちなみに原油価格の高騰も幸いした)

 1990年代のロシア国家が弱体化した最大の原因の一つは、税金の徴収能力の欠如だった。プーチンは政府の金融検機関(GKU)を強化し、税制遵守の徹底を図った。天然資源を通してロシア経済の富を形成・分配する巨大企業を営む一部の特権階級(オリガルヒ)への強大な影響力を手に入れた。

 ②2011年12月から翌12年初めまで続いた大都市での反政府でもにも、かかわらずプーチンは12年3月の選挙で見事にロシア大統領へと返り咲いた。そして”次回”の選挙で内外の集団が大統領の地位を妨害することのないよう、プーチンーは「統一、一致団結、強化」という合言葉を使った。プーチンーは今後さらにロシア社会を一致団結させることを約束し、“悪”の分子を排除して、”善”の分子を取り込むことを宣言した。いわば、協力要請と脅しの組み合わせである、この手法はKGB時代に学んだものだ。

 ③2011年の9月ごろになるとギリシャ債務危機の余波が全世界に及ぼうとしていた。11年夏、ヨーロッパの株式市場が暴落、ドイツ株価指数も30%以上も下落した。プーチンは大統領職への復帰を決断。ユーロ圏の危機を目の当たりにして当面は経済危機が頻発すると確信して、世界的な危機に立ち向かえるよう、競争力を「生存」という観点で捉えるようになった。GDPの成長ではなく、経済の強化を最優先課題に据えた。ロシアを外部からの衝撃に強くするために、いくつかのアプローチを試みた。

一つは輸入品に代わる国産商品の開発。それを実現するための手段の一つが、巨大で収益率の高いロシアの消費市場に参入する外国メーカーい対して、、国内での生産量を増やすことを義務付けるという政策だ。また国家が資金提供する大規模なプロジェクトに重点を置き、巨大輸送インフラプロジェクトや軍需産業への巨額の支出にも力を入れた。さらにベラルーシやカザフスタンなどとのユーラシア連合を設立し、ソ連崩壊でばらばらになった地域経済をかってのように統合した。

 ④西欧諸国との戦い。2000年代以降の動きについて、プーチンが最終的に出した結論は、西側諸国がロシア、ウクライナ、そしてユーラシア全体の統一を邪魔しようとしているというものだった。そのために、ロシア国内の問題を作り出し、社会の不満を助長させ、「第五列」や反体制運動を生み出し、国民の不安を利用しようとしてる、つまり、ロシアの新たな動乱時代の原因は西側諸国にある、と。プーチンは、2000年代のNATOの拡大や、EUと協定を結ぼうとするウクライナの動きを明確な脅威だと捉えた。こうした危機意識がプーチンーを西側諸国との衝突コースへと追いやり、欧米が描く冷戦後の物語と真っ向から対立させる結果となった。


 1990年代のサンクトペテルブルグでは、プーチンはアメリカ人と交流する機会が多くあった。アメリカの起業家や実業家たちが、次々にサンクト・ペテルブルグにやってきた。P&Gとレニングラードでの共同事業の立ち上げを通じて、プーチンーはキッシンジャー元国務長官と運命的な出会いをした。キッシンジャーはもともとドイツ出身であり、まさにホワイトハウスの中のドイツ人であった。ドイツの世界とアメリカの世界を股にかけるヘンリーキッシンジャーは、理想的なオンブズマンであった。地政学に関する意見を聞いてくれる相手、欧米の世界について教えてくれる相手。また、自分メッセージや情報をワシントンに伝えてくれる相手であった。それに、彼はユダヤ人であった。その関係もあってイスラエルへの歩み寄りを見せた。

 (アメリカ的な視点にかけるプーチン)
しかしアメリカの政治システムの仕組み、アメリカ人やそのリーダーたちの考え方についてプーチンが理解しようとした時、頼りにできるのはキッシンジャーしかいなかった。そういうこともあって1990年代以降、ロシアとアメリカのエリート同士の交流はほとんど行われていなかった。

 ジョージ・ブッシュもバラク・オバマもアメリカ政府の世界的な取り組みにおいて、プーチンやロシアを対等なパートナーとして見ることはなかった。
9.11の後、アメリカへの不信をつのらせた。2001年12月、アメリカ政府は以前に締結した弾道弾迎撃ミサイル(ABM)条約から脱退し、「ならずもの国家」の脅威に対抗するために新ミサイル防衛システムの構築に着手すると発表。プーチンからすれば、アメリカ側の道理は暴論でしかなかった。プーチンーと情報当局者たちは、化学兵器や大量破壊兵器の保有に関するイラク指導者サダム・フセインの発言は嘘だと初めからわかっていた。実際、彼らはアメリカ当局者に何度もそう忠告してきた。

 (脅威と化したアメリカ)
 2013年~14年、プーチンと安全保障チームは、「アメリカは単に無能なのではなく、危険で悪意があり、ロシアに危害を加えようとしている、結論づけた。ところが、アメリカはロシアを脅威とはみなしていなかった。その結果、アメリカ政府が自国の優先事項に沿った政策決定をするたび、ロシア政府はその意図を誤解しつづけた。プーチンの視線の先には、常にNATOがあった。2004年3月に、NATIが二度目の大幅な拡大を決めると、プーチンは関係の再考を迫られた。新たに加盟したのは、ブルガリア/エストニア/ラトビア/リトアニア/ルーマニア/スロバキア/スロベニアの七カ国だった。ロシア政府からみれば、ソ連の一部だったエストニア、ラトビア、リトアニアの加盟は最も腹立たしかった。そしてプーチンの見立てでは、13年にはEUはNATOと完全な融合を果たしたのだった。

 2007年になるとプーチンは、ぶちぎれた。アメリカやNATOに対して堪忍袋の緒がついに切れたことを明言した。怒りの矛先はアメリカが一極支配する安全保障システム、国連という枠組みでの軍事行動などの向けられ、そのアメリカ批判は痛烈を極めた。「NATOの拡大はいったい誰に対抗するためのものなのか?」と大規模な国際会議の場で不満をぶちまけた。

 (共産主義中国への接近)
 あらゆる二国間関係の中で、ロシア外交政策多角化の柱になったのが、中国だった。2000年から2008年にかけてのロシアの経済成長を後押ししたのが、ロシアの天然資源に対する中国の需要の増加だった。ソ連時代、中露国境付近の緊張や武力衝突は政府にとって大きな悩みだった。しかし、プーチン政権下で両国の関係が良好になると地域の治安は向上した。中国はプーチンの政策推進をサポートすることによって、政治的には国連という場で、地政学的には中東や中央アジアで、中国はロシアをバックアップした。プーチンは、中国政府との戦略的パートナーシップの重要性を公の場で盛んに説いた。ただ、長期的に見れば明らかなデメリットもあった。中国の巨大砕氷船の北極海航行にまつわる問題など。それで、プーチンは日本にも保険をかけた。(詳細は省略)


 (エピローグ・・・工作員としての活動は続く)

   注)工作員とは、いわゆるケースオフィサーをいう。 ケースオフィサーは、外国での秘密情報の収集活動から、エージェントと呼ばれる情報機関員(スパイ)の雇用、さらに外国の政府転覆工作、破壊活動、政治的宣伝工作などの秘密工作活動を一手に引き受けている。KGB時代、プーチンはケースオフィサーとして勤務・活動していた。

 本書では、プーチンとは一体何者なのか?彼を行動へと駆り立てるものは何か、その答えを探ろうとしてきた。エピローグでは、ここまでのプーチンー研究から得られた教訓、プーチンという人間に対処するためのヒントについて考察している。貴重なヒントがあるので、いくつか抜粋してご紹介する。


 ”まず西側諸国の多くの人々はプーチンを見くびりすぎている。彼は、目標実現のためならどれだけの時間や労力、汚い手段をも惜しまない人物であり、使える手段は何でも利用し、残酷なることができる。次に、西側諸国の識者は戦略家としての彼の能力を読み違えて「いる。これまでにも数人が指摘したように、プーチンは単なる戦術家ではない。彼は戦略的な思考に長け、西側諸国のリーダーたちよりも高い実行力を持っている。その一方で多くの人々は、プーチンが私たちのことをほとんど知らないという点を見逃している。私たちの動機、考え方、価値観について、彼は危険なほど無知なのである。

 これまでに示したきたとおり、国内・国外政策の両方において、相手よりも優位に立つことがプーチンの主たる戦術であることは間違いない。相手がオリガルヒや国際機関であれ、それは変わらない。戦術的になるべく優位にたつために、プーチンやクレムリンはできる限り不可解で予測不能なプーチンー像をつくりあげようとする。プーチンへのアクセスはきびしく制限され、彼のイメージは入念にブランド化され、作り変えられていく。

 西側諸国は、ヨーロッパとユーラシアでなるべく金をかけずにロシアを封じ込めたいに違いない。またアメリカ、NATO。EUはヨーロッパでの大規模な軍事衝突、つまり第三次世界大戦を食い止めるためなら、何でもする。それがプーチンの見方だった。しかしプーチンは、将来的にアメリカとNATOの優先事項が変化する時が来るかもしれないと見ているようだ。だとすれば、あらゆることを最悪のシナリオの視点で考える必要がある。プーチンは、そう考えていることは、ほぼ間違いない。

 2008年のグルジア戦争、14年のウクライナ戦争に踏み切ったとはいえ、プーチンは今でも西側諸国と取引する事をのzんでいる。政治的な意味でいえば、互いの安全保障の利害が重なる部分では、西側と協力することも望んでいる。プーチンが最も重視するの経済だ。彼は文字通りの意味で西側諸国との取引、つまり貿易と投資を望んでいる。
 
 プーチンには実行力があり、西側諸国の動きを食い止めようという強い意欲もある。彼は核兵器という選択肢も検討し、西側諸国を震え上がらせる。ケースオフィサーとしてのプーチンは知っているー戦争が軍事的な局面に移行したら、プーチンが核兵器を使うかもしれないではなく、きっと使うだろうと西側諸国に思わせることが肝要なのだ、と。これこそ究極の抑止力だ。

 プーチンの戦略上の目標は今後も変わることなく、西側諸国の防衛の弱点を見つけ、西側のリーダーた市民たちを脅かし、その脅かしが虚勢でないことを全員に知らしめることである。だとすれば、今度は西側諸国のほうが行動する番だ。プーチンの仕掛けた21世紀の戦争に対抗したければ、自国の防衛を強化し、経済や政治の弱点を減らし、独自の有事計画を立てなければいけないのだ。”

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<終わりにあたって>
 隣国に、このような強力なリーダーシップを持った政治家がいる。日本にとっての現在の重要課題は、経済と安全保障である。よほど褌をしめてかからないといけない。国会で、そのようなことにどう対処するか~桜だ政治資金だと侃々諤々しているヒマはないのだ。

 本著の内容もさることながら、私が強い印象をうけたのは、(おそらく)アメリカ政府が、シンクタンクに依頼して、プーチンという複雑極まりない人間の人間像に迫ろうとしたこと、そのことである。日本政府が、あるいはEUがそのようなアプローチで、政府間交渉相手である他国の首相または大統領の根本的なものの考え方の背景にあるものを探ろうとするであろうか?アメリカ政府は、それをやるのである。少なくとも、それに近いことはやってきたはずだ。スーパーエリートであったケネディやジョンソン大統領がベトナム戦争で敗北したのは、やはり相手をとことん知らなかったことに敗因があると思う。

 日本政府は、これから中国と困難な折衝をすることになる。それには、習近平主席のことをとことん知らねばならない。この本は、それを示唆している。プーチンの考え方や行動をみていると、”プーチン率いるロシアは、今の中国と同じではないか?”と思い、習近平のことをよく知るべきだと感じた。


コメント (6)
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