(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

時評 研究開発への道 

2022-09-08 | 料理
    ~上掲の写真は、わが町六甲アイランドの初日の出。日本の明るい未来を願って。

今から40年ほど前の本『研究開発への道』を、改めて手にした。これは住友化学(後に京都大学)で研究所長を務めた児玉信次郎氏が、基礎技術や基礎研究がなければ、化学工業では独自の製品や技術はあり得ないとして考え方を述べたものである。このことは、機械工業/電気産業/造船業などありとあらゆる産業にも言えることではないか。

一時期、鉄鋼業の研究所に身を置いたものの一人として、今後の日本の産業界や日本全体の進むべき方向について考察し、一提言でもできないかと思った。それは大学における教育の問題にまで言及することになる。横並びの教育ではなく、独自の発想を引き出そうとする教育である。

 当初、そのように考えて記事を書きはじめたが、40年の間に、経営に関する考え方が進展し、児玉さんの指摘されたことを、新たな視点にたって考えることが必要だと思うようになった。そして新たな視点で、記事を書くこととした。

 手元に『研究開発への道』と題する古い本がある。45年ほど前のことである。当時、神戸の元町商店街の入り口に、「丸善」があり、本はそこの二階の書棚を眺めて買っていた。ある時、住友化学で研究開発に携わっておられた児玉信次郎氏の本が目に入った。それによると、日本の化学工業は基礎研究で革新的な技術開発し、それによって独占的な利益を上げ、またその利益で次の新しい技術を開発するという考え方にはほど遠かった。目を瞠る思いで読みふけった。今、読み返しても、著者の考え方にはうなずけるものがある。

 ということで、日本化学工業、それのみならず電気産業や医薬品産業など製造業全般について現状を眺め直し、どうすれば、世界に冠たる産業を育成できるか考えて見た。

 まずは、45年前に児玉信次郎氏が、説いたところからご紹介しよう。
”ドイツの合成染料工業に始まった、近代の純粋科学に基礎をおく、自己の開発した独創的技術により、新製品・新製造法を大工業に仕上げてゆくという手法が軌道にのって、その成果が上がり始めた時期である。”

”第一次世界大戦の頃は、1913年のアンモニア合成、1922年のメタノールの合成、同年の尿素の合成、1938年のデュポンのナイロン、1939年のIGIのポリエチレンの合成など、この時期に開発された新しいしかも重要な化学工業が枚挙にいとまがない。その他、戦後に大工業に発展した多くの製品の芽もこの時期に表れていた。中でも注目すべきは、アンモニアの合成工業であった。BASFにおけるアンモニア合成工業の完成は、化学工業史上、革命的な出来事であった。”

 ”この時期、日本が外国製技術導入のやすきについているとき、独自の技術開発の必要性に目覚めて、その努力を開始したのが米国である。時のデュポンの社長のイレーネ・デュポンは米国の化学工業の現状を顧みて、真のイレーネ・デュポンの繁栄を図るためには、技術的にドイツに追いつき、ドイツと同じ技術開発力を持たなければならないと考えた。そのためにデュポンは1919年にBaisic Research Labolatoryをつくって、新しい技術開発のスタートをきった。このときのイレーネ・デュポンの言葉は、”Let's try it. We ought to be as smart as German"。これにデュポンの決意を端的にみることができる。”

 ”この後、カローザスが、このデュポンに基礎研究所に移り、その4年後ネオプレンが工業化された、138年にはナイロンが工業化された。これにより、デュポンは今日の大をなす基礎を築いき、ドイツを追い越す至った。”


 ”では、何故日本の化学工業は米国のような発展ができなかったのであろうか。昭和30年(1955年)石油化学工業5年計画が樹立され、目覚ましい発展を遂げた。いわゆるコンビナートとして発展し、1967年をすぎる頃、売上高ではドイツを追い越すに至った。世界の文明の中心から遥かに離れた極東の資源皆無の狭小の地域で、しかも近代自然科学の伝統を全然もつことなく、このように高度の化学工業の発展を可能ならしめたのは、勤勉で進取積極的な国民性と、明治以来の教育の普及にあった。”

 ”しかし工業の発展は、自分自身の手で創造した独創的な技術によって行われてこそ、本当の発展が得られるのである。いくら生産額が多くても、その工業が外国から導入した借り物の技術で行われているかぎり、それは二流の工業である。今日、資本の自由化を目前にして(1970年末頃の話)、日本の独創的技術開発の必要性がやかましく言われている。このことは、今に始まったことではない。第二次世界大戦前にも、盛んに議論されていた。どうして、日本の化学工業は長いあいだ解決できなかったのか?”

 ”なにゆえに日本においては独創的な自己技術の開発が困難であったのか? 私は最大の原因は今日までの日本化学工業の経営者に、工業の常道は研究により独自の技術を開発し、他人が真似をできないうちに利益をあげ、その利益により次の研究を行う、これを繰り返していくという認識がないことにあると考えた。そのために、企業には独創的な技術開発によって自己の繁栄を図らなければならないという理念が欠けていた。日本の化学工業界には、一人のイレーネ・デュポンもいなかったのである。”

 ”なぜ日本の経営者が、そのように考えることしかできなかったのか。それは、明治以来の日本の化学工業の経営が徳川時代の問屋制度に端を発する商業資本によって行われたところに一つに原因があると思う。商業資本の考え方では、技術も一つの商品である。何も自分でリスクを犯し、苦労を重ね開発しなくても、それを買ってきて工場をつくり、利益を上げればよかった。日本化学工業初期のこういう考え方が、そののちの日本の化学工業を支配する理念となっていた。日本の化学工業経営者の中には、独創的な技術開発の重要性を認めた人もいただろう。しかし、彼らの多くは今さら日本が研究費を使って自己技術の開発をやっても、とても先進国に追いつけるものではないという敗戦主義に陥っていた。戦うまえに、すでに敗れていたのだ。”

 ”1920年代初期の日本の化学工業と、米国の化学工業の状態には差異はなく、技術水準も似たもの、自己技術開発能力は、双方とも皆無に近かった。彼我の差異は、米国でイレーネ・デュポンのような人が出たことである。努力により、米国に独創的な技術開発の基礎が築かれ、やがては米国の化学工業が質、量ともにドイツを追い越すこととなった。”

 ”私がもっとも心配するのは、明治以来のこういう考え方が、今日でもなお、日本化学工業の底辺に根強く残っているのではないかということである。これには化学工業の経営者はもちろん、これに従事するものすべてが、技術開発の重要性とその障害を的確に認識し、断固たる決意をもって全力を傾倒し、あらゆる方策を講ずる必要があると思う。”

(上記は、昭和40年12月6日、スウェーデン工学士院でノーベル賞受賞式の機会に行った児玉信治郎氏の講演原稿である)


 ところで日本で独創的な技術が開発されることについて、著者の児玉信治郎氏は極めて悲観的である。”自己の創造した技術によって企業の発展をはかるという経営理念のもとにおいては、経営者は当然技術の開発にど努力する。ところが明治開国以来、日本工業の経営理念にあったものは、、これとはまったく正反対の商業資本的思考法であった。すなわちこの考え方においては、利益は流通過程に求められる。何も苦心して自分の技術開発していく必要はない。また技術もまた商品である。儲かる技術があれば買ってくればよい。すなわち商業資本的な経営理念のもとにおいては、自己技術開発の必要性は生まれてこないのである。”

 ”では日本の技術開発力はどのようなものであるか。産業構造審議会の中間答申に引用されたOECD科学政策委員会のリポートによると、日本の技術開発力は米国/英国/西ドイツ/フランス/イタリア/オランダ/スウェーデン/カナダ/ベルギーなどの10か国中の第10位。すなわち最下位と評価されている”


 ”ちなみに明治時代の日本の経営者に藤原銀次郎という人がいた。ぼろ会社の王子製紙を世界的な会社に発展させ、製紙王とまで言われた。その藤原氏ですら、学問を基礎にした自己技術開発の開発が企業発展の根本であるという認識がなかった。日本の技術開発力が、100年の歴史を経た今日、なお10か国中の最下位と言われる域を出ない本当の原因は、日本の工業が、商業資本的な理念によって経営されたきた点にあると考えている。少なくとも、この時点では・・・。”

     ~~~~~~~~~~~~~~

 上述したのが、児玉信治郎氏の述べたことである。

 では、ひるがえって今日の日本化学工業の現状はどうか?さらには、もっと視野を広くして、産業全体で見てみる。その中で、ユニークな位置を占めている信越化学工業についてご紹介する。


 化学会社のランキングを見ると、信越化学工業がダントツである。(詳しいことは後述する)よく知られている三菱化学(三菱ケミカルホールディングス)は、この10年間で株価はあまり伸びていない。売上高や当期利益もほとんど伸びていない。直近のフリーキャッシュフローもごく小さなものだ。
 注)フリーキャッシュフローとは、会社が事業活動で稼いだお金のうち、自由に(フリーに)使えるお金(キャッシュ)が、どれだけあるかを示している。この数字でみると、信越化学のフリーキャッシュフローは、6500億円であり、エアコンで知られるダイキン工業や日本電産をはるかに凌駕している。
 引き続いて有価証券報告書から信越化学工業の最近の事業活動が、どのようなものであるか見てみる。業績は塩化ビニル樹脂が、北米などで販売を伸ばし、半導体材料のシリコンウエハー、も市場の拡大で好調が続く。シリコーンも価格転嫁が進み、収益力が高まる。フリーキャッシュフローも増大した。 主要製品は、塩化ビニール樹脂/苛性ソーダ/半導体シリコーン/希土類磁石/シリコーンである。


 そういう中で、信越化学工業の中興の祖といわれる金川千尋氏(現会長)がどのようなことを考えて経営に当たったのか、彼の著者『常在戦場』の中から、いくつかの言葉を引用してみよう。ちなみに、金川氏の経営哲学は、具体的な数字と利益を何よりも重視し、一般論や抽象論を排除するものだ。彼が社長に就任したのは1990年8月。東西ドイツが統一。イギリスではマーガレット・サッチャーからジョン・メージャーへ政権交代した年だ。


  「惰性を振り切り、原点に戻って考える」・・・この一節の中で、彼は
、”また研究開発についても大きく見直した。私が社長になる前の信越化学では中央研究所を持っていた。しかし、優秀な人材を配置したにもかかわらず、めぼしい成果は上がらなかった。私は中央研究所を思い切って廃止し、新たなやり方で新規事業を開拓することにした。このように会社の仕事は現状を澄んだ目で見つめ、原点に戻って考えることが必要だ。”


また金川氏は、”研究と事業はまったく異質なものだ、研究は研究者が行い、事業化はビジネスが分かる人間がおこなうという役割分担が欠かせい。・・・新規テーマの事業化には私自身が積極的に取り組むようにした。長く安定的な事業化を実現するためにも、研究者任せにしないほうがいい”、と言っている。

 (余談)昭和30年代の半ば頃、鉄鋼会社では、中央研究所ブームがあり、  雨後の竹の子のごとく研究所が設立された。もちろんは、研究そのものは  研究所任せであった。

 「独創性こそが、日本企業の目指す道」・・・この中で金川は。”海外や新興国企業と競争で勝ち抜いていくには、製品の独創性がますます必要となってくる。・・・つまり特許となるような独創性が高く付加価値も高いものを追求していくことが重要になる。そのため、当社では特許には力をいれている。これからの日本企業は、付加価値が低く、新興国と人件費競争をしなければならないような製品で商売をしていくことはますます難しく、そうした製品は研究テーマから除外している。”述べている。


 「行政の施策や金融機関からの資金をあてにした事業をしてはいけない」・・・・この中で金川社長は、”企業の本来の使命は、あくまで事業を推進して収益を上げることである。金融機関と交渉して資金を借りることは、そのための一つの手段に過ぎない。それにもかかわらず金融機関から資金を借りようとすると、否応なく事業と直接関わりのない作業に力を削がれることになる。場合によっては、膨大な量の書類を用意する必要が生じ、結果として事業の好機を逃してしまう。それよりも、少しでも早く投資を実行して、事業を立ち上げることに力を注ぐべきだ”、と言っている。行政機関の支援を得た事業を行えば、いかにも社会に奉仕しているような気がするかもしれないが、それは事業の本質ではない、支援を得るために労力や時間を費やしている間にも、ビジネスチャンスはどんどん逃げてしまうのだる”とも言っている。


 「自己資金を事業への投資に使ってきたので、成長することができた」・・・・この中で信越化学では、経営努力によって生み出されるキャッシュ・フロー(当期純利益+償却費)は、各事業への投資に積極的に使っている、と言っている。・・・とは言え、”何でもいいからどんどん投資する”、というわけにはいかない。あくまでも高い確率での成功が見込める案件でなければならない。・・・事業を拡大する好機を捉えるためには資金が必要となる。その時に、銀行から資金を買り入れるために時間を費やしていては、せっかくの好機を逃してしまう。自己資金で機動的に対応していくことが望ましい、と言っている。
 注)信越化学工業のフリーキャッシュフローが大きいのは、その所以だ。




     ~~~~~~~~~~~~~


 みなさま如何でしたでしょうか? 冒頭に述べた住友化学の児玉信治郎博士の語られたことからは、時代を経て大きく変わってきました。時代が変わり、企業経営の考え方も変わってきたのです。児玉信治郎氏の言葉は、当時は正しいものであったと言えるでしょう。それにしても、金川千尋氏の経営のありかたは、まことに素晴らしいものです。


 またまた余談になりますが、日経ビジネス電子版に「中興の祖ランキング」という記事が配信されていました。1990年以降で、中興の祖と呼べる経営者と言えば①金川千尋、②井上礼之(ダイキン工業社長)などの名前が上がっています。金川氏は、トップダウン方式で同社を日本有数の高収益企業へと飛躍させました。経営史学の大家である国際大学の橘川武郎副学長は「納得のいく結果。中興の祖と呼んで間違いない」と太鼓判を押す。そして、橘川氏は「付加価値の高い高機能製品ではなく汎用品の塩ビ事業に、新興国ではなく先進国の米国で注力したというある種、非常識な決断をできたのが普通の経営者とは違う」と評価しています。

     ~~~~~~~~~~~~~~

 ながながとご清聴ありがとうございました。








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4 コメント

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透徹した確信 (龍峰)
2022-09-10 15:33:29
ゆらぎ 様

児玉信治郎さんの名前を懐かしく、思い出しました。今から62年前、専門課程の青学生であった頃、氏の著書を教科書として使った。それは「化学反応工学1 化学工業計算法」ハウゲン・ワトソン・ラガッツ 児玉新次郎訳 丸善 の分厚い中身の濃い難解な本でした。頭を抱えて絞られました。

明治以来、日本で開発された技術オリジンの工業がなぜ発達しないのかの説は御もっともです。更に思うに、どうしても、サラリーマン社長は短期決戦の成果を追求するからでしょう。社会に余裕がないのか、日本人の気質なのか。オーナ企業であれば多少傾向は違うでしょう。その点、財閥・オーナ企業の今の韓国の方が日本よりもオリジナル技術の開発や中長期を見据えた、思い切った投資ができるように思います。

よほどメニューを絞って透徹した確信の下に経営が行われないと小規模集団の日本の化学工業の発展は難しいように思います。

60年前の就職するころ、信越化学と言えば日産化学や日本触媒化学など等と並んで失礼ながら2番手の評価でした。1番手は三菱化成、住友化学や東洋高圧等でした。
今日の姿は述べられている通りです。まず1番の要因はトップの慧眼の差だと思います。

基礎研究から独創的な商品化まで開発するのは、余ほど周辺に基礎技術がなければ難しいでしょう。
やはり的を絞ることが大切なように思います。
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お礼 (ゆらぎ)
2022-09-11 10:19:32
龍峰様
 拙文をお読み頂きありがとうございました。龍峰さんが、まだ学生の頃児玉信治郎さんの本と出会っておられたのですね。中身こそ違え、奇遇です。

”サラリーマン社長は短期決戦の成果を追求するからでしょう”~これは四半期決算を要求・重視する株主や機関投資家にも責任の一端がありそうです。韓国企業のことは、よく知りませんが、アマゾンなどは遥かに長い先を見据えているようです

今回の記事では取り上げませんでしたが、東陶(TOTO)などは顧客目線で望ましい商品を開発し、それを更にブラッシュアップしています。そういうあり方も、ありかなと思います。我が家では、先年リフォームのおりにすべて東陶製品に切り替えました。
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最近の技術開発 (九分九厘)
2022-09-11 12:24:51
 正直なところ、私は今世紀に入っての技術開発の具体的な姿が具体的によく分からなくなってきていました。2年前から【日経サイエンス】を定期購入して学んでいますが、工学技術を職としていた私も何とかついて行くことが出来る難解の記事です。今世紀に入ってからの世界の技術開発のスピードはとてつも速く且つ分野が広くて専門化されています。我々が現役時代を離れた頃が、境目になっているようです。『日経サイエンス』の情報ですが、ご指摘の「三菱ケミカル」が最近社運を懸けての開発が「人口光合成」の鍵を握る光触媒の開発です。植物は太陽光をエネルギーにCO2と水から有機物を作りますが、これを人工的に行い化学原料を作るという技術開発です。この光触媒は太陽光をエネルギーとして水を分解して水素を発生させることも出来ます。これは、既にNEDOの実証試験に成功しています。トヨタもこれに参加しています。人口光合成が脱炭素の切り札となるとしているようです。他の情報をみると、利益のでない汎用化学工業薬品などは過去の石油精製などのように業界再編成に持っていき、「三菱ケミカル」の本体は、新しい技術とニッチな製品だけを抱え込んでの別の会社を新上場するともいいます。
 『カルロ・ロヴェッリの科学とは何か』を最近読みました。ギリシャ時代以来、科学のパラダイムを変えるような新発見は、全て数学による数理式がベースとなり、仮説と実証の繰り返しであることが言われています。この数学的発想の継承が重要であるとしています。彼の意見では東洋圏は数学的発想がなく、中国においては儒教のごとき人の善悪が問われる歴史が続いてきたと言います。日本での基礎研究の弱さはこの論議に繋がってくるのではないかと思っています。以上
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遅れ馳せばせのお礼 (ゆらぎ)
2022-09-13 10:53:06
九分九厘様
 駄文にお目通し頂きありがとうございました。「日経サイエンス」誌を読んでおられるのですね。脳の問題/気候変動、さらには感染症問題などについて勉強しておられるのですね、敬服の至です。

三菱化学が開発しようとしている光触媒の開発、うまくいいくといいですね。問題は、コストです。

『カルロ・ロヴェッリの科学とは何か』は、読んではいませんが、彼の意見に、”東洋圏は数学的発想がなく”、とあります。また日本での基礎研究の弱さを指摘していますが、江戸時代幕末には関孝和という高名な数学者がいましたね。
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