(新)緑陰漫筆

ゆらぎの読書日記
 ーリタイアーした熟年ビジネスマンの日々
  旅と読書と、ニコン手に。

絵画~古都逍遥

2013-04-15 | 時評
絵画 古都逍遥~「東大寺本坊襖絵」(小泉淳作画)
  (興福寺をおもふ)
 ”はる きぬ と いまか もろびと ゆき かへり 
   ほとけ の には に はな さく らし も” (会津八一)

 (東大寺にて)
 ”おほらかに もろて の ゆび を ひらかせて
   おほき ほとけ は あまたらしたり”     (会津八一)

 奈良を訪れるからには、やはり会津八一の歌集「鹿鳴集」(岩波文庫)を携えてゆかねばならない。今回はほとけ様を見るのでなく、小泉画伯渾身の力作である東大寺本坊の桜を描いたふすま絵をみることに眼目があったのではあるが、岩波文庫を一冊バッグにしのばせた。

 まことに好天。興福寺から奈良公園あたりをそぞろ歩き、東大寺に向かう。あちこちの家々、寺院などの土塀の向こう、依水園のあたりに枝垂れ桜が今まさに繚乱と咲き誇っていた。東大寺の大仏殿を横切り、勅使門をくぐって本坊に入る。そこには、いくつかの部屋にわかれ全40面の襖絵があった。


大宇陀の又兵衛桜をモチーフとしたしだれ桜、東大寺本坊の桜、そして吉野山の桜があった。それぞれ襖4面に描かれている。丹念に描きこまれた桜の絵を、すこし離れてみる立体感をもって見るものに迫ってくる。もの凄い迫力である。染井吉野ではなく、いずれもシロヤマさくらのようである。その三作とも画伯86歳の時(2010年)に完成されている。”白鳥の歌”とも言うべきもので、絶筆である。その前には、おなじく東大寺襖絵の「鳳凰」、「飛天」、「散華」が描かれている。これも展示されている。さらに「蓮池」の絵16面が襖を埋め尽くしている。寺院の絵としては、珍しく色彩豊かで、眼を楽しませてくれた。

 襖絵を見ていて印象に残ったことが二つある。一ツ目は、この「東大寺障壁画プロジジェクト」は、小泉画伯と東大寺だけで出来上がったのではない。横河電機という企業がメセナ活動の一環として推進したのである。2002年の鎌倉・建長寺の「雲龍図」も、そして2006年の「聖武天皇・光明皇后御影」も。

 それから壁にはられていた小泉画伯の言葉に強い印象を覚え、しばしその前で立ち尽くしておりました。

 「己を無にして」

 ”私も、まず描こうとするものをじっくり見つめてから描く。山でも、その 山の良く見える場所を探して、それから一日とか二日とかかけ て写生する。80歳近くなってから東大寺本坊の部屋のふすま絵を描け、という話が起き た。森本別当から突然、東大寺は華厳宗で華やか な宗派だから墨絵でなく、全部色彩で描いてくださいとお願いされ、呆然としたのだが・・・・

 その結果このように出来上がったのだがその毎日、毎日は同じ事の積み重ねで、辛抱の連続でこれは己を無にして仕事する以外にないと思っ た。

 終わった時、今や86歳。あとは今までと同じ、冬になれば蕪を見つめ、夏になれば茄子を見つめる生活に戻るだけである。”ー小泉淳作

 こう語る小泉画伯の白黒の写真が架けられていた。仕事をし尽くした男の顔である。いい顔をされていた。

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 本坊を出てから、鹿の戯れる公園を横切り、戒壇院に足を運んだ。もとは鑑真和上が築いた戒壇があり、堂内には持国天、増長天などの四天王の像が見られた。またこの戒壇堂の西には千手堂があり、千手観音菩薩立像と厨子の極彩色の扉絵をみることができた。その絵の意味を聞いてみたが、よく知らないと、云う。ちゃんと勉強しておいて欲しい。

 門を出て石段を降りるとスケッチをしている一団がいた。みな上手である。なかでも指導者らしき人のスケッチをみんなで見ている。その先生に断って写真を撮らせてもらった。先生いわく、”家で仕上げておいて下さい”



 土塀の小径を辿って町中にもどり、昼食。落ち着いた小体な日本料理屋で。奈良の酒「春鹿」を少々呑んだ。あっさりとしたお酒である。上機嫌で「もちいど」あたりを散歩。餅を臼でついているところがあったので、草餅をひとつ頬ばった。よもぎの香りがした。極上の一日。




コメント (4)
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