りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その28-⑥ 藤枝宿~

2017-11-17 23:44:00 | 旧東海道散歩
「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」

我々が「旧東海道散歩」で箱根越え を決行したのは2015年11月のことでした。
今、思い出しても「良く頑張った」と自分を褒めてあげたくなるほどの難所・・・本当に大変でした。hi
当時、箱根以上の難所とされた「大井川」は、川が増水すると川留めが数日続くこともあり、日程の狂いは避けられませんでした。
旅慣れた人々は「川を越してから宿をとれ、川の手前で宿をとるな」が合言葉だったそうです。
肉体的難所は「箱根八里」、精神的難所は「大井川」・・・といったところでしょうか。
一方、江戸から京へのもう一つのルート「中山道」は、難所も多く、冬は降雪地帯も多い難渋する街道でしたが、川留めがないので日程が立て易く、多くの旅人に利用されたそうです。あの新選組も「中山道」を好んで使っていました。生真面目な日本人らしい話しです。

現代の我々はこの立派な「大井川橋」のおかげで、容易く大井川を越えることができます。
橋の全長は1,026m。さすがに徒歩で渡る人は少ないようですね。


歌川広重 「東海道五十三次之内 嶋田 大井川駿岸」

niko大名行列の川越えの様子が描かれています。すべての人が渡り終わるには、かなり時間がかかりそうですね。

歌川広重 「東海道五十三次之内 金谷 大井川遠岸」

niko遠くの山の中腹に描かれている集落は金谷宿です。
やっと大名行列の最後尾の人々も川越えが終わりそうですね。

我々も無事に大井川を越えることができました。wink


金谷大井川緑地沿いを進み、旧東海道に入ると・・・


「水神公園」


江戸時代は金谷宿の東木戸(東側入口)があった場所です。
金谷宿には本陣3軒、脇本陣1軒、旅籠51軒があり、島田宿同様、大井川の増水で足止めされた旅人で賑わった宿場です。

明治時代以降は、徳川慶喜と共に江戸から静岡へ移住し、職を失った家臣が大茶園を開墾しました。当時は川越制度の廃止で、約1300人の川越え人足が職を失ってしました。
世話役だった仲田源蔵は、29歳という若さで私財を投じて政府へ直訴し、川越え人足救済の懇願活動を続けたそうです。公園には「仲田源蔵翁碑」もありました。

新堀川にかかる「八軒屋橋」


大井川西側の川越人足の番宿はこの辺りにありました。


先程から歩いていて気になっていたのが、時々聞こえてくる「ぽー!」という音。
踏切を渡るときに判明!何と汽笛でした。SLが見えます。bikkuri


「新金谷駅」へ立ち寄ることにしました。




大井川鉄道のSLです。


以前、千頭(せんず)駅を訪れた時に大井川鉄道のSLを見たことがあったのですが、そういえば新金谷駅は大井川鉄道の始発駅でした。


夕方、SLの点検中だったようです。
人も少なくなった駅に鳴り響く汽笛の音、大きなSLが線路を往復する姿は、映画のワンシーンのようでしばらく見入ってしまいました。このような場面に遭遇でき、とてもラッキーでした。

(つづく)



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