りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その28-④ 藤枝宿~

2017-11-03 07:46:00 | 旧東海道散歩
寄り道の後は・・・
旧東海道へ戻り、再び島田宿を進みます。


「島田刀鍛冶(かたなかじ)の碑」

niko江戸時代末期まで、島田は「刀の産地」として有名だったそうです。

「問屋場跡」・・・は、撤去されていました。残念!


旧東海道と交差して素敵な通りが出現しました。


「おび通り」・・・2008年(平成20年)国土交通省「美しいまちなみ優秀賞」を受賞しているそうです。

立派な時計塔・・・この辺りに「下本陣置塩家跡」がありました。
実はからくり時計で、時間になると「帯まつり」に登場する大奴の人形が現れます。


島田市の「帯まつり」は、3年に1度開催される日本三大奇祭の一つです。
昔、島田の花嫁は、晴れ着姿で大井神社へお参りした後、町を歩き披露する・・・という習慣がありました。(そういえば、花嫁の「文金高島田」は、東海道島田宿の遊女の髪形から広まった「島田髷(まげ)」を華やかにアレンジした髪型です。)
しかし、それでは花嫁は大変・・・ということで、花嫁の帯を大奴が木太刀に飾り、人々へ披露を行することになりました。すると、娘をもつ親や商人が帯の逸品を見るために集まり、帯のファションショーのようになり・・・「帯まつり」が始まったそうです。

おび通りを北へ向かい「御陣屋跡」を探していると、散歩中の男性が「どこか探してるの?」と声をかけて下さいました。

smile「どこから来たの?」
niko「東京です」
smile「うちの息子も東京で暮らしているんだよ。忙しいみたいで、なかなかこちらへ帰って来なくてね…」

この言葉、旧東海道散歩の中で、何回聞いたことでしょう。
皆さん、故郷を離れた子供たちの帰りを首を長くして待っておられました。
我々の両親が言っている言葉のようにも思えて・・・この旧東海道散歩の後、実家に帰りました。

気が付けば、ご親切に「御陣屋跡」まで案内して下さいました。


江戸時代、島田宿 には御陣屋(代官所)が設置されていました。
屋敷内に奉られた「御陣屋稲荷」の賽銭箱には、世の中を風刺した歌や文章が投げ込まれ、これを人形とともに境内や街角に展示したことから「風刺(悪口)稲荷」と呼ばれていたそうです。
この流れで・・・今でも島田では「愛するあなたへの悪口コンテスト」が開催されています。


「なぜ海へ行くかって?そこに女房がいないからさ」alien
「無駄だとは言わぬ美容師 言う鏡」dokuro
「ついに鏡うつりが悪いと言い出した」hekomi

男性にお礼を言ってお別れ・・・と思ったら、戻っていらして「あ~そういえば」と島田の美味しいお店を色々と教えて下さいました。
本当にありがとうございました。niko

早速、おすすめの1軒「海道一の名物 よしむらの鯛焼」に立ち寄りました。


評判通り、お店には常に人の列ができている人気店。
美味しい鯛焼きでした!

島田宿は、東海道の難所の一つ「大井川」の増水で足止めされた旅人たちで賑わった宿場でした。松尾芭蕉も大井川の増水により、島田宿の俳人「塚本如舟」の家に4日間滞在しています。


静岡銀行には塚本如舟と芭蕉の合作の句碑
『やはらかに、たけよ今年の、手作麦(如舟) 田植とともに、旅の朝起(芭蕉)』

島田信用金庫本店には芭蕉の句碑 
「駿河路や花橘も茶の匂い」

さらに旧東海道を進むと「焼肉ダイニング 成しま」を発見。meromero「成しま」の系列店ですね。いつかこちらも訪れてみたいです!


島田宿の西側出入口「升形跡」


ここまでが島田宿です。

(つづく)








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