りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その38-② 本宿~

2019-04-15 07:01:00 | 旧東海道散歩
旧東海道に戻り、名鉄の車両基地を通過し・・・

niko日本橋から318km

脇道に入り、「JTEKT 岡崎工場」の前を通過します。




歌川広重「東海道五十三次之内 藤川 棒鼻ノ図」

niko棒鼻は、宿場の入口に立っていた棒杭のことです。馬には御幣が立てられており、御馬献上(旧暦の8月、幕府から京都御所へ馬を献上していました。)の一行が描かれています。宿場の外へ迎えに出た人々は、紋付き袴姿でとても緊張している様子。左端に描かれた子犬が可愛いです。

この浮世絵の世界が再現された「藤川宿東棒鼻跡」

niko石垣まで再現されています。

藤川宿に入ります。藤川宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠数36軒の小さな宿場でした。

1975年(寛政7年)建立「秋葉山常夜燈」

niko「むらさき麦」・・・初めて知りました。江戸時代以降栽培されなくなりましたが、平成6年から再び栽培されるようになったそうです。

道に迷いながら、何度も角を曲がり「曲手(かねんて)」を進みます。


発足したばかりの藤川宿は大変小さな宿場であったため、加宿としてこの辺り(宿場の東側)に山中郷の市場村を移転させたそうです。


気持ちの良い1本道を進みます。


「称名寺(しょうみょうじ)」


「問屋場跡」


「米屋と銭屋」


今は広場になっている「本陣跡」


石垣や井戸が残っていました。


手前には高札場が再現されていました。

niko江戸時代は、問屋場跡の辺りに高札場があったそうです。

この景色を見ながら、高台でひと休み。


ふと見ると・・・目の前に「むらさき麦栽培地」がありました。

meromero2藤川小学校の児童が育てているそうです。

稲穂がうっすらと紫色で、全体をみると確かに紫色の麦畑です。(写真ではわかりにくいほど、薄い紫色です。)

「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」 松尾芭蕉
(ここも三河なのだ。紫色の麦が(知立八つ橋の)かきつばたのようだ。)

(つづく)
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