りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

旧東海道散歩 その34-① 新居宿~

2018-11-02 21:01:00 | 旧東海道散歩
前回の旧東海道散歩は、舞坂宿の渡船場で終わりました。
江戸時代の旅人は、今切の渡し(渡し船)で浜名湖を渡ると「新居関所」の渡船場に到着・・・関所で厳重な検問を受ける必要がありました。

歌川広重「東海道五十三次之内 荒井 渡舟ノ図」

舞坂宿から新居宿に向かう、浜名湖の渡し舟の様子が描かれています。中央には毛槍を立てた大名の御座船。その後ろの舟では、お供の奴たちがくつろいでいます。海岸沿いの建物は新居関所ですね。

ということで、今回は新居関所からスタート予定です。
新幹線で「JR浜松駅」に到着。
構内には河合楽器のピアノが展示されていました。

bikkuriX-JAPAN(YOSHIKI)愛用の「ホワイトクリスタルグランドピアノ」(640万円)と「SHIGERU KAWAI-5」(370万円)・・・どちらも自由に触れて、演奏可能の太っ腹な企画ですgood

東海道本線で「JR新居町駅」に到着しました。


関所へ向かう途中、小さな運河に架けられた「浜名橋」

niko新居宿を描いた浮世絵が紹介されていました。

江戸時代風の町並み。


こちらは消防団詰所です。


トヨタグループの創始者である豊田佐吉と、その長男でトヨタ自動車創業者の豊田喜一郎の「生まれたまち」として紹介されていました。


「新居関所」


実は、2回目の訪問です。あの頃は、まさか旧東海道を歩くなどとは思ってもいませんでしたmeromero2

入館するとご親切にスタッフの方が関所や新居宿について説明してくださいました。

復元された「渡船場跡」

niko舞阪宿を出発した今切の渡し(渡し船)は、この場所に到着します。現在、海は埋め立てられていますが、江戸時代はここまでが海でした。

下船して進むと・・・


「面番所」 ここで検問を受けます。

bikkuri主要街道の関所では、唯一現存する建物です。

当時の様子を浮世絵でご想像ください。meromero2






面番所に入ると・・・人形で当時の様子が再現されていました。


隣接した「新居関所資料館」で関所や東海道について学ぶことができました。
新居関所は、1600年(慶長5年)浜名湖入口近くに設置されましたが、1699年(元禄12年)の高波と1707年(宝永4年)の大地震と津波で移転を繰り返し現在の場所へ移ったそうです。さらに1854年(安政元年)安政東海地震の被害により、1855年(安政2年)現存する建物に改築されたそうです。

「江戸への最初の関門」であり、「江戸から出る最後の関門」である新居関所では、「入鉄砲(いりでっぽう)と出女(でおんな)」の厳重な検問が行われました。
「鉄砲改め」は、鉄砲が江戸で反幕府運動に使われることを警戒して行われましたが、実際はチェックの甘い関所も多い中、新居関所は大変厳格で、徳川御三家や幕府高官であっても規定に反していれば通行を止められたそうです。
「出女」は、人質として江戸に滞在させた妻や子女が国元へ帰ることを防ぐ目的で行われましたが、実際は出女だけでなく入女も「女改め」として厳しく調べられたそうです。男性の場合は名前を聞く程度、庶民でも往来手形のようなものがあれば通ることができたそうですから・・・旅をする女性は大変でしたね。

「時代劇 水戸黄門」のエンディングで、黄門様と別れ、幸せそうに旅立つ女性・・・のシーンを思い出しました。物語的には「めでたしめでたし」な感じですが、その後の苦労を考えると・・・複雑な気分ですhi

関所を無事通過すると・・・(復元された)大御門を出て新居宿に入ります。


大御門に隣接し、江戸時代の記録をもとに復元された高札場。

niko江戸時代、大御門の西側の桝形に高札場があり、宿高札(左上)と浦高札(右下)の二つの高札がありました。

(つづく)
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