りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

「旧東海道散歩 その16-④ 箱根湯本~」

2016-04-02 00:26:00 | 旧東海道散歩
美味しいお弁当を食べて復活!wink
再び石畳を進みます。

「猿滑坂(さるすべりさか)」

「新編相模国風土記行」に「殊に危険、猿候といえども、たやすく登り得ず、よりて名とす」と記されるほど、かつては危険な急坂だったようです。

県道を見下ろす脇道を進むと、「追込坂(おいこみさか)」


二子山と文庫山の鞍部、広場になっている「笈ノ平(おいのたいら)」に出ました。


鎌倉時代のお話しです。
東国の布教を終え、還暦を過ぎた親鸞は、4人の弟子と京都へ向かっていました。

「関東絵伝」より

月明かりだけを頼りに、険しい箱根の山道をを登りながら、親鸞は「我々が京都へ行った後、誰が東国の門徒を導くのだろう」と考えます。そこで弟子の性信(しょうしん)へ関東に戻って布教するようにと伝えました。性信といえば、「親鸞のいるところ必ず性信の姿あり」と云われた門弟の筆頭です。泣く泣く一人関東へ戻ることを決意した性信へ、親鸞は身代わりとして笈(修験者仏具を運ぶ箱)を手渡しました。その場所が「笈ノ平」です。

「関東絵伝」より  
horori一人、関東へ戻る性信。性信が背負っているのが笈です。

この時に親鸞が詠んだ歌。
「病む子をば 預けて帰る旅の空 心はここに残りこそすれ」

horori親鸞の辛い気持ちが伝わってきます。

笈ノ平には「箱根旧東海道資料館」と「甘酒茶屋」があります。
あまりの疲労で、以前立ち寄ったことがある「箱根旧東海道資料館」はスルーし、「甘酒茶屋」で休憩。


昨年秋の箱根ドライブで、初めてこの「甘酒茶屋」に立ち寄ったのですが、1年後まさかここを徒歩で訪れるとは・・・当時は思いもしませんでした。

江戸時代の甘酒茶屋。


大正時代の甘酒茶屋。

niko江戸時代の旅人も、大正時代の旅人も・・・この甘酒茶屋が見えてきた時の嬉しさは我々と同じだったはず。ここまで苦労して歩いてきたからこそ実感できます。

ふつう甘酒は「酒粕と砂糖」で作られますが、こちらの甘酒は、江戸時代から変わらず「米と米麹」だけで作られています。砂糖が入っていないので、やさしい甘みです。
冬の飲み物というイメージが強い甘酒ですが、実は夏の季語。

niko夏バテ回復の栄養ドリンクで、江戸時代「甘い、甘い あま~ざけ~」と売り歩く甘酒屋は、夏の風物詩だったそうです。



(ふ~!まだ、まだ、まだ続く)

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