りばぁさいどらいふ

東京を流れる某川のほとりから。
ガーデニング、アウトドアなど生活を心地よくするために思うところ、備忘録、いろいろです。

「旧東海道散歩 その14-① 小田原~」

2016-01-08 14:23:00 | 旧東海道散歩
本日は、小田原城近くに駐車して、小田原市内をのんびり散歩する予定です。
ところが小田原城に近づくと・・・天守閣はこの状態!!


小田原城の天守閣は耐震改修工事に伴い現在休館中。そういえば、以前姫路城を訪れた時も天守閣が改修工事中でした。天守閣に縁のない我々です。
それでも天守閣以外は見学可能とのことで、気を取り直して城内散策スタート。


正面入り口から入ると馬出し門。
お堀に向かって、熱心にカメラを構えている人の姿が・・・。
近づくと・・・「あの石垣にカワセミがいるのです。良かったらこのカメラで見てみますか?」と声をかけて下さいました。お言葉に甘えて高級そうなカメラのファインダーを覗くと・・・カワセミが!!とっても可愛いです。肉眼では気が付かなかったと思います。

niko見せて頂いたカワセミはもっと大きく見えましたが、手持ちのカメラでは・・・こんな感じです。

お礼を言って、カワセミが警戒しないように静かにその場を立ち去りました。

観光案内所に立ち寄ると、小田原城について係の方がわかりやすく説明をして下さいました。ほぼ知識がない我々にはとても有り難かったです。

住吉橋を渡り銅門(あかがねもん)



niko階段を上って櫓の中を観ることができます。

銅板の装飾が美しく、テレビドラマの撮影でよく使われるそうです。
この門は二の丸の正面にあたります。
江戸時代、小田原城には本丸と二の丸の2つの御殿がありました。
本来、本丸は城主の住居ですが、小田原城の本丸は将軍家の宿舎として使用されていたため、小田原城主は二の丸を住居としていたそうです。


horori工事中の天守閣。

歴史見聞館では、小田原城の歴史を学ぶことができます。




小田原城は、戦国時代にも関わらず上杉謙信や武田信玄の攻撃にも耐え、約100年間、五代の北条氏が城主を務めた城として有名です。ちなみに小田原の北条氏は、鎌倉時代に活躍した北条氏とはあまり関係がないので、(鎌倉時代より後の時代に活躍したので)後北条氏または、小田原北条氏と呼ばれたりして区別されています。

niko小田原城の模型です。

小田原城は、敵の侵入を防ぐために堀と土塁(土製の堤防状の壁・・・いわゆる土手ですね。)を城の周囲9キロメートルにわたり構築していました。

niko今も残る幸田門跡の土塁です。

ランチは小田原城近くの「虎雲小夜城」で。

niko石焼おこげが美味しかったです。

小田原城の近くには二宮尊徳(金治郎)を祀った「報徳二宮神社」と「報徳博物館」もありました。


二宮尊徳は、江戸時代後期の農政家、思想家です。

niko我々世代は、二宮尊徳といえばこの銅像。
戦前に全国の小学校に建立されたそうですが、最近は、「歩きながら本を読むことを助長するから危険」、「子供が働く姿は今にそぐわない」という保護者の声もあり、老朽化などに伴い各地で撤去がすすんでいるそうです。


niko金次郎が歩いた道です。

14歳で父を,16歳で母を失い,酒匂川の洪水で田畑を失い、伯父の家に寄食。苦学して一家を再興し、地主となりました。その後小田原藩の幕臣となり、関東の諸藩領・旗本領などの復興や個別の家・村の再建を依頼され指導し、「報徳思想」を説きました。

「大事を成さんと欲する者は、まず小事を務むべし。
大事を成さんと欲して小事を怠り、その成り難きを憂いて、成り易きを務めざる者は、小人の常なり。
それ小を積めば大となる。」

「道徳を忘れた経済は、罪悪である。
経済を忘れた道徳は、寝言である。」

二宮尊徳の像を撤去する前に・・・子供たちに伝えるべき大切なことがあるような気がします。

(つづく)
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