前回訪れた「なりわい交流館」まで戻り、旧東海道を改めて進みます。
江戸時代の小田原宿はこの辺りです。
昔の小田原宿はこんな感じ。
旧東海道から南側へ。「御幸の浜」に立ち寄りました。
明治6年(1873年)、明治天皇と皇后が、漁夫の地引網をご覧になった場所です。
遠くに伊豆半島と箱根の山々が見えます。
お城のような外観の「ういろう屋」
名古屋のういろうが有名ですが、江戸時代は日本各地でお菓子のういろうが名物になっていたそうです。
江戸時代の東海道・小田原名物といえば、万能薬「ういろう薬」でした。
仁丹みたいです。
「東海道中膝栗毛」では喜多八がお菓子のういろうと勘違いして薬のういろうを食べてしまう場面がありましたね。
歌舞伎「外郎(ういろう)売」
曾我五郎時致が外郎売りに身をやつして薬の効能を言い立てる早口言葉が有名です。
拙者親方と申すは、お立ち会いの中に、
御存知のお方も御座りましょうが、
御江戸を発って二十里上方、
相州小田原一色町をお過ぎなされて、
青物町を登りへおいでなさるれば、
欄干橋虎屋藤衛門、
只今は剃髪致して、円斎となのりまする・・・
「外郎売り」は、二代目市川團十郎の創作で、薬の行商をしたことはなく、ずっとこの場所で販売しているそうです。お菓子のういろうは明治時代から販売を始めました。お店に入ると、薬局とお菓子屋さんが併設していて不思議な雰囲気です。
箱根口の交差点を北へ少し進むと・・・三の丸小学校に南側に「三の丸の箱根口門跡」
ここから三島までが「箱根八里」なのだそうです。つまりここから三島まで32㎞あるということですね。
旧東海道散歩で何度か見かけた「湘南クッキー」の自動販売機を発見!
ずっと気になっていて、とうとう購入してしまいました。美味しかったです。
旧東海道へ戻り、「小田原駅跡」。
明治29年(1896年)熱海までの「豆相人車鉄道」(レールの上を人が客車を押して進む乗り物)の小田原駅でしたが、大正12年廃止されたそうです。
消防署もお城風です。
歩道橋に上って・・・
夕焼けの箱根の山々
反対の東側
居神神社と板橋口
板橋口は小田原宿の上方見附(東海道の西の出入り口)です。
旧東海道を進みます。
明治36年(1903)に建築された内野邸(元醤油醸造業経営)
さらに旧東海道を進み・・・
箱根登山鉄道「風祭駅」に到着!
12,272歩の散歩でした。
(2015.10.4)