● prologue
すっかり毎年恒例となった、秋の家族旅行。
今年も京都に向かいます。
年に一度の親との旅行なので、都民ならぬ母ファーストで。
京都好きの母がまだ行っていない場所を訪れることにしました。
今回のハイライトは、桂離宮。
長年、紅葉のベストシーズンに行ってみたいと思っていたものの、倍率が高くて、なかなか参加許可をもらえませんでした。
地道に申し込みを重ねて、ようやく抽選に当たり、行けることになりました。
● 朝
5時半に起床。眠い目で支度をして出発。
バスは始発便なのに、10分近く遅れて到着。
新幹線の時間があるので、気をもみましたが、問題なく到着。
● キオスクの新聞
新幹線の駅構内のキオスクには、日経新聞の朝刊が山のように積まれていました。
ワ~、こんな風に束になって重なった新聞を見るのは久しぶり。
みんなスマホで新聞を読むようになって、通勤電車で新聞を広げている人は見なくなりました。
新幹線では、席に座ったらゆっくり新聞を読めます。
だからこんなに売られているんですね。
6時台なのに構内は人でたくさん。
のぞみに乗ると、新横浜でもう車両は満席。
平日なのでスーツ姿の人が目立ちます。みんな出張なのね。
車内で新聞を広げている人が、ちらほらいました。
● 車窓の富士山
新幹線に乗ると雨だったり曇りだったりして、車窓の富士山をなかなか見られない私。
晴れのチャンスがあっても、そういう時に限って眠って見損ねたりしていました。
この日は出発直前まで雨が降っていたので、はなから見えないだろうとあきらめていました。
でも、母が「もしかしてあれ、富士山じゃない?」と言います。
「え・・・?わー、そうね!」
久しぶりに新幹線から富士山を臨みました。
のぞみは速すぎて、私の撮影力ではブレまくりです。
まあそれでも見られたので、安心して寝につきました。
● さっそく町へ
9時に京都着。平日なのに人でごった返しています。
半年ぶりですが、駅のコンコースに展望台への階段、セブンイレブン、外貨両替コーナーと、いろいろなものができていて、かなり変わっていました。
さっそく人並みにもみくちゃにされながらバスに乗って宿へ行き、荷物を預けて身軽になりました。
京都国立博物館の横を通っていきます。
まだ開場時間前なのに、入口前には長蛇の列ができており、塀に沿ってぐるりと周り込んでいました。
目下、刀剣展を開催中。なんか、すごい人なんですけど。
● 豊臣神社ととうらぶ
そのまま鴨川方面に歩いていくと、大仏前交番がありました。
母が「大仏ってここにあったのね!」と反応したので「そう、この辺にあったのよ」と話し、豊臣神社に向かいました。
神社で御朱印をいただいた際に見るとアニメキャラのグッズがいろいろあったので、びっくり。
『刀剣乱舞』(とうらぶ)のキャラクターのようです。
この神社でフィーチャリングしているのは、骨喰(ほねばみ)藤四郎御刀守。
骨喰藤四郎は豊臣家筆頭の守護刀でした。
400年後に、こんなブームがくるなんて、誰も思っていませんでしたよね~。
歴史ってわからない!
お参り後、きびすをかえして境内を出ようとする母を「ちょっとまって、こっちも見て行こう」と引き留めます。
● 方向寺の鐘
神社の隣にあるのは、方向寺。
家康がいちゃもんをつけた大鐘があります。
問題の「国家安康」「君臣豊楽」の箇所が白く囲ってあります。
この鐘がきっかけで大阪冬の陣が起こったんですよねえ。
歴史をそのままのぞいているような気分になります。
● 耳のおはか
そばには、耳塚公園がありました。
なんか物騒な名前~。
公園の隣には、耳塚がありました。
秀吉の朝鮮出兵では、捕らえた朝鮮人たちの耳や鼻を持っていって手柄の証拠としたのです。
ひえっ、おそろしい。
母子で、こわごわと近くに寄りました。
でも、こんもりと土が盛られたお墓はきれいに手入れされ、生花が備えられていました。
きちんと供養されているようです。
私たちも、お墓に手を合わせて拝みました。
塚を囲む石の垣根には、歌舞伎役者の名前がずらりと連なっていました。
なぜかしら?
後に調べてみたところ、この耳塚は明治31年に修復されたもので、石の玉垣は大正4年に作られたものでした。
歌舞伎役者 片岡仁左衛門、浪曲師 桃中軒雲右衛門、俳優 川上音次郎、義太夫 豊竹古靭太夫といった当時の著名な芸人達の寄付で建立されたものだそうです。
当時の芝居興行を仕切っていた侠客の親分が発起人で、彼が秀吉をあがめていたためではないかという話です。
● けいはん
七条の交差点が青になると、反対側で待っていた人々がいっせいにこちらに向かってきます。
そのほぼ全員が女性。年齢層もほぼ統一しています。
(あっ、刀剣女子ね!)
真剣な顔でズンズン速足で来る、その迫力に圧倒されました。
私たちの横をすり抜けて、博物館へと向かっていきましたが、すれ違った時の迫力に心臓がドキドキ。
鴨川沿いの七条駅から京阪に乗ります。
混んでいましたが、次の四条駅と三条駅でごっそり人が降り、終点の出町柳まで座っていきました。
● 叡電ひえい
出町柳から地表に上がり、叡山電鉄のホームへ。
叡電にまだ乗ったことがない母のリクエストです。
周りの人がやけに急ぎ足だと思ったら、次に出発するのは「ひえい」だそう。
座席が大きな窓の方を向いている観光電車です。
予約不要なだけに、乗るのは大変なのです。
クラシックなデザインの車体がホームにやってきました。
カッコイイ!
私も鉄子の母も、一気にテンションが上がって乗り込みました。
一両編成なのに、ありえないほどの乗客が乗り込んで、ぎゅうぎゅうの飽和状態です。
「ひえい」の行き先が八瀬比叡山口だと気づいたのは、動き出した後でした。
鞍馬までは行かないのね~。
行き先が分岐する宝ヶ池駅まで行き、そこで乗り換えます。
無人駅の小さなホームいっぱいに、鞍馬行きを待つ人たちがいました。
阪急トラピックスのツアーグループがおり、よくしゃべる添乗員さんがついています。
お喋り好きじゃないと勤まらない仕事ですね。
この時期の叡電は「秋のもみじ列車」と言われて、車窓から紅葉が楽しめます。
市原駅と二ノ瀬駅の間に紅葉のトンネルがあり、そこにさしかかると電車が減速してゆっくり走ってくれます。
夜にはライトアップもされる、一日中人気のルートです。
● 鞍馬駅の天狗
終点の鞍馬駅に着きました。
古めかしい駅舎の雰囲気が気に入っています。
高尾山に向かう高尾駅の駅舎もレトロ。
天狗のお面が飾られているのも一緒です。
この冬、駅前の天狗の鼻が、雪の重みで折れてしまい、天狗さんは大きな絆創膏を貼っていました。
その後どうなったのか気になっていましたが、長い鼻が復活していたのでひと安心。
母に撮影してもらったら、思いっきりレンズに指が入っています。
親あるあるです。
ここから鞍馬山への坂道になります。
足腰の弱い母に合わせて、石段をゆっくりゆっくり上がります。
参道の家の前に、かわいい苔玉盆栽が並べられていました。
君たちのうちの誰か、うちにお嫁に来ないか~い?
● 鞍馬寺と虎
鞍馬寺の正面入り口が見えてきました。
う~ん、迫力。
お寺の入り口横には、スイスの山荘のような大きな建物があります。
修養道場「歓喜院」です。
門の前でにらみを利かせているのは、狛犬ならぬ一対の虎。
毘沙門天の遣いです。
日本にいない動物なので、そういえば毘沙門天って外国の神様だったなあと思い出します。
エキゾチック~。インド出身だから、神虎はベンガルトラかな?
● 最短ケーブルカー
ケーブルカーに乗りました。正式名称は、鞍馬山鋼索(こうさく)鉄道。
認可鉄道では唯一の、宗教法人が運営するケーブルカー。
たった207mの、日本一短い鉄道です。
でも坂は九十九折れの急勾配なので、これに乗らずして山を上るのは大変です。
時刻表を見ると1時間に3本の運行ですが、ハイシーズンだからか実際には7分おきくらいに動いており、さほど待たずに乗れました。
乗車時間は3分ですが、両側に9月の台風で幹や枝がザックリ折れた杉林が広がり、鞍馬山が受けた被害の大きさを知りました。
● 長い石段
降りたところに出迎えてくれるのは、多宝塔。
山の上まで上がると、気温も下がって紅葉がきれいに色づいています。
青空に映えて一枚の絵のようです。
ケーブルカーを使っても、楽して参拝はできません。
さらに百数十段の石段が待っています。
うわあ、長いわ~。でもあせりは禁物。
まだ旅は始まったばかり。
母が疲れてしまわないよう、ゆっくりゆっくり上っていきます。
● 山紅葉の世界
阿弥陀仏が祀られている転法輪堂の横を通ります。
紅葉のトンネルの向こうには、遠く山々が見えてきました。
結構な標高まできています。
階段の途中で振り返ると、ちょうど光が射しこんで、紅葉が美しく輝いていました。
おお~、神や仏が降臨したようだわ。
ゴールの本堂までもうひと息。
その2に続きます。
こりゃ乗ってみたいです(笑)
紅葉の時季はとんでもない人でしょう。
今では京都は近いようで遠くなりました。
観光客で車では行けないし
バスも長蛇の列だし、
だから最近は奈良にシフトを変えたんです。
でも行きたい 京都。
毎年同じ頃に京都を訪れているため、年々混雑が進んでいることがわかります。モー大変!
今回は、奈良にも行きました。びっくりするくらい人の数が違いました!