風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

奥只見・秋山郷 index

2011-05-30 | 中部(甲信越)


          1. 奥只見シルバーライン

          2. 奥只見湖遊覧・奥只見ダム
          
          3. 秋山郷:見倉橋



          4. 秋山郷:切明温泉

          5. 秋山郷:津南・栄村

          6. 上田・軽井沢




6. 上田・軽井沢

2011-05-29 | 中部(甲信越)

高速を降りた頃には、もうテンションMax状態で、車酔いなどどこかに飛んでしまいました。
目指す上田城は駅前にあり、駅の向こうにはイオンの大きな複合ショッピング施設があるようで、渋滞ができていました。
池上正太郎の真田太平記館がありました。気になります。



上田市観光会館の建物には、戦国BASARAの真田幸村のポスターが貼ってあり、カメラを構える私を、二人はぬるーい目で見ていました。



駐車場には、真田十勇士ののぼりが立っています。才蔵と佐助!



大雨の中、ぬかるみに足を取られそうになりながら、お城へ向かいましたが、城址だけで、天守閣は残っていませんでした。
がっかり。でも真田神社をお参りします。
巨大な兜や、六文銭の知恵の輪くぐりがありました。





ああ、雨さえ降っていなければくぐったんですが!
真田家ゆかりの神社ですが、六文銭グッズのようなあやかりのものは売られておらず、しっかりした神社だなあと思いました。
「真田幸村公を大河に!」キャンペーンのサイン帳に署名してきました。
いっそ視点を変えて、兄の真田信之を主役にするのも面白そうだと思います。彼もドラマチックな生涯を送った人ですから。



真田の通り抜け井戸も見られました。思ったより大きく、一度に十人くらいの人が入れそうです。
城の櫓は残っており、そこを見学しました。
400年の時代を超えた風格のある、立派な造りで、貴重な調度品も展示されていました。



真田三代。中央が父昌幸、右が幸村、左が大坂夏の陣で齢13で自刃した息子大助です。



この地で、不屈の真田魂がはぐくまれたんですね。
本丸跡の濡れそぼる草を見ていると、まさしく「兵どもが夢の跡」といった風情を感じです。
ひたりかけていたら、「はーい、もう時間ですよー」と、無情にもタイムアップを告げられました。



真田の庄を訪れ、これでようやく歴女の仲間入りができた気がして、うれしくなります。
でも、車のキーを渡されたので、余韻に浸る間もなくまた緊張の運転タイムとなりました。
上田を去りながら、思いだして「ここはサマーウォーズの舞台だ」と話したら、アビィが「あれ好きなのにー、もっと早く言ってくれればー」と、ようやく反応しました。

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次に目指すは軽井沢。何度も訪れたことはありますが、自分が運転してこの地に入るのはこれが初めて。
アウトレットは、軽井沢プリンスショッピングプラザといい、駅前にありました。
ここができてから来るのは初めて。想像を超える広大な敷地に驚きます。
ここは本当に、私が知っている軽井沢でしょうか?



まずはイタリアンで腹ごしらえをし、それからショッピングに向かいます。
天狗と狩人しかいないような山奥から出てきた、戦国時代の夢覚めやらぬ身には、あまりの急激な変化についていけません。
優柔不断な私には、時間制限のある時に大きな買い物はできないため、今回は見守り隊でした。
アビィもマロンも、効率よくちゃっちゃとブランドをチェックし、COACHでいいお買い物をして、ニコニコでした。

それにしても、しばらく来ない間に、あまりに様変わりしてしまいました。
軽井沢に滞在するときには、軽井沢銀座にもあまり寄らないようにして、林の奥の方で避暑地の静けさを楽しんでいましたが、もう私が知っている軽井沢じゃないのね、と寂しい気持ちになりました。
有名ブランドがたくさん軒を連ねていて、お得で便利ですけれどね。
今回は、大雨だったこともあり、アウトレットだけで軽井沢を離れました。

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高速に入ると、事故渋滞が起きていました。
アビィがtwitterで「赤いポルシェが事故を起こしたみたい」と調べ、みんなでブーブー言いました。
なぜ赤いポルシェって、こういう時一言言いたくなるんでしょうね?(笑)
道路はなかなか進まず、ドライバーマロンの負担が大きかったので、途中のPAで運転を交代しました。
それからは割とサクサク進むようになり、いつしか渋滞も解けて道路は走り放題になっていました。

私は今まで「①雨 ②夜 ③遠出の時には運転しない」という3つのポリシーを守って、堅実なドライブをしてきたのですが(単に自信がないだけ)、今回、なんとすべての禁忌をことごとく破ってしまうことに。
ぎゃあ!こうなると、逆にいつも避けていたシチュエーションなので、経験値がなく恐怖が高まります。
車の外は、たたきつけるようなすごい雨。
もやも出て視界が悪く、前の車も見えにくくなっています。

さらに、節電のために街灯を消しているため、車のランプしか辺りを照らすものはありません。
車が前にいなくなると、白い車線しか頼るものがなく、必死に目を凝らしました。
私の思いはまだ戦国時代に漂っているので、ここで事故を起こしてもあっさり成仏しそうですが、ショッピングしたての二人は、買いたてのCOACHを一度も使わないうちに命を落としたら、悔いが残って怨霊となってしまうかもしれません。
そんな不幸は避けなくては!
必死にがんばり、交代するまで、なんとか無事に運転できました。

そのまま何事もなく都内に戻り、一同解散しました。
今回の旅は、どこも強烈で、心に残るところばかりでした。
奥深い、いい体験ができて、日常に戻ってからも、まだかなり旅の余韻を引いています。
マロン、アビィ、また行きましょうね。目指せ秘湯、シークレット・スパ!

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旅から帰った4日後の6月2日、十日町付近で震度5強の大地震が起こったそうです。
秋山郷では300人が孤立したとか。復興途中の栄村も、また被害を受けただろうと心が痛みます。
滞在中、震災後ずっと緊張し続けていた心身をリラックスできましたが、やはり国内で地震の来ない場所はないんですね。
まだまだ地震の余波で落ち着かない日々が続きます。被害が少ないことを祈るばかりです。


5. 秋山郷:津南・栄村

2011-05-29 | 中部(甲信越)

宿では、じっくり落ち着いた気持ちで過ごせました。
自然しかないような場所にいると、人は心安らかになるものですね。
特に3月の震災以降、心が休まらないような毎日を過ごしていたため、こんなにゆったりできたのは久しぶりでした。

山道の最奥の、ほかに逃げ場がない場所にある宿なので、前日の晩には「完全密室殺人が起こってもおかしくないねー」と、しゃれにならない話をしていましたが、もちろん何事もなく、爽やかな朝を迎えられました。

朝食も山菜尽くし。どろりと濃いにんじんジュースをいただきます。
にんじんの甘みがギュッと詰まっていて、ああおいしい。
アビィが「おなかの調子がとっても快調♪」とウキウキしています。
たしかに身体が軽やかです。山菜の繊維は、威力があるんですね。
今は旬ですから、特に栄養とパワーに満ちているのでしょう。

宿には、剥製が何体もあり、ケースにも入れずに普通に部屋に置かれていました。
クマの剥製は、迫力があり、遠巻きにしながらじりじり近寄りました。本物ですから怖くて当然ですね。



チェックアウトをすませ、宿の人に別れを告げて、元来た道を戻ります。
この日は残念ながら、朝から雨。台風2号がとうとうやってきました。
昨日のうちに湖も橋も見られてよかったです。

またくねくねした山道カーブを延々と上り下りしていきます。
どこを向いても森の中。
秋山郷は、平家落人の里という言い伝えがありますが、「たしかに、平家の落人が今出てきてもおかしくないよね」とアビィ。まったくです。
「箱根って、サバイバルな自然の中って思っていたけれど、ものの比じゃなかったわ」と私。

地図を見ると、周囲はマムシ沢とかシジミ沢とか、とうてい人里として住所に使われないような地名ばかり。
辺境度がハンパありません。
山の向こうは、何度もスキーに行っているメジャーなリゾート地、苗場なんですけれどね。



山に沿って、法則性のないカーブをブンブン曲がっていくため、すっかり酔ってしまいました。
酔い止めは飲んでいたんですが、朝食を食べてすぐ車に乗ったので、おなかがびっくりしてしまったようです。
真剣に気持ちが悪くなり、かといって揺れが厳しくて眠れるような状態でもなかったため、ぐったり目をつぶって時をやり過ごしました。

耐えがたきを耐え、ようやく津南観光物産館に到着。
ここまで降りてきたら、もう大丈夫。体調を整えます。
朝食に出た雪割りにんじんジュースが売られていました。
建物の外には、ナタが売られていました。
「クマと格闘用剣鉈」ってー!すごい死闘の図が脳裏に浮かぶんですけど!
宿にあった、クマの剥製を思い出します。
鉈を構えているうちに、クマにがぶりとやられそうです、ブルブル。



ここからはなだらかな道になりました。
信号がようやく立ち始めて、人里に戻ってきたと感じます。
ああ、現実です(笑)

秋山郷は新潟県の津南町と長野県の栄村に広がっており、車は栄村のメインの辺りをさしかかりました。
「長野県北部地震」、「栄村大震災」などと呼ばれていますが、3月11日の東関東大震災の翌日12日に、ここ栄村を震度6強の直下型大地震が襲いました。
その被害は大きく、車道の両脇には、家が傾いたり、ブルーシートに覆われていたりと、まだ無残な爪痕の残る建物が見られます。
カメラを構えることもできず、言葉もなく、痛ましい気持ちになって見ることしかできませんでした。
職場では、頻繁に東北調査視察が行われており、戻ってくるとみんな言葉少なになっています。
はからずも、私も震災視察をしたわけです。

「帰りの道すがら、寄りたいところは?松本とか、軽井沢とか」とマロン。
アビィが「軽井沢のアウトレット!」と言い、私は「真田幸村の上田!」といい、ルートが決まりました。
大きな川が、ゆったりと流れているのを横に見ながら走ります。
道マニアのマロンが「ああ、旧道を通るんだった」と川向こうに目をやっていました。
川の名前は千曲川。新潟では信濃川なのに、長野に入ると名前が変わるそうです。
ややこしいですね。まるで嵐山の渡月橋で呼び名が変わる、保津川と桂川のようです。

この辺りでは、まだ車酔いが完全に消えていなかったため、カメラも出さずに静かにしていました。
でも、どんどん上田に近づいてきたら、胸がざわついてきます。
前々から訪れたかった上田の地に行けるなんて。
「ああ、どうしよう~心の準備ができてないー」と言ったら、「なにが?」「なんで?」と、つれない反応が飛んで来ました。
ふーんだ。歴史に特に興味がない二人には、気持ちはわかってもらえないようです。


4. 秋山郷:切明温泉

2011-05-28 | 中部(甲信越)

あとは、秋山郷の一番奥にある、この日の宿へと向かうだけ。
見倉橋のそばには「かたくりの宿」がありました。
元廃校で、マロンはここに泊まりたかったそうですが、山菜シーズンのため、満室で取れなかったとのことです。



山菜シーズンなんて、都内にいると、ついぞ聞かない響きで新鮮。
でも、外から見ても、かたくりの宿から人の気配はまったくしませんでした。
みんな、山菜摘み中かしら?それとも宿泊客はみんなゴースト…?

そこから山道に入ります。先の見えないカーブをまた延々と登っていくことに。
シルバーラインもドキドキする道でしたが、あそこはトンネル。
今度の405号は、舗装はしてあるものの、カーブの続く狭い山道なので、下手をするとカーブを切り損ねて、崖の下に転落してしまいかねないスリル満点です。
おりしもこの日、山形県米沢市で車が林道から転落したという事故を聞いたばかりなので、「新潟県でも…ってなったりしてー」と引きつりました。

もう人家などまったくないような道をどんどん登っていくのに、定期バスがやってきたりして、「えっ、すれ違えるの?」とみんなであせります。
今度は下り坂になり、集落を通り過ぎました。
そしてまた上り坂に。つまり山を一つ越えたんですね。
さらに緑は深くなり、うねうね道の途中に分かれ道が時々あると、もはやさっぱり方向感覚がなくなります。
カーナビがなければ、どうにもならなかったかもしれません。
くねくねと続く道の途中で、目指す宿の看板をようやく見つけました。
切明温泉には宿が3つだけあり、私達の宿は、一番奥の、道の最果てにありました。
そこから先は冬季閉鎖中で行き止まり。
木曽路はすべて山の中にあるみちのくだった!(もうごちゃごちゃ)

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車を降りると、そこは完全に山の中。どこを向いても、山々がそびえ立って、私達を見降ろしています。
辿り着いたのは、切明温泉「雪あかり」の宿。ここも、かたくりの宿のような、木造校舎風の建物です。
かわいいネコのトラ吉くんが、お出迎えしてくれました。
とても人懐こくて、首の鈴をチリチリ鳴らして寄ってきます。みんなでなごみました。




荷物を置いてから、建物の外を散策しました。
迫りくる迫力の山々を見上げ、人の手の入っていない雄大な大自然と、その中にいる自分の小ささを感じます。
宿の前は深い渓谷。下は川が流れており、滝が見えます。
ここは温泉が湧き出ており、河原では石を動かして自然の露天風呂が作れるそうです。
そんな場所ってあるんですね。



振り返って、宿の建物を見ると、外についたてが何枚か並べられた場所がありました。
ん?あそこは、もしかして・・・。
「宿の露天風呂、なーんてことないよね」と言いながら、ちょっと近寄ってみたら、ついたての間から、思いっきりお湯につかっているおじ様が見えて、慌ててきびすを返しました。
まさかの露天風呂だったー!あって無きに等しいついたてしかないから、宿の前の道から見えてしまうなんて、なんというゆるさでしょう!
まあ、この辺りにいる人間は、この宿の人だけなんでしょうけれど。



宿に戻ってから、人がいないのを確かめ、露天風呂を見学しに行きました。
母屋から外に出て、建物の下を20mほど歩くと、脱衣所と露天風呂があります。
建物に近いし、ついたては隙間だらけだし、どうも落ち着かなさそう。
まあ、河原には大自然露天風呂があるくらいですから、小さなことは気にしないべきなんでしょうけれど、今まで知っているのは、完全に外からは見られないようになっている造りばかりだったので、ちょっとカルチャーショックでした。



そうこうしているうちに、夕食の時間になり、高天井の食堂へと向かいました。
テーブルは全部で5つ。5組が滞在しています。
親子づれ5人家族に年配のご夫婦二組、そして私達に男性一名。
こんな人里離れた、寂しい場所まで一人でやってきたなんて、それだけでも根性あるなあと思いました。

食事をのせる紙には、「ようこそお越し下さいました」と、手書きで書いてありました。みんなそれぞれ違うメッセージです。
宿の人の暖かい心配りを感じました。
箸袋には「秘境秋山郷 切明温泉秘湯の宿 雪あかり」と書いてありました。
秘境で秘湯。抵抗なく認めます。まさにその通りの場所です。
ここは、日本秘湯を守る会の会員だそうです。そんな会があるんですね。



夕食は、山菜づくし。緑が多くて見るからに健康そうです。
山菜狩りでの取れたてのものを食べられるなんて、嬉しい。焼いた岩魚も出てきました。
宿の人が目の前で山菜を天ぷらに揚げてくれて、カラッと揚げて数秒後のものをいただきました。
うどとか、山ニンジンの葉とか、ふきのとうとか、どれもおいしいものばかり。
山菜メインですから、そんなにおなかにたまらないはずなのに、途中で満腹になり、食べきれませんでした。



温泉は、かすかに硫黄のにおいがしました。ナトリウム・カルシウム-塩化物・硫酸塩泉とのこと。
温泉には詳しくありませんが、柔らかい感じがしました。
夜になると山の中は冷え込むため、じっくり温まりました。

大都会から、一気に秘境に入り、秘湯を堪能した一日。
すべてが刺激的でした。


3. 秋山郷:見倉橋

2011-05-28 | 中部(甲信越)

車は南魚沼市を抜けて、一路十日町へと向かいます。
普通の、人の住む界隈に戻ってきて、安心したら、おなかがすいてきました。
地元出身のマロンが案内してくれた、そば屋らしい趣のある小嶋屋和亭
ここで、名物へぎそばと、まいたけの天ぷらを食べました。



へぎそばは、都内で食べたことなら何度かありますが、本場のものはこれが初めて。
見るからにつやつやとした、おいしそうなそばが、きちんと並べられて運ばれてきました。
芸術的ー。これは川の流れを表しているのかな?
あまり深く考えずに、みんなでつるつるといただきました。
コシもあって、普通のそばよりも食べがいがありました。

まいたけの天ぷらもとってもおいしかったです。今、季節ですからね。
「舞茸って、英語だとダンシング・マッシュルームになるのかな」とつぶやきましたが、二人にさっくりスルーされました。

おなかがいっぱいになり、また私が運転を交代しました。
南魚沼市も十日町も、広々としてゆったりした光景が広がっています。
冬には雪が積もって道路が狭まるため、適度なゆとりが必要なんでしょう。
あちこちに水田があり、田植えをしている人々をよく見かけました。
これが秋には、黄金色の稲穂になって輝くんですね。
水の張った水田がそこかしこに見られ、とても目に美しく、潤いを感じます。
みずみずしい瑞穂の国日本を、改めて実感しました。

でも、ハンドルを握っている間は、そんな余裕もなく、無我夢中で町を抜けて行きます。
道に詳しい人間ナビがいてくれて、とても心強かったです。
運転に必死で、会話もろくにできず、時間間隔もとんでしまっていますが、いつしかどんどん道は細く狭くなってきました。
今、向かっているのは見倉橋
ここは、橋好きの私のリクエストです。
4月に観た映画『ゆれる』にとても印象的な吊り橋が登場し、どこにあるのか調べたら、新潟の見倉橋だとわかったため、いつか行きたいと思っていたのでした。
そんな自分の希望が叶ったのは嬉しいことですが、あの橋はよっぽど山の中にある雰囲気で…まさかそこまで私が運転するの?と焦りながら、ぎくしゃくと車を動かしていきました。

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おっかなびっくり、ようやく着いた橋の駐車場。
狭いスペースになんとか駐車できて、ぐったり。
橋は目の前にはなく、沢の方へとどんどん降りて行きました。
細い急な山道の階段を降りながら「こんな道を映画クルーが機材を抱えて上り下りしたなんて、大変だったねー」「オダギリジョーも通ったなんてね」「真木よう子もね」とみんなで言いました。



しばらく歩き、ようやく橋の前に辿り着いた時には、3人とも、声が出ませんでした。
ごうごうとうなりをあげ、しぶきを散らして流れゆく中津川渓谷の急流。
その上に心もとなくかかっているのは、古風な木製のつり橋。
それが、見倉橋でした。
観光のためではなく、生活のためにかかっている長さ30mほどの吊り橋。橋の向こうには見倉集落があります。
なのに、絵に書かれたような非日常感が漂っています。



観光客はちらほら来る程度のようで、私達のほかに、男性二人組がいました。
重量制限は500kgまで。大人は7人までしか乗れません。
あまりの野生度の高さに圧倒され、下を流れる川の激流に言葉を失いました。

高いところも橋も好きな私ですが、目の前の迫力と映画の印象に立ちすくみます。
でも、アビィとマロンはどんどん渡り始めたので、意を決してついていきました。
川のごう音はこやみなく続き、橋の上ではなかなか会話もままなりません。
人と話をするような心の余裕もないのですが。
幅1m弱ほどの橋の床板は、しっかり固定されているわけではなく、踏んだ反動で時々ぐらぐらするため、ひやっとします。



そこにいた人はみんなスリムだったし、一度に橋を渡ったわけではなかったので、橋が落ちる心配は全くしませんでした。
映画で感じたよりも、高い橋ではなかったし。
だからこそ、荒れる水面に近く、川床からはごつごつした大きな岩肌が見えるため、本能的恐怖に肌が粟立ちます。
そして、本当に、ゆれる、ゆれる。
「吊り橋効果」の意味を体感しました。
足元から根こそぎ揺らぐことの、不安と混乱。
ここから人が落ちて命を失った(殺されたのかも)という映画のストーリーを思い出すと、なおさら足がすくみます。


(アビィ撮影)



でも、周りは眩しいほどの新緑。
恐怖心を飛ばしてしまうほど美しい自然の絶景に、見惚れるばかりでした。
ごうごうという川音に包まれ、橋のところでは、3人ともほとんど会話を交わしませんでした。
言葉を奪うほどの、自然の美しさと怖さを、それぞれに噛み締めていました。



お喋りの絶えない私たちでしたが、駐車場まで登って来た時には、言葉もなく、めいめいがしばらく黙ったままでした。
今見てきた橋があまりにも鮮烈で、どう言ったら今の気持ちを伝えられるのか、わかりません。
それでも「すごくよかったね」という素直な気持ちは、たどたどしくも伝え合いました。