風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

東京古墳巡り・古墳祭り index

2020-02-06 | 東京
[2019.10.20]
 
◆ 多摩川 1 ←旅行記へ
 多摩川沿いを歩きながら、古墳を巡りました。
 オリエンテーリング気分で周り、ゴールは古墳祭りの真っ最中。
 長イモとどんぐりの古代汁をいただきました。
  ● prologue ● 多摩川台公園 ● 台風の爪痕
  ● 古墳展示室 ● 大きさ比べ ● 古墳オリエンテーリング
  ● 川沿いの肥沃な大地 ● 住宅地の古墳巡り ● 大使公邸
  ● 宇佐神社 ● ポルシェだらけ ● 等々力不動尊
  ● 等々力渓谷 ● 野毛大古墳 ● 古墳祭りとまりこふん
  ● じゃんけん大会 ● 模型が当たる ● どんぐり味の古代汁
  ● 行きのルート

 
◆ 多摩川 2 
 専門ガイドに連れられて、近くの古墳を巡ります。
 その時代に、奈良まで行って帰ってきた人がいたなんて。
 一日かけて古墳にひたり、時代を超えた旅ができました。
  ● 古墳ガイドツアー ● 野毛大塚古墳 ● 等々力渓谷横穴群
  ● 古墳の上の家 ● 大和に行った人がいた ● 御嶽山古墳
  ● 国分寺崖線 ● 狐塚古墳 ● その後の災難
  ● 荏原台古墳群 ● 参加者のコメント ● 私の質問
  ● 現地解散 ● 東京都市大学 ● 変わり果てた多摩川土手
  ● 多摩川浅間神社 ● 丸子橋を渡る ● 夕方ランチ
  ● 天馬カレー ● epilogue

 

 

東京古墳巡り・古墳祭り 2

2020-02-06 | 東京

その1からの続きです。

● 古墳ガイドツアー

古代汁を食べ終わったところに、「古墳ガイドツアー希望の方は本部に集まってください」とのアナウンスがかかりました。

「気になるね!」と、さっそく参加してみることに。
予想外のいろいろなことが、とんとん拍子に進んでいきます。
「私たちって、すごく日頃の行いがいいのかも!」と、謎の自己肯定感に浸りました。

古墳ガイドツアー希望者は結構多く、30~40人ほど集まりました。
案内人は、世田谷区の古墳専門の学芸員さん。古墳のエキスパートと聞いて、ワクワクします。

● 野毛大塚古墳


まずは、この会場となっている「野毛大塚古墳」。
全長82メートル、直径66メートルの、帆立貝式前方後円墳です。
再び、高さ11メートルの円墳に上がりました。
結構足が億劫になってきています。

「王の棺」と呼ばれる箱型石棺がどのように埋蔵されていたかが、絵で表示されていました。


古墳時代のヤマト王権の首長は、「大王(おおきみ)」や「王」と呼ばれていました。
ガイドさんは「王」という呼び方をしますが、首長と呼ぶ人もいるそうです。(どちらも正解)

当時、日本では鉄がとれず、朝鮮半島から延べ棒を輸入していました。
国内の鉄は、全て大和朝廷が握っており、朝廷と関係がないともらえませんでした。
この辺りの古墳の埋蔵品に鉄製のものが出ているため、当時から遠い奈良の都との関連性があったことが証明されています。

● 等々力渓谷横穴群

次に、野毛大塚古墳のある公園から、行きに通ってきた道を戻ります。

隣の空き地は、元都営住宅跡地で、そのうち公園に整備され、古墳の資料館を作るかもしれないとのこと。楽しみです。

等々力渓谷に入りました。
ここで横穴墓が6基以上発掘され、「等々力渓谷横穴群」と呼ばれています。
そのひとつ、3号横穴を見学しました。

横穴群は古墳とは違います。
古墳は墳丘を持ちますが、横穴墓は持ちません。
ただ、広い意味ではどちらも古墳とされます。

 


3号横穴は、古墳時代後期(7世紀) のもの。
昭和48年に発掘され、ガイドさんも当時のクルーに加わっていたと、思い入れ熱く語っていただきました。
実際にここを掘ったご本人に解説してもらえるなんて、なんて贅沢!
崖に全長13メートルの横穴が掘られた形で、中を覗いてみましたが、今は石が積んであるだけ。

墓室には、この地域の有力な農民とされる人骨が3体以上埋葬されており、静岡産の土器や耳環(イヤリング)なども副葬されていたそうです。

● 古墳の上の家

発掘調査後の昭和50年には東京都指定史跡になりましたが、その後、遺跡の上にマンションが建ったため、もうこれ以上の発掘調査はできないとのことです。
先ほど、田園調布の豪邸エリアを通りながら、(あれ、ここに古墳があったはずなのに)とあちこちで思いました。
今の世は、古墳の上に普通に家が建てられるんですね。

考古学的には(本当にそれでいいの?)と思いますが、古墳は水害の起こらない、水はけのいい場所に作られるもの。
その条件は、たしかに人が家を建てたい場所と共通します。
土地が少ない日本では、古代の話なんてしていられないのでしょうか?
うーん、建築関係の人に、今度聞いてみたいものです。

● 大和に行った人がいた

古墳時代末期から奈良時代にかけて作られたとされる横穴は1号から3号まで発掘されましたが、1号横穴と2号横穴は、石碑しか立っていません。
2号横穴からは、大和(奈良)で使われていた土師器が出土しており、葬られた人物は、都(平城京)まで遥役(ようえき)で働きに行き、そこから持ち帰ったとされています。
そんな昔に、東京から奈良まで、徒歩で行って帰ってくるなんて、命を懸けた大きな旅だったでしょうね。
「防人歌」を思い出しました。

● 御嶽山古墳

等々力渓谷を抜けて、等々力不動尊明王院の通り向こうに渡りました。
小高い緑地が、次に訪れる「御嶽山古墳」。
等々力不動尊の管理下にあり、普通は入れないところです。 

うっそうとしている小藪の中の細道を通っていきます。
大型台風以降、初めて人が入るそうで、倒れている石仏もありました。

「実際、ほとんどの古墳はこんな状態です。人が手を入れないと、すぐに荒れてしまうんですよ」とガイドさん。
定期的に管理していかないと、古い古墳は、藪の中に埋もれて、所在さえわからなくなってしまうんですね。

「ふむふむ、なるほど」と重々しくうなずいて話を聞いていましたが、ヤブ蚊の攻撃を手足に受けて、痒さにもだえる私たち。

 

小高い丘の一番上には、蔵王大権現が彫られた石絵がありました。
今ではこの場所は、等々力不動尊の僧侶たちの修行場となっているそうです。

● 国分寺崖線

ここを出てからは、一般住宅エリアの道を通っていきますが、坂を上ったり下りたり、けっこうなアップダウン。
国分寺崖線がここまで続いているそうです。
国分寺崖線とは、多摩川が流れる過程で武蔵野台地を削り取ってできた、河岸段丘の連なり。
立川市から大田区まで約30キロメートルに広がる、武蔵野の代表的な地形です。
以前、国分寺市恋ヶ窪の辺りを崖線にそって散策しましたし、二子玉川にある静嘉堂文庫でも見たことがあります。

● 狐塚古墳

最後に訪れたのは、「狐塚古墳」。
塚と古墳という、お墓を意味する言葉がダブルで入っていますが、狐のお墓ではありません。
この場所に稲荷神社があり、狐も住んでいたからそう名付けられたそうです。

 

周りよりも小高い盛り土になっている墳丘は、ランドマークの役割を果たします。
そのため、戦時中にはサーチライト部隊により大砲が据え置かれたそう。
その後、昭和初期の土地区画整理によって、古墳の一部を削り取られました。
上の画像ではみ出た部分です。

● その後の災難

かつての立派なお墓も、時代を経て、結構さんざんな目に合ってきているんですね。
私たちは決してお墓を雑に扱う国民ではないと思いますが、後世の事情を最優先されて、古墳は削られてしまっていることに、心が痛みます。

 

発掘調査が行われた古墳の中に、もう人は埋葬されていません。
「かつてのお墓」というのが正しいのですが、それはもうお墓と見るものではないのでしょうか。
そして、遺跡として保存されるには、何かが足りないのでしょうか?

まあ、完全形ではないにせよ、こうして保存されているのは、まだいい方です。
人家の下に埋もれてしまった古墳がたくさんあることを、私は知っています。
この辺りには、古墳がたくさんあるので、その全てを保存してはいられないのでしょうね。
どこかで線引きをして、今の時代の生活を優先しているのだと思います。

● 荏原台古墳群

多摩川流域、国分寺崖線のエリアは広く、この辺り一帯は「荏原台(えばらだい)古墳群」と呼ばれています。
エジプト・ナイル川には「王家の谷」、東京・多摩川には「王家の丘」があるわけですね。
私たちがスタートした多摩川駅の辺りからずっと続いていますが、多摩川駅のある大田区の方は「田園調布古墳群(1650年ほど前)」、こちら側の世田谷区の方は「野毛古墳群(1600年~1500年ほど前)」と、分けられます。
つまりこういうことです。

  荏原台古墳群=田園調布古墳群(大田区)+野毛古墳群(世田谷区)

私たちは、午前中は田園調布古墳群、そして午後は野毛古墳群と、この日は荏原台古墳群をつぶさに巡っています。

しかし今回ガイドしてもらえるのは、この狐塚古墳まで。
ガイドさんは世田谷区の職員なので、ここから先の大田区は、管轄外になるのですね。
今の行政区画がうらめしいわ~。

ガイドしてもらった野毛古墳群の3つの古墳は、巡った順に古いものから新しいものになっています。
直径は、野毛大塚古墳82メートル、御嶽山古墳57メートル、狐塚古墳30メートル。
どんどん小さくなっているのは、時代とともに大王(おおきみ)の力が落ちたことを表しています。

● 参加者のコメント

最後に、参加者からの質疑応答コメントタイムになりました。
「野毛大塚古墳の隣に資料館ができるなら、大田区のよりいいものを作ってください!」
おお、ライバル心がめらめらと。

そもそも、バブル期にすでに展示室を作る計画があったそうですが、バブルが弾けたために中止となり、それきりだったのだそう。
古墳ファンは、ずっと待っていたんでしょうね。

ガイドさんは「あの古墳資料館(最初に見学した多摩川台公園古墳展示室です)は、もうできてから30年たつので、解説内容がけっこう古くなっているんです」と教えてくれました。
(古い古墳のことだから、いいんじゃない?)と思いますが、30年間で古墳の研究はかなり進み、新説や新発見も出ているのだそう。
なるほど~。古墳の世界も、日進月歩で解明されつつあるんですね。

● 私の質問

私は、「古墳があった場所に"元古墳"の表示板などは立てないんですか?」と質問しました。
先ほど、住宅地を巡った時に、何も手掛かりがなくて、かなり苦戦したからです。
するとガイドさんは「個人情報の問題などがいろいろあって、立てられないんです」と教えてくれました。
そうなんだ~。古墳のプライベート情報?
いえいえ、今そこに住んでる人の方ですね。

今の文化財保護法は弱く、指定されていないと、私有財産の方が価値が高いのだそうです。
うーむ、「現在」に「過去」をどう据え置くか、という話になりますね。
もちろん、「現在」が最重要ではありますが、「過去」なくして「現在」は成り立たない、と歴史好きは思うのですが・・・
いろいろな大人の事情があるんでしょうね。

住居を建てる際に、土台を削るため、上に個人宅が建った古墳は、もう削られてしまって見られないのだそう。
古墳としての価値は消滅したということかも。

また、公園は2方向が道路に面していないと整備できないということで、狐塚古墳は古墳を切り崩して公園にしたそうです。
古墳の形をそのまま保存するには、住宅街の中、そこだけ道路がゆがんでしまうためなのでしょう。やはり現在優先の措置ですね。
日本は土地が少ないから、仕方がないのかな・・・。

● 現地解散

ここで現地解散となりました。
うーん、ためになったなあ。2時間プロにじっくりとガイドしてもらい、とても詳しくなれた気分です。

時間は15時半になっていました。
「お昼まだ食べてないね」「おなかすいたね…」
もうおなかはクークーです。

とはいえ、住宅街のど真ん中での解散になったため、辺りにお店はありません。
そして、これから通っていく道にも、お店がある気配はありません。
しかたありませんが、休憩なしのまま、進み続けます。

● 東京都市大学

ほかの参加者たちが、野毛の古墳の方へ戻ったり、最寄りの尾山台駅の方へ向かう中、私たちだけ別方向の、多摩川に向かう下り坂を降りていきました。

途中で、東京都市大学世田谷キャンパスの前を通りました。


都市大学(通常時)

「都市大学と都立大学って、別なのね」
「なんか間違えちゃいそうね」
と言いながら前を通りましたが、とても閑散としています。
休日なので人がいないにしても、すべての機能が停まっているような雰囲気です。


浸水した都市大学(台風直後)

あとになって、このキャンパスは一週間前の台風による多摩川の増水で、一階と地下階が冠水し、全館停電したと知りました。Wi-Fiも電話も使えないとのこと。
大学内のPCサーバが浸水でダウンし、全面復旧を強いられているものの、今なお見通しが立っていないそうです。

通った時には水は引いていましたが、人の気配が完全になかったのは、そのためだったんですね。
地下階は図書館だそうです。なんて大変なことに・・・。
(図書館は、2020.2.6現在、閉館中です)

● 変わり果てた多摩川土手

行きは山の手の田園調布住宅地を抜けていきましたが、帰りは道を変えて多摩川の土手を超え、川沿いの遊歩道を通っていきます。

 

土手まで来ると、かつて見たこともない光景が広がっていました。
水につかった場所のすさまじい変わりように、驚きました。

普段は散歩やランニングをする人々が行き交う、気持ちの良い遊歩道が、歩きづらい、ぬかるんだ泥と化しています。

見渡す限り、誰もいません。
そこにいる生物は、水たまりにいるカラスとスズメだけ。

流れのはきだまりのようなところには、林を伐採したのかというほどの木の枝がうず高くたまっています。

枝溜まりの場所にはたくさんのペットボトルやクーラーボックスなどが引っ掛かっていました。

テニスコートのネットはビリビリに破け、流れてきた木の枝が引っかかっています。
サッカーゴールもひっくり返っています。

殺伐とした光景。ディストピア。

長らく地下で暮らし、地表に出たら核戦争終了後で人々は死に絶え、自分たちしか生き残っていなかった世界みたい。

荒れた景色と川の向こうに、小杉のタワマン群が見えるのが、『猿の惑星』のようでまたシュールです。

災害後、なによりもまず最優先すべきなのは、人の生活の安定。
優先度が低い多摩川の川沿いは、しばらくはこのままなのでしょう。

変わり果てた光景に圧倒され、衝撃的な光景に言葉を失いながら、そのまま川沿いを進んでいこうとしましたが、どんどんぬかるみが深くなっていきます。
途中で通行止めの黄色いテープが張られていたため、戻って多摩川駅前に戻り、そこから多摩川浅間神社へ向かいました。

● 多摩川浅間神社

源頼朝の妻、北条政子ゆかりの神社。
神社で参拝をしてから、見晴らし台に向かいました。


富士山が臨める見晴らし台には、遥拝するための水晶玉がありますが、この日は雲が多めで、霊峰の姿は見えませんでした。


多摩川と、川向こうの武蔵小杉を見下ろします。
ここは映画『シン・ゴジラ』で、斉藤工演じる自衛隊長が殉職をした場所のロケ地です。

 

野毛大古墳を出発してから、ろくに休憩もないままここまで歩きっぱなし。
休憩する場所がなかったためですが、もはや足の感覚が無くなってきています。

多摩川駅前はお店が少ないため、もうひと頑張りして、ふた駅先の武蔵小杉まで行ってみることにしました。

● 丸子橋を渡る

 

多摩川にかかる丸子橋を渡ります。
川の真ん中が県境。東京から川崎に入りました。

新丸子駅前に着き、そこからもうひと駅先の小杉へ。
着いた時には、もう4時半になってました。

● 夕方ランチ

「いい加減、ランチを食べよう!!!」


野毛大古墳でもらった「等々力カレーフェスティバル2019~古墳と渓谷~」のチラシを取り出します。
”カレー屋さんが一軒もない街で開催される、世界初のカレーフェスティバル"との触れ込みでしたが、今回のルートと逆方向だったので、あきらめたものです。

眺めていると、なんだかとってもカレーな気分になってきました。
武蔵小杉には飲食店がたくさんあり、その中でもカレー店に的を絞りました。

● 天馬カレー

向かったのが、東急スクエア内にある「咖喱&カレーパン 天馬」 
出店したばかりのお店です。


テイクアウトコーナーには、カレーコロッケ目当ての人たちの長蛇の列ができていました。
半端すぎる時間なので、レストランの方は並ばずにすんなり入れます。

メニューをチェック。普段なら、野菜カレー的なちょっとヘルシーなものも考えたりしますが、今や飢えたケモノと化した私たちは、迷わずカツカレーをチョイス。
揚げたてサクサクのぶ厚いカツが載ってきました。
カレー屋さんのカレーは、コクが深くておいしかったです!

 

万歩計は2万7千歩をカウント。
家に帰ると3万歩を越えます。さすがに脚がくたびれました。

10月とはいえ、汗ばむような暑い日で、行きも帰りも暑さを耐えながら歩いていました。
食事が終わったら、川崎側からの多摩川の様子を見ようかと話していましたが、ここまで長く歩きすぎたせいか、座って休憩したら、すっかり身体が休みたいモードになってしまいました。

この日は充分、散策しましたからね。
もうすぐ暗くなるので、今回はここで解散することに。
また会おうね~!!

● epilogue


帰りのルート

大型台風の爪痕は深く、当日までなにかとせわしなかった今回は、事前のプランニングがほぼできませんでした。
ただこの日、偶然開催されていた古墳祭りに参加できて、終わってみれば、本当に古墳づくしの一日になりました。

また思ったよりも、多摩川流域の台風の被害が大きく、自然の爪痕を目の当たりにして愕然としました。
一日も早く、人々が元通りの暮らしを送れるようになればいいと思います。

一日で集中して、古墳巡りができたのは、とても楽しくためになりました。
徳川家康が江戸をもらうまでは、関東はずっとなにもない暗黒時代だったようなイメージがありますが、太古の昔の古墳時代には、大きなドラマがあったのでしょう。
古墳にコーフン協会に入会しようかしら~?


東京古墳巡り・古墳祭り 1

2020-02-05 | 東京

● prologue

暑い長い夏が過ぎ、ようやく秋めいてきました。
2月に鎌倉をハイキングしたユーミチカと、「涼しくなったらまた散策しよう」と約束しています。

ところが、10月上旬に関東地方に猛威を振るった大型台風15号と19号の爪痕は深く、東京も神奈川もまだ落ち着いていません。
ひどい被害状況を連日TVで見るたびに、心がふさがれてしまいます。

ただ、こういう時は、動ける人が動くべき。
自分たちの元気づけのためにも、またなにかテーマを決めて、ユーミチカと散策することにしました。

考えた3つのプランから、選んでもらうことにすると
「多摩川沿いに古墳があるのね。古墳の町で生まれ育った私としては気になります」との返事。

そういえば、彼女は大阪の羽曳野市出身。
そこって、仁徳天皇陵の次に大きな、応神天皇陵がある場所でしたね。

関東で大きな古墳といったら、埼玉にある「さきたま古墳」でしょうか。
それでも、大阪のレベルには到底及びません。

てことは・・・私と彼女のイメージする古墳って、ぜんぜん規模が違っているのかも!
当日になって(こんなの古墳じゃない!)とわあわあ泣くか怒るかされないためにも、関東のはプチサイズだと、あらかじめ伝えておかなくては。

「大阪と比べたら、こっちの古墳はとーっても小さくて、言うならばハムスター小屋レベルなんだけど、それでもいい?」
「いいよー、ハムスター小屋、気になる~♬」
ハムスターが定着しちゃった!私のせいか!

というわけで、この日は古墳巡りをすることになりました。

● 多摩川台公園

当日は、東急東横線・多摩川駅前で待ち合わせ。
先に来ていた彼女が「これ気になる~」と指さしたのは、インターナショナルプリスクールのポスター。
”英語で非認知能力を伸ばす”と書かれていました。
変わった体験ができるんでしょうね。

● 多摩川台公園

さっそく、駅からすぐの多摩川台公園に向かいます。
多摩川沿いの小高い丘陵に作られた、細長い敷地。
水色が多摩川で、赤で丸囲みしてあるところが、古墳です。
オレンジ色の部分が、古墳展示室のある場所です。


● 台風の爪痕

細く長い階段を上りきると、眼下には多摩川の景色が広がります。
普段はとてもいい見晴らしが臨めますが、辺りの変わり果てた景色に、絶句しました。
いつもきれいにならされて、ラクロスの試合などが行われている対岸のグラウンドは、無残にも荒れ果てています。
倒木や流木が、層をなして折り重なり、まだ手が付けられていない状態のままでした。

● 古墳展示室

気を取り直して、古墳展示室へ向かいます。
区の施設ですが、日曜日でも開いてくれています。

室内に入ると、薄暗くて説明の文字さえ読めません。
照明が故障したのかな?
担当者に尋ねると「朝、昼、夜バージョンがあるので、朝になるまで待ってくださいね。夜がけっこう長いんですよ」とのこと。
ダークな中でしばらく待ちましたが、確かになかなか明るくなりません。
古墳時代って暗黒時代だったの?

ようやく明るくなり、古墳の外観が見られるようになりました。
古墳に模した部屋に入ると、中は明るく、勾玉や銅剣などの出土品が展示されています。

古墳は偉い人のお墓。
棺の中には、古代衣装姿の部族のリーダー(人形)が横たわっています。

出土品は5~6世紀くらいのもの。今は21世紀ですよね。
よくこうして、当時のままの形が残されているなあと思います。

● 大きさ比べ

日本の古墳の説明パネルがありました。
5世紀は、前方後円墳の時代。有名な古墳の模型があり、大きさの比率がわかるようになっています。
左上が、世界最大級の仁徳天皇陵。真ん中が、二番目に大きな応神天皇陵。
ユーミチカの故郷にある古墳です。

その下にあるのが、4世紀後半に作られた、ここにある亀甲山古墳。
この展示館のすぐ横にありますが、辺り一帯が立ち入り禁止区域になっており、全貌はよくわかりません。



多摩川台古墳群の中では一番ビッグな亀甲山古墳も、浪速のチャンピオンと比べると、吹けば飛んでしまいそうなくらいの小ささ。
関東の豪族もがんばりましたが、古代大和朝廷の大王(おおきみ)パワーにはとてもかないませんね。

● 古墳オリエンテーリング

資料室で古墳時代や多摩川台古墳のお勉強をしたあとは、外に出て、さっそく古墳巡りを始めます。

これは私が持参した地図帳。
黄色いマーカー部分が古墳。小さいながら、この辺り一帯にたくさん点在しています。
資料室は、地図右下の辺り。ここから左上の方へ歩いていきます。

「ハイ、さっそく第1号墳がありました。ここですよー」
と紹介しても、見た感じまったくわかりません。
看板がないと、シロウト目には単なる茂みにしか見えません。

10mほど歩くと、第2号墳の看板が立っています。
その先には、第3号墳が…。

ユーミチカは「えー・・・」とコメントに困っています。
大阪のビッグな古墳とは、あまりにも違いすぎて、面食らっているようです。
彼女だけでなく、ここに古墳ツアーに連れてきた人は、みんなそういう反応。
(今までも何人も連れてきている私!古墳いいよね!)

 

古墳マニアにはたまらない、古墳群マップ。
多摩川沿いの小高い丘に、古墳が仲良く連なっています。
それを、看板を見ながら「はい5番があった~、お次は6番~!」と見つけていく、オリエンテーリング状態です。

● 川沿いの肥沃な大地

古墳の反対側には、田園調布の豪邸群が並んでいます。
リッチな人たちが川沿いの丘に好んで集まるというのは、古代も現代も変わりないようです。

子どもたちの遊び場も、どことなくパリのリュクサンブール公園みたいに見えてくるのが不思議。

● 住宅地の古墳巡り

少し離れた場所にある8号墳からは、公園を抜けて住宅地に入ります。
持参した古墳の場所が書かれた地図を見ながら、古墳に沿って進んでみるつもり。

でも、早々に迷ってしまいました。
「こっち?あれ、こっちかな?」
住宅街は細道が入り組んでおり、地図と照合しづらくて、うろうろ。
丘の下まで降りてしまって、また坂を上ったりします。

 
イメージ画像

(この場所で間違いない)と思っても、そういった表示がない高級住宅街では、確証がおけません。
「この辺りに古墳があったと思うけど、今はもう家しかないね」
ため息をついて、豪邸を見上げます。

ここに住んでいる人たちは、古墳の上に家が建っていると知っているのでしょうか?
建設会社や不動産屋さんは、そういう情報を伝えるのでしょうか?
古墳の情報なんて古代の話すぎて、業者は取り扱わないのでしょうか?
いろいろと疑問が出てきます。

● クウェート大使公邸

丘を上り下りしながら、きょろきょろ手がかりを探していると、「建築計画のお知らせ」の表示を見つけました。
今度、ここにクウェート大使公邸が建設されるそうです。
建築主には、大使の名前が書かれています。


邸宅が完成したら、大使は田園調布から三田のクウェート公館に向かうんですね。
もしかすると、大使公邸も古墳の上に建つのかも。
大使は日本のことに詳しい方だと思いますが、古墳のことはご存知かしら?

高級住宅地が立ち並ぶ界隈ですが、古墳のよすがは全く見つけられないまま。
単に豪邸を眺めて歩く、おのぼりさん状態になっています。
どこを見てもゴージャスで、目の保養にはなりますけどね!
この日の私たちの目は、今ではなく過去に向いているのです~。
いくら歩いても、手掛かりはどこにも残っていないので、高級住宅地の辺りはあきらめて、先に進むことにします。

けっこうな坂を上ったり下りたり

● 宇佐神社

田園調布エリアを東に向かって、宇佐神社に着きました。

この神社の裏に八幡塚古墳があります。
残念ながら、立ち入り禁止になっていました。

立ち入り禁止になっている古墳は、調査中なのか未整備なのかわかりませんが、深入りはしません。
昔々の話とはいえ、偉~い人のお墓ですからね。
「寝る子を起こすな!」ということです。

● ポルシェだらけ

神社の前の道を西にまっすぐ進むと、ポルシェしか停まってないパーキングがありました。
えー、すごい。おハイソな田園調布の底力!



● 等々力不動尊

等々力不動尊では、新郎新婦が結婚の記念写真を撮影していました。
どうぞお幸せに!

 

ここは気持ちのいい場所。参拝して、境内で少しのんびりします。
途中休憩もとらずにずっと歩き通しで来ているので、ちょっと足がだるくなってきているところ。

● 等々力渓谷

滑らないよう気をつけながら石段を降り、等々力渓谷を散策しました。
夏でも涼しいこの渓谷は、いつ来ても空気がひんやりしています。

渓谷の遊歩道を少し歩いてから、再び階段を上がり、立ち入り禁止の空き地を大回りして、野毛大古墳に向かいました。

● 野毛大古墳

この日の往路のゴールに着きました。
多摩川駅からここまでずっと、あるのかないのかはっきりしないような古墳(失礼な!)を巡ってきました。
そろそろ大きなモノを見せないと、応神天皇陵を見て育った友人に申しわけが立ちません。

すると、入り口に「第12回 野毛古墳まつり」の看板がかかっているのを発見!


なんと、この日はちょうど、この古墳で年に一度行われるお祭りの日でした。
去年チェックしていたのに行けなかったイベントで、今年に至ってはすっかり忘れていました。
私たちの古墳巡りデーに合わせたかのような偶然。
なんてラッキーなんでしょう!

● 古墳祭りとまりこふん

古墳の前で、誰かが歌を熱唱中でした。
あの見慣れた古代衣装は、もしや…

古墳研究家シンガーのまりこふんさんではありませんか!
これまた、なんて偶然!

古墳を愛するまりこふんさんとは、共通の知人を介してこれまでに何度かお会いしたことがあり、SNSでもつながっています。

ゆる~い感じに、観客もいます。
のどかなフェスみたいで、いいですね~。

大会の主催者も、大和朝廷の格好でご登場。
髪型もしっかりと、みずらスタイルです。

 

2人のトークを聞きながら、こんもりとした野毛大塚古墳の上に上がり、ステージを上から見下ろしました。

● じゃんけん大会

歌が終わり、じゃんけん大会を始めると聞いたので、大急ぎで下に降りて参加しました。
じゃんけんは、何回か行われ、勝ち抜いた人は古墳クッションなどをもらっています。
前方後円墳の形をした古墳クッション、いいなあ。
何度挑戦しても、途中で負けてしまう私の横で、ユーミチカはするすると勝ち続け、なんと優勝しました。
おめでとう!何が当たったの?

● 模型が当たる

当たったのは、古墳の模型でした。え~、レア!
見慣れればかわいらしい、家形石棺。
岡山にある「金子石塔塚古墳(かなごせきとうづかこふん)」だそうです。

ユーミチカは、「これはどうすればいいんだろう?」と、普段なかなか見ない、微妙な表情を浮かべていました。
まりこふんさん、「こんなの、欲しい人いるのかな?」と前に笑っていましたが、好きな人にはたまらないもの・・・でしょうね、たぶん!

● どんぐり味の古代汁

会場で、「古代食を食べてみませんか?」と声を掛けられました。
古代の人が食べていたものといったら、木の実くらいしか思いつきません。
大鍋からよそってもらったのは、長いも汁でした。

とろみがあり、どんぐりの味がして、おいしかったです。
「これを入れた方が、うまみが出ますよ」と、塩昆布を入れてもらいます。
確かに味がしまりました。

隣には、まりこふんさんが所属する「古墳にコーフン協会」のテントがあり、会長がいました。
会長ともSNSで繋がっていますが、"古墳ハンコ押しまくりイベント"として、参加者にハンコの使い方をレクチャーするのに忙しそうだったので、声はかけずにおきました。

● 行きのルート

ここまで歩いたのは、こんなルートです。
右下の多摩川駅から始まり、多摩川台古墳群を抜けて田園調布の豪邸を通り、等々力渓谷の先にある野毛大古墳へ。
電車だと、東横線の多摩川駅から東急大井町線の等々力駅に移動したことになります。
豪邸の辺りは、迷いながら探しながらだったので、もっとクネクネ動いていましたが、だいたいこんなルートでした。
通ったエリア一帯が、古墳群です。


その2に続きます。


大井町せんべろナイト第2弾~スイートリベンジ index

2019-07-17 | 東京
[2019.5.16]
◆  大井町 1-1 ←旅行記へ
 3月のせんべろナイトに続く第二弾を決行しました。
 目的は、前回入れなかったお店への再チャレンジ。
 白いオウムに会ったのち、着々と攻略していきました。
  ● prologue ● たこ焼き屋の白オウム ● ボーイ meets オウム
  ● ① 肉のまえかわ ● 磯平 ● ② 御婆灯



◆  大井町 1-2
 立て続けに3軒ハシゴし、ほろ酔い気分で坂を下って上ります。
 貸し切りのカフェの中では、大人たちがボードゲームに興じていました。
 以前フラれたお店全てに入り、この夜の目的を達成しました。
  ● ③ 晩杯屋 ● ゼームス坂を下る ● 喫茶マーブル
  ● ゼームス坂を上る ● ④ お魚sun ● ⑤ サンマルクカフェ
  ● よもやま話 ● epilogue




大井町せんべろナイト第2弾~スイートリベンジ 2

2019-07-17 | 東京
その1からの続きです。

● ③ 晩杯屋

3件目は「立呑み 晩杯屋」へ。
初めて店名を聞いた時には、「すごい名前!」と噴き出しました。
だって夜に暗躍して、乙女の生き血を吸うバンパイヤですよ。
よく考えますね!

そういえば菊地秀行の『吸血鬼ハンター"D"』、まだ話は続いているんですよね。
30年以上のロングセラーってすごい。
思い出したら、読みたくなってきました。

バンパイヤは吸血鬼っぽくない、庶民的でお財布に優しい、同僚お気に入りのお店。
大井町に2軒あり、こちらはゼームス坂上店の方。
前回は2軒ともいっぱいで、何度お店の前を通って様子を見ても、結局入れずじまいでした。

今回は、奥に2人分のスペースを発見。
ここも立ち飲みスタイル。バッグを肩にかけたままで乾杯します。



私は、スペシャルにごりレモンサワー。
連れはハブのエキス入り、琉球ハブボール。キャー!
ドリンクは、どれも200~400円です。
ロマネコンティだけが飛びぬけて高く、5,000,000円とメンユーにありました。
うーん、酔いがまわって、ゼロがいくつか数えられなーい。



もつ鍋煮込みが130円、納豆オムレツが150円というビックリ価格。
とろっとしたオムに納豆が不思議と合います。初めて食べました。



お会計は2人で900円!
やすー!
みんなの味方、バンパイヤ!

● ゼームス坂を下る

ちょこちょこ飲み食いを重ねてきたので、おなかがふくれてきました。
この辺でいったん休憩することにします。

連れも私も、それぞれの酒量を得て、ほろ酔い加減。
気になる名前の「ゼームス坂」に、矛先(?)が向けられました。
「じゃあ、酔い覚ましにゼームス坂を制覇しよう!」
緩い傾斜が続く道を、歩き出します。

● 喫茶マーブル

なだらかな傾斜がずーっと続く坂です。
そのうち「喫茶マーブル」という小さなカフェの横を通りました。



「貸し切り」の紙が貼られたガラス越しに、部屋の中でボードゲームをやっているのが見えました。
大人たちが真剣に、夢中になって興じています。
その様子が楽しそうで、混ざってみたくなりました。

● ゼームス坂を上る

坂はいつまでも続いているため、喫茶マーブルの辺りでUターンし、引き返します。

「なぜジェームズじゃなくてゼームスなのか」とか、
「英国人とスコットランド人は違うのか」とか、
「なぜサンマルクスじゃなくてサンマルクなのか」とか、
とりとめのない酔っ払い同士の会話をしながら。

この坂はもともと「浅間坂」でしたが、英国人のジョン・M・ジェームズ船長が住んでから「ゼームス坂」と呼ばれるようになったそうです。

彼は浅間坂の急勾配が住民生活を不便にしていることを知り、私財を投じて現在のゆるやかな坂に直したのだそう。
お~、この延々に続くような長い坂は、ゼームスさんのおかげなんですね。
坂の上の立派なキャプテンです。

● ④ お魚sun

優しい船長さんのおかげでゆるやかになった坂では、まったく運動した気になりませんでしたが、気分転換ができたので、再び飲み屋街へと足を踏み入れます。
4軒目は、東小路の「お魚sun」
おさかなさん、と読みます。かわいい店名です。



お店の中は混んでいますが、カウンター席を詰めてもらい、ギリギリ2人入れました。
前回、2度トライしたものの、2度とも中に入れなかったので、狭くても全然オッケー!

見知らぬお隣さんとは、もうほとんど肩が触れ合っています。
カウンターのみの1階は禁煙。空気がクリアです。



ドリンクは、連れはサムライロック、私はウーロン。
サムライロックって、名前がカッコいいですね。
日本酒ベースのリキュールだそう。
今度飲んでみようかしら。



魚料理専門店のこのお店では、真鶴港で水揚げされる相模湾の魚が食べられます。
おまかせ刺身盛り合せなど頼みたかったのですが、もうおなかに入りません。

人気ナンバーワンだという、自家製バッテラ(サバの押し寿司)(650円)にしました。
女将に「できるまでにちょっと時間をいただきます」と言われます。
ええ、待ちますとも!



女将が注文を受けて、大将は寡黙に包丁を振るう、二人三脚のお店。
イワシの梅煮(700円)がやってきました。
梅が大きい!南高梅でしょうか?



バッテラは昆布の旨味と、イワシは梅との辛みが絶妙。
柔らかくよく味がしみていて、おいしかった~。
大将の腕は確かです。
いつも混んでいる人気の高さも納得のお店です。

● ⑤ サンマルクカフェ

4軒のお店を周って、たくさん飲み食いしました。
もうおなかパンパンです。
このあたりで、居酒屋はしご巡りは終了~。

「じゃあお茶にしよう」と、5件目は、サンマルクカフェに入りました。
(あれ、満腹なのでは?)と思われましたか?
スイーツは別腹ですよ~♬
ベリーパフェとベトナムコーヒーを頼みます。



● よもやま話

お土産を交換しながら、よもやま話をしました。

連れからは、今ではあちこちで見かける「串カツ田中」について。
大井町にもありますが、創業者は田中さんじゃないのだそう。
田中さんのレシピを使って展開したお店だからで、創業者は別の苗字なんだそうです。

「サンマルクの店舗は、初めのうちは全店電話番号の最後を309で統一していた」
これは私からの情報。
10年以上前に調べた時、当時あった店舗はすべて309(サンマルク)終わりでした。
今は店舗も増えて、もうそのルールはなくなったようですが。



また、連れから「長野ではレンタルヤギが人気」という話も教えてもらいました。
ヤギさんのお仕事は、雑草駆除。
レンタル先の任務は、食事。
ひたすら草を食べて過ごします。
依頼主は除草剤を撒かずに草狩りができる上に、ヤギの姿にみんなが癒されるので、一石二鳥の効果があるそうです。

夏の間はむしゃむしゃ草を食べて過ごし、雪が降る冬の間は牧場で過ごすヤギさん。
たまに脱走しても、新しい草のある場所でのんびり食事しているので、あっさり捕まえられるんだそう。
想像するだけで、ほのぼのしますね。

私もヤギさんレンタルしたーい!
でも肝心の草地がないんだった…。

● epilogue

二度にわたって散策した大井町の夜の小路。
品川の隣の駅なのに、昭和レトロ感満載の下町です。
一度目の時に混んでいて入れなかったお店に、再チャレンジするという今回の目的。
ラッキーなことに、心残りだったお店全てに入ることができました。

おしゃれ度やインスタ映え度とは無縁の、昭和感満載の界隈ですが、サクッと飲み食いして、あとくされなく次に移るスタイルは、気負わず楽しいもの。
そうした人が多いため、一軒の店で少ししか頼まなくても、お店の人は嫌な顔一つしません。
時代が変わっても、こうした立ち飲み居酒屋は、路地の片隅にいつまでも残っていてほしいと思います。