風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

島根に友を訪ね・ちょっぴり鳥取1-2

2016-11-29 | 中国(山陰)
その1からの続きです。

○ 大久保間歩を探検

いよいよ、銀山採掘のために掘られた坑道、間歩(まぶ)の中へと入ります。
ここは、石見銀山の中でも最大級の規模の大久保間歩。
まぶしいほどに明るい外から中に入ると、目が慣れずに急に目の前が真っ暗になって、みんなまごつきながら、手に持つ懐中電灯を灯します。



石の壁を伝ってひっきりなしに地下水が流れてきており、どこもかしこも濡れています。
足元は、水たまりばかり。
長靴を履いているとはいえ、気をつけて歩かないとバランスを崩しそうな足場の悪さ。
足元を照らして歩いても、色が同化しているので、何度も水たまりにはまってしまいます。
外は暑いくらいでしたが、間歩の中は12度ぐらい。
一気に震えるほど寒くなり、急いでウインドブレーカーをはおりました。



思ったよりも天井は高く、ずっと高いところまで人の手で掘りぬかれています。
この大久保間歩の名前の由来は、江戸時代に大久保長安という奉行が、槍を持って馬に乗ったままこの中に入ったという伝承からだそう。
つまりそれだけ、穴が大きいということです。
高いところでは5mあるそうな。どうやって掘ったんでしょうね?

当時は、サザエの貝殻に火を灯して、坑夫が手作業で少しずつ岩を削りながら、堀り進んでいったとのこと。
大勢の坑夫が、ほぼ手探りで働いていたそうですが、換気が悪くて空気が薄そう。
岩を砕いて粉じんにまみれながら、つらい体勢で採掘していたため、長時間は作業できない過酷な仕事だったことでしょう。
こんなに暗い、足場の悪い中で、機会の手を借りずにここまでの坑道を掘ったなんて。
すごい、すごいです。

○ 暗がりで知るテクノロジー

坑内には、江戸時代に手掘りで作られた坑道と、明治時代に機械によって坑道が拡幅された場所がありました。
洞窟の中で見るテクノロジーの発展。
まさに、日本の産業革命を見る思いです。



そして中は、一本道ではありません。アリの巣のように、道が分岐しています。
とにかく真っ暗なので、方向感覚はすでにありません。ただ前の人について行くのみ。
ここで迷ったら、永遠に日の光を浴びることはできないんだわ。

『トム・ソーヤの冒険』の、インジャン・ジョーの話を思い出します。
洞窟にこっそり隠れ住んでいた殺人鬼で、ある日洞窟の入り口がふさがれたために、外に出られず餓死してしまったという悲惨な最期。
本を読んだのは子供の頃でしたが、あまりに鮮烈で、今でも忘れられません。
インジャン・ジョーの二の舞にならないためにもガイドさんが必要なんだと、心から理解できました。

果てしない距離を歩いたように思えましたが、実際に歩いたのは150メートルほど。
安全対策を施した落盤の恐れのない部分を、ガイドツアーで公開しています。
この間歩は、もっとずっと先まで続いており、全長900メートルあるそうです。

閉所恐怖症でも暗所恐怖症でもありませんが、それでも不安があおられるような、じめじめとした暗い間歩。
「こんな場所でも、実は生物がいるんですよ」とガイドさん。
「ええっ?」
本当でしょうか。なぜ好き好んでこんな場所に?
「この辺にいないかな」
ガイドさんがライトを当てたのは、水たまりの一つ。
「ときどき、いるんですよね。小さな魚が」
目がない小魚だそうです。暗い場所に生息しているから、視力は必要ないですものね。
ほかにはコウモリがいたりするそうです。

○ 希望の光



永遠に思えるような道を歩いて、外の光が見えて来た時には、ほっとしました。
ああ、地上だわ~。お日様って大切~。
ほっとして、みんなの顔に笑みが戻ります。
また違う間歩発見。
石見銀山には、こうした間歩が700以上もあるそうです。
本当に銀がザクザクと、たくさん採れたんですね。あの中がどんな風になっているのか、もう想像できます。



外に出て、さらに小高い場所へと登って行きます。
釜屋間歩の辺りでひと休みしながら、ガイドさんの話を聴きました。
前に座っているのは、熱心に解説に耳を傾けるフランス人。

○ 白銀の国ジパング

ここは日本最大の銀山で、石見には10万人もの炭坑関係者とその家族が暮らしていたそうです。
坑夫は30歳越えるとお祝いされるほど、きつい危険な仕事だったそう。
そんな人々の努力によって、最盛期には日本は世界の銀の約3分の1を産出したと言われています。
黄金の国じゃなくて、白銀の国ジパングなんですよね。



銀を彫ったわけでもなく、ただその道を歩いただけでしたが、それにしてもハードな行程でした。
長靴を履いていても、バランスが悪い箇所でぐらつくことも何度か。
体力のない人や体調の悪い人、足腰の弱い人には向かない、かなり参加者を制限するツアーなんだなと、改めて感じました。
外に出た時には、既に両足とも、前も後ろも筋肉痛になっていました。



○ マタタビフラワー

白い可憐な花があったので、なにかとガイドさんに聞いたら「またたび」だと教えてくれました。
またたびの花って初めて!花が咲くものなのね~。
ゴロゴロしているごきげんなネコは、残念ながらいませんでした。



○ 世界遺産に選ばれたわけ

行き帰りともこの専用バスで。
帰り、「どこから来ましたか?」とガイドさんが一人一人に聞いていました。
みんな日本のさまざまな場所からやってきています。イギリスやフランスの人までいて、インターナショナル。
世界遺産パワーですね。



石見銀山がなぜ世界遺産に選ばれたのかというと、規模が大きかったのはもとより、森林の伐採をきちんと管理して行っており、環境への負荷の少ない開発がなされたからだそうです。
たしかに、銀山は木々が青々と生い茂る山の中にあり、きちんと森林が残されていました。
素晴らしいですね、こうやって後世で評価されるなんて。
ツアーが終了した後も、3人ともなかなか興奮冷めやらず、しばし資料館の中にいました。

○ 大森の町並み散策

あまりにぽーっと余韻に浸りすぎていた私たちを見かねてか、資料館の人が「これからどうされますか?」と親切に尋ねてくれました。
お勧めスポットを紹介してもらい、往時の伝統的な町並みが保存されているという大森地区(重要伝統的建造物群保存地区)へと向かいます。
わあ、すてきな街並み。旅籠もありそうです。



○ 地元の名家

まずは名家熊谷家へ。広々とした邸宅で、重要文化財です。
広い屋敷地に主屋、納屋と共に五つの蔵が建ち並ぶ総漆喰の建物です。



解説をしていただきました。敷物が気になったので訪ねたら、堺に注文をしたもので、若い御嬢さんの手で1畳ずつ手織りで作られたものだそう。
最高級のペルシャ絨毯も、目がいい少女しか織ることはできないことを思い出しました。



近年、屋敷の下に隠し倉庫が発見されたそうで、ガラス越しにのぞくことができました。
存在するという話は聞いていたものの、長いこと見つからず、改築の時に探し当てたそうです。
これを見てもわかるように、下に降りるすべは完全にありません。
梯子を垂らさなければ降りられない作りで、高い機密性が保たれるというわけです。
いったいここに、どんなお宝が保管されていたんでしょうね。



外の倉庫の扉についているのは、ネズミよけでしょうか。
「美味しいお菓子を隠してるんだよ」とヒロポン。「
「なぬ~!そんなおちゃめな当主だったら愉快だけど」
「それよりみんなと分けようよ!」



猫が寝てるー、静かにしよう!と思ったら、ぬいぐるみでした。
ほんものそっくりです。ヒロポンはカピパラさんを載せて撮影していました。



一階には、かつての台所の様子が再現されていました。
実際にこんな風に使われていたそうです。
今の時代、ちゃぶ台って見なくなりましたね~。



御釜がたくさん並んでいました。
大勢の使用人を雇っていたんだろうと、往時がしのばれます。
今では、時々小学生を対象にご飯を炊いているとのこと。
「みんな、炊飯器になって、釜炊きがどんなものか知らないからね」と館内の人。
私もよく知りません~。小学生に混ざって参加してもいいですかー?



○ 清張のことば

5時過ぎるとすべてが閉館に。
外はまだ明るいので、通りを散策しました。
人通りがなくて、さりげない自分の田舎に帰ったかのよう。
きれいな小川がありました。自然たっぷりで落ち着きます。



中村ブレイスという義肢装具の会社(世界的なメーカーだそう)の前に、作家の故・松本清張氏の「空想の翼で駆け 現実の山野を往かん」と書かれた石碑がありました。
いい言葉ですね。
会社の創業者と親交があり、昭和60年に小説「数の風景」の取材で氏が大森を訪れた時に送られた言葉だそうです。

石碑のそばに停まっていたベンツ。
「(石見銀山)町民で~す。見守り中」というメッセージが見えました。なんかおちゃめ。



○ 町を見下ろすお寺

岩の上にお寺が見えたので、気になって登ってみました。
立派な朱色の門の中にはにらみをきかせた仁王様。



観世音寺といって、今は華に埋もれた、ひと気のない静かなたたずまい。
江戸時代には、大森代官所が銀山隆盛を祈願するための祈願寺として栄えたそうです。
大森地区の渋い街並みを見下ろせました。



猿橋のような屋根つきの橋がありました。
この辺でUターンします。



○ 神社の鳴き龍

通りを戻って代官所前を過ぎ、道の突き当りにある城上(きがみ)神社を参拝しました。
瓦葺き・入母屋造りの重層式拝殿は、亀井戸天満宮を手本としたもので、県の文化財に指定されています。
ご祭神は出雲大社と同じ、大国主命。縁結び祈願神社でもあるそうで、絵馬はハート型でした。



参拝してから、拝殿に上がります。
ここの鏡天井には、極彩色の「鳴き龍」が描かれています。
龍の真下に座って手を叩くと、龍が鳴く声が聞こえるとのこと。
「パン!パン!」



すると「リン!リン!」という、小さくも通る音が上から響いてきました。
龍が鳴いたわ。

日光東照宮の鳴き龍は、いつ行っても押すな押すなの大混雑で、手を叩いていいのはお坊さんだけ。
でもここは、私たちしかいなかったので、好きなだけ龍の鳴き声を聞くことができました。

○ 海に沈む夕日

石見と大森地区を満喫して、この日の宿のある出雲方面に戻りました。
途中で車を停め、日本海に沈もうとしている夕日をしばし眺めました。
ああ、美しいわ~。



海の向こうに夕日が沈んでいきました。
太平洋岸の民にとって、普段は見る機会のない「海に沈む夕日」は、見逃せないもの!
ああ、きれい。いい一日だったなあ。



日の入りを見守ってから、ホテルにチェックイン。
今度は、東の空に月が浮かんでいました。
くしくも満月。さっきまで見ていたお日様と同じまん丸の月です。

この日の宿は、マリンタラソ出雲
タラソテラピー好きの私のリクエストです。



タラソプールの時間に間に合うように、荷物を置いたら、すぐ夕食にしました。
ホテル内のレストランはとても混んでいたため、近くの神楽(からく)というラーメン店へ。
昼も夜も急ぎ目の食事になったし、気がつけばどちらも麺類だったなあ。



○ タラソテラピープール

ホテルに戻って、いざプールへ。
青森の市浦にあるタラソテラピー施設、しーうらんどには何度も行っていますが、ここは初めて。
青森と同じ、元気海プールという名前のプールでした。
雰囲気も同じでなつかしいなあ。
全身に水圧を受け、マッサージ効果で身体が柔らかくなって、みんなでリラックス~。



さらに夜は深まり、空にはくっきりきれいな満月が輝いていました。
プール上がりには、アイスとお菓子とカクテル。
部屋ではゆっくりと過ごしました。



">2日目に続きます。

 

島根に友を訪ね・ちょっぴり鳥取1-1

2016-11-28 | 中国(山陰)

○ prologue

高校時の仲良しさっちゃんが、共通の友人Pちゃんと、久しぶりに連絡が取れたと、教えてくれました。
Pちゃんが別の大学に進んだことまでは知っていましたが、その後なんと出雲の神社にお嫁入りし、さらに神主の資格もとっているとのこと。
ピアノの先生を目指していた彼女が、神職についていたなんて、びっくりぽんです。
西洋と東洋は、音階からして違うのにねー。(お互い音楽部だったのでこんな感想に)

恋人がサンタクロース、ならぬ、友だちが神主さん~♪(あ、歌える)
彼女が今、どんな人生を送っているのか、とても気になります。
Pちゃんも懐かしがってくれたので、さっちゃんとそのパートナーのヒロポンと3人で、出雲まで会いに行くことにしました。

○ 出雲までの道

さっちゃんは目下熊本在住。ヒロポンは中国出張中。私は横浜。
3人がバラバラの場所から、出雲空港で集合することになるのかと思いました。
号令がかかった、いわくありげな秘密結社のメンバーみたいですが、彼女が横浜に一時帰省しにきたので、一緒のフライトで行けることになりました。

早朝に羽田空港で落ち合い、2人で飛行機に乗り込みます。
出雲にはANAは就航していないため、JAL便で。
機内ドリンクのキウイジュースが人気だと聞いたので、頼んでみました。
最近乗るのはLCCばかりだったから、ドリンクを出してもらえて感激~。
何も食べずに来たため、機内にクロワッサンを持ち込んで、2人で食べようとしたら、CAさんがそっとおしぼりを出してくれました。
さすが、大手航空会社は気配りが違いますね!



お互いとても早起きをして寝不足ですが、眠さを忘れてお喋りしていたら、あっという間のフライト。
境港を上から眺めて「わー、地形がくっきりわかるねー」と言っているうちに、出雲に着きました。
「しまねっこ」のキャラクターにかわいく歓迎されると思ったのに、SPが立ちはだかってる?
いえ、三代目J Soul Brothersのメンバー3人のいかついポスターでした。
空港のあちこちでみかけます。出雲が出身なのかしら。



○ 縁結び空港

正式名称は「出雲縁結び空港」。出雲は空港までもが縁結びなんですね~。
フルネームで言うにはなんだかちょっと照れちゃいます。「神話の里空港」とかの方が言いやすいのに。
宗教っぽくなるからダメなのかしら。
壁には巨大なハート型ののしと、しめ縄がかけられていました。



この空港で、中国出張を終えて福岡経由でやってくるヒロポンと待ち合わせ。
国際便が到着するまで、空港内を探検しました。



○ 秘密結社鷹の爪

2階出発ロビーに『秘密結社鷹の爪』の吉田君のパネルを発見。
た~か~の~つ~め~。
そういえば、彼は島根のキャラクターだったわ。
来たばかりなのに「ようこそ」じゃなくて「また来てね」って別れを告げられちゃいました。
その隣には、湯の川温泉のやがみちゃん。キャラもタッチも違います。



片隅にはフライトシミュレーターがありました。
「これなんだろう?」観察してもよくわからない、メカに疎い私たち。
「パイロットごっこができるんだね、きっと」
「"電車でGO!"の空版かな」
「うん、スカイバージョン」
「英語で言いかえただけだね」

飛行機の操縦席からの眺めを体感できるそうです。
5分間のジェットストリーム体験。好きな人は操縦桿を離せなさそう。
初級から上級まで何コースかあり、上級レベルは出雲空港から羽田空港まで、雷雨・強風の中、ボーイング767を夜間飛行させるそうです。
モーション付きフライトシミュレーターが空港にあるのは、全国でもここだけだそうですよ。

○ とんがり帽子の道の駅

予定通りにヒロポンが到着。メンバーがそろってほっとします。
ちゃんと集合できれば、旅はほとんど成功したようなものですからね。
それにしても、二人ともスーツケースが大きいわ~。私はバッグ一つなのに。
そうか、この旅の前にそれぞれ別の旅をしていたからなのね。

さっそくレンタカーに乗り込んで出発しました。
「まずはどこに行こうか?」
今回、直前まで3人ともバラバラに過ごしていたため、詳しいルートは会ってからにしようと、まだ決めていません。
旅の作戦会議をするために、道の駅に向かいました。



着いたのは、道の駅「キララ多伎」。
なんとここは、平成5年に全国の道の駅第一号として認定された場所だそうです。
全国初があるなんて、すごいじゃない、島根。

とんがり帽子のかわいい建物。そばには風車があって、絵になりますが、眺めていてもピクリとも動きません。
それなりに風は吹いているのに。
「今日土曜日だから、休みなんじゃない?」
「休日があるの?」
「なんてやる気のない風車!」
ヒロポンともすでにおなじみなので、楽しく車内の話は弾みます。



建物内に入ると、2階の方から何か視線を感じました。
見上げると、そこにはスパイダーマンが。
なぜか2体。あれ、双子だったっけ?
あ、分身の術ね。あれ、使えたっけ?



でも、いちじくソフトクリームの看板を見たら、すぐに意識はそちらの方へと移りました。
食べたことなーい。食べてみたーい。
つぶつぶ入りだ、わーい。
いちじくは、出雲の名産というわけではなく、この辺り限定の名産だそうです。



○ リゾート日本海

道の駅は海に面した場所にあり、ソフトクリームをなめながらきれいな海を眺めました。
とてもきれいで、白い砂浜が広がっています。

日本海になじみが薄い私たちにとって、しぶきが岩にぶつかって飛び散る、凍れる演歌の世界が日本海。
「リゾート気分を味わうなんて思わなかった」
「全然、こぶし握りしめての"悲しみ本線"ってイメージじゃないね」
「そもそも電車走ってないしねー」



○ 隠岐の島と竹島

島根県のこと、実はあんまりよく知りません。
さっちゃんとヒロポンは、今回が初めての島根旅行だそう。
私は数年前に出雲大社を参拝しましたが、そのほかの場所はほとんど見知らぬ土地です。

そこで敷地内にあるマップで、県の形を確認しました。
「隠岐の島がある」
「後鳥羽上皇は、島根に流されたんだね」
「その上に別枠であるのは・・・えっ?竹島!?」

竹島の領有権を巡っては、近隣の国々でまだ論争が続いています。
実際のところはどうなっているのでしょう。
Wikipediaには「韓国が実効支配しており、日本および北朝鮮がそれぞれ領有権を主張している」とありました。
だから日本の地図に、竹島も描かれるわけですね。
それが島根県に属しているとは思いませんでした。
穏やかな神話の里のイメージが、一気にものものしい国際問題にとって変わったよう。



みんなでプランを考えて、この日は石見方面に行くことにしました。
南に車を走らせます。水田が多いなあと思います。
夏のような天気に、どこまで行っても同じ感じの田園風景。

○ 石見国一宮 物部神社

まずは私のリクエストで、石見国一宮の物部神社へ。
「物部氏っていたね。」
「ええと、蘇我氏のライバルだね」
「蘇我むしごろし」
「それ、大化の改新(645年)じゃん」

ここの御祭神は、物部氏の御祖神とされているそうです。やっぱり物部氏ゆかりの場所でした。
高校の時に音楽の教育実習で見えた物部(ものべ)先生のことを、さっちゃんと二人で思い出しました。(ヒロポンは別の高校)



立派な鳥居が石段の上にあります。
まさに見下ろされている感じ。
緑が深みを増す季節、境内は生き生きとした新鮮な空気に満ちていました。



鳥居を抜けると、参道の奥に拝殿が。
後ろには鎮守の森が広がっています。



○ 狛犬に狛鶴

狛犬の横を通り過ぎると、次には一対の鶴が奉納されていました。
阿吽?の鶴なんて初めて!なぜ鶴なの~?
ここのご祭神の宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト)が、鶴に乗ってこの地に降臨したと伝えられているからだそうです。



目つきの悪い手水舎。迫力ありますねー。



神社を訪れると、境内にときどき奉納された馬の像を見かけます。
びっしりと書かれた解説文があったので読んでみました。
かつて皐月賞、ダービー、菊花賞を含め7冠を取ったシンボリルドルフという競走馬がいました。
オーナーが、この神社の氏子だった縁から、シンボリルドルフの父馬の像を奉納したのだそう。
競馬の馬だったとは。



ここにも、『秘密結社鷹の爪』の吉田君の絵がありました。
た~か~の~つ~め~。
吉田君、活躍していますね。



ふと後ろ側に周ってみると、そこにはイラストが描かれていました。
FROGMANって書いてあるので、作者の直筆ですね。
「物部様最高!」と言っています。ファンみたい。



○ 石見銀山探検ツアー

そこから車を走らせて、石見に着きました。
目指したのは、銀山。
国内の世界遺産の中でもかなりマイナーで、人気の度合いも若干微妙だと聞き、「それだけレア度が高いってことじゃない」と、逆に行ってみることにしました。
(へそまがり?いえいえそんなことは)

ビジターセンターに向かうと、建物の中にFROGMANのカレンダーがありました。
おお、これが『島根県×鷹の爪 スーパーデラックス自虐カレンダー』ね。
"「日本で唯一○○がない県」の常連。"
たしかに自虐炸裂~。
ほかに「交通量調査のバイトの人数の方が多かった」「県花の花言葉は“人見知り”」などがあるそうです。
が、がんばれ~。



お勧めされたツアー「ガイドと歩く石見銀山最大の坑道跡 大久保間歩一般公開限定ツアー」がそれなりのお値段(4000円)だったので、一瞬みんなで顔を見合わせましたが、せっかくなので参加することにしました。



○ すべりこみソバ

ツアーは10分後から始まります。
3時間コースなので、今食べておかないと、暗い坑道の中でおなかが空いてしまいそう。
そこで、急いでそばを注文しました。
「こっちに来たら出雲そばを食べようと思っていたんだけど~」と言いながらも、時間がないので背に腹は代えられません。
普通のざるそばをつるつるいただいて、ツアーにすべりこみました。



ソールがある靴をすすめられて、さっちゃんは靴を借りました。
「手には極力ものを持たない方がいいですよ」と言われた私は、日傘を預けました。
中は寒いからと、ウインドブレーカーを手渡されました。
それだけでも(え?え?)と思っているのに、集合場所に現れたガイドさんは、完全な登山スタイルでした。
(山に登る格好なの?軽装で大丈夫かな)と内心あせります。
いったいどんなツアーなんでしょう?



参加者20名の中には外国人の姿もありました。まずは座学のレクチャーから。
大きなジオパノラマでの説明を受けて、おおまかな土地の形状を頭に入れます。



○ 準備体操からの登山

説明が終わると、建物入口に待っている大型バスに乗り込んで、現地に向かいます。
バスを降り、敷地内に入った辺りで念入りに全身ストレッチを行いました。
「はい、オイッチニ、サンシ!よ~く身体をほぐしてくださいね~。」
ますますどんな場所なのか、気になる~!
準備体操を済ませたところで、登山用の木の杖を片手に、出発ー!



途中、いくつか、鉱山の穴が見られました。
石見銀山では、坑道のことを間歩(まぶ)と呼んでいたそうです。
そうした間歩は、危険だということで、今は閉鎖されていました。



うっかり誰かが入り込んじゃったら、大変ですものね。
熊のねぐらになっても面倒だし。



途中まで、えっさえっさと細い山道を登って行きます。
すぐに洞窟かと思いましたが、結構暑い中を急勾配で上っていく。簡単に音を上げたくなります。
確かにここでは登山用の杖は必要。暑い日で、上着を脱いでもハーハー息切れがします。

○ メット・長靴・懐中電灯

標高400mの金生坑(きんせいこう)までノンストップでひたすら登って行き、小高い場所にある小さな小屋にたどり着きました。
ゼイゼイいっている参加者たちは、そこでヘルメットと長靴を渡され、荒い息のままで装着します。
懐中電灯を手に、フル装備完了。
長靴で岩場を歩くことに慣れていないため、ゴム底の感触にみんなはじめはおっかなびっくり。
ものものしい格好になって、後姿だと誰が誰だか、判別つかなくなっています。



ここが内部見学できる間歩の入り口。
入る前に、注意事項の連絡が再び行われ、それからいよいよ中へと向かいます。
暗い道に近づくごとに、冷たい冷気に包まれていきました。



その2に続きます。