風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

2012-9 行方も知らぬ 秋の旅かな2

2012-09-30 | 中部(甲信越)
1日目からの続きです。
○ トレッキング
○ 大本山のお寺へ
○ そば蔵
○ 棚田の収穫
○ 橋とトンネル
○ 台風来たる
○ epilogue


○ トレッキング

行き先不明の旅2日目。朝6時に起きます。
二人ともぐっすりと寝られました。
この夏の旅行中に泊まったどの宿でも、寝苦しさに1度は目覚めていたため、(枕を替えたら寝れない体質になっちゃったのかしら…)と気に病んでいましたが、そうではなかったようでひと安心。
部屋の中には空調機が無く、オートコントロールで、とても快適でした。

 

早起きしたのは、昨日できなかったトレッキングをするためでした。
夕べの大雨はすっかりやみ、朝から快晴です。
ホテルの前にはゴルフコース、反対側にはパターゴルフのコースとゲレンデが広がっており、トレッキングルートが見つからずにウロウロ。
フロントに聞こうと戻った時に、玄関に「熊に注意」の紙が貼られているのを見て、「クマが出るんだ!」とおびえます。
そういえば、道路標識でも見かけました!

 

ようやく登り口を見つけて、トライ開始。
すぐに急な斜面になり、ゼイゼイいいます。
まさに心臓破りの坂。口もきけずに黙々と上りました。
まだ起きてから何も食べていないから踏ん張れなーい。でもヨウちゃんは、スイスイと登って行きました。スリムなのになぜ~?
ホテルを見下ろせる場所まで登りました。ホテルの向こうに見えるのは妙高山でしょうか。遠くに黒姫山も見えるようですが、尾根が連なっていて、どれがどれだかわかりません。
山頂はまだかなり上ですが、朝風呂に入るため、ここでUターンして戻ります。
この辺りのトレッキングトレイルは、遊歩百選に選ばれた人気のあるコースなんだとか。
ホテル周辺を散歩する人はいたものの、私たちのほかにトレッキングをしている人はいませんでした。

 

それから温泉に入り、汗を流します。やっぱり露天風呂は気持ちがいーい。
さっぱりしてから、朝食を食べました。

 

台風が近づいているため、予定より時間を早めて8時半に出発。
今日の予定も、全く未定のまま。ゴールが東京だということしかわかりません。
今度は一番前の席で、見晴らし満点。
山を降りてすぐの湖畔には親子のナウマン象像が立っていました。

 

○ 大本山のお寺へ

すてきな橋を発見。

 

また高速を通り、須坂長野下で降ります。
着いたのは、とても有名なお寺でした。
去年の秋にも、家族で訪れた場所です。一年後にまた来るとは。
当時修復中だった屋根は、もうほろも取れて完成していました。

 

前に見逃していた、本堂の閻魔様を見上げます。
下からの照明で、怖さ倍増~!
写真に撮ったら閻魔パンチが飛んできそうなので、やめておきました。
彼の足元にあった風炉を見ると、小鬼が必死に持ち上げていました。
これいいわ!邪鬼好きの私は、縁の下で地味にがんばる鬼がお気に入りです。
けなげな感じがするから。がんばってー。

 

ここは盆地で、さらに台風が近づいているため、ムシムシして、とにかく暑い!
参道の石段の照り返しがきつく、ぐったりします。
それでも、本堂から山門を抜けて、門前町を通り、仁王門まで歩いていきました。
仁王門には、前と変わらず、鳩がたくさんとまっていました。

参道から一本それた道を通ると、喧騒はぴたりとやみ、落ち着いた静かな界隈になります。
山内寺院が続く寺町通り。
檀家を持たないこの大本山には、墓地がありませんが、去年、山門の上からすぐ隣に墓地があるのが見えて(あれは…?)と気になっていました。
そのお寺の前まで来ましたが、残念ながら閉まっていました。
「不審者が出るため閉鎖中」と書いていました。あれ、私もその仲間?
木戸の隙間からのぞいてみると、やっぱり墓地がありました。(のぞいている時点で不審者かも…)
寛慶寺という、違うお寺の名前でした。

 

不動堂では、僧侶が護摩焚きをしていました。
そのそばの木陰にいた延命地蔵像は、すっきりとした気高いお顔で、しぐさも美しく、見とれました。

 

ふと気がつくと、本堂から参道にかけて、びっしりと人が並んでいました。
「どうしたのかな?」「参拝者の行列じゃない?」
それにしても、見たことのないほどの長蛇の列です。

 

こんなに参拝に並ぶって、初詣みたい。しかも列は進んでなさそうなのに、誰もあせっている風はありません。
はっと気が付きました。
「もしかして、住職が本堂に上がってくるのを待っているのかも?」
「見届けたーい!」と粘る私でしたが、「もう出発時間だから」とヨウちゃんにやんわりたしなめられました。
裏道を早足で通っていく、袈裟姿のお坊さんを見つけて「あの人が実はシャイな住職で、こっそり裏から登壇してたりして」と笑いました。

 

この日気に入った樹木。

 

○ そば蔵

それからバスに戻り、おぎのやへ行きました。
おぎのやといったら横川ですが、そのほかにも、あちこちに大型店舗があるんですね。
そば蔵に通され、そこで信州そばの試食をしました。
コシがあって、おいしーい!
案内してくれた人は「虎御前」と書かれた名札をかけていて(源氏名ね。なぜ?)としげしげと見つめました。

 

ここは信玄と謙信が闘った古戦場のそば。
広い公園になっており、二人の銅像がバスから見えましたが、休憩時間中にそこまで行って戻ってくるのは、ちょっと無理です。
うーん、残念。
そば蔵の横に「山勘まつり」という旗が立っていたので「山本勘助のことだよね!」と言っていたら、果たしてその通りで、建物の裏に、彼ゆかりの橋がありました。
公園はヨウちゃんOKがおりませんでしたが、20m先の橋はGOサインが出たため(連れは有能なタイムキーパー)、行ってみました。
ここは、戦死した山本勘助の首と胴を家来が合わせたという伝説の場所だそうです。
小さな石橋ですが、かつてはもののふたちが激しく命を散らして戦った場所なんですね。

 

(信玄と謙信の戦場って、島よね?でも公園の辺りは、全然島じゃないのはなぜ?)と不思議に思ったら、この橋があるために辺りを公園に整備したということで、実際の古戦場はまた別の場所になるそうな。
島というより、長野県長野市の犀川と千曲川に囲まれた三角デルタ地帯なんだと知りました。

仏女、歴女として興味のわく場所を訪れて、嬉しくなります。
車中では、おぎのやの峠の釜めしではないお弁当をいただきました。
箸袋に「駅弁発祥の店」と書かれていました。そうなんだ~。

○ 棚田の収穫

バスは再び高速に乗ります。
「次は、最近ひそかに話題になっている場所です」と添乗員さんが言ったので、(戸隠じゃないかな?)と思いました。
ヒーリングスポットですし。
するとバスは、更殖(こしょく)で降りました。聞いたことが無い地名で、ヨウちゃんと「どう読むのかな?」とふりがなをキョロキョロ探しました。

細い道を、運転手さんが苦心して、大型バスで進んでいき、着いたのは『楢山節考』のモデルになった、間引きの昔話の残る山。
人生五十年と言われた昔、六十を越えたお年寄りが山に棄てられたという悲惨な話。(ここがその舞台だったのかしら)と身構えました。
実在したのかそうでないかは諸説あり、まだはっきり解明していないようです。
ICにもある地名ですが、名前の響きから、自発的に来ようと思わなかったことでしょう。

 

ここは棚田が有名なんだとのこと。
「最近のひそかな話題って、棚田じゃないかな」とヨウちゃん。
日本回帰ブームでしょうか。

 

ここにあるお寺は、とても眺望がよく、たくさんの句碑が立っています。
更科紀行での松尾芭蕉の句「俤(おもかげ)や姥一人なく月の友」もありました。
その碑は、写真を撮りづらい場所にあったため、撮影は諦めて、個人的に気に入った作者不詳の句を撮りました。
「信濃では月と仏とおらが蕎麦」飾り気のなさが、いいですね。

 

ここは月の名所で、月見堂からはそれは美しい月がのぞめるそうです。
おりしもこの日は中秋の名月。「ああ、夜だったらよかったのに!」とみんなで言いました。
お寺の周りには、「名勝 四十八枚田地区」と言われる棚田が広がっています。
2000haの敷地に2000枚の田んぼがあるそうです。

 

まさに水田は黄金色になり、大勢の人々が稲刈りをしていました。
ここは、棚田オーナー制を敷いており、この日みんなで集まって、大々的に収穫を行っていました。
ベストタイミングでその光景を見ることができた私たち。
段々になっている棚田は、一つ一つがそう大きくはないため、トラクターは入らず、手作業で鎌刈りしていきます。
こういう光景を実際に見るのは初めて。日本の原風景をしみじみと堪能しました。
ここは、夜になると月が一つ一つの棚田に映し出されるため、田毎の月と呼ばれるそうです。
幻想的な光景でしょうね。

 

名前の暗いイメージとは実際にはまったく違う美しい景色に、しみじみとした日本の自然を味わいました。
固定観念を払拭できるのも、行き先不明の旅ならではの醍醐味です。

○ 橋とトンネル

これで今回の旅の観光はすべて終了。あとは一路、帰るのみです。
とても天気がよく、棚田からの見晴らしも素晴らしかったため、台風が来るなんてなんだか信じられません。
吊り橋状の白い架け橋を見つけました。
カメラを構えながら、「きれいな橋ー。あなたの名前はなにかしら?」とつぶやいたら、横のヨウちゃんが「千曲橋ー」と答えてくれました。
ありがとう~。川は千曲川でした。

 

この辺りは山がちなので、長いトンネルが続きます。
トンネルもけっこう好きな私。2つ並んでいるのがメガネのようでかわいいです。
窓から見える田畑は、黄色くなっており、収穫時期を知らせていました。

 

この橋もすてきー。
旅の間に、好みの橋やトンネル、樹木、邪鬼、鬼瓦などを見つけては喜ぶ私を、ヨウちゃんは静かに見守ってくれました。
引かれてなければいいけど!

 

○ 台風来たる

2時過ぎから、激しい雨がザーッと降ってきました。
トンネルを抜けると雨がフロントガラスに叩きつけてきます。

 

この橋もすてき。(雨の中でも)

 

いよいよ台風が近づいてきました。
「台風は、時速40キロですが、私たちはその倍以上の速さで走ってますから、大丈夫」と添乗員さん。
なんというデッドヒートでしょう。

 

まだ台風も本格的に関東にはやってきておらず、時々小やみになったりするような状態の時に、東京に着き、解散しました。
雨よりは風が強く、傘もささずに帰りました。
新宿駅南口では、台風実況ロケ班がカメラを設置しているところでした。

帰宅後、ほどなくして関東は嵐に見舞われ、交通機関は軒並みストップしてしまいましたが、私たちは、早だおしして出発したのが功を奏して、問題なく旅を終えることができました。
旅行中は全く雨に逢うことが無く、天気にも恵まれて、ラッキーでした。

○ epilogue

今回のツアーは、宿泊したホテル代と朝食代くらいの料金で一泊二日間を楽しめたので、お得感がありました。
普通のツアーのようなコテコテの観光地にはほとんど行かなかったため、混雑で疲れてしまうこともありませんでした。
コスモスや棚田の収穫など、まさに今が旬という見どころに連れて行ってもらえて、地元の人のイチオシ場所を案内してもらったような感じ。
ひと月後は、同じプランでも行き先は全く変わっていることでしょう。
画像は、帰り路で添乗員さんが書いてくれた、今回の訪問地です。

行程をすっかりお任せして、からっぽの頭で行くだけに、実際に訪れた時の新鮮さはひとしお。
とてもおもしろかったし、十分満喫できた二日間でした。
またこうした旅行に参加してみたいと思います。

 

2012-9 行方も知らぬ 秋の旅かな1

2012-09-29 | 中部(甲信越)
○ prologue
○ 出発前夜
○ 出発当日
○ 関越へ
○ コスモス畑
○ もう一つの五稜郭
○ この日のお宿
○ 温泉へ


○ prologue

週末を使って旅行に出かけました。
はじめは、ヨウちゃんと山陰の俵山温泉にプチ湯治に行く計画を立てていましたが、そこまでの道のりが相当大変だとわかり、(こんなに行き帰りがハードなら、湯治効果も消えちゃうね)と行き先を変更したのです。
申し込んだのは、行き先不明のバスツアー。
本当に、なにひとつ、知らされません。

出発数日前に添乗員さんから電話があり、
「東京より北ではない」
「日中は東京より気温が上がる」
「逆に朝晩は12、3度まで下がる」
というヒントから、服を決めて下さいと言われました。

普段、旅行に行く時には、割としっかり予定を組んで、訪問先の情報をあれこれ調べていく方ですが、今回はまったくわからないため、心構えのしようがありません。
こういうひみつの旅行は初めて。なんだかとってもワクワクして楽しいものです。
当日まで、(どこに行くのかな~)とあれこれ考えるドキドキ感も、こうした企画の醍醐味でしょう。

その時々に応じて臨機応変に行き先が変わる、かなりフリーダムなものながら、旅行の性質上、今回は具体的な名称をぼかすことにします。
同名プランに申し込んだ人が、できごころで文字検索をしても、引っかからないようにするためです。
行き先がわかっちゃうと、おもしろくありませんからね~。おそらく一緒の場所ではないと思いますが、それでも念のため。
写真は気にせず、いつもどおりに載せるため、そこから訪問地をご推測下さいませ。

○ 出発前夜

出発前、ワクワク感を存分に堪能していましたが、台風17号が日本列島接近中というニュースがかなり本格的になってきたため、さすがに心配になりました。
週末には本土上陸するとのこと。
うーん、旅行は大丈夫なのかしら。長い傘を持っていった方がいいのかな。靴はどうしよう。
目的地がわからないため、対処のしようがありません。
親にも「こんなときに旅行?しかも行き先わからないなんて!?」と、かなり心配されましたが、旅行中止の連絡は入らないため、催行するようです。
まあ、バスが横転しない限りはなんとかなるでしょう。気にしすぎずに、旅を楽しむことにします。
ひみつ旅行のワクワクと、台風接近のドキドキで、なんだか気持ちがはちきれそう。

○ 出発当日

 

出発当日はいい天気。ヨウちゃんと新宿で待ち合わせて、バスに乗り込みました。
添乗員さんの挨拶の段階で「今回はここへ行きまーす、ジャジャーン」と華々しく発表されるのかと思いきや、そうではありません。
誰一人答えを知らない乗客たちを乗せて、バスは出発しました。

座席は一番後ろ。一番最後に申し込んだからです。
その代わり、明日は一番前になります。
車酔いすると知った添乗員さんに、「両日真ん中のお席にしましょうか?後部座席は揺れますから」と言ってもらいましたが、ヨウちゃんと「変化がある方がおもしろいよね」と、予定通りに後ろと前でお願いしました。
最後部は一段上になり、幅も広くて、足がのびのび。酔い止めもしっかり飲んだので、後ろでもきっと大丈夫でしょう。

○ 関越へ

バスは、練馬から高速に乗りました。
「関越に乗りましたね。さあ、どこへ向かうのでしょう?」と添乗員さん。
さーっぱりわかりませーん!
推理は早々にあきらめて、久しぶりに会うヨウちゃんと、近況報告やいろいろなおしゃべりをしていくうちに、バスは群馬に入りました。

 

おぎのやで休憩します。峠の釜めしの釜アイスを発見しました。抹茶味まであります。うーん、斬新・・・。

 

お弁当を車内で食べて、下仁田ICを降ります。
特徴的な岩を見つけて、「あれすごいね」「切り立ってるね」と驚いたら、この辺りで有名な山なんだそうです。
標高1400m。空に伸びる勇ましいシルエットに見とれました。

 

 

○ コスモス畑

それから山道に入ります。くねくねカーブが続きますが、薬のおかげで酔いませんでした。
耳がぽやんとするため、高いところに来たとわかります。着いたのは、1200mの高さにある牧場。
ここのコスモス園を散策しました。

 

 

 

今が盛りの、とても美しいコスモスたち。こんなに広々とした一面のコスモス畑を見るのは、初めて。
ロマンチックな気持ちになって、ヨウちゃんに「ここで一句」と言ったら、「ムリムリ」とするっと逃げられました。
ソフトクリームを食べている人も結構いました。いつもだったら、牧場ソフトははずしませんが、今回は車酔いが少し心配だったのと、食後でまだおなかがいっぱいだったため、スルーしました。

○ もう一つの五稜郭

それからまたくねくねと山道を降りて行き、次に寄ったのは、北海道とここにしかないという幕末の五稜郭でした。
というより、函館以外にも五稜郭があったということは知らなかったので、内心驚愕です。
聞いたことなかったけれど、本当かしら?

五稜郭を案内してくれたガイドさんは御年83歳の大ベテラン。
シャキシャキと解説してくれ、ノンストップトークにみんな圧倒されました。

函館の五稜郭は、江戸幕府が直接築いた最後のお城。
でもこちらは、殿様が作った藩のお城。
函館と違って、タワーがないため、上から見下ろすことができず、本当に星形をしているのかは、写真を見ないと確認できません。
ただ、お堀沿いに組まれている石垣は、角度をもって曲がっているのがわかります。
ここの藩主は「無城格」という城を持てない身分で、築城許可を持っていなかったんだそうな。
それでも、外国の築城に興味を持ち、詳しい知識を持っていた彼は、幕府に願い届けて、城ではなく陣屋という名目で、西洋式城郭を作り始めたそうです。
彼が幕府派だっこと、さらに老中格・陸軍総裁という要の職についていたことから、幕府も許可したそうです。

もともとこのお城は、必要に迫られたわけではなく、藩主の趣味で立てられたようなものなんだとか。
つまり殿様の道楽だったわけですね~。
ノイシュバインシュタイン城を立てて国家財政を傾かせたバイエルンのルートヴィヒ2世を思い出しました。まさか日本にも似たような人がいたとは・・・。
ここのお殿様、道楽三昧だったというわけではなく、明治期には、博愛社(現在の赤十字社)の設立に尽力したとのこと。
大給恒さんに、がぜん興味がわきました。お墓は渋谷にあるとのこと。今度お参りしようかしら。

 

五稜郭は、鋭角の突出した場所に砲台を置くと敵からの死角がなくなる、守り易く攻め難い構造で、実戦に優れた城郭。
ただこのお城、全てを堀で囲まれているわけではありません。
お堀の生け垣は、簡単には敵が侵入できないよう、ぴたりと隙間なく組み込まれていたり、武者返しがあったりするのですが、これではお堀が無いところから、簡単に攻め込まれてしまいそう。
おそらく藩の予算が尽きたせいではないかと、ガイドさんは話していました。
幕末の激動の時代だったからでしょう。

そして、完成前に明治維新をむかえたため、そのままになったんだそうな。
明治政府によって、廃城の憂き目に遭い、石垣の内部の土地は農地になったそうですが、昭和期になって、敷地内に小学校が建てられ、保存会が発足し、今に至るとのことです。
城内に唯一残る「御台所櫓」は、大きすぎて買い手がつかず、払い下げできなかったんだとか。
学校としての使用申請が認められたため、破壊を免れ、人手に渡らなかったことが災い転じて福となり、今では当時の唯一の遺構として保存されています。

 

今では、お城の中全体が小学校になっています。
ここの卒業生は「母校は国指定史跡にあったよ」とのちのち自慢できるのね。いいなあ。

 

 

御台所櫓の中も見学できました。高い天井と太い梁が頑丈。当時の炊事場だったそうです。
城の全景模型がありました。これを見る限りでは、星型というよりは桔梗の花のよう。
桔梗城とも言われるそうです。

 

函館のように、どこか高いところから眺められればいいのにな~。
小学校の屋上からなら見られるのかしら~と、校舎に熱い視線を向けました。

思わぬ歴史の勉強ができて、とってもためになりました。
資料館では、お茶とすももをごちそうになり、おいしくいただきました。
この辺りはプルーンの里として知られているそうです。

○ この日のお宿

バスはまた高速に乗りました。山々に囲まれた地。ずいぶん遠くへ来たなあと思います。
少し眠っている間に、化石が出た湖を過ぎたとヨウちゃんが教えてくれました。

 

また山道をくねくねと上っていき、夕方にこの日の宿へと着きました。
4階建ての建物が何棟かある、横広のリゾートホテル。理系っぽい名前です。
部屋はとても広々としていました。くつろげるわ~。
窓からはまっすぐスキー場のゲレンデが見えます。

 

ここは、私が初めてスキーをした場所。懐かしい~といっても、雪山じゃないのでさっぱり記憶と合いません。
ゲレンデづたいに、トレッキングコースも何本かあるとのこと。
「一日バスに乗って、あまり歩かなかったから、トレッキングしよう!」と言いながらも、居心地のいい部屋でお茶を飲んでのんびりしていたら、あっという間に山の日暮れはきてしまいました。

そこで、レストランに夕食をしに向かいました。
ここは温泉の出るホテルですが、レストランでは浴衣とスリッパは禁止されています。
外国人客が多いのでしょうか。
そのためか、あまりまったりとした感じはありませんでした。

 

木のベンチを上からのぞいて、びっくり。
「これ、木をくりぬいたのかな?」「でもこんな大きな木、無いよね?」
あれこれ考えていたら、ヨウちゃんが「継ぎ目がなければ一本の木」と教えてくれました。
ああ、冷静な判断力。検証したところ、はたして継ぎ目はありました。

バイキングスタイルですが、行ってみてびっくり。
まずは、ふんだんに盛られたカニの脚に驚きました。
すごいわ~。ハサミの数も半端ないわ~。

 

さらに目の前で寿司を握ってくれたり、ローストビーフを切ってくれたりしています。

 

例えほんの一口ずつよそったとしても、とても全ての料理は食べられないほどたくさんのメニュー。
しかもデザートコーナーには、チョコレートファウンテンもありました。
本格的!

 

客層は、家族連れが目立ちました。
ゴルフ場があるからでしょうか。でも子供たちは、ここでなにをして遊ぶのかな?
ホテルの隣には会員リゾートマンションも併設されているようなので、オーナーがファミリーで来ているのかもしれません。
もしかすると、リゾートマンションに近い間取りのため、部屋も広いのかしら、と考えます。

○ 温泉へ

食後は少し外を散策してみます。
外はすっかり真っ暗ですが、ホテルの一階がガラス張りなので、明るく光を放っています。
敷地内に木の教会があります。温水プールもありました。水着を持ってきましたが、無人なので、入るのはやめて、温泉に行きました。

ほかほかになって部屋に戻り、露天風呂で考えた句をヨウちゃんに発表しました。
日中のコスモス畑になぞらえて、「コスモスよ」で始まる折句にしました。

 「コ」このたびは
 「ス」すべて未知の辺(へ)
 「モ」森のなか
 「ス」澄みし野分が
 「よ」寄らむとせむかな

折句を作ってみたのは初めてですし、これで正しいのかまったくわかりません。寄らむ?寄らめ?
どなたかお詳しい方、ご教授下さーい。
こんな遊び心を出せるのも、ゆったりリラックスできている証拠です。
ちなみに、今回の旅行記タイトル「行方も知らぬ 秋の旅かな」は、曾禰好忠の
 「由良の門を 渡る舟人 梶を絶え 行方も知らぬ 恋のみちかな」
からいただきました。

 

お酒の自販機を見つけられなかったため、ソファでお茶を飲みながらアフター温泉のおしゃべりをして、真夜中過ぎに就寝。
夜になり、大雨が降り続いたので(もう台風がやってきたのかな?)と心配します。
翌朝晴れていることを祈りつつ、あっという間に心地よい眠りにつきました。

2日目に続きます。

2012-9 横浜銘菓直売ウォーキング

2012-09-22 | 神奈川

 

ようやく暑さが落ち着いてきた先週の土曜日、よこすか京急沿線ウォークに参加しました。
夏は暑くて、歩くどころではなかったので、ウォーキングは久しぶり。
このイベントは初参加ですが、今回は「金沢産業団地内の食品工場直売所などをめぐるお買い物ウォーク」とのこと。
横浜を代表する有名どころのお菓子工場直売所に、7社寄れるようなので、とっても楽しみ。
まさに「鼻先のニンジン」状態です。

京急杉田駅でエヴァと待ち合わせをしました。
杉田商店街をてくてく歩いて、JR新杉田駅へ。
そこで大がかりに受付をしていました。
(あれ、なぜ京急じゃなくてJRで受付してるの?)と不思議に思いましたが、それはルートに近いからでしょうね。
でも、京急が主催なので、開始地点は京急杉田駅からになっているんですね。

受付では大勢の人たちがひしめき合っていました。総じてリュックを背負ったご高齢の方々で、私たちは荒波の中の子船のように人波に揉まれます。
京急カードを持っている人は、別のブースになっていました。
私「東急カードじゃだめかしら?」エ「こっそりしまっときなさい」

エヴァは生粋の京急っ子ですが、私は京急は久しぶり。
「横浜から急行に乗ったら、エアポート急行になっていたんだけど、こっち方面に空港はないよね?どういうこと?まさか横須賀の軍用空港のことじゃないでしょう?」
「急行なのに、井土ヶ谷も弘明寺も止まったよー。前は各駅のみの駅だったのにー」
と、いろいろ疑問をぶつけます。
数ヶ月前に乗った時には、金沢八景に快速が止まったことに驚きました。
京急はどんどん停車駅が増えていっているんですね。

受付を済ませて、ウォーキング開始です。
初めのうちは、人もいっぱい。地図を見なくてもグループになって歩いて行けます。
シーサイドラインに沿っていく感じですが、初めの辺りはなにも見るところが無くて、普段だととても退屈な道。
でも、今回は大勢の人が一緒だし、歩くことが目的なので、楽しく歩を進められます。

 

「横横道路」の表示が見えます。
この前、北海道で「道東道」の看板を見て、なんだか笑いたくなったけれど、考えてみれば横横も、けっこう妙な名前ね~と思いながら眺めました。

早起きしたため、歩いていたらおなかがすいてきました。エヴァも朝食を食べていないということ。
始めの直売工場は、中華街の有名なブタまん店、江戸清。
「早く江戸清のブタまん食べたいなー」と二人でブタまん気分になりながら、到着しました。

 
 
長蛇の列ができていましたが、その先で売られていたのは、冷凍のおまんじゅうだけでした。
「これじゃあ食べられないね」とがっかりして、次へと向かいます。
「ここでふかしたものも売っていたら、かなり売り上げが違ったと思うのに」と、エヴァは、本職のマーケティング専門家の顔になっていました。

「じゃあ長峰製茶で、ソフトクリームを食べよう」と、パンフレットに載っている抹茶ソフトクリームの写真を眺めて、すっかりソフトな気分になりながら、次の工場に辿りつきました。
ここも入り口前に長い列ができており、じりじりと店内に入ったところで、「ソフトクリームは只今交換中で、30-40分かかりまーす」という声が聞こえました。
えー、そんなにー?
めったにまとめて人が来ることもないので、すぐに中身の入れ替えが必要になったのかもしれません。

「じゃあ諦めようか」という話になりましたが、ここでトイレを借りようとしたら、そこにも長い列ができており、エヴァの元に戻った頃には、もうレジ近くまで進んでいたので、注文をして、出来るまでの間、しばらく辺りを散策しました。
がらんとした工業地帯。ひと気がなく、ゴーストタウンのようです。

うろうろしていたら、次の場所、霧笛楼の工場に辿り着きました。
ここも長ーい列になっていましたが、売られていたフォンダンショコラは、ちょっと私には濃すぎるものだったので、ここもスルーすることに。
長峰製茶に戻り、待ってようやく手にした抹茶ソフトは、待った甲斐あって、お茶の香りと味が濃厚な、とってもおいしいものでした。

 

それから、カステラの文明堂に着きます。
あれ、文明堂って長崎カステラじゃなかったかしら?と思いましたが、今や全国規模で展開しているので、あちこちに工場があるのでしょう。

 

できたての「窯だしカステラ」を試食させてもらいました。
う~ん、あったかくておいしい!
「あれ、カステラって冷やすんじゃなかったっけ?」とエヴァ。
なんにせよ、作りたては雲のようにふわっふわで、もう格別です。

 

それから、佃煮の南部フーズ、洋菓子の喜友、かをりの工場が固まってありました。
かをりのレーズンサンドを楽しみにしていましたが、私たちが行った時には、お客さんの行列向こうに、商品がもう数えるほどしか残っておらず、売り子さんが
「かをり終了でーす!」と叫んでいました。
がっかりしましたが、かをり終了という響きが、なんだか会社の終わりのようにも聞こえて、なんとなくおかしくなりました。

エヴァは、パンフレットに載っていた喜友のオレンジケーキを買いました。
ママレード的な甘露煮が少し苦手な私は、ほかのケーキを買いましたが、一口いただいてみたら、甘漬けにされすぎていない、新鮮な爽やかさが口に広がる、おいしいものでした。

さて、これで楽しい工場直売めぐりはおしまい。
全てのお店で買いまくるつもりで、大きなエコバッグも持っていったのに、その場で食べられなかったり、苦手なものだったり、すでに売り切れていたりと、思ったよりも買いませんでした。

場所は柴漁港の近く。穴子丼の看板を見て、お昼を食べたいね、と港の食堂に行ってみましたが、同じことを考えている人だらけで、ルートから外れているのに、ここも長蛇の列だったので、諦めました。
ここから八景島シーパラダイス経由で、金沢文庫に出てゴールかな…と、地図を確認してみたら、ゴールは文庫駅ではなく、八景駅でもなく、その先の追浜駅になっていました。
今いる地点から6キロだと、さりげなく書かれています。
「6キロってー!なぜ追浜まで歩かないといけないのー?」
曇りの日でしたが、それでも日中は日が出て暑くなっており、足も少し億劫になってきた私たちは、ブーブー言いました。

「あ、今回は、横須賀が主催だから、ゴールは横須賀にしないと企画が成り立たなかったのでは?」と気がついたエヴァ。
・・・なるほど、そうにちがいありません!
「だってルートはほとんど横浜だもんねー」と言いながら、まあいっかという感じで、地図通りに歩き始めます。

歩くのは好きですが、さわがしい車通り沿いを歩くのは好きではありません。
でも、この辺りは母校のそばの懐かしい界隈なので、少し横道にそれたりしながらのんびり散策しました。

 

釣りが趣味のエヴァは、平潟湾に糸を垂らす、大勢の釣り人たちの獲物をチェックしていました。
バケツの中にはハゼがたくさんいました。
・・・あれっ(二度見)。

 

途中、運河の真ん中にいる5人組を発見。
あれはいったい・・・?と、二人で首をひねりました。
いったいなにをしているの? 母校の後輩かしら? きっと関東学院の人たちでしょう。

 

シーサイドラインは横浜市営なので、金沢八景が終点。私たちは横須賀へ向かうため、ここでお別れです。
海の上に描かれた美しいカーブ線に見とれました。

 

この白い橋は、野島公園にかかる夕照橋。この辺りの橋は、帰帆橋とか雪見橋とか、すてきな名前のものが多いです。
形も珍しくてすてき。このごろではすっかり橋に目が行くようになった私です。いい趣味を見つけたわ(自我自賛)。

 

橋を越えたら、ようやく横浜から横須賀に入りました。
絵のようにかっこいいマンホールにときめきます。
「ペリーだ!」「あめ!」

 

水路にそって歩き、ようやく駅に着きました。
ゴール~!缶バッジをもらいました。
食事を取ろうと駅前のお店に入り、ようやく座りました。さすがに疲れたわー。

この日はまだ帽子が必要な暑い日でしたが、少しずつ散歩向きの気候に変わってきています。
考えてみたら、横浜シーサイドライン沿いに、ほぼ全線を踏破したことになりました。
チャレンジしたことがなかったので、これは嬉しいです。
全行程12km。なかなかいい運動になりましたが、この日買ったお菓子をおいしくいただいたので、きっとプラマイゼロ!

金沢工業団地を訪れたのはこれが初めてでしたが、私が好きな横浜スイーツ工場がたくさんあるということがわかりました。
定期的に直売をしているそうです。
ありあけの工場もあったので、ハーバーの直売もあったらよかったなあ。

食事をして元気を盛り返した私たち。
歩き足りないということは全くありませんでしたが、数年ぶりの再会で話足りないところはあったので、横浜に移動して、さらにおしゃべりしながら散策しました。
そのお話は、日記ブログの方でまた別の日に。
この日歩いたのは、40508歩。我ながらびっくりです。
お菓子はもっと買ったんですが、すでにおなかの中。食べちゃう前に写真を撮るんだったわ…

 

来月はスイーツお買いものウォークから一転、「観艦式記念 艦船見学ウォーク」だそうです。
ご興味がある方はぜひ挑戦してみて下さいね。

箱根・湘南・夏すすき index

2012-09-02 | 神奈川


1st day
夏の箱根へ。仙石原でまだ青々としたすすきの波を眺めます。
素敵な離れの温泉宿で料理に舌鼓を打ち、のんびり秘書を楽しみました。



2nd day
芦ノ湖周辺を散策します。杉並木を歩き、ロープウェイで駒ケ岳の上へ。
小田原でおいしいお寿司をいただき、茅ケ崎ビーチで海辺の夏を満喫しました。