京都へ行くたびに会ってもらっており、彼女と会うのが旅の楽しみの一つになっています。
彼女のゆったりした柔らかい関西弁を聞きながら、1年間のよもやま話をしていると、いつも時間はあっという間に過ぎて行ってしまうのです。
それまでの旅のロジで頭がいっぱいだったため、結構彼女に任せてしまいました。
(ランチは中華ね)と言われていたので、(中華かあ。あそこだったらいいなあ)と想像していた東華菜館に連れて行ってもらったので、「ウソ~!」とお店の前で飛び跳ねて喜びました。
「私、森見登美彦という作家が好きで、その人の小説に出てくるの!あと、ここのエレベーターって日本で一番古いのよねっ!?」と息せき切って話したら、彼女は圧倒されながらも「よく知ってるね~、その通り!説明しようとしたけれど、話が早いわ」と言いました。
森見氏の『恋文の技術』に登場します。たしか、上手な恋文を書けないことを気に病んで「東華菜館の上から飛び降りてやる!」とかいうシーンでした。
あと『森見登美彦の京都ぐるぐる案内』でも紹介されています。
ここのレストランは、外観もクラシカルで、鴨川沿い、四条大橋たもとに立つその建物は雰囲気満点。
前に、橋の上から建物全部を取ろうとして無理な体勢を取っていたら、道行く人に振り返られたことがありました。
でも、高級そうなので、一人では敷居が高すぎてとても入れそうにないし、かといって親は中華を好まないので、連れて行くこともできず、いつも外から指をくわえて眺めているだけだったのです。
ひとみさん、どうもありがとう!
入口には、ドアマンが2名おり、その日本最古のエレベーターにもボウイさんがついていました。
到着階数が矢印で示されるようになっているスタイルのものは、かつて伊勢佐木町の松坂屋にあったエレベーターと一緒で、私はそれをこよなく愛していました。
松坂屋の閉店に伴って、そちらを使うことはできなくなってしまいましたが、まだこれは現役です。
二重扉になっており、古いヨーロッパの建物のよう。『死刑台のエレベーター』を思い出しました。
通されたのは4回。広く細長いフロアで、窓の外には鴨川、そして川向うの南座がまっすぐ見えます。
ここで中華をいただきました。全体的に薄味で、私好みです。
春巻きが、皮に卵が入っていてふしぎな感じでした。
京都の鴨川沿いという川床感覚ながら、建物は欧米風、そして食べ物は中華という不思議な感覚。
ここは京都の人が、なにか特別なイベントの時に家族で来るようなレストランだとのことで、たしかにほかのお客様は、みんな地元の人といった風で、旅人っぽい人はいませんでした。
食べ物とお店のムード、建築、調度品すべてに胸いっぱいになりました。
出る時に入口のファサードを見上げると、そこにはなぜかタコとホタテ貝の彫刻が。
なぜ・・・?竜宮城の入り口みたいでした。
なるべく人混みを避けるため、バスを使わず、大通りを歩かないようにします。
食後、四条から三条に向けて鴨川のほとりを歩き、疏水沿いを散策しました。
おしゃべりをしながら、町屋の路地に入りこんだり、観光寺院ではない普通のお寺をのぞいたり。
「だん王」と書かれたお寺が気になって、中に入ってみました。
檀王法林寺お寺でした。
楼門の奥には保育園があり、門の中には、仁王さまならぬ四天王が鎮座していました。
珍しいですね。子供たちは、怖がらないのかしら?
後で調べてみたら、ここは日本最古の招き猫伝説があるところだそうです。
次にさまよいこんだのは、日蓮本宗 大本山 要法寺。
立派なお寺で鐘楼もあり、最近まで屋根の上から睨みを効かせていた鬼瓦が、下におろされて飾られていました。
間近で見て、その大きさに圧倒されました。
疏水沿いを通るたびに、いつも気になる藤井斉成会有鄰館の周りをぐるりと回ってみました。
残念ながら、見学はできないようでした。
後で調べてみたら、限定日のみ、一般公開しているそうです。
「庭園に行きたい」というひとみさんのリクエストで、無鄰菴に行きました。
有鄰館と無鄰菴、対を成すようですが、特に関係はないのかしら?
山県有朋の別荘の無鄰菴には、これまで訪れたことはありませんが、良かったという知人の話を聞いていたのです。
中はそう広くはありませんでしたが、池泉回遊式庭園で、園内を奥まで楽しめるようになっていました。
苔芝が美しく、見入ります。
先月苔寺へ行ってきたというひとみさんは、「ここの芝も好き」と熱心に見入っていました。
母屋でお抹茶を頼んで、一休み。
南禅寺にほど近い場所ですが、おそらく南禅寺・永観堂ルートを取る人が多いと思われて、さほどここは混んではおらず、ゆっくり長居ができました。
倉のような洋館もありました。
2階建てになっており、ここで山県有朋、伊藤博文、時の総理大臣・桂太郎、外務大臣・小村寿太郎の4人が、日露開戦直前の外交方針を決める「無鄰菴会議」が開かれたとのことです。
さほど広くはない部屋の割に、高い天井。くすんだ金色の壁画や、紫の布張り椅子、古いストーブが当時のままです。
江戸川乱歩の物語に登場する、秘密を隠し持ったいわくありげな未亡人が、今にも出てきそうでした。
日が傾いて空気が冷たくなってきた頃、庭園を出て散歩を続け、料亭旅館幾松の路地に吸い込まれそうになったりしながら、三条通の京都文化博物館別館に行きました。
重厚な建物。ふだん外側だけ見ていた場所の中に入れたりするので、町に詳しい人と一緒だと、世界がどんどん広がります。
ここに、「今年の漢字」投票箱があるのを見つけました。
毎年年末近くなると一般公募され、12月12日の「漢字の日」に清水寺で発表される、あれです。
去年は清水寺を訪れた時に家族で投票して、私が書いた「暑」が選ばれました。(猛暑でしたもんね)
「これ、投票しようよ!」と二人で字を考えます。
私は(やっぱりこれかな・・・)と「震」にしました。
ひとみさんは、「今年は "絆" 、これでしょう」と言いながら、書いていきます。
どちらも震災に関する字ですが、関東でこの大地震を体験し、災害関連の仕事をしている私は、具体的な字を選び、関西に住む彼女は、震災後の人々の心情を表す字を選んでいます。
ハード面とソフト面?
(場所が違うと、震災への感じ方も、選ぶ字もちょっと変わるのかな)と思いながら、先に書き終わり、彼女の手元を何気なく見ているうちに、「・・・ん?」と思いました。
(あれ、"きずな" って言ってなかった?)
明らかに、できていく字が違います。へんの段階から違うような・・・。
言うのをためらっているうちに、彼女は「できた!」と字を書き終えました。
かけらも気付いていない風だったので、とうとう真実を伝える(突っ込む)ことにしました。
「それ、"きずな"じゃなくて"粋"だよ!イキ!スイ!」
「あれ?あっ、そうやわ!"きずな"ってどんな字だったっけ?」
ちょっと前までわかっていたのに、粋の字を見たとたんに飛んでしまって、二人ともど忘れしてしまいました。
ひとしきり二人で笑った後、「まあ、粋でもええわぁ」と、書き直さずに投票した彼女。
そこが "いき" だわー!
午前中に『「いき」の構造』の九鬼周造のお墓参りをしていたことに、縁を感じます。
きっと審査員の人たちも(え?なぜこの字?)と首をひねることでしょう。
今年の一字の発表が、楽しみです。
Cafe Independentに入ろうとしましたが、夜は貸し切りということだったので、三条通りのイノダコーヒ本店でお茶にしました。
三条店ととても近く、私一人なら完全に勘違いして三条店に入っていたところでした。
店内には古めかしいTVがあり、渋さが漂っています。
禁煙室の方が別室になっている建物の造りにも、古さを感じました。
お茶を済ませた頃には、すっかり暗くなっていたので、ライトアップを行っている東福寺の塔頭、天得院に、京阪で向かいました。
ここは今まで入った京都の寺社の中でも一番規模が小さいほどで、(あれっ、ここだけ?)と思いましたが、庭園がきれいだったので、しばらく観賞しました。
庭園に光があたり、建物内は暗かったので、はっきりとはわかりませんでしたが、訪れた人は若者ばかりだったように思います。
そこで閉まる時間までゆっくりしました。
最後に、さっと夕食を取ることにしました。
「昼とダブルで中華になっちゃうけど、さくっと京都のラーメン食べてみる?」と言われて、「うん!」と言ったものの、想像できたのは、横浜にもある「京風らーめん・糸ぐるま」だけ。
案内された「中華そば専門 新福菜館本店」は、道路沿いの、かなり男っぽいお店だったので、驚きました。
列に並んで待ち、出された中華そばを見てまたびっくり。
醤油ベースのスープの色が、めちゃめちゃ濃い~!
(でも、味は見た目に反して薄い、っていうことね)と思って食べてみましたが、味もやっぱり濃い~!
えー、関西って薄味じゃなかったの!?
ひとみさんが頼んだ焼きめしを、一口いただきましたが、それも味がはっきりしていました。
うーん、これは喉が渇きそう!
帰る時間が近づいてきたので、食事を済ませて別れを済ませ、お互いの家に帰りました。
ひとみさん、夜まで付き合ってくれて、今回もどうもありがとう!
横浜に来た時には真心込めてガイドしますわ!
食後、おなかがこなれないうちに乗物に乗ったので、酔わないかと不安でしたが、酔い止めバンドをつけたら、効果てきめんでした。
そんなこんなで幕を閉じた今回の京都旅行。
ああ楽しかった。
天候にもいい同行者にも恵まれ、素敵な思い出をたくさん作ることができました。
自分の好きな場所を訪れることにしました。
ハイシーズンの京都は道路が動かなくなるため、移動が少ない範囲内にします。
朝早く起き、まずは法然院へ行きました。
いつもは哲学の道を通って行きますが、流れを越えて、普段とは違う山側の道を選んで行ったら、まったくひと気がなく、(本当に着けるのかな?)と心配になったところに、向かいから男性がやってきて、「銀閣寺へはこちらの方角ですか?」と質問されました。
「はい。あの、法然院はこの道で大丈夫ですか?」と逆に聞き返したら、「そう、ここをまっすぐ」と教えてもらい、お互い道が正しかったことに安心してすれ違いました。
法然院は、いつもと変わらぬ静かなたたずまいで、心落ち着きます。
朝ながら、思ったよりも訪問客が多かったのですが。
久しぶりにお寺の墓地に寄って、谷川潤一郎と九鬼周造のお墓に御挨拶しました。
私にとってのヒーリングです。
それから安楽寺へと行きました。
ここの落ち紅葉も美しいのですが、今年は全く落ちていません。
普段は非公開ながら、ちょうど秋の限定公開日にあたっています。
ただ、開くのは9時半からと、まだ2時間も先の話だったので、先があるため諦めました。
そこからバス通りへ出て、黒谷へと向かいます。
途中、「ウォ~」という、なんだか太い声が何度もしたので、何事か!と思って身構えていたら、托鉢途中なのか、僧侶が数名、路地を周っていました。
金戒光明寺の堅固な山門をくぐって・・・と思ったら、修復中ですっぽりと幌に覆われていました。
そばにあるせいしまる像も、工事中の幌の中、ぽつんと座っていました。
ここは2010年秋の「そうだ 京都、行こう」の場所だったので、去年親と訪れた時には、ワンサカ人だらけでしたが、去年よりも人は少なくなっていて、境内が広々と感じました。
さらに歩いて、真如堂へと行きます。
ここのお寺もお気に入り。三重塔の辺りの紅葉がきれいで、大勢の人が写真を取っていました。
それにしても、まだ朝なのに、けっこうな人出に驚きます。
これから日が高くなるにつれ、一層人は増えるのでしょう。
裏山から下りて、またバスに乗りました。
次に向かう場所は、観光地ではありません。北白川幼稚園です。
前に、京都に住んでいたかっちさんに、お勧めの場所を聞いた時に、教えてもらった場所でした。
ただ、本当に普通の場所らしく、黒谷の交番で行き方を聞いた時にも、結構時間をもらい、地図を出して探してもらったくらいです。
言われたバス停から降り、お店の人に聞きましたが、「山の上だから」的なザックリした説明しかもらえず、(これは知っていそうな人に聞くしかない)と思いました。
と、向かいから、小さな女の子の手を引いたママさんが、ゆっくり歩いてきたので、場所を聞いてみると「ちょっとわかりづらいんですよ。近くまでこれから行くので、途中までご一緒しましょう」と言ってくれました。
ああ、助かります!京都でこんな親切な人に出会うとは!(え?)
女の子は2歳で、来年からその幼稚園に通うとのことでした。
たしかにわかりにくい、小道を何度か折れて、さりげない細い石段の道の前につき、「ここです」と教えてもらいました。
「ここを上って行って、突き辺りになります。結構な坂ですよ」
お礼を言って、お別れしました。
幼稚園だから、幼児だって上るんだし、と思いましたが、これが結構な石段で、(送り迎えをする人は大変だわー)とゼイゼイしながら思いました。
黙々と昇っていくと、どんどん京都の市街地が見えてきます。
たしかに爽快な光景。
そして、一番上にある幼稚園は、やはり紅葉がきれいでした。
私よりも一足先に上っていた散歩中らしき男性と、「きれいですね」と言い合いながらすれ違いました。
ここは本当に、地元の人しか行かない穴場です。かっちさん、ようやく行って来れたわー。教えてくれてどうもありがとう!
ちなみに幼稚園には、高さ129mと書いてありました。マリンタワーより高い~。
それから再びバス通りへ戻り、今度は知恩院へと向かいました。
ただ、乗ったバスがもうギュウギュウ。すでにラッシュがはじまっています。
後部座席に座れましたが、どんどん人が乗ってきて、身動きが取れません。
途中のバス停でようやくの思いでバスを降りた時には、胃がせりあがりそうで、幼稚園に上った時と同じくらいゼイゼイしました。
画像は青蓮院門跡前の大クスノキ。相変わらずたくましい枝っぷりです。
知恩院には両親と訪れましたが、「ここの御朱印帳がほしい」と言う母のために、再び訪れたのです。
昼の知恩院は、ライトアップの時の幽玄さはなく、日の光を浴びて威風堂々としていました。
三門からまっすぐ続く男坂も、閉鎖されておらず、みんなヒーヒーいいながら、根性試しに上っていました。
無事に朱印帳を買い、大鐘の横を通って、円山公園に行きました。
17人力でここの除夜の鐘が鳴らされる大晦日も、もうすぐです。
散策中のおじいさんが、お寺の石段を上がっていくので、(ここ、来たことあったかな)と私も上ってみると、そこは安養寺でした。
はっと思い出します。たしかここは、法然が比叡山を下りて初めに草庵を開いたところではありませんか。
五木寛之の『親鸞』にも、悟りが開けず悩める親鸞が、吉水草庵で教えを説く法然のもとに足しげく通った、というシーンがありました。
それがここなんですね。
それから円山公園を通って、八坂神社へ。
華やかな美御前社(うつくしごぜんしゃ)をお参りしていたら、旅人らしき外国人カップルがやってきたので(なんの神様かわかるのかな?)と思いながら離れました。
お日がらがよいのか、結婚式を二組も見かけました。
祇園からバスに乗って、四条を通ります。
予想していた通り、ものすごい人混み。昨日もすごかったのですが、それ以上です。
この日は確実に、銀座よりも四条の方が人であふれていたでしょう。
あまり道路が動かないなら、歩いていこうと思いましたが、そろそろとバスは進んでいき、友達と待ち合わせをしている河原町に着きました。
続きます。
連泊していても、きちんと毎朝参加するのが決まりです。
でも、昨日とはまたお経が違うことに気がつきました。
お坊さんも、たくさんお経を読まなくてはならないので、勉強し続けなくてはなりませんね。
この日、案内役となってくれたお坊さんは、小柄な女性の方でした。
子供のようなきれいなお肌で、(やっぱりお化粧しない方が、素肌はきれいなのかしら?)と思います。
でも声はハスキーでした。きっと毎日、声を張り上げて読経しているためでしょう。
法要のため、昨日まで戻っていなかった、東京藝大副学長・田渕俊夫画伯の、墨絵の襖絵が新たに設置されており、ため息をつきながら間近で拝観できました。
そこに存在しているだけで、場の全てが清らかになるような、数々の素晴らしい襖絵にうっとり。(画像は若沖の襖絵です)
朝食を済ませて、チェックアウトをし、この日は嵐山へと向かいます。
ハイシーズンには激混みの嵐山。覚悟はしていましたが、近づくにつれ、バスが全く動かなくなりました。
渡月橋では、橋の両側を渡る歩行者たちの多さに驚きました。
嵐山でも、中心は避けて、少し離れたところで降りました。
向かったのは、宝筐院です。夢窓国師の高弟が中興開山しました。
ここの紅葉は、身震いするほど美しいと聞いており、前々から気になっていました。
ただ、今年はやっぱり紅葉はまだ早くて、ちょっとがっかり。
期待しすぎるのがいけないんですけれどね。
室町幕府2代将軍・足利義詮と、楠木正成の長男、楠木正行(小楠公)の古びた石のお墓があり、時代を語っていました。
次に、嵯峨釈迦堂へ行きました。
ここは浄土宗のお寺で、母が好きな法然ゆかりの地です。
清凉寺ともいうこのお寺のたたずまいがとても好きで、いつも嵐山に来るたびに境内を散策していましたが、中に入るのは、初めてです。
なんと、ここの御本尊「三国伝来の釈迦像」は国宝でした。
様々な調度品も飾られ、奥の庭園も美しく心安らぎます。
国宝館には、釈迦像の胎内から見つかった、仏教版画などの納入品が展示されていました。
どれも国宝。絹で五臓六腑をかたどったものもあり、すばらしいものばかりです。
こんなにすばらしいお寺だとは知りませんでした。ますますお気に入りのお寺になりました。
それからバスに乗って、終点の大覚寺に行きました。
嵐山観光地の一番奥に来たつもりでしたが、観光客の数がかなり多く、入口がごった返していたので、驚きました。
去年、ライトアップには来ましたが、日中の拝観は初めてです。
ちょうどご住職の法話があったので、熱心に拝聴しました。
開基は嵯峨天皇と、彼の命を受けた空海で、嵯峨天皇の離宮をお寺した、雅な空気が漂う皇室ゆかりの寺院です。
「嵯峨御所」や「いけばな嵯峨御流」でも有名な場所です。
嵯峨天皇は、この辺りがとてもお好きだったから、嵯峨という名前になったという方だとのことでした。
今晩の『世界不思議発見』に、このお寺が出るそうです。また「今、大河ドラマでやっているお江の娘が、大覚寺の再興を図った後水尾天皇の后になりました。明日最終回ですよ。でも大阪ダブル選挙があるので、1時間遅れになりますよ」と、お坊さんが親切に皆に教えて下さいました。
旅の途中なので、どちらも見られずに残念。
宝物殿でも、詳しい解説をしてもらいました。ここの御本尊は五大明王というだけあって、迫力ある明王像が多く所蔵されていました。
お寺を出て、大沢池を散策します。ここの池の周りには、一切電線が通っていないため、時代劇の撮影によく使われるということでした。
池のほとりで、焼きまんじゅうや芋まんじゅうを食べました。
約1200年前に大沢池と同時期に空海によって造営された「弘法大師閼伽(あか)井」が一般初公開されていると知り、空海好きの父のために、場所を聞いて探し当てました。
湧水ですが、阪神大震災の影響で水量が減り、現在は電動ポンプで汲み上げているそうです。
震災の余波がこんなところに。
霊験あらたかな閼伽水で手を清めました。
素晴らしい寺院を巡り、大満足して嵐山をあとにしました。
ただ、帰りは行き以上にごった返し、道路は全く動きません。
じりじりとカタツムリのようにバスは進み、ようやく四条通りに辿り着きました。
そこからバスを乗り換えて、平安神宮へと向かいました。
巨大な朱鳥居を見て、父は「修学旅行を思い出した」と喜びます。
10代の気持ちを取り戻したようで、よかったよかった。
日差しが傾いてきて、朱色の神殿が美しく輝いていました。
そこから永観堂の前を通って、南禅寺へと向かいます。
去年も訪れましたが、もう夕暮れの薄暗さの中で、よく楽しめず、御朱印ももらえなかったためです。
今回は、三門にもまだ登れる時間だったため、下から見上げると、門の上に大勢の人たちがいるのが見えました。
うわ、あふれそうなくらいいっぱい!落ちてきそうでこわいっ!
夕方になるにつれ、道路は動かなくなるため、地下鉄で京都駅へと向かい、帰宅する両親とお別れしました。
私はもう1日、京都に残ります。
この日は、さほど歩いてはいませんが、人混みと道路混雑ですっかり疲れてしまい、親を見送った後、まっすぐ宿に戻り、早々に就寝しました。
京都の紅葉シーズンの休日の混雑は、おそろしいものがあります。
でも、天候にも恵まれ、両親に喜んでもらえた旅となったので、娘としてとても嬉しい思いができました。
日ごろ積み重ねている親不孝を、これでなんとか挽回できたかも!?
高雄でお昼を取ってから、山を下って金閣寺に行きました。
修学旅行で訪れた場所に、その後行っていないという父に、十代の頃のときめきを思い出してもらうためです。
金閣より銀閣派の、渋好みの私は、金閣寺はキンピカすぎるし、とにかく修学旅行生にもみくちゃにされてしまう~と、内心あまり気が進みませんでしたが、行ってみたら、紅葉は綺麗だったし、抜けるような青空にゴールデンパビリオンが美しく映えており、訪れて大正解でした。
確かにキンピカですが、決して成金ぽくないところが、さすがの風格です。
1階が寝殿造りで2階が武家書院造り、3階が仏殿造りなんですよね。
そう思って見てみても、2階と3階の違いがよくわかりませんが。
相変わらず観光客は多く、私がひそかに(日本一混んでいるわびさび茶室)と呼んでいる「夕佳亭」の周りは、この日も人でいっぱいで、わびもさびもありませんでした。
ああ、ここで夕日を眺めての静かなお茶会をしたいものです。
大原女の格好をした人が庭掃除をしており、風景にとても合っていました。
それから、大徳寺に行きました。
ここは、京都に詳しい母も初めてとのこと。
千利休の木像事件が起こった三門を見て、感激していました。
非公開なので中には入れません。いつの日か、この三門の内部を見学してみたいわ~と、熱い視線を投げかけました。
大徳寺内のお寺はほとんど非公開で、なんだか敷居が高い感じ。
中心の場である本坊も、通常は一般公開されていませんが、この日は唐門と一緒に公開していました。
塔頭の高桐院に行ってみます。ここの参道の落ち紅葉がどんな感じか、調べるためです。
ただ、やはりまだ早いようで、葉が落ちているどころか、まだそれほど色づいていませんでした。
少しにわか雨が降ったと思ったら、大きな虹ができていました。
端から端まで見えて、幸せな気持ちになります。旅の途中では、特に。
それから、疫病鎮めの今宮神社へと行きました。
ここは、のちに将軍の妻桂昌院となった八百屋の娘お玉ゆかりの神社ということで「玉の輿守り」というすごいお守りが売られています。
御朱印を書いて頂いている間、(うーん、すごいわね...)と母と私で遠巻きにしていたら、さらりとそれを買い求めていった女性がいました。
そのお守りを買う勇気がある人なら、玉の輿は夢じゃないですね!
父は、巨大なハンコに夢中でした。ビッグ~!
古めかしいあぶりもち茶屋が、参道の両側に、仲良く二軒向き合っています。
ここで一休み。有名なあぶりもちを食べてみたかったんですよね~。
一人旅の時には、玉の輿守りどころか、あぶりもちさえ頼む勇気がなかったので、今回親と一緒に食べようという算段です。
花婿さんと花嫁さんの写真撮影を見ながら、縁側に座ってしばし待ちました。
意外に座敷は奥まであり、お客さんで店内はごった返している様子。
注文を受けてから、炭火で一つ一つ焼いて行くということで、かなり時間がかかりました。
しばらく待っては見ましたが、宿の夕食の時間が迫ってきたので、お茶だけにしてお店を出ました。
あぶりもちは、また次回に持ち越しです。
予定よりも少し遅れて夕食にしました。
この日は、京懐石を頼みました。
どれもおいしいです。ここの宿坊はいいわ。
私には勇気がありませんが、お一人様で宿泊している人は何人もおいでのようでした。信徒さんかもしれません。
食事を済ませてから、再び外に出かけました。
目指すは、知恩院のライトアップ。
今年は、法然上人800年大遠忌の節目の年です。ちなみに、親鸞聖人750回大遠忌でもあるので、今年の知恩院や本願寺は、浄土宗と浄土真宗の信徒さんで例年以上の賑わいを見せています。
その記念もあって、いつもは行わないライトアップが開催中。
光に照らし出された三門は、また普段とは違う闇の中の巨大さがあって、光と影のコントラストに圧倒されます。
まずは友禅苑に入りました。入ってすぐの池の美しさに、息をのんで立ち尽くします。
鏡のように映し出された紅葉の鮮やかさ。
大勢の人がいたのに、めいめいに言葉少なく、湖面に見入っていました。
中央に立つのは、観音像でしょうか。
光景に感動しながらも、(金や銀の斧を見せてくれる女神さまみたい)と思いました。
夜に見る石庭も、幽玄の趣でよいものです。
それから、女坂を上りました。三門から御影堂にまっすぐ伸びる男坂は、とても急なので、危険なためか、封鎖されていました。
両親は御朱印をもらいます。行列ができていました。
人気だなあと思ったら、どうやら特別の御朱印が配られているようでした。
「法然上人800年大遠忌」のほかに、「法爾(ほうに)大師」とありました。
この800回忌にちなんで、今上天皇から受けた名前だそうです。
両親は、それを含めて御朱印をお願いし、「3000円になります」と言われていて、ビックリしました。
夜の知恩院は、初めてなので、どこもかしこも普段とは違う雰囲気です。
阿弥陀堂も開いており、そこから金色の阿弥陀様を拝観できました。
穏やかなお顔で、暗闇の中から覗く私たちにとって、いっそう眩しく見えました。
それから三門に上ります。
この巨大な知恩院の三門、普段は非公開なので、今回は絶好のチャンス。
「三門入口」に行くと、木張りの通路がありました。
なんと、上からの連絡通路ができていたのです。
下に下りて階段を昇る必要がなくなっていました。
(あの高い三門に、こんな楽に入れるなんて!)と驚きました。
大勢の人が来るし、めでたい年に怪我人を出したくないからかもしれません。
門にはいる時には、すごくドキドキしました。
門から望む京都の夜景。遠くまで見渡せて、美しかったです。
また、念願の内部も、安置された仏像の数々や天井画など、すばらしいものでした。
家族で大満足です。
御影堂には、祭壇の辺りしか灯りがともっておらず、参拝者のいる畳間はほとんど暗闇の中でした。
暗い中で、やはり目がいくのは、御本尊。そこでお賽銭を上げ、お参りをしました。
ライトアップでは、なかなかいい写真が撮れませんが、普段とは違う秘密めいた雰囲気に心ひかれます。
大満足の知恩院。小さくなりゆく三門を、何度も振り返りながら、帰りました。
ライトアップの灯籠をのぞきこんでみたら、全て蝋燭に灯をともしたものだったので、(あれほどたくさんの灯籠すべてが、電気ではなく本物の火なのね!)と感激しました。
宿坊の10時の門限にも間に合い、お風呂に入って、この日も早々と眠りにつきました。