● prologue
「坂東三十三箇所」という、関東地方にある33のお寺巡りをしている私。
その中でも、一番の難所と言われる場所が、日輪寺(にちりんじ)というお寺です。
茨城県と福島県と栃木県の三県にまたがる八溝山(やみぞさん)の上にあります。
標高1022mの、高野山より高い八溝山。
あまりの過酷さに、古くからここまで足を運ばずに遠くから拝むだけで済ませてしまった巡礼者も多かったよう。
『八溝知らずの偽坂東(やみぞしらずのにせばんどう)』という言葉もあるほどです。
山にバスは通っておらず、車でもアクセスは大変そう。
(これは一人では絶対無理!)ということで、茨城出身の友人アコリンを誘いました。
地元で有名な山かと思いましたが、茨城でもあまり知られていないようです。
茨城県民にとって県の山といったら、日本百名山にも選ばれている筑波山。
たしかにいつ行っても、登山客でいっぱいです。
でも、茨城県の最高峰は、実はこの八溝山なんですよ。
つまり隠れたラスボスです。
不慣れな場所で不安でしたが、アキポンさんが館林からジョインしてくれるとのこと。
彼女はすでに日輪寺に行ったことがある強者。
栃木の方から別ルートで訪れたそうです。
寺好きの3人で、目指すことになりました。
茨城でも北端近くになり、横浜からは往復350キロ!
全部車にすると、運転で疲れてしまうため、近くまで電車で行って水戸付近で集合し、そこからレンタカーで向かうことにしました。
前日、天気予報を見ると、翌日は晴れ。
茨城は気温24度でした。
でも八溝山は15度だそう。下界と10度も違うなんて。
温度差に気を付けないといけません。
● 特急ひたちで現地集合
この日の移動ルート
当日は6時半に出発。
東横線で渋谷まで出て、JRに乗り換えて上野駅で特急ひたちに乗る予定でしたが、早起きしてぼーっとしていたら、乗り換えしそこなって明治神宮前駅まで行ってしまいました。
駅員さんに相談したところ「千代田線は常磐線と繋がっているので、ここから柏駅まで行けば特急ひたちに乗れますよ」と教えてくれました。
戻らずにすむので、そのルートで行くことに。
ドタバタでしたが、柏駅から無事特急に乗れて、アコリンと車内で落ち合いました。
結果的に、乗り換え回数は一番少なく済んだようです。
今度から水戸に行く時、このルートで行こうかしら。
● 勝田駅からドライブ
特急ひたちの終点、勝田駅は、水戸のひとつ向こうの新しい駅です。
9時半に到着して、アキポンさんと落ち合いました。
レンタカー屋さんが探せないため、交番で聞こうとしたら、ドアに鍵がかかっていました。
交番に入れないなんて~!
留守の時には、電話でおまわりさんに繋がるものじゃなかった?
駅前交番はクローズ中
レンタカー屋は駅の向こう側にありました。
係の人も「どこまで行かれるんですか?え、やみぞさん・・・?」と知らない様子。
まあそうかもしれませんね。ここは県南で、八溝山は県北。
長い茨城県を、これから縦断するのです。
水戸はやっぱり黄門さまの国ですね。
「お酒の遊園地」ですって。新しもの好きの黄門さまなら、ワインも飲んでいたかも!?
そして印籠が大きすぎ…(笑)
● 新旧道の駅
道の駅ひたちおおた。クリーンで新しい感じ。
でもここには停まらず、素通りします。
停まったのは常陸太田の
道の駅さとみ。
先ほどとは打って変わってグッとレトロ。かかしが飾られていました。
右側には、なぜかバーベルを持ち上げる選手の像が。手作り感満載です。
建物の中には、去年のかかし祭りの優秀作品が飾られていました。
そっくりのトトロがいますが、かかし感が全く感じられません。
● ここは福島
「棚倉町」という表示を見て(ふーん)と思っていましたが、ここは福島県でした。
あれ、いつの間に越境したんだろう?
横浜から、一体いくつの都と県を越えて来たのか、わからなくなりました。
神奈川・東京・埼玉・千葉・茨城・福島・・・六つめ!
この辺りの住所は、福島県東白川郡棚倉町八槻松岡。
「字」の字が多い!かなり奥まったところまで来ています。
私たちは南から山に向かっているはずなのに、棚倉町は、山の北東にある場所。
不思議ですが、山に入るルートが限られているからでしょう。
この辺りは県境地域なので、その後も茨城・栃木・福島を出たり入ったりしながら、八溝山に向かっていきました。
● いよいよ難所越え
大きな木の鳥居の前で、停まります。「延喜式内 八溝嶺神社」と書かれています。
木一本を丸太状態でそのまま鳥居にしていて、雰囲気たっぷり。
ここが八溝口といわれる八溝山への登山道。
大きな鳥居をくぐって、聖なる山に入ります。
バスの人は、この辺りからあとはひたすら歩くのみ。
ここから徒歩で約2時間かかると言われていますが、私ならその3倍くらいかかりそう。
かつて巡礼者は、もっと遠い大子(だいご)町から40キロ歩いてお参りしたようです。
いよいよ、道は舗装がなくなり、砂利の細道になりました。
山肌の反対側にガードレールはなく、落ちたら大事故になります。
延々と続くくねくね道。周りには何もなし。
もうネットもラジオも通じません。
平均斜度が10パーセントぐらいの道が、何キロも続きます。
蝶々がひらひら飛んできました。
わあ・・・とほのぼのしていると「人の魂だね」とアキポン。
えっ、蝶を見て、いつもそう考えてるの?
白や黄色、黒い羽根でひらひらと飛んでいる蝶たちが、やけに気になり出しました。
かなり山道を登ってきましたが、その間人っ子一人通りません。
看板も表示も全くないので、本当にこの道で合っているのか、気になります。
まあ、一本道なので、前に進むしかありませんが。
● 一本道でも迷う道
細道を抜けて、合流点に出ました。栃木からのルートと出合う場所のようです。
私たちは、茨城から来たはずなのに、やってきた道は福島側でした。
3県にまたがる山だからかしらー。
でもここで方向がわからなくなり、しばし辺りをぐるぐる。
休憩している車が二台あったので、近い方の車に乗っていた人に方向を聞いてみました。
「日輪寺?だったらあっちじゃないかな」
ここまで来る人は、みんなお寺を目指しているのかと思いましたが、そういうわけでもなさそうです。
帰り道で見かけた地図。行きに見たかったわ~
方角がわかったところで、再び、車1台しか通れなさそうな細い山道を登って行きます。
木の枝が通せんぼしていている所もあり、カーブの続く道をうねるように上がっていきます。
ずっと辺りに目を配って、なにか標識がないかと探していますが、相変わらず、道案内版は全くありません。
ああ、無事到着できるのか、不安です!
● 頂上過ぎて日輪寺
日輪寺は、山の頂上を過ぎてから、高度差で150mほど下ったところにあります。
ようやく、なにやら小さな標識が見えました。
なんと手描きー!でもこれがないと、そのまま進んで迷ってしまうところでした。
急勾配の下りの途中で、かなり鋭角のルート!削るようにエッジを効かせるアコリン。
実は走り屋だったのかしら?(失礼な) 私にはとても通れません。
● 山の上のお寺
よ、ようやく、お寺に着きました~!
嘘のようで、実感がわきません。
車に乗っていただけなのに、なぜかハーハーと息が荒くなっています。
とうとう来れました…。
読んでくださっている方々は、ピンとこないと思いますが、実際にご自身がこのお寺に行くことになったら、「え~」と途方に暮れることと思います。
ここは「どうしても行かなくちゃ」と思わない限りは、行けない場所です。
● 日輪寺について
日輪寺は、7世紀後半に修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)が創建したと伝えられる天台宗の寺院。
その昔、月輪寺という対になる寺も近くにあったそうです。
その後すたれて廃寺となっていましたが、807年に弘法大師空海がみずから刻んだ十一面観世音の霊像を本尊として再興したそうです。
平安から鎌倉にかけて、修験者など行者がここを霊場化し、鎌倉時代から坂東二十一番札所となりました。
江戸時代には、光圀公も援助したといわれています。
中に上がり、観音様を前にお線香を上げます。
あまりに呆然として、感覚も麻痺しており、般若心経を読むどころか、お数珠を取り出すことさえ忘れていました!
ほかに、バイクに乗った男性たちが数名やってきていました。
みんな御朱印をもらっている、巡礼ライダーでした。
偽坂東じゃないですよ~
本堂は再建されていますが、隣にあったこのお堂は古~い。
夜に見たら怖気づきそうです。
これは、新しい観音堂(つまり本堂)ができるまで、ご本尊の観音様を安置していた祠。
大正4年に建てられた仮の観音堂だそうです。
弁天様とお馬。白い奉納馬を見るのは初めて。
身体のサイズに合わない小さなよだれかけがかわいいです。
そもそも、よだれかけをつけたお馬さんを、初めて見ました。
● 広がる見晴らし
お寺から展望台に出て、臨む下界。快晴ではるか遠くまで世界が広がります。
昔の人はここまで足で登ったんですね。いったいどのくらいの月日がかかったんでしょう。
ここで、車中の人に話しかけられました。
「福島ルートは道が広いですか?」
顔を見ると、先程の栃木ルートからの合流点にいた、二台の車のもう一台に乗っていたご夫妻でした。
その人たちは、相当大変な思いをして那須塩原ルートを通ってきたそうです。
両方を知っているアキポンさんが「広いとはいえません。きっとそんなに変わらないでしょう」と答えます。
那須塩原ルートは距離的には近いので、以前そちらから行こうかと検討したことがありますが、ほぼ道なき道を走ることになると知って、あきらめました。
でも、福島ルートも結構大変だったし、「どちらも大変」と言っているのですから。
技術の進歩で、昔とは比べ物にならないくらい移動が楽になったとはいえ、やはり今でも、ここは誰にとっても大変なルートなのです。
八溝山に登るには、3県からの3つのルートがあり、大抵は、茨城ルートの大子町側から上がって来るそう。
私たちもそのルートを取ったはずが、なぜか福島からのアプローチをとっていました。
裏の棚倉町側から来るのは珍しいようです。
私たちを導いたカーナビが、マニアックな道が好きなんでしょう。
● 名水の里
昭和60年に環境庁が「八溝川湧水群」を日本の名水百選に選定しました。
この山には金精水・銀精水・白毛水などといった湧水があちこちにあります。
「やっぱり金でしょう」
標識を見て、山の中の登山道を下りて行きます。
しかし、行けども行けども、水が湧いている気配はありません。
車を上に置いてどんどん階段を下りていくので、帰りに登れるか心配になっていました。
写真だと分かりませんが、結構下っています
「よし、あきらめよう」
自然の中では、諦めが肝心。再び上に上ります。
改めて仕切り直し。すぐそばにある白毛水に行きました。
これってもしかして「あなたが落としたのは金の斧?銀の斧?」状態だったんでしょうか。
あなたが飲みたいのは金精水?銀精水?
それなら、初めから控えめに、白を選んでおくべきだったのかな?
再び展望台に戻りました。角度を変えても見晴らしがいいわ~。
湧き水を飲んで元気を出して、ふたたび車に乗り込んで、ハードな砂利道を下まで下りました。
● タクシー巡礼
その途中で、山道を登っていくタクシーとすれ違いました。
後部座席には乗客が一人。タクシーでの参拝者でしょう。
ここは、車以外では相当過酷な山。自分で運転できず、山を登る体力もない人は、タクシーに乗っていくしか方法はありません。
運転手さんも、ハードな道での安全運転には、並々ならぬ集中力が必要でしょう。
私のおっかなびっくり運転で、たどり着ける自信はありません。アコリンがいてくれてよかったわ~。
山の頂上には八溝神社がありますが、山裾の鳥居の横には、月讀神や馬大神の石碑と龍虎神の祠がありました。
龍虎神って、とにかく強そう。パワーをもらえるようお祈りしました。
● 下界に帰還
とうとう山を下りて、広い車道に出ましたよ。
緊張続きの山道を抜けて、無事に下界に戻ってこれました。
車道沿いからも湧水が出ています。
飲んでみると、まろやかな美味しさでした。
足元を流れていく、久慈川の清流。澄んでいて、ここの水もおいしそう。
快適な普通道を走りながら、今降りてきた山を見上げました。
こんもりとしていて、どこが頂上なのか、下からはよくわかりません。
何もなさそうなこの山ですが、実際には巡礼者たちが苦労をして日々目指しているんですね。
その2に続きます。