風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

2019京都の初春 2-2(大原、山科、東山)

2019-05-16 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。

● 春を待つ大原へ

修学院から京都駅方面には戻らず、さらに北の方へ向かうバスに乗りました。
国際会館駅前で、大原行きのバスに乗り換えます。
空には雲がたちこめて、冬に戻ったかのように寒さが増してきています。



大原は、京都中心部以上に寒く、まだ春は遠い感じですが、この辺りののどかな山村田園風景が好き。
ここに来ると、リフレッシュできるのです。



周辺のお寺はすでに参拝済み。
今回は細道をてくてく歩いて、行き先を決めずに散策しました。



自然豊かで、とっても気持ちいい散歩道。
「遠くへ行きたい」の郷愁あふれるテーマソングが頭を流れます。



「乙が森」の木々に囲まれるように、龍王大明神の碑がありました。
ここは大原の大蛇伝説に根差した場所です。

● のどかな山村風景



水が張られた田んぼ。とても静かな光景です。
美しいなあと、立ち止まってしばらく眺めます。



電線が全くありません。この辺の人は、電気はどうしているのかしら。
川べりで、子供たちが遊んでいるのが遠くに見えました。



三千院や寂光院など、お寺のイメージが強い大原ですが、ちゃんと神社もあります。
車通り沿いの小ぢんまりとした梅宮神社を参拝しました。

● 再び山科へ

大原を後にし、バスから地下鉄に乗り換えて、京都駅に出ました。
八条口から、昨日と同じ山科急行便に乗ります。



ふたたび高速道路に乗り、大石神社バス停で降りました。
向かったのは、なかとみ保育園。

昨日探せなかった中臣神社ですが、あとで調べたところ、少し離れた場所にあるようだと判明。
そこで、再訪してみることにしたのです。

● 中臣神社を発見



辺りは観光地色の全くない、普通に人々が暮らす界隈。
周辺住民の方々に怪しまれない程度にうろうろ散策していると、児童公園の片隅に小さな祠の中臣神社を見つけました。
やっぱりあったわ。調べ方が足りなかったようです。
もっと粘り強くいかないとね!



ご祭神は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と天児屋根命(あめのこやねのみこと)。
倉稲魂命は稲荷神で、天児屋根命は中臣氏の祖神です。

小さい祠ながら、山科神社の神輿の「御旅所」になっており、関連性を感じます。
中臣神社と中臣遺跡や藤原氏先祖の古代豪族中臣氏との関係については、まだよくわかっていないそうですが、地元ではこの辺りは「藤原鎌足の没した地」と伝えられているとのことです。

● 扇子・仏具団地

前の日に標識を見かけて(えっ?)と思いました。
扇子・仏具団地ですって。
東京の浅草にも仏壇ストリートはありますが、団地ってすごくないですか?
一大集合地ですね。



近くに清水焼団地もあることですし、この辺りは団地ばっかり?
気になって、歩いてみました。
たしかに、仏具に関連するような会社の看板が通り沿いに続いていました。

「京都伝産仏具工芸協同組合」のサイトに、説明がありました。
約40年前に、優秀な技術者が山科に集まり、佛具団地の歴史が始まったそうです。
木地師、彫師、漆塗師、箔押師、錺金具師、総合組立といった伝統的工芸品の製作を12社で行っており、日本の主な寺院や神社の神佛具はこの団地で造られたと言っても過言ではないのだそう。

● 花山稲荷神社

それから昨日気になりつつも訪れなかった、花山稲荷へ。
少しわかりづらい場所にあり、何回か道を迷いながらたどり着きました。



狛犬と枝垂れ桜。桜が見られてうれしい!
ここだけ一足早く春がやってきたようでした。



「花山神社」が正式名称ですが、「花山稲荷神社」と言われています。
903(延喜3)年に醍醐天皇の勅命により創建され、宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)・神大市比売大神(かむおおいちひめのおおかみ)・大土御祖大神(おおつちのみおやのおおかみ)をお祀りしています。

神社建立前は、ここに弥生時代後期の円墳があったのだそう。
この地は中臣遺跡の北端であるため、円墳は中臣遺跡と関係があるといわれています。
山科に、中臣氏は切っても切り離せない存在なんですね。

ここは「とうらぶ(刀剣乱舞)」ゆかりの神社です。
平安時代中期の代表的な刀工、三条小鍛冶宗近は、ここで一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛え上げたとされています。

● なるほどザ・ワールド鈴

参拝しようとガラガラを鳴らす時、鈴になにか文字が書かれていたので(なんだろう?)と目を凝らしてみました。
「なるほどザ・ワールド」と書かれていました。



なぜ?どうして?びっくり。
番組に登場したとか、なにかつながりがあるんでしょうね。
いきさつをご存知の方は、どうぞ教えてください!



ぐるりと回ると、裏は竹林。
本殿の後ろには、「大石良男公奉納の鳥居」と書かれた木札がかかっていました。



江戸時代には、大石良雄(内蔵助)が山科隠棲時、この神社にたびたび参詣して仇討ち計画の成功を祈願したと伝えられています。

● 粟田神社

前の日に行けなかった二つの神社を参拝できたことに満足して、また京都の中心部に戻りました。
「とうらぶ」つながりで、三条小鍛冶宗近の「三日月宗近」、粟田口藤四郎宗近の「一期一振」のゆかりの地、東山の粟田神社にも行ってみることにします。



長い石段参道を通っていった先に、立派な拝殿がありました。
ご祭神は建速素戔嗚尊(たけはやすさのおのみこと)、大己貴命(おおなむちのみこと)で、厄除け・病除けの神と崇敬されている神社。



絵馬には、とうらぶのイラストがずらり。
神社の辺りには、平安時代から室町時代にかけて著名な刀の名工が多く住んでいたそうです。



● 鍛冶神社

帰りがけに、石段下の駐車場内にも末社があることに気づき、参拝しました。
その姿を見た辺りの女子たちがあっという間に駆け寄ってきて、参拝後に振り向いた私の後ろには長い行列ができていました。
その勢いにビックリ。
ここは鍛冶神社。刀の神様天目一箇神(あめのまひとつのかみ)と共に、名刀の匠、三条小鍛冶宗近と粟田口藤四郎宗近が、刀剣の神様として一緒に祀られている、とうらぶで最も大切なところだそうです。



アクセス至便のこの神社には、見るからにファンという感じの、ハートの目をしたうっとり女子がたくさん。
お父さんや彼氏がそれにつきあってあげていて、(優しいなあ)と思います。
ゲームがもととはいえ、刀剣や神社巡りをしている、ヘルシーな趣味ですね!

あとになって、鎌倉在住の知り合いのお姉さまも、とうらぶファンだと判明。
AKBならぬ「AWT48」(AWT=粟田神社!)なるアイドルグループがあることを、教えてもらいました。
うは、すごい。奥深い世界です。
帰ったらいろいろ教えてもらわなくちゃ!

● 最後の白川小学校

神社を出てバス通りに出たところにある、京都市立白川小学校。
貼られていたポスターにふと目をやると、なんと廃校が決まったそうで、「さよならの会」が昨日行われたばかりだとわかりました。
まあ、寂しいわ。京都東山駅のそばなので観光客は増えているはずですが、在住の子供は減っているのでしょうか。



もう子供が通わない学び舎。跡地には、ホテルやミュージアムなどを備えた複合施設ができるそう。
すっかりなくなってしまうんですね。
形が残っているうちにと、記念に一枚撮りました。

● 六孫王神社

そろそろ日が傾いてきました。
京都駅の南側に移動し、東寺そばにある六孫王神社へ向かいます。
駅から近い割にバスの便が悪くて、これまで訪れたことはありませんでした。



「清和源氏発祥の地」といわれ、「源氏三神社」の1つに数えられる由緒ある神社。
「六孫王」と呼ばれた清和天皇の孫が祀られているのが、名前の由来です。



ちなみに、源氏三神社のほかの二つは、多田神社(兵庫県川西市)と壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)。
どちらも訪れたことはありません。



境内の神龍池の側には、六孫王(ベイビー清和天皇)の産湯に使ったと云われる、誕生水弁財天社がありました。

● 優しい京都の人

昨日、山科で「ここはバス通りですか?」と女性に尋ねたら、「そう。バス停の場所を教えてあげる」と、大石神社バス停のそばまで一緒に着いてきてくれて、丁寧に乗り方を教えてくれました。
今日、六孫王神社のバス停時刻表と時計を交互に見ていた私に、立って待っていた女性が「もうすぐ来ますよ。ほら」とスマホのアプリ見せてくれました。
今回の京都では、毎日親切な地元の人に助けてもらっています。
京都人は筋金入りのイケズと言われますが、そんなことありませんね。



日が落ちたので、この日の観光はここまで。
寒さが増して凍えてしまう前に帰ります。
京都駅のタワーの明かりを眺めて宿に戻り、こたつにもぐりこみました。

3日目に続きます。



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