風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

信州ゆったり歴史めぐり index

2017-01-28 | 中部(甲信越)
[2016.7.15-18]

◆ 長野 1 ←旅行記へ
 友を訪ねて、山に囲まれた長野に行きました。
 駅の大きさに驚き、県立図書館で館長のお話を伺います。
 川中島のロマンに思いを馳せ、海なし県ながらおいしい海鮮丼を食しました。
  ● prologue ● ゲリラ豪雨 ● 大きい長野駅
  ● 駅まで車で30分 ● ナガノライブラリー ● マウンテンランド
  ● 図書館館長 ● 大きな長野県 ● 川中島古戦場
  ● 丁々発止 ● 友の交代 ● 海なし県で海鮮丼



◆ 長野 2-1
 がんばって朝早くに起きて、善光寺のお数珠頂戴を受けました。
 次に訪れたのは、知る人ぞ知る飯縄大権現社。里宮なのにハードな道のり。
 お昼は小布施で栗御膳。小ぢんまりとした品のいい町並みを散策しました。
  ● 早朝のお数珠頂戴 ● おびんずるさまの撫で方 ● 松代藩と善光寺
  ● 参道ぶらぶら ● まむしや・へびや ● モーニングサービスがない?
  ● マンホールからホース ● 飯縄大権現 ● 里宮なのに山の中
  ● 明治政府の対応 ● 小布施の町へ ● くりごぜん ● 桝一市村のオープンガーデン



◆ 長野 2-2
 次に訪れたのは、長野一大きな古墳。
 古代ロマンに夢中になります。自分がこんなに古墳好きだったなんて。
 復元された縄文時代の住居も楽しめました。
  ● 妻女山と茶臼山 ● 故郷の山 ● 森将軍塚古墳
  ● 善光寺平野 ● 古墳の上で ● 竪穴式住居
  ● 高床式倉庫 ● あんずの里


◆ 長野 2-3
 真田信之の居城、松代城址を訪れました。松代真田家の現当主は第14代目。
 川中島の戦いゆかりの地を訪れて、改めて両軍の布陣に思いを馳せました。
 夜は本場の信州蕎麦。甘い胡桃だれも、いけるわ。
  ● 松代城へ ● 信玄、勘助、弾正、信之 ● 天然の要塞
  ● 真田十万石の館 ● あんずの木と現当主 ● 古戦場跡ふたたび
  ● 布陣のレビュー ● 信州蕎麦 ● 吾唯足知マーク 
  ● くるみだれそば ● 長生き特典



◆ 長野 3-1
 3日目も早起きし、姨捨からの眺望を見てから松本へ向かいました。
 国宝・松本城は大人気。天守閣に登ります。
 雨の奈良井宿はしっとりとしてとても風情がありました。
  ● ガのいない夏 ● 鬼無里のおやき ● ドラマチック姨捨
  ● 西信地方がない ● 朝の松本城 ● 宇宙ツツジ・宇宙アサガオ
  ● 松本のシャチホコ ● 天守閣で城主気分 ● 天上の二十六夜姫
  ● 松本のマンホール ● 双体道祖神の里 ● 雨の奈良井宿 ● 長野の薬・百草丸



◆ 長野 3-2
 木曽からさらに南下して、伊那まで来ました。ランチはちょっと変わったカツ丼。
 午後は高遠の葉桜の中で、お城探しをします。
 絵島と保科正之という、ビッグな江戸幕府関係者ゆかりの地でした。
  ● ごんべえトンネル ● 伊那のかんてんぱぱ ● 駒ヶ根のソースカツ丼
  ● メニューに蜂の子 ● 地元のアイドル御嶽海 ● 葉桜の高遠
  ● お城はどこ? ● 絵島と保科正之公 ● 安曇野と佐久



◆ 長野 3-3
 姨捨の緑の棚田を訪れて、細道をドライブしました。
 温泉大国なので、夏ですがしっかりつかってぽかぽかに。
 蕎麦大国なのに、郷土料理だといううどんを食べました。
  ● 姨捨再び ● 棚田ドライブ ● 戸倉上山田温泉郷
  ● 万葉超音波温泉 ● みんな大好き御嶽海関 ● そば大国なのに
  ● おしぼりうどん ● SONYと長野



◆ 長野 4-1
 最終日は、鉄道のフリーパスを使います。
 まずは今が旬の上田に向かいました。予想をはるかに上回る盛り上がりぶり。
 北国街道の宿場町は、静かで風情がありました。
  ● しなの鉄道パス ● かるかやさん ● ベリーベリースープ1号店
  ● まずは上田へ ● 上田のマンホール ● サマーウォーズも
  ● 真田十勇士ガーデンプレイス ● 戦国BASARAキャラ ● 真田の町
  ● 北国街道の柳町 ● 賑やかな上田城 ● 真田の郷



◆ 長野 4-2
 藤村のうたった小諸は整った城下町。軽井沢は王道の観光地でした。
 帰り道には佐久にも寄って、全地域コンプリート。
 長野の各都市を訪れて歴史も知った、実り多い旅でした。
  ● 小諸なる古城 ● 石は大きめ ● アニメの舞台
  ● 軽井沢のマンホール ● 銀座以上の銀座通り ● 聖パウロカトリック教会
  ● いちばん高く、いちばん東 ● 駅そば発祥の地
  ● 長野市のマンホール ● 最後に佐久へ ● epilogue




信州ゆったり歴史めぐり 4-2(Last)

2017-01-28 | 中部(甲信越)
その1からの続きです。

● 小諸なる古城

この日は雨の予報だったのに、空はからりと晴れ上がっており、雨なんてまったく降る気配はありません。
上田駅から、再びしなの電鉄に乗りました。
今度の電車は小諸行き。終点の小諸駅まで乗っていきました。

駅を降りたすぐのところに、かつての小諸城を整備した懐古園があります。

  小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ

藤村の『千曲川旅情の歌』の詩から、小諸には憧れがありました。
いつも「春高楼の花の宴」も一緒に思い出しますが、『荒城の月』はこのお城とは関係ないみたい。



懐古園の入り口の三の門は国の重要文化財。
江戸初期に立てられた最初の門は、洪水で流されてしまったとのことで、こちらは江戸中期のもの。
どれだけ激しい洪水だったんでしょうね。



三の門の内側に入って、逆の姿を撮影。絵になる巨大な櫓門です。



人力車がお客さんを載せて、ぐるりと方向を変えているところ。
風情があるわ~。



● 石は大きめ

立派な石垣ですが、こちらは当時のものではないそうです。
明治時代に廃城となったあと、石垣は北国街道の縁石に使われたのだとか。
それからは土が見えたままだったのが、人々の希望により、昭和59年に石垣が戻ったそう。
「当時より大きな石を用いて復元しました」と書かれた看板が立っていました。



戦国時代には、ここは武田信玄の縄張りでした。
武田滅亡後、改修され、何人かの武将を経て徳川家のものとなった小諸城。
敷地内に「徳川秀忠が関ヶ原合戦に赴く際に逗留したところ」と書かれた石碑がありました。
徳川本陣として、秀忠はここから真田昌幸の上田城を攻めたそう。
小諸も上田も、お互い近いのに。

真田軍の攻撃にてこずった秀忠はここで足止めを食らい、あろうことか関ヶ原の戦いに遅れてしまいました。
もちろん家康はおかんむりでしたが、当時の小諸城主、仙石秀久が家康にとりなして、その怒りを解いたそうです。



廃城後、旧藩士たちが城跡を懐古園として保存しました。
そのため、石垣の石はなくなったものの、大きな開発の手が入ることはなく、往時の姿をよくとどめた城址公園として残されたそうです。

● アニメの舞台



『あの夏で待ってる』というポスターがありました。
ここ小諸が舞台のようです。
上田が『サマーウォーズ』で盛り上がっているように、最近ではアニメの舞台としての町おこしがあちこちで行われているんですね。

小さな駅舎内にもいろいろなパターンのポスターが貼られていました。



武将隊もいました。市観光協会の有志で結成された小諸センゴク甲冑隊だそうです。



● 軽井沢のマンホール

再び駅に戻りました。次に乗った電車の終点は、軽井沢。
これまで何度か訪れている軽井沢は、私にとって一番身近な長野の町です。
せっかくの避暑地なので、爽やかにサイクリングをしたいところですが、30度越えの猛暑の日とあって、そのパワーはありません。
駅は町の中心から少し離れていますが、散歩がてら旧軽井沢まで行ってみることにしました。



軽井沢のマンホールは、白樺と浅間山の凝ったデザインです。
長野のマンホールは、どれもすてきな図柄ですね~。
コレクションが増えてニコニコです。



● 銀座以上の銀座通り

駅からまっすぐ、北へ歩いていき、東雲(しののめ)の交差点を過ぎると、別荘が増えてきます。
暑さに音を上げないゆっくりめの速さで歩いたら、旧軽井沢まで30分ほどかかりました。



久しぶりの旧軽銀座通りは、人でごったがえしていました。
まっすぐ歩けないほどです。
こんなに混んでいるなんて!とびっくり。
暑い夏だから、きっとみんな避暑に来ているんでしょう。

お茶をしようと思ったミカド珈琲も、パンを買おうと思ったブランジェ浅野屋も、お店の外にまで人があふれています。
とても入れないわ~。



● 聖パウロカトリック教会

旧軽に来て、一気に気温も上がった気がします。
人混みの中にいると、熱中症になりそうで、早々に銀座通りから離脱しました。



道を一本それると、とたんに静かないい雰囲気になります。
野菜の無人販売もありました。まあ、リーズナブル。



チャーチストリートを通って軽井沢聖パウロカトリック教会に行きました。
三角屋根と木を組み立てた内部がすてき。
堀辰雄の『風立ちぬ』のしんとした世界を味わいたかったのですが、建物の前も中も、やっぱり観光客でいっぱいでした。



ちょうど来たバスに乗って、人混みを避けるように駅に戻りました。
でも南北自由通路もペデストリアンデッキも、電車を待つ人でいっぱい。上田とはまた違う混雑ぶりです。

● いちばん高く、いちばん東

長野県の駅ではいちばん東にある軽井沢駅。
始めは長野駅から途中下車をしながらここまで来て、軽井沢から新幹線で帰ろうと考えていました。
でも、荷物を長野駅のロッカーに入れたままにしているため、一旦長野まで戻る必要があります。



駅から北と南の山並みを眺めて、長野行きの電車が来るのを待ちます。
ここは新幹線の駅の中で一番高い、標高940.5mの場所にあるのだそう。
そういえば松本城は、一番標高の高いところにある現存するお城だそうです。

● 駅そば発祥の地

しなの鉄道の改札前の待合室は、立ち食いそば屋と一緒になっていました。
峠の釜飯のおぎのやが経営しており、ベンチに座って見ていると、注文を受けてから茹でていました。
やっぱりお蕎麦の国だからから、立ち食い蕎麦にも気を抜かないのでしょうか。
「軽井沢が駅そば発祥の地」と書かれたポスターがありました。ここから始まったのね~。
おぎのやだけに、ちゃんと釜飯も売っていました。



ホームに停まっていた謎の車両。
クラシカルでしたが、これ、なんでしょうね?



長野行きの電車がやってきました。
信濃追分駅を通過します。
(堀辰雄が晩年を過ごしたのは、この辺りだったのね~)と思いながら、車窓の景色を眺めました。

暑い中を歩き回ったからか、人込みに酔ったせいか、疲れてしまったようで、途中からの記憶がありません。
ぐっすりと寝て、終点の長野に着きました。

● 長野市のマンホール

長野市のマンホールもまたファンシーでかわいい柄です。
「sewerage」とは下水道のこと。
マンホールチェッカーになったことで、英語をひとつ覚えました。



こんなマンホールも見つけました。
長野オリンピックのデザインです。
これ一つしか見つけられなかったので、もしかしたらレアものかも?



● 最後に佐久へ

結局、帰りも新幹線ではなくバスにしました。
急ぐ旅ではないし、4日間を過ごした長野を超特急で去ってしまうのは、なんとなくさびしかったからです。
ただ、途中で事故渋滞があったらしく、高速道路に乗ってからはかなりノロノロ。
道路はこういう時があるので、時間が不確定ですね。
でも、帰り道の余韻を楽しみたい私は、さほど気にせず車窓を楽しみます。



山々に囲まれて過ごした長野での日々。
見上げればいつもそこに山がある景色に、いつしか慣れていました。
信州の山並みよ、さようなら~。



事故渋滞の影響を受けて、バスは予定とは違う佐久平PAに休憩駐車しました。
標高783m。高地とはいえ、長野は全体的に標高が高いんでしょうね。
「標高」ではなく「海抜」を使う横浜の人々とは違う高度で暮らしているのでしょう。



今回の旅は、県内のあちこちをミュウに案内してもらいました。
「最終的に行っていない地域は佐久だけだね」と話していたけれど、偶然訪れることになるなんて。
場所的には、先ほど訪れた小諸や軽井沢の近く。
諏訪には2か月前に行っているので、これで北信、東信、中信、南信、すべての地域のメインの場所を訪れたことになります。
佐久から先は、渋滞も解消されて、快調に新宿に着きました。

● epilogue

近くて遠い長野、これまで、ちょこちょこと訪れていましたが、じっくりと各地域を見て周ったことはありませんでした。
そのため今までは、どの都市も「長野県」とひとくくりにしていましたが、これからは地域ごとの区別がつくことでしょう。
今回訪れたどの場所も、雰囲気のいいところばかり。
さらにミュウを始め、長野でお世話になった方々はみんな郷里の歴史に詳しくて、土地のことをいろいろと教えてもらえました。
教育に熱心な県だというのも、納得です。

豊かな自然に満ちた長野。
山々と緑に囲まれた、気持ちのいい日々を過ごせました。
海もいいけど、やっぱり山も好き。実り多い4日間の長野旅行でした。



信州ゆったり歴史めぐり 4-1

2017-01-26 | 中部(甲信越)
3日目からの続きです。

● しなの鉄道パス

長野最終日になりました。この日は一人で動きます。
朝食後、ミュウに駅まで送ってもらいました。
「どうもありがとう!それじゃあね~」
別れのハグを交わしてから、「軽井沢・長野フリー切符」を買おうと、みどりの窓口に向かおうしたところに、ミュウが慌てて追いかけてきました。
「待って、そこじゃ買えないよ」
「えー、だってみどりの窓口」
「しなの鉄道の窓口はこっち」
独立した別のブースに連れていかれました。
しなの鉄道という鉄道会社だったんだ。JRじゃなかったんですね~。



『真田丸』仕様のパスが無事買えたのを見届けて、ミュウは去っていきました。
滞在中、どうもお世話になりました~!恩返しするからねー。
駅に荷物を預けて身軽になります。
この切符があると長野-軽井沢間が乗り降り自由になりますが、どの電車に乗るにしても少し時間があったため、駅周辺を散策してみることにしました。

● かるかやさん

賑やかな駅前繁華街に、赤い門のお寺を見つけたので、入ってみました。



西光寺というお寺で、「かるかやさん」として知られているそう。



由来がありました。家族を置いて出家し親鸞上人の兄弟弟子となった僧侶の元に、彼の子供が父親を探しにやってきて、その後修行に入ります。
僧侶は親だと名乗らないまま共に仏に仕えたそうです。
その僧侶が開山したのがこのお寺。仏門に入ったことで親子の情愛を交わすことがなかった2人の像が、境内に立っていました。



ちなみに「かるかやさん」は、人の名前ではなく、お寺の苅萱山を指すそうです。

● ベリーベリースープ1号店

very berry soupがありました。
都内でも見かけるベリーベリースープ、実は長野発のスープ屋さんだとミサちゃんに教えてもらったことを思い出します。



1号店は善光寺口にあるんだそう・・・って、ここのことだわ。
まだ開店時間になっていませんでした。

● まずは上田へ

駅に戻り、まずどこに行こうかなと考えます。
決められないまましなの鉄道のホームに降りて、待っていた電車に乗ると、それは上田行きでした。
偶然に任せて、最初に上田を訪れることに決定。



今年は『真田丸』イヤーなので、観光客が大勢押し寄せているだろうなあと思います。
前に訪れたときは車で行き、お城のすぐそばに停めたので、駅からのルートがわかりません。
観光案内の人に地図をもらって行き方を聞きました。



上田城甲冑隊は市民団体。今年はあちこちに引っ張りだこでしょう。

● 上田のマンホール

マンホールにも六文銭!裏切りません!
花は市花のツツジです。



ほかに、防火用水槽の蓋が気になりました。
長野は、消防士のデザインが多い気がします。



● サマーウォーズも

駅からまっすぐ伸びる通りを歩いて行くと、真田三代とサマーウォーズ仕様の自動販売機が、並んで置かれていました。
二つとも、地元の大きな売りですね。

   


上田は町おこしの模範例。
町を歩けば真田のなにかに当たるといっていいくらい、真田氏の色が濃い場所です。

● 真田十勇士ガーデンプレイス

真田ののぼりが立っている場所がありました。
行ってみると、そこは真田十勇士ガーデンプレイスというコンテナハウスでした。



オープンして3か月目になる、できたての場所。
今月末にはこの場所で「戦国BASARA 真田幸村伝特別展」が開催されるらしく、そのポスターがびっしりと貼られていました。



墨で描かれた、躍動感あふれる真田十勇士の紹介パネル。
由利鎌之助は戦国basaraの明智光秀かと思いました。



赤陣羽織姿の館内案内人がいろいろと教えてくれます。
この前、大河ドラマ『真田丸』のキャストが上田を訪れたそうで、たくさんの色紙が飾られていました。
先日訪れた松代の真田邸にもサイン色紙が展示されていましたが、そこは館内撮影禁止。
ここはどうかと聞いてみると「お好きなだけどうぞ」と言ってもらいました。



(目移りするわ~)と思いながら見ているうちに、一番目立たない、左下の色紙に目が吸い寄せられました。
真田幸村(信繁)の直系子孫となる、仙台真田家十四代当主の徹さんのサインもあるではないですか。



● 戦国BASARAキャラ

戦国BASARAのキャラクターのパネルがあり、幸村のほかに父昌幸と兄信之のキャラも新登場したと知りました。
これもきっと、真田丸効果ですね。
お父さん(左)もお兄さん(右)も、かなりキャラが濃いですね~。真田の赤揃えは関係なくなっています。



「真田幸村伝」なのに、伊達政宗も衣裳を替えて登場していました。
この2人はいつも宿命のライバル扱い。真田邸にも、やっぱり彼のパネルはありました。



● 真田の町

建物を出ると、その隣には、真田太平記館。
『真田太平記』の舞台の地形模型などが展示されているのだそう。
この物語、長編だなあと二の足を踏んで、まだ読んだことがないので、読了後に訪れたいところです。



セブンイレブンも町に合わせたシックな感じ。
騎馬武者のシルエットが見えます。
信号を待つ男性2人がピンクレディみたいに同じポーズをしていました。



● 北国街道の柳町

以前訪れた時よりもずっと真田色が濃くなっている上田。
そんな街の中心を抜けて、あえて柳町に行ってみました。
真田色が薄まるのとあいまって、グッと人の数は減りますが、それでも賑わいはあります。



ここは北国(ほっこく)街道の宿場町。
柳の木が多かったから、柳町。
300mほどの小さなエリアですが、石畳の通りに白壁の2階建て長屋が立ち並び、往時の雰囲気が残されていました。



ここは開発の波に遅れてしまい、取り残されていたところを、保存会が発足してかつての宿場町の面影をとどめておくことにしたんだそう。
奈良井宿のように、ここも出遅れてしまったのが逆に観光地として保存されるというパターンです。



2階の格子は、長いもの(親)と短いもの(子)と長さが違うものが交互にはめられています。
これは「親付き切り子格子」というスタイル。
ほかにも「うだつ」のついた屋根や「なまこ壁」の蔵などが並んでいました。
木のベンチにはふくろうさん。



柳町通りの突き当たりには上田大神宮。
吹き流しが風にたなびいています。
御祭神の天照大御神を表す「光華明彩」という扁額がかかっていました。



旧北国街道も歩いてみました。
思ったよりも細い道路。
かつては佐渡の金を運ぶ人や善光寺参りの巡礼者が通った道でしたが、今はもう昔の面影は残っていませんでした。



● 賑やかな上田城

お城の北側から公園に入ったため、人が全くおらず(本当にここでいいのかな、単なる陸上競技場じゃないかな)と不安になります。
でも回り込むと、とたんに増える人、人。もう人でびっしり。
とたんに暑さを感じます。
お堀の横を歩いて行くと、お城の入り口に着きました。



城壁の巨大な真田石。ペルーのクスコで見た12角の石を思い出します。
真田関連のものって、真田紐とか真田丸とかサナダムシとか(!)、かならず「真田」ってつきますね。
なかなかのアピール力の強さを感じます。



「信州上田真田丸大河ドラマ館」もできていました。
去年は姫路で「黒田官兵衛大河ドラマ館」を見ました。
大河ドラマ館ができるのは毎年のお約束なのかしら。



とにかくどこを向いても人だらけ。以前お城の中に入ったので、今回は見るだけにします。
人の数に圧倒されているうえに、とにかく暑くてパワーがでません。
真田が赤ぞろえだから、見ていて暑さ倍増なんですね。青ければ涼しげなんですが。って甲冑の色じゃないですが。



以前ここを訪れたときは、雨が降っていて、ほかに人はおらず、寂しい感じでした。
神社の境内に「真田三代記を大河ドラマに!」という署名運動のノートがあったので、傘を差しながら署名したものです。
それがこうして実を結んで大河化が実現し、上田の町に人が大挙するようになるなんて、サインをした身としては感無量ですよ!一票の重み!



● 真田の郷

てくてく坂を下りて、上田駅に戻ります。
駅の壁を飾るのは、もちろん赤の六文銭。
何も言わなくても真田の郷だと伝わる、デザインのパワー。



駅前には、武将の騎馬像がありました。大河ドラマでは昌幸がかなり主役級の幅を利かせているので、父か息子か、念のため名前を確認します。
幸村でしたー。
彼のうしろの気温計は32度を指していました。そりゃ暑いわけだわ~。



その2に続きます。


信州ゆったり歴史めぐり 3-3

2017-01-25 | 中部(甲信越)
その2からの続きです。

● 姨捨再び

安曇野から長野自動車道をさらに北上して、朝訪れた姨捨に再び到着しました。
今度は棚田の方へ行ってみることにします。



棚田へと続く道は、車が一台通るのがやっとの細さ。
標識を見ながら、つづら折りの道を進みます。
先がどうなっているのかわからないくねくね道ですが、標識の通りに行ってみます。



すると突然、目の前が開けました。棚田に着いたのです。
眼下に広がるすばらしい眺望に、思わず「わあ!」と声が上がります。



詳細な説明パネルもありました。



行きにSAから眺めた眺望とは目線の高さがまた違って、より景色が間近に迫りくるよう。



● 棚田ドライブ

さらに棚田の方に進んでみました。
カーブの続く細い傾斜道を上手に通っていくミュウ。私なら車ごと田んぼにはまって、大目玉を食らいそうです。
「コンバインも通っているんだから、大丈夫」
なるほど、そう思えば、なんだか道が太く見えてきます。



前に訪れたのは秋で、収穫期の田んぼは黄金色をしていましたが、今は夏。
稲が育っている成長期で、棚田は青々としています。



緑の棚田もまた、美しいわ~。
あぜ道もくっきりと見えています。



どこまでも山が連なる景色。
海って広いなあと思っていましたが、こうしてみると、山の景色もまた、どこまでも続く広さがありますね。
海のような果てしなさを感じます。



眼下に広がるのは善光寺平。
このパノラミックビューは、とても画像では伝えきれません。
技術はもちろんのこと、一枚に収まりきれないワイドな景色です。



車を少し進めただけで、また景色が変わって見えます。



小さな面積の棚田だからこそ、丁寧に植えられた稲。
コンバインが入れないほど狭い田んぼでは、人々は手植えを行います。
そうした田んぼが段をなして続き、見事な景観を作っています。



窓をいっぱいに開けて、風を取り入れます。
いるだけで気持ちがよくなる場所。



少し前には水田に水が張られて「田毎の月」をめでられたはず。
水田に月が映った夜景は、さぞ美しいことでしょう。



細かく区画割りされた棚田には、大勢のオーナーさんがいます。
人の植え方によって、稲の育ち方や水田の出来上がりが違うのも、おもしろいところです。



● 戸倉上山田温泉郷

長野に来て、まだ体験していないことがあります。
それは、そう、温泉!夏でも入っちゃいますよ~。
戸倉上山田温泉に向かいました。

千曲川向こうの山の中腹に、ひときわ目立つ建物が見えます。
「カナダのバンフにある、バンフ・スプリングス・ホテルみたい~」
我ながら言いたとえだと思いましたが、実際に知らない人には全くピンとこない表現でしょうね。
ミュウも困って笑っていました。



温泉街に入ると、温泉の看板をたくさん見かけます。
「どこにいこうかな~」と、地元のミュウも迷うほど。
ただこの日の夜には、川原で花火大会があるらしく、すでに道路は大混雑。
「お風呂から上がる頃には、もっと車は動けなくなりそう」ということで、今いる場所から入りやすいところにある万葉超音波温泉にしました。

● 万葉超音波温泉

すごい名前ですね。「万葉」と「超音波」という、完全に時代が違う言葉が並んでいます。
ディ・ミル・フィーユ・ウルトラ・ソニック・スパ!英仏ごっちゃ!



お湯は源泉掛け流しで、肌に吸い付くような気持ちの良さ。
カランからも温泉が出てきます。
岩風呂には暑くて入れず、天然ジャグジーの超音波風呂につかっていました。
お風呂から出た後、しばらくほかほかが続き、肌はすべすべになっていました。

● みんな大好き御嶽海関

ちょうど大相撲夏場所の中継時間で、先程ポスターで見た御嶽海関が土俵に上がっていました。
休憩所にいる人全員が、すべての動きを止めて、息を殺して静か~に試合を見守っていました。
番台の人までも!みんなを眺めてキョロキョロしていたのは私たちだけ。
ここはグリム童話の「眠れる森」ですかい?



長野中の人々の熱い視線を一身に受ける彼ですが、この日は残念ながら黒星でした。
負け試合とわかると、人々はハッと魔法から醒めたように、何事もなかったような顔をして、動き始めました。
本当に、彼は長野のアイドルなんですねー。

● そば大国なのに

温泉から上がり、花火渋滞に身動きが取れなくなる前に、移動します。
「今日の夕飯の場所も決めてあるよ~」
わー、楽しみ。どんな食べ物かなー?



連れてきてもらったのは、手入れの行き届いた植木の奥にある古民家風の建物。
ゆっくり水車が周っています。



一松亭 (いっしょうてい)というお店で、中には、立派な梁がありました。
「今日の夕食はうどんがいいかと思って」とミュウ。
え、そば大国なのに?おそば屋さんなのに?



おそばの国の人々が、うどん県に屈してはいけないわ!
と思いましたが「大丈夫、讃岐じゃないから。ちゃんとこっちの食べ物だから」と言われました。
信州うどん?ホント~?

● おしぼりうどん

この辺りでは、「おしぼりうどん」が近くの郷土料理として有名なんだそうです。
あら意外。おしぼりって、手をふくおしぼり?



こちらがそのおしぼりうどん。
やっぱり長野って量が多い・・・(笑)。
ねずみ大根をすりおろし、それを搾った汁に信州味噌を溶かしてつゆにし、釜揚げうどんをつけて食べるそうです。
大根おろしを絞るところが名前の由来になったそう。
大根おろしではなく、さらにひと手間かけた搾り汁を使うんですね。



大根おろしの搾り汁に信州味噌をまぜまぜ。
これがつゆなんですね~。へえ~、ほお~。



いただきました。舌がしびれそうにピリ辛のねずみ大根の味が、味噌と合わさるとマイルドな味に変わります。
信州味噌のうまみがうどんにからんで、おいしかった~。
鰹節を加えると、さらに味わい豊かになります。
大根と味噌と鰹節!信州イズヘルシー!
栄養価も高いですね。

温泉で暖まったばかりなのに、またもや身体の芯からポカポカしてきます。
雪国の食べ物なんですね~。冷房が効いている店内で、助かりました。

初心者は味噌を多めにして食べるそうですが、そのうち慣れてくると、どんどん味噌の量が減って、最後には大根の絞り汁だけになるんだそうです。
さらに強者は、しょうゆを加えてなお辛くして食べるんだとか。
オオ~、私、ビギナーネ!

おしぼりうどんではなさそうでしたが、単身訪れて大盛りを頼んでいる勇者もいました。



日が暮れるとムーディな建物。
隣には製麺製造工場があり、一松亭はそこの直営店なんだそう。
工場で作ったばかりのそばやうどんが、お店で食べられるなんて、贅沢ですね。



水車の周る池には大きな鯉がたくさん泳いでいました。
私たちの姿を見つけると、それーっと寄ってきます。
エサは持っていないのよ。自分たちだけエサを食べちゃって、ごめんね。



● SONYと長野

温泉に入り、ご飯も済ませたら、あとは寝るだけー。
一路家へ向かいます。

帰り道、SONYのAIBOは、100%長野の安曇野産だったと教えてもらいました。
vaio(PCのみ)も、今では100%安曇野で作られているとのこと。
安曇野市は、県内で工業製品出荷額ナンバー1だそう。
我が家のvaioは、信州出身だったのね。

お茶を飲み、お酒を飲んでゆっくり過ごしました。
4日目に続きます。



信州ゆったり歴史めぐり 3-2

2017-01-24 | 中部(甲信越)
その1からの続きです。

● ごんべえトンネル

奈良井を離れて南下し、それから東に向かいました。
山がちの地域なので、トンネルがたくさん。



「権兵衛トンネルに入りまーす」と言われて顔を上げると、確かにトンネルの上には「権兵衛」の文字が。
ごんべえ!
つい笑っちゃいました。
「なぜなぜ?」と聞いたら「だって地名だから」との答え。
権兵衛峠をつっきっているからだそう。
でもその峠は、やっぱり権兵衛さんという人の名前から来ているそうです。

を通って伊那へ。

興味津々なのは、私が横浜市民だからです。
ハマには、箱根駅伝でおなじみの権太坂がありますからね。
これも権太さんから来ているとか。
似ている名前で、親しみを感じます。

4km以上ある長いトンネル。権兵衛について語る時間はたっぷりあります。
名前のイメージから昔からあるのかと思いきや、平成になってから作られた新しいトンネルなんだとか。
堅固に作られていて、目下倒壊のおそれはないそうです。

● 伊那のかんてんぱぱ

権兵衛トンネルを抜けると、そこは伊那。
南信地方に入りました!
わあ、なかなか来れる機会はないと思っていた場所だけに、感激!
なぜかテンションが上がって、なにもない景色をバシバシ撮影します。



かんてんぱぱの会社がありました!
そう、伊那といえば、知る人ぞ知る有名なかんてんぱぱですね。
福利厚生がすばらしいと聞いています。従業員の立場に立った、いい会社なんだとか。
私もここで働きたーい。

「ぱぱはあるのに、かんてんままはないの?」
「ないよ。社長が男の人だからね」



● 駒ヶ根のソースカツ丼

伊那を通り過ぎて、着いたのは駒ヶ根。
南信までランチをしにやってきたんです。
「長野のB級グルメも食べてもらおうと思って」とミュウ。

明治亭というお店に着くと、数十人もの人が席があくのを待っていたので、驚きました。
人気なのねー。
店員さんがお店の前まで出て名前を呼ぶと、駐車場に停めた車から出てくる人も。
こうなると、いったい何人待ちなのか、カウントできません。

お店は広いので、まあ待ってみようと、一番最後に名前を書いて私たちも順番を待つことに。
店内にはサインがたくさん飾られていました。
「まいう~!」あ、でぶやも来ていました。ということはかなりのボリューム系?



待っているうちに、眠気に襲われてきました。
長野に来てから、毎朝早起きしているからでしょう。
うとうとしていたら、順番が周ってきました。
40分ほど待ったようです。

このお店の人気は、ソースカツ丼。
これ食べたさに、みんな列を作って待っているんですね~。

ミュウは「伊那の方に来たら、いつもここのカツ丼を食べて帰る」というほど大好物だそう。
私は昨日、普通サイズなのに蕎麦が大量で必死の思いで食べきったことを思い出して、今回は小盛りにしてみます。
(少ないかな、どうかな)とドキドキして待っていましたが、全く問題ありませんでした。

この写真は普通サイズ。こんもり~!
え、ミュウ、食べちゃうの?食べれちゃうの?
周りのみんなも、このサイズをニコニコしながらパクパク食べています。
まあ豪快。



卵でとじていないけれど、これもカツ丼なんですね~。
この地方の人たちにとって、カツ丼といったら、ソースをかけたこれなんだそうです。
味がしみていて、キャベツたっぷりで、おいしかったです。

● メニューに蜂の子

ところでメニューを見ていたら、さりげなく蜂の子小鉢があるのを発見。
え~、頼めば出てくるのー?



たしかに、日本で虫を食べる地方といったら長野を思い浮かべますが、実際にその習慣があるのは、県内でもこの伊那地方のみだそう。
「こっちの人は、イナゴとか蜂の子とか、栄養食として普通に食べてるよ」
「みんな食べれるんだ~・・・」
「昆虫は動くおやつだと思っているからね」
「キャー!(゚〇゚;)」

書店には昆虫食の本が平積みになっているそうです。
それなら宇宙食の方がずっといいわー。
朝のマイマイガ大発生の話といい、山が近いと虫との距離も近いんでしょうね…。

南信では羊肉はポピュラーだそう。
ご当地B級グルメとして、ほかにローメンがあると教えてもらいました。
伊那あたりで食されるもので、蒸した中華めんにラム肉やキャベツを入れたものだそう。

● 地元のアイドル御嶽海

店内には、長野県民が大好きな力士、御嶽海(みたけうみ)の、飲酒運転撲滅キャンペーンポスターが貼られていました。
駒ヶ根の近くの上松町の出で、アイドル並みの人気だそうです。
木曽出身と聞いて(故郷は山なのに、なぜ名前は海?)と引っかかりますが、こちらの人は誰も気にしていなさそう。
まあ、山にしたら、御嶽山になっちゃいますからね。



山に囲まれた長野の人たちは、海水浴はしないんだろうと思っていましたが「するよ」と言われました。
「え、だって海がないじゃない」
「みんな直江津に海水浴に行くよ」
へえ~。直江津と言えば新潟。
太平洋岸で育った私には、やっぱりあんまりピンときません。
(日本海は波が洗いんじゃないかな)と考えます。まあ海水浴場なら平気なんでしょうけれど。



席待ちをしていたら、けっこう時間が経ってしまい、ドライブを再開した時には14時になっていました。
中央自動車道は緩やかかな下り道になっていて、ずっと遠くまで見渡せます。

● 葉桜の高遠

再び伊那に入り、今度は高遠に着きました。
「たかとお」という名前の響きがきれい。
桜の季節には親も訪れています。



車を停めようとしますが、どのパーキングも無人。
入り口に「700円」という表示がでていますが、誰もおらず、少し待ってみても誰も来る気配はありません。
「まあ後払いでもいいしね」と停めてお城へ向かいました。
ほかの駐車場も、人の気配がありません。
どうやら桜の時期だけ、賑わうようです。



お城の地図を見ても、桜の花がたくさん。
花びらが書かれたところが、桜のきれいな場所です。
公園内のほぼ一帯が桜の名所になっているんですね。



今はアジサイが咲いています。これもまたきれい。
しかも訪れる人がほとんどおらずに静かなので、落ち着いた雰囲気がいいです。



● お城はどこ?

春には桜のトンネルになるんだろうなあと思いながら、葉桜の生い茂る桜雲橋を通っていきました。
お城はどこかしら。



目指すお城はなかなか見つかりません。
そもそも、中に入ったら、園内に地図はなく、どっちに進めばいいのかわかりません。
どこまで進んでも、青々と生い茂った緑の桜の木ばかりが続きます。



お城はないのかしら。
そうか、ここは「城址公園」で、お城の址だけなんですね。
新城藤原神社ならありました。藤原鎌足を祀っているそうですが、まるで神社には見えない、倉庫のような建物でした。



(お城、お城…)ときょろきょろ探していたら、こんな建物を見つけました。
お城っぽくはありますが、見るからに古くないコンクリ製でした。



「城はもうないんだね~」「なんだ~」
肩を落としながらも、足元のマンホールチェックをひそかにしている私。
さすが高遠、桜の図柄です。



● 絵島と保科正之公

歴史博物館の隣に絵島囲い込み屋敷がありました。江島・生島事件ですね。
ここだったのねー。配流といっても、島流しではなかったんですねー。



彼女はここに、亡くなるまでの30年近くの間幽閉されたのだとか。
もともと冤罪の気もあるし、大奥の派閥争いの巻き添えになってしまってかわいそう。
もし絵島が海沿い出身なら、さらにかわいそうだなあと思って調べてみました。
三河国の出身だったので、まあまあ海沿いの辺り。
時には海が恋しくなったかもしれませんね。



屋敷の周りに立っていたのぼりには「名君・保科正之公の大河ドラマを作ろう」と書かれていました。
おお、いいですね~。私も賛成!
地元で愛されている人だと、伝わってきました。
彼が江島の身柄を預かったのだそう。彼女も安心できたことでしょう。

ところで城址公園内にこの囲い込み屋敷への標識があったので、園内にあるのかと思って辿って行きましたが、行けども行けどもたどり着けず、結局車に乗ってぐるりと移動しました。
園内表示がわかりづらくて、うろうろと迷ってしてしまいました。
桜だのみではなく、ほかの時期も観光地になるように、がんばって高遠~。

● 安曇野と佐久

そろそろ長野市内に戻ることにします。
一気に北上しました。諏訪湖のそばを通ったものの、寄らずに安曇野へ向かいます。



梓川SAで休憩をしました。
長野なのにひつまぶしののぼりが立っています。ハイ?
南信の方は、名古屋の文化も入っているっていうのは、こういうことかしら?



ヒュッテのような三角屋根のすてきな建物。
佐久も割と近くにあるので、前に龍岡城五稜郭を訪れた話をしましたが、ミュウは長野にも五稜郭があることを知りませんでした。
歴史マスターの長野人でも知らないことがあったのね!



雲のすき間から光がさしていました。
私の好きな双体道祖神が多いのはこの辺りなんですが、さすがにSAには、それっぽいものは見当たりませんでした。



その3に続きます。