風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

三宅島視察(噴火のあとに) index

2010-03-16 | 東京


          1. prologue・旧村営牧場・七島展望台 (三宅島)

          2. 砂防ダム・伊ヶ谷港・活動火山対策避難施設 (三宅島)
          
          3. 三七山展望台・アカコッコ館・大路池(三宅島)

          4. ふるさとの湯・ペンションサントモ (三宅島)

          5. 朝の散歩・旧阿古小中学校溶岩埋没跡 (三宅島)

          6. 火山体験遊歩道 (三宅島)



          7. みやけじま『風の家』 (三宅島)

          8. 三宅支庁 (三宅島)

          9. 浅沼稲次郎銅像(三宅島)

          10. 伊ヶ谷港 (三宅島)

          11. epilogue (三宅島)



epilogue (三宅島)

2010-03-15 | 東京

バスで島内を周っている途中、気になる看板を見かけました。
「生島新五郎の墓」と「為朝の打ち抜き岩」です。

生島新五郎とは、もしや「絵島事件」の歌舞伎役者でしょうか。
彼が流罪となったのは三宅島?
為朝とは、源為朝?頼朝と関係ある人かしら?

歴史博士のイルカさんに聞いたら、その場ではわからなかったと、翌日教えてくれました。
生島新五郎は、やはり絵島事件で三宅島に流されたそうです。

源為朝は、源頼朝の父の弟で、お互い保元の乱で戦い、為朝は負けて伊豆大島に流されたそうです。そこで三宅島、八丈島の長となり、勢力を盛り返して平清盛にたてついたところ、北条氏らに負け、今度は八丈島に流罪となったそうです。
その子孫が琉球王国を作ったと言われているそうな。
「詳しくはWikiに」と締めくくったイルカさん。
早起きして持参PCをネットにつなげて調べてくれたそうです。どうもありがとう!

為朝の打ち抜き岩とは、弓の名手だった為朝が、距離のある場所から矢を放ち、 一矢にして打ち抜いた岩のことだそうです。
アクセスしづらい海辺の岩場にあるそうですが、いつか見てみたいものです。

三宅島は、その昔、島流しの場所とされましたが、流されたのは当時の風潮に合わない政治犯やお公家様で、そういう人々が文化を広めたため、伝統的に高い教養が保たれている島です。
日本のオーストラリアと呼ぼうかな。



今回は、観光ではなかったため、私が島でお気に入りの、長太郎池やメガネ岩に訪れる機会がありませんでしたが、逆に観光では訪れることのない場所を見学できたので、とてもためになりました。

自然災害の猛威はかくも激しいものか、と、人間の小ささを思い知らされましたが、それと同時に、被災から立ち上がり、一歩一歩、再興へと着実に歩みを進めている人々の努力が感じられて、安心しました。

豊かな自然に恵まれた三宅島。島民の人にとっては唯一の故郷です。
一日も早く避難勧告が全島解除され、住み慣れた家へ戻れるようになれることを願ってやみません。


行きにミーティングで撮り損ねたレインボーブリッジ。
帰りも船酔いで寝ていたので、気づきませんでした。
これはノルさん撮影です。みんなタフね。。。

帰宅して、ペンション・サントモのサイトを開いたら、あつこさんと私との2ショット写真が掲載されていました。
迅速!私たちが6時間船に揺られている間に、載せてもらえたのでしょう。
嬉しかったです。また三宅島に行った時には、お邪魔しまーす!


伊ヶ谷港 (三宅島)

2010-03-14 | 東京

三宅島には、島の東側に三宅港、西側に錆ヶ浜港という大きな港が2つあり、火山ガスや風の強弱でどちらの港に接岸するかが決定されます。
この日は、風が強く波が荒いため、どちらの港にも接岸できず、年に1%しか船が接岸しないという伊ヶ谷港からの出港となりました。

見送りには、村長・副村長はじめ、市庁の関係者、村議会議員、宿泊先の方々などおおぜいが来てくれました。
ペンション・サントモのアツコさんと、スタッフの女の子の方の姿を見つけて、再会を喜びました。
まさかこの港からの出港とは思わず、三池港でしばし待ち、慌ててこちらに来たそうです。
色とりどりの紙テープを持ってきてくれていました。
これは、見送りのテープでしょうか。今まで映画などで見たことはありましたが、実際に自分が体験したことはありません。ワクワクします。

「今日は、風が強いから、テープはだめかなあ」と気にしつつも、アツコさんは村長さんにかけあって、直々にテープOKの村長許可をもらっていました。
私もテープの束をもらって、みんなに分けて回ります。

船内に入り、甲板に上がりました。みんな、手に手にテープを持っていますが、実は誰もやり方を知りません。
「たぶん、こちらがテープの端を持って、芯の方を投げるのよね」と言っているうちに、出向のドラが鳴りました。
次々に、テープが岸へと投げられて行きます。
私も見送りの人たちに向かって投げましたが、あまり遠くに行かず、海の間際に落ちたため、風で海中に落ちないよう、村代表の方が慌てて取りに行ってくれました。
見送りの人は、四方八方にどんどん投げられるテープを拾うのに大忙し。
送る側は、けっこう大変なんですね。



別れを惜しむ人々の背後で、クレーン船がテトラポットを吊り上げていたのが、なんだかシュールな光景でした。



ひとしきり投げ込みが終わり、船と岸を色とりどりのテープがつなぎました。
とてもきれいです。
私の赤いテープを持ってくれているのは、村代表のサクマさん。
運命の赤い糸のようで、好きになってしまいそうです。(冗談です)



そのうち、船はゆっくりと動き出しました。
テープは、どんどん伸びて行きます。
風にはためく無数のテープが、海の上を舞います。
お互い、ちぎれるほど手を振って、大声で「さよなら」「ありがとう」を言い合いました。



そのうち、テープが手から離れて行きました。
とてもとても美しい、別れの光景でした。



こんなきれいな別れを体験したことは、初めてのような気がします。
感動が胸にせまって、自然と涙があふれてきました。
ウルウルしていたら、隣にいた女子学生たちが私を見て「えっ!?」と驚いていました。
ノル氏には「また来ますよ」と言われました。
みんな、クールだわー。

忘れられない、美しい思い出になりました。



余韻に浸っていたら、あっという間に太平洋の荒波に揉まれ、フェリーは激しく揺れ出し、ようやくのことで中へと入りました。
帰りの航路もまたハードで、ずっと寝て過ごしました。



この画像はイルカさん撮影です。乗船中、私はぐったりしていましたが、こんなきれいな夕日を取る元気があったんですね…。


浅沼稲次郎銅像(三宅島)

2010-03-14 | 東京


三宅島出身の政治家で、社会党委員長となった浅沼稲次郎氏の銅像。
前に訪れた時には、もっとうっそうとしたジャングルの中に立っている感じでしたが、草もきれいに刈り込んであり、こざっぱりした公園の中に銅像がありました。
1960年10月12日、彼は日比谷公会堂で右翼青年に刺殺され(浅沼稲次郎暗殺事件)、その様子が国会中継中のTVに映し出されて、人々に衝撃を与えたそうです。

一緒に銅像を見上げていた青山先生が、「暗殺者は当時16歳の少年で、その時、僕も16歳だったんだよ」と仰いました。
同い年の凶行に、十代の先生は大きなショックを受けられたことでしょう。


彼の生家がここにあり、保存されています。


三宅支庁 (三宅島)

2010-03-14 | 東京


東京都三宅支庁を訪問しました。三宅島と、隣の御蔵島を所管しています。
この日は日曜日でお休みだったので、ロビーで災害復旧の説明を受けた後は、災害用脱硫装置を見学しました。


三宅市庁に設置されている災害用脱硫装置。
人の頭が入りそうなほど太い管に圧倒されます。


レジャープールにあるウォータースライダーを連想させるような、太いパイプ。
高濃度火山ガスを除去するためには、このくらい巨大なものが必要なんですね。