風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

夏の西国ひとり巡礼 index

2017-08-23 | 近畿(京都・滋賀)
[2017.7.14-17]
◆ 和歌山 1-1 ←旅行記へ
 7月の連休を使って、関西に出かけました。
 今回の目的は、楽しい観光でもまじめな仕事でもなく、ストイックに巡礼です。
 和歌山駅を拠点に行ったり来たりして、二つのお寺を訪れました。
  ● prologue ● さっそくリスケ ● 駅員さんのアドバイス
  ● 小雨まじりの粉河の町 ● クスノキの御神木 ● 西国一の大本堂
  ● 芭蕉の句碑と牧水の歌碑 1 ● 切符を買えずに電車の中へ ● 出口をさがして紀三井寺
  ● 長い結縁坂 ● 芭蕉の句碑と牧水の歌碑 2 ● 見晴らし抜群
  ● 電車をのがす ● 和歌山から大阪へ



◆ 和泉 1-2
 大阪の和泉中央から、バスを乗り継いで山のふもとに向かいます。
 気さくな運ちゃんに励まされて、なんとか登山できました。
 その後大阪を縦断し、京都の宇治に泊まりました。
  ● 三つの国々 ● バスを乗り継ぐ ● オレンジバスの運転手
  ● プランニングは大前提 ● 一人きりの登山 ● 空海の髪の毛
  ● ようやく到着 ● ガクガクの下り ● 徐々に下界へ
  ● 静岡の巡礼者 ● オレンジバスふたたび ● 運ちゃんとの会話
  ● とが・みきた ● ホームに百葉箱 ● 中書島と中之島



◆ 近江 2-1
 2日目は滋賀へ。近江八幡の山の中のお寺に向かいました。
 808段の石段を登って降りて、滑って転んで満身創痍。
 近江商人が作った豊かな水郷の町。今度は観光で訪れたいです。
  ● 宇治から滋賀へ ● 巨大な京都駅 ● 近江八幡駅
  ● 相席のおばあちゃま ● 心臓破りの石段 ● 第31番 長命寺
  ● 飛び出さないで ● 琵琶湖の眺望 ● 帰りの石段
  ● 滑って転ぶ ● 巡礼とレジャー ● 近江八幡宮とは ● 近江の町並み



◆ 八日市 2-2
 2日目午後は、この日2つめのお寺へ。
 鬱蒼とした山の中を一人きり、不安いっぱいで登りました。
 帰りはまさかのヒッチハイク。一番こたえた参拝でした。
  ● 次は能登川駅 ● 祝神社 ● 古すぎる標識
  ● 厳重な柵を越えて ● ひとり森の中へ ● 無人の山中
  ● 恐怖との闘い ● 見晴らし台 ● まだこの倍
  ● 文明社会が近づいた ● 脚の限界 ● ヒッチハイク決行 
  ● 王道があった ● 萌えキャラトレイン ● 宵山スルー



◆ 那智 3-1
 3日目は、京都から那智熊野までの日帰りバスツアー。
 道中の車内では、景色も見ずにひたすら寝てばかり。
 ようやく第1番札所の青岸渡寺を訪れました。
  ● 宇治の朝 ● 世界一長い団子 ● 巡礼バスツアー
  ● すぐ寝落ち ● 右京区は右にない ● 熊野への道は遠く
  ● のがれられぬ石段 ● 西国第1番札所 青岸渡寺 ● 読経とおいずる



◆ 那智 3-2
 熊野那智大社には巨大なクスノキとおみくじがありました。
 熊野のイメージといえば三重塔と那智の滝。その両方を訪れます。
 帰りの道中もぐっすり熟睡。宵山の夜の渋滞の中、京都に戻りました。
  ● 熊野那智大社へ ● 日本一ジャンボなおみくじ ● 大楠の木
  ● 熊野のイメージ ● 三重塔から那智の滝 ● 那智黒のヤタガラス
  ● 飛瀧神社へ ● 那智の大滝 ● わかやまポンチ ● 帰りも熟睡
  ● 飛び出し坊やグッズ ● 宵山渋滞 ● 一日がかりの熊野行



◆ 石山 4-1
 最終日は、またもや滋賀へ向かいました。
 ひと月にこの日だけ直通バスが出る、山奥のお寺に向かいます。
 その次に訪れたのは、紫式部ゆかりの優美なお寺でした。
  ● ふたたび滋賀へ ● 待てども来ぬバス ● 長い待ち時間
  ● 西国第12番 岩間寺 ● あの古池がここに ● ぼけ封じ観音
  ● 西国第13番 石山寺 ● 三十八代の天皇 ● 紫式部とMURASAKI
  ● 最古の多宝塔 ● 石山の秋月 ● 京阪・地下鉄・また京阪



◆ 京都 4-2
 旅の最後に訪れたのは、古めかしく品のある醍醐寺。
 隣の天満宮には道真の衣装を埋めた塚がありました。
 こうして4日間の巡礼の旅は終了。百寺全制覇までのカウントダウンが始まりました。
  ● トリは京都に ● お寺と天皇 ● 第11番札所 醍醐寺
  ● 上醍醐への道 ● 醍醐寺マスター ● 頼政ロード
  ● 長尾天満宮 ● 道真の衣装塚 ● 道真の衣装塚
  ● 太閤秀吉の庭 ● また驚かれる ● 八幡浜ばなし
  ● 昼の将軍塚 ● 市内観光ドライブ ● 祗園祭と八坂神社
  ● 伏見城のいま ● 突然の嵐 ● epilogue




夏の西国ひとり巡礼 4-2

2017-08-23 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。 

● トリは京都に

さて、この旅で訪れたいお寺は、残すところあと一つ。
京都の醍醐寺です。
これまでに何度も訪れたことがあるお寺なので、気分的にとても楽。
地下鉄で醍醐駅に着き、お寺まで歩きます。



入口の門までは10分ほどですが、そこから長いまっすぐの参道が始まります。
ひたすら歩きます。



太閤秀吉ゆかりのお寺らしく、国宝の唐門は、いつ見ても金ぴか。
歩ききるまでにさらに10分ほどかかります。広大なお寺です。



醍醐寺はいくつものお堂や三宝院(庭園)・霊宝館(宝物館)でそれぞれに観覧券を出していましたが、今回、それが1セットの共通観覧券に変わっていました。
今までは行きたい場所だけの観覧券だけで済みましたが、全て見ないと割高になることに。
このお寺で予定は終わるため、観音参りをすませたら、あとは庭園や宝物館をゆっくり鑑賞しようと思います。



観音堂のある仁王門前にようやく到着しました。
秋の紅葉の時期にしか来たことがありませんでしたが、夏はすいていて、緑さわやか。



平安時代に建てられた国宝の五重塔は、相変わらずどっしりとしています。
なにがあっても崩れなさそうで、いつもこの塔の前に立つと、えもいわれぬ安心感を抱けます。
醍醐天皇の冥福を祈るために建てられたものです。



● お寺と天皇

ここは醍醐天皇が帰依していたお寺。
天皇とお寺、どっちが先かと言うと、お寺の方です。
醍醐寺を庇護したことで、醍醐という諡号(しごう)を受けた天皇。
後世、その醍醐天皇にあやかって生前自ら後醍醐と名乗った天皇が登場します。
その後醍醐天皇にあやかってゴダイゴというバンドが登場し・・・もうこの辺でいっか(笑)



美しい庭苔。広大な境内ですが、手を入れすぎない自然な様子できちんと整備されています。
醍醐天皇一千年御忌を記念して、昭和5年(1930)に建立された鐘楼堂。
それでも古めかしい印象です。



● 第11番札所 醍醐寺

仁王門を抜けてもさらに続く長い参道をまっすぐ抜け、本堂の前を通ってさらに奥に入ったところに、目指す観音堂はあります。
かつては、山の上の上醍醐といわれる場所に観音堂があり、巡礼者はそこまで登らないといけない、大変な行程でしたが、13年前に雷が落ちて、上醍醐の観音堂が全焼してしまったため、麓の下醍醐に移されました。



秋には紅葉が映える弁天池ですが、夏の青紅葉もまた、美しいものです。



あ、ヤモリ。私が近づく気配を察して、するすると橋の欄干の影に逃げ込みました。
頭隠して尻隠さず状態ですが、うまく隠れているつもりなのかな?



● 上醍醐への道

観音様を参拝し、今回の旅の目的はすべて果たせました。
わ~、終了だわ~。
かつては山の上の上醍醐にあった観音堂。雷で燃えてしまったのは悲劇ですが、巡礼者は山に登らずに済むようになりました。
楽にはなりましたが、せめて上醍醐へと続く道を見てから帰ろうと、フェンスごしに向こう側をのぞきました。



と、背後に近づいてくる足音が聞こえました。
年配の男の人がやってきて「今は西国巡りの人は山の上ではなく、そこの観音堂で御朱印をもらえますよ」と教えてくれました。
(上醍醐へ登ろうとしていると思われたのかな、違うんだけど)と思いながら、どう話そうかと考えていると、
「突然そんなこと言われてもあれやな」と、なにかを探し始めました。

● 醍醐寺マスター

「ガイドさんですか?」と聞いたら「違う」と行って見せてもらったのが、「醍醐寺友の会」のメンバーカード。
上下醍醐寺・三宝院・霊宝館のフリーパスとなる年間パスポートです。
それを使って、毎日のように上醍醐まで上っているのだそう。
「えー、毎日ですか?」
一度登るのだって、よっぽど大変だろうと思うのに、毎日と聞いてびっくり。
「別に好きで登っとるわけではなくて、お医者に運動不足って言われたからなんよ」
最初は、川沿いを散歩していたそうですが、アスファルトの照り返しがきついし、近所の人によく会ってばつが悪いので、換えたそう。
13年前の落雷以前より、巡礼者に交じって上醍醐に登っていたそうです。

友の会のカードの会員番号は1500以上でしたが、手書きで併記された番号は29番。
「番号、2つありますね」「なんでやろな?」
一つは欠番込みの数、一つは実際の数でしょうか。
醍醐寺のことをいろいろと説明してくれます。
日本庭園の話になり「このすぐ裏に庭園があるけれど、ほとんど知られていないから、教えてあげよか?」と言ってくれます。
後からやってきた女性陣とも挨拶を交わし、顔が知られているおじさん。
境内ですし、案内してもらうことにしました。



その庭園は、本当に今まで知らなかった、奥まった場所にありました。
標識が出ていないので、わからなかったのです。

● 長尾天満宮

おじさんのお名前はケイゾーさん。
さらにいろいろと説明してもらい、隣の敷地には長尾天満宮があり、そこには菅原道真の衣装塚があると教えてもらいました。
「道真の衣装塚?聞いたことないです」
興味を示すと「連れてってあげるよ」と言ってくれます。
もうこれ以上時間を取るのは申し訳ないので「いえ、どうぞ上醍醐に登ってください」と言うと「昨日上ったから今日はええわ」とあっさり。
えっ、それでいいの?
まあそのくらいユルさがないと、日々の登山は続けられないっていうことですね。



醍醐寺の隣にある長尾天満宮。
醍醐の氏神さまで、ご祭神は菅原道真。
参道の長~い石段が出迎えてくれます。
やっぱり石段ね・・・。



● 頼政ロード

上っていくと、途中に「頼政の道跡」の碑がありました。
宇治川の戦いで敗れた源頼政が、平清盛の追っ手を逃れて園城寺(三井寺)から奈良の興福寺に向かって逃げた道が、頼政道と言われます。



大津からここ長尾天満宮を通って、一言寺、 日野法界寺、木幡、宇治へと進みましたが、宇治平等院での平家との合戦で破れ、彼は命を落としました。
そういえば、平等院の鳳凰堂の裏に源頼政の墓があったなあと思い出します。
逃げた道に名前がついているなんて、それだけすごい人だったんでしょうね。

● 道真の衣装塚

衣裳塚、ほんとにあったー!道真は醍醐に来ていたんですね。
考えてみれば、左遷される前は京都で活躍していたわけですから、来てもおかしくないですね。
小さな看板が立っています。
「いつも参拝に来てもな、看板が古く小さすぎて気にしたこともなかったんだけど、ある日読んでみたら、けっこうすごいことが書いてあってなあ」

ケイゾーさんが解説してくれました。
菅原道真は醍醐寺を開いた僧侶と親交があり、醍醐寺を訪れた際に「自分が死んだらこの地に墓を立ててほしい」と願ったそうです。
ところが彼はその後失脚し、太宰府で亡くなりました。

死後は醍醐に墓を立てるという話でしたが、道真はすでに太宰府で埋葬されていたため、代わりに彼の衣服と遺物を埋めたのが、この衣裳塚だということです。
ただ、道真を京の都から追放したのは、醍醐天皇なんですよね。
お互いのゆかりの地が隣同士だなんて、なんとも歴史の不思議さを感じます。



天満宮から再び醍醐寺に戻り、一つ一つの建物について詳しく教えてもらいました。
「塀に横線が5本入っているのが、位が一番高いお寺の印だからね」
そんなお寺のトリビアも教えてくれます。

友の会メンバーは、誰もがガイドさん並みの醍醐寺知識を持つのかと思ったら「いや、TVでここが取り上げられたときに録画して学んだことばっかりや」とのこと。
とても勉強熱心です。
「ここのお寺は、ええもんたくさん持っとるのに、全くそれを説明せえへん。もったいないわ~」



金色の涅槃仏のいるお堂もありました。
醍醐の花見の時は、それはすばらしい光景となるそうです。
巨大な餅を運べるかの力比べをする男女など、太秦(=東映太秦映画村)から役者を連れてきて演じるんだそう。
大勢の人が桜と演目を見に訪れるんだそうです。

● 太閤秀吉の庭

それから三宝院に行きました。
入口で私はチケットを見せますが、、係の人と顔なじみのケイゾーさんは、パスを提示するものの、ほぼ顔パス。
ここもじっくりと説明をしてもらいます。
秀吉が作った庭を眺めながら「上醍醐の登山を終えた後はいつも汗だくなので、ここの庭園に寄って涼んでいくんや」とのこと。
太閤殿下の庭をそんな風に利用している人がいるとは。



先ほど一人で訪れた五重の塔の前で、写真を撮ってもらいました。
「この塔、すてきですね。中が見たいなあ」と言ったら、「見られるよ」。
醍醐天皇の月命日である毎月29日に扉が開いて中が見られるそうです。
「2月は28日ね」。本当にミスター醍醐寺と言っていいくらい、何でも知っています。

● また驚かれる

霊宝館の所蔵品を鑑賞して、共通鑑賞券を使い切りました。
「いろいろなことを教えて下さって、ありがとうございます」とお礼を言いながら、出口へ向かいます。
「これからどうやって帰るの?」「バスで六地蔵駅まで」
「バス?じゃあ六地蔵まで送るわ」
「そこまでご迷惑になるわけにはいきません」と遠慮しましたが、「引退の身で暇だから、逆に時間をつぶさせてほしいんや」と言われて、車に乗せてもらうことになりました。

● 八幡浜ばなし

たっぷりガイドはしてもらったものの、お互いのことはあまり話していません。
私が横浜から来たと話すと、「ええっ!?」と驚かれました。
「いつも一人で旅行しとるの?」
「いえ、今回は西国を巡っているからです。ほかにいないから」
「息子が神奈川の、ええっと、海老名で働いとるなあ」
「海老名と横浜は近いですよ。電車で30分くらい」
「向こうの方がええって言っとるなあ」
「そ、そうですか」
京都の醍醐の辺りは、落ち着いていてとってもいい環境だと思いますけれどね~。

ケイゾーさんは、京都ではなく愛媛の出身でした。
八幡浜と聞いて「行ったことありますよ」と言うと「ほんま?」と喜ばれます。
「佐田岬からフェリーで九州に渡ったときに通りました」
「フェリーなあ。京都は好きやけど、今でもあっちの海が懐かしくなるな」

● 昼の将軍塚

乗せてもらった車は、風格のある日産ローレル。
呉服屋の社長時代、日本中を車で周っており、もう36万キロくらい走っているそう。

初めは「大丈夫。六地蔵はちょっとばかり家から遠くなるだけやから」
と言っていましたが「横浜からはるばる来たんなら、京都で観光せえへんのはもったいないわ。ちょっと車で市内観光に連れ出したる」という流れになりました。
「将軍塚っていう、車でしか行けない場所があるんや」

遠慮しましたが「自分も最近行ってないからな」と、気を遣ってもらいます。
さすがは元呉服屋の社長、品よく押しが強い。
私も、このタイミングでなければ「次の予定があるので」と言ってダッシュするところですが、この日はほかに用事もなく、参拝後はどう過ごそうかと思っていたところ。
「地元の隠居の案内や。まあつきあってや」と言われて、ありがたく連れて行ってもらうことにしました。
将軍塚には、前に行ったことがあります。
でもそれを、ケイゾーさんには言いません。
お互いに気を遣う、これが京都のお付き合い?



車専用のカーブを抜けて、丘の上に着きました。
「夜ならきれいなんやけどなあ」とケイゾーさんは残念そうですが、いい見晴らしです。

● 市内観光ドライブ

丘を降りてからも、大回りをして、平安神宮の辺りや四条通り、八坂神社前を通って、京都市内を見せてくれました。
それにしても、想像を遥かに超える人混みです。
祇園祭りと重なるため、京都市内には足を踏み入れないようにしようと思っていましたが、旅の最後にまさかのメインストリート・ドライブ。
どの道を見ても、本当に混雑しています。
それでも、生き生きとした喧噪の京都を知ることができました。



三条大橋を渡った時に、鴨川の夏の名物、川床が見えました。
ただほんの一瞬のことで、撮影はできずじまい。



ケイゾーさんは、祇園の通りに入ろうとしましたが、あまりの人の多さに、細道に車を入るのを断念しました。



● 祗園祭と八坂神社

車は少しずつ祗園祭の中心地、八坂神社に近づいて行きます。
「ここはさすがに車を止められないし、一瞬だけやから、よう見てな!」と言われて「ハイッ」とカメラを構える私。
あいにくバスが横に並びましたが、そのすき間から、ぎっしりと並んだ人垣が見えました。
ああ、ドラマチックな祇園祭が今夜も始まるのね~。



白い祭り衣裳に身を包んだ人々が通っていきます。
山鉾を曳く人々でしょうか。



お巡りさんも続々と歩いていきます。
すごい数。いろいろな場所から援軍としてやってきたのでしょう。
歩きながら、笑顔も見えて、結構和やかです。



京都はいつも紅葉の季節に訪れるので、混んでいるのは仕方がないと思っていましたが、夏の祭りの時期もとても混雑しています。

● 伏見城のいま

車窓から、遠くに伏見城が見えました。
「あ、伏見城」と言うと、「最近はどうなってるんだっけ?よし、見に行こう」と近くまで行ってくれました。



アクセスが困難な場所にあります。かつてテーマパークだった伏見城周辺は、今では運動公園に変わっていました。
葉っぱの陰になってちらちらとしか見えなかったものの、天守閣は植木の向こう、すぐ間近にありました。



京都市内のドライブのあと、最初に話した六地蔵駅で下ろしてもらいました。
「いつもヒマで、山にばっかり登っているから、今度来るときにを電話くれれば、またドライブに連れて行ってあげる。今度は夜の将軍塚も」と言ってもらいました。
いろいろご親切に、どうもありがとうございます~。

● 突然の嵐

六地蔵から宇治まではJRで一本。
車の中で、なんだか雨雲が気になりますねと話していたら、いよいよ暗くなってきました。ゴロゴロという音も不気味に響きます。
宿に戻ると、じきに雷と大粒の土砂降りになりましたが、ぎりぎりセーフで濡れずに済みました。
預けていた荷物を受け取り、そこから帰途につきました。

怪我をした翌日はひどかったのですが。指の腫れが引いてきました。
ただ腰はまだ痛み、赤くなっているので、青たんになりそう。

夕方、宇治に着いたらなんだか雲行きが怪しくなり、ゴロゴロと音がしています。
これは嵐が来る予感。
いそいで宿に戻ると、すぐに容赦ない大雨が降ってきました。
ザーーーッ!!
雷は近くに落ちており、結構怖いです。

朝のうちにすでにチェックアウトは済ませており、荷物を取りに戻っただけでしたが、大雨で身動きが取れなくなり、しばし宿で雨宿り。
今回の宇治の宿は何度も利用しているため、スタッフ兼長期滞在者のゆうこさんという女性とはもはや顔なじみ。
彼女は離れたところにいましたが、私のところまで来て、声をかけてくれました。
「すごい嵐だけど、大丈夫?こわくない?」
雷が間近で落ちる音で、実はかなり怖い思いをしていたので、親切に気にかけてもらえて、ほっとしました。

雷がやみ、雨も収まってきたので、宿を出て京都駅に向かいます。
宇治駅に着くと、電光板が暗く落ちていました。
(まさか、もう終電が出ちゃったの?)

青くなりましたが、停電のためだと判明。
そういえば、さきほどゆうこさんが「京都市内は停電になっているんですって。気をつけてね」と教えてくれました。
ということは、真っ暗闇の祇園祭?
いえ、みんなテンションが上がっていて、停電もものともせずにお祭りに集中していることでしょう。
巡礼中に大雨に降られなかったのが、不幸中の幸いです。
無事に電車がやってきて、京都から新幹線で帰宅しました。



この日のルートは、こんな感じです。
ほとんど電車や車で移動しました。

● epilogue

今回の旅の行程表から、楽しい観光ではなくタフな修行になると、あらかじめ覚悟していました。
実際、想像を超えるハードさに苦しみましたが、1日目はオレンジバスのおじさん、2日目はユゲ夫妻、3日目はユゲさん、4日目はケイゾーさんと、毎日親切な地元の方に出会って、いろいろとよくしていただきました。
みんな「遠くから」「女性が」「一人で」「西国巡礼に」やってきたということに驚いて、エールを送ってくれます。
その優しさに、身体のキツさが癒される思いでした。
旅でのふれあいって、ありがたいものですね。

今回の旅で、西国札所を9つ巡り、残すところあと4寺となりました。
百観音では、92/100札所。
まだ難所のお寺は残っていますが、少しずつ、ゴールが見えてきたような気がします。




夏の西国ひとり巡礼 4-1

2017-08-21 | 近畿(京都・滋賀)
3日目からの続きです。 

● ふたたび滋賀へ

最終日のこの日は、宇治から京都を経由して、2日目と同じ琵琶湖線に乗りました。
前回の近江八幡ほど遠くまで行かず、石山駅で降ります。
この日、まず向かうのは、西国第12番札所の岩間寺。
このお寺にたどり着くには山を1時間登らなくては行けません。
えっ、またもや?
いえ、ここには毎月17日だけ、お寺直行のシャトルバスが4往復します。
これに乗らない手はありません!

ただ、チャンスは月に一度きり。
17日が入る三連休ということで、今回の旅程が決定しました。
今年は6月、7月、9月、12月が該当しますが、雨がちの6月と寒い12月はパス。
7月の方が9月よりも暑くなさそうだと思って決めましたが、連日30度越えの猛暑が続いて、当てが外れたようです。
この日も朝から暑い一日が始まっています。

目下放送中のKBS京都テレビ「西国三十三所 観音巡礼 祈りの旅」の番組で、ちょうど岩間寺が紹介されたばかり。
(17日のことを知った人たちで、もしかするとバスが混んでしまうかも)と思い、一番最初の便で行くことにしました。

● 待てども来ぬバス

バスの時間20分前に駅に着き、駅員さんに岩間寺行きのバスの発着場を聞きました。
教えてもらった場所に行きますが、待てど暮らせどバスはやってきません。
ほかに乗客らしき人の姿も見かけないので、なんだかおかしいなと思います。
近くに停まっているホテルシャトルバスのドライバーに聞いてみると「ここでは見たことない」とのこと。
再び駅舎に入って、駅員さんに確認しましたが、「そちらの口としか聞いていません」とのこと。
うーん?
もう発車時間まで5分を切ったので、やはり最初の場所で待ってみましたが、時間になってもバスはやってこず、何の変化もありませんでした。

日にちを間違えたわけでもないし、やっぱり様子が変です。
念のために、反対側の口に行ってみると、「岩間寺行きシャトルバスはここではありません」という立て看板があります。
(そうでしょう)と思いましたが、その下にあった地図は、私が待っていた所とは全然違う場所でした。
うそー、なんてことでしょう。



● 長い待ち時間

発車時間から遅れること10分。地図の示す場所に着いた時には、8:30発の最初の便はもう出発していました。
バスは待っていましたが、それは10:05発の次の便。

発車時間までの1時間半近く、バスの中でじっと待つことになりました。
こうならずに済まなかったものかと、あれこれ反省しますが、こうなった以上はもう仕方がありません。
人生、あきらめも肝心です。

まあでも、いいこともあります。前の便が行ったばかりなので、席はガラ空きで、好きな場所に座れました。
炎天下ではなく、冷房の入ったバスの中で待てるだけマシです。
早起きしたので、じきに眠ってしまい、時計をにらみながらじりじりと待つこともありませんでした。

ふと目覚めると、いつの間にかバスは満席になっており、立ち客でぎゅうぎゅうになっていました。
乗れない人は、次の便に。思った通り、乗客が多くて激混みです。
最初の便に乗れたとしても、押すな押すなのバスの中で立つことになり、周りに足を踏まれながら不快な思いをしたかもしれません。

ようやく時間になり、バスが動き出しました。
バスに揺られながらうつらうつらしているうちに、お寺に着いていました。
前日から、移動中寝ていて記憶がないというパターンが続いています。

● 西国第12番 岩間寺

前の方の座席だったので、早めにバスから降りました。
参道には仏像やお堂が立ち並び、みんながそこここに立ち寄る中、私は寄り道をせずにまっすぐ本堂を目指していきます。
参拝をして、御朱印をお願いしました。



満員のバスに乗ってきた乗客のほとんどが御朱印をいただくだろうと考えて、迅速行動をとってみたところ、予想が当たって、みるみるうちに後ろに御朱印待ちの長蛇の列ができました。



17日が法要日なので、本堂内ではお坊さんが朗々と読経しています。
お堂の中に上がって、般若心経を一緒に読み上げました。

その後、周囲の不動堂などを巡ります。

● あの古池がここに

ここは、松尾芭蕉の“古池や蛙飛び込む水の音”の俳句で読まれた古池なんだそう。
あの古池のモデルになった池があったなんて。
池はもっと小さく丸くて、小さな音が「ぱちゃん」と聞こえたのだろうと想像していましたが。
ということは、俳句のカエルはアオガエルじゃなくてガマガエルとか?(どうでもいいか)



● ぼけ封じ観音

岩間寺は、ぼけ封じ近畿十楽観音の一つ。
優美な姿のぼけ封じ観音像がありました。
ぼけませんようにと、熱心に拝みます。
誰にとっても切実な願いらしく、ぼけ封じ観音の周りは人だかり。
ほかの人にも大人気でした。

観音像の足元に、足の形が描かれた佛足石がありました。
佛足石の下に、ぼけ封じ近畿十楽観音の10のお寺の砂が埋められているとのこと。
佛足石を踏むことで、十寺のお砂を踏むこととなり、全てのお寺に参拝したのと同じ功徳があるようです。



どこかで佛足石を見かけても、いつも「は~」と眺めるだけで、自分が踏んでいいものとは思っていなかったので、ちょっとためらいます。
バチが当たらないのかな?
それでも「どうぞ」と書かれているので、「しからば」と足を載せました。
こちらも、参拝者たちに大人気でした。



ほかにも「長寿水」や「厄除水」と言われる霊水が湧いていたり、「白姫龍神」を祀った磐座があったりと、なかなか見どころの多い境内。
先ほどは、本堂まっしぐらだったので、帰りの道すがら、あちこちに足を停めて見学しました。

そうしてお寺の駐車場に戻り、停まっているバスのところに戻りました。
スタートが早かった分、行きのバスで一緒だったほかの人々よりも戻りが早く、当初乗る予定だった始発のバスの復路便に乗れました。
これで長尻をつけられたわ。ギリギリに乗り込んだので、今度は混んでいる車内で揺られながら立っていきます。

● 西国第13番 石山寺

石山駅に戻る途中、石山寺大門前でバスを降りると、ほかにもけっこう大勢の人たちが降りました。
ぞろぞろと大人数で、堂々とした立派な仁王門をくぐります。



緑もみじの参道を通ると、そよ風が吹き抜けるようで、清々しい気持ちになります。



石山寺は、女性らしい瀟洒なお寺。
この旅で初めて、特に苦労することなくたどり着けたわー!
でも安心していたら、境内に入ってから心臓破りの急な石段が67段のありました。
みんな手すりにつかまって、一生懸命登っています。
やっぱり気が抜けません。



● 三十八代の天皇

苔が美しい三十八所権現社。 
日本古来の神々と、神武天皇から天智天皇までの38代の天皇を祀っているところからだそうです。
三十八はどこから来たんだろうと思ったら、歴代天皇の数だったんですね。



苔むした大岩に囲まれたお社にはとてもたどり着けなさそうに思えますが、横から見たらちゃんと道がありました。



境内にはごつごつした大きな岩が数多くあります。
これは硅灰岩(けいかいいわ)という、天然記念物に指定されている石。
元は石灰岩で、硅灰石に変質すること自体珍しく、これほど大きなものがゴロゴロと集まっているのは貴重なんだそうです。

● 紫式部とMURASAKI

本堂は国宝で県内最古の木造建築物。
外は一面の緑で、森の中に立つお寺という感じです。



紫式部がこのお寺に参篭した折に『源氏物語』の構想を得たとされています。
本堂には「紫式部の間」があり、源氏物語を執筆中の等身大の紫式部の御所人形がいました。



人形は有職御人形司 十世 伊東久重の作。



そのそばにはロビィ君の女の子版のロボット。
MURASAKIという名で、作者は高橋智隆。
源氏物語の導入部を語るそうです。



古風な注意書きの下には、英語表記のポスター。
海外にはレディ・ムラサキとして知られているんですね。



その他にも、『蜻蛉日記』『更級日記』『枕草子』といった著名な文学作品に登場しているというこのお寺。昔から有名で人気があったんですね。

境内を散策すると、木々を抜ける爽やかな風が吹いてきて気持ちいいです。



建物の下には、安産石がありました。
座ってきましたよ、いろいろな産みの苦しみが軽くなるように!



● 最古の多宝塔

現存する日本最古の多宝塔。国宝です。
桧皮葺の屋根が美しく、立派。多宝塔の中でも最も美しいと言われているとのこと。
内部には快慶作の大日如来像が安置されているそう。



こちらも桧皮葺の屋根の鐘楼。
青もみじの中で、絵になりますね~。秋の紅葉もきれいでしょう。



朱塗りの心経堂は、花山法皇が西国三十三所霊場巡礼を世に広めてから千年経った記念に建てられたもの。
花山法皇ご自身が納経した般若心経写経が納められているそうです。



経蔵の脇には紫式部の供養塔と芭蕉の句碑が並んでありました。
供養塔と句碑が一緒に並んでいるというのがちょっと不思議。
紫式部と小野篁の供養塔が並んである京都のお寺で、「紫式部が物語を作って世の人々を迷わせた罪で地獄に落ちないように、小野篁と一緒に祀っている」と聞いているため、ここでは芭蕉とペアになったのかしら?と思います。
でもここは単に、どちらも文学者というくくりなんでしょう。



● 石山の秋月

お寺は高台になっており、琵琶湖から流れる瀬田川がすぐ近くに見えます。
月見亭という建物から望む眺めは「石山の秋月」として、近江八景の一つとされています。



休憩所でちょっとひと休み。
自動販売機には、やっぱり紫式部が描かれていました。



お寺からの帰り道、参道の灯篭に刻まれていた花山法王の名前に目が留まりました。
法王が西国観音霊場を中興した1000年記念に、お寺の一番偉い僧侶が寄進したそう。
きっと、心経堂の建立に合わせてのことでしょう。



● 大津市のマンホール

わーキレイ、わーステキと、久しぶりに観光気分でお参りできたお寺。
参拝を終えて、仁王門を出て歩き出しました。

石山寺を出たところで見つけた、大津市のマンホール。
なんだかとっても楽しそう。

描かれているのは、大津市の景観をモチーフにした、琵琶湖、琵琶湖大橋、ミシガン船、ヨット、観覧車、 ユリカモメ(市の鳥)、エイザンスミレ(市の花)、ヤマザクラ(市の木)、 花火大会、レガッタ、びわ湖花噴水、犬などに、市章に下水の「下」を組み合わせたマークだそうです。
詰め込んでますね~!



描かれている白い犬は、市制100周年記念イベントキャラクターのもも(百)ちゃん。
そして片手が赤いのは、「ワン・ハンド・レッド」の洒落なんですって!!大津スゴイ!

7月にして、もう桔梗が咲いていることにびっくり。
アジサイがまだところどころで咲き残っているので、遅い夏と早い秋の花を一度に楽しめます。



● 京阪・地下鉄・また京阪

川沿いの道をてくてく歩いて、10分ほどで京阪石山寺駅へ到着。
次に向かうのは、京都の醍醐寺です。



JRの石山駅まで戻ろうと思いつつ、京都駅に出るとお寺のある醍醐駅までのアクセスが難しいので、どうしようかと考えていました。
路線図を見てみると、ここから石山坂本線に乗り、京阪京津線に乗り換えると地下鉄に接続することが判明。
それならスムーズに行けそうです。



丸みを帯びたレトロな車内。
乗客も少なく、落ち着きます。



2両のかわいい京阪電車に乗れて、ごきげん。
初めての路線なので、なじみのない駅を通っていき、どの辺りを走っているのか、あまり把握できていません。
路線図を見ると、京阪が通らない区間があり、途中から地下鉄に変わって、再び京阪本線に戻っています。
交通ICカードが普及する前は、精算が大変だったでしょうね。



この旅で残すところ、あと一つ。京都の醍醐寺へ。

その2に続きます。



夏の西国ひとり巡礼 3-2

2017-08-17 | 近畿(奈良・和歌山)

その1からの続きです。

● 熊野那智大社へ

青岸渡寺を参拝してから、隣の熊野那智大社も訪れました。
参道から神社にまっすぐ向かう際には、500段近い石段を上ることになります。
でも隣のお寺から向かう場合は、すでにかなりの高さまで登ってきているため、そう大変な思いはせずに済みます。



朱塗りの那智大社。6棟の社殿が重なるように建っています。
社殿は国の重要文化財であり、世界遺産です。つまりとっても大切なもの。
ここには八咫烏(やたがらす)の烏石がありますが、一般には入れない神域内にあるため、なかなか見る機会はありません。



八咫烏の青銅の像がありました。
いまさらですが、八咫烏ってどうして三本足なんでしょうね?
調べてみると、諸説あるようです。

まあヨーロッパには、双頭の鷲もいますからね!
お互い仲良くやってほしいです(!?)



● 日本一ジャンボなおみくじ

大柄の男の人が、「よいしょー!」と言いながら何かを抱えて振っていました。
大きすぎて、振るといっても上下にゆっくり動かす程度。



日本一ジャンボなおみくじだそうです。確かに大きい!
筒の長さは133cm!子供の背丈くらいありますね。
ちなみにこの長さ、那智の大瀧の133mの高さからきているんだとか。
でもお値段はジャンボではなく、普通サイズの100円です(笑)!



● 大楠の木

境内には空に枝を伸ばす、天然記念物の大楠の木があります。
樹高27m、樹齢約850年。平重盛が参詣の折に御手植えしたと伝えられています。
生き生きとして、生命力の塊のよう。見ていると元気が出てきます。



苔むした幹。
自分がリスならここに住みつきたいわ~。



根元には人一人が入れるくらいの洞があり、心願祈願の人たちが願掛けの護摩木を片手に、背中を丸めて入っていきます。
巨木の胎内巡りですね。(樹が傷つかないか、ちょっと心配)
熊野の聖地が、神社とお寺に分けられる前から、この大楠は人々を見守ってきたんだなあと思います。
廃仏毀釈のドタバタの時に、うっかり切られなくてよかった。



青岸渡寺よりも少し高い場所にある神社。
先ほどの石段を上から見上げると、結構急だと分かります。



● 熊野のイメージ

お寺の境内に戻ると、五重塔と那智の滝が見えます。
ああ、熊野のイメージだわ。



今回は、三重の塔も拝観できるとのこと。
中に入るのは初めてなので、喜んで向かいます。



● 三重塔から那智の滝

塔の高さは25m。意外にも中はコンクリで、エレベーターがありました。
古いものかと思いきや、昭和47年(1972)に、400年ぶりに再建されたものだとのこと。
4階まで上がると、周りの景色が360度見渡せます。
那智の滝も、さえぎるものなく見られました。



塔三層に安置された千手観音菩薩。キラキラ輝いていました。
景色を堪能して一番最後に塔から出ると、おいずる姿の先達さんが待っていてくれました。



● 那智黒のヤタガラス

お寺から、那智の滝の近くまで移動します。
下りの階段は結構怖い感じ。
もう滑りたくないので、かなり足元に気を付けながら降りていきます。
これだけ周りに人がいる中で転んだら、わっと心配されてしまいますし。



参道ではナギの樹や那智の黒い石が売られています。
ナギの樹、いつかは家に植えたいなあ。
那智の石は、硯や碁石などに使われる黒々と光る石。
那智黒というと飴の方を思い出しますが、こちらがメインです。



母がここを訪れた時に、那智黒石のヤタガラスの置物を持ち帰りました。
今でも家の玄関にいます。



● 飛瀧神社へ

那智大滝のところにやってきました。
ここには滝をご神体とした飛瀧神社があります。



毎年7月14日に、ここで那智の火祭りが行われます。
つまり2日前に大祭が行われたばかり。
滝ガールの友人が参列したそうです。



滝に至るまでの道は、またもや石段。。。
石段からはどうしても逃れられないのね・・・。



● 那智の大滝

以前この滝を訪れた時には、天気が突然悪くなり、辺りが全く見えない中で滝の飛沫を全身に浴びて、なんだかよく訳が分からないうちに濡れネズミのようになりました。
神さまの手荒すぎる歓迎だったんでしょうか。



この日はくっきりときれい。滝はようやくその姿を現してくれました。
ジャンボおみくじが倣うとおり、滝壺までの落差は133m。一段の滝の落差では、堂々の日本第1位です。



そばの湧き水が飲めると先達さんに教えてもらい、熊野の恵みをいただきました。
那智の滝をお参りできたし、西国一番寺の御朱印もいただけて満足。
この日参拝する西国の寺院は、青岸渡寺の一つだけですが、なかなか来られないため、値千金の貴重なもの。
少しずつでも、御朱印帳がかなり埋まってきているのもうれしいことです。

四国八十八ヶ所を巡ったユゲさん。
お遍路さんに比べたら、これから始める西国巡礼はぐっと楽なんじゃないかと思いますが、彼女曰く、西国の方がハードなお寺が多いのだそう。
「四国は車やタクシーで行けるけれど、西国は行けないところが多いから」
「そうですか・・・」と、昨日までの2日間を思い返して、遠い目になります。

● わかやまポンチ



この日の目的が果たせたことで、安心してお土産をチェック。
熊野三社の巫女さん萌えキャラができていました。
ソフトクリームスタンドには長蛇の列ができていたので、あっさり諦めてわかやまポンチをいただきます。
のんびりしたネーミングが、いい感じ。
和歌山と岡山は一字違いですが、どちらもフルーツの国ですね。



● 帰りも熟睡

バスツアーのメインイベントが無事に終了し、これから一路、帰途につきます。
しかし、ここから京都に帰るまでがまた長丁場なのです。



中辺路ぞいの休憩所でひと休み。
ずっと海沿いを走っていたのに、まったく外の景色を見ることなく、帰り道もひたすら寝ていました。



明るくてきれいな南紀の海がずっと窓の外にあったのに。あーあ。

● 飛び出し坊やグッズ

走って走って、新名神高速の土山SAに着いた頃にはもう暗くなっていました。
土山ってどこ?滋賀県甲賀市です。
忍者の里ですが、飛び出し坊やグッズの方が目を引きました。



飛び出し坊やの看板は見たことがあるけれど、グッズが出ているなんて!
しかもこんなにたくさん!
「とび太くん」って名前があったのね〜。
お寺にはとび太くんお守りがあったし、女の子バージョン(とび子ちゃん?)もあったし。
君、そんなに人気者だったんだ〜!

とび太くんが誕生したのは滋賀県東近江市なので、滋賀にグッズが多いんだそうです。
ご当地キャラだったんですね〜。



ここで茶団子をいただきました。
すっかり忘れていましたが、この日の朝に知った宇治の「茶団子をつなげたギネスレコード」の話が、頭のどこかに残っていたのかもしれません。



● 宵山渋滞

この日は朝から渋滞に巻き込まれており、帰りも予定時間を大幅にすぎて9時過ぎてしまうだろうと添乗員さん。
祇園祭の宵山がまだ続いているため、京都は大混雑しており、四条に戻るのは何時になるか不明とのこと。
そのため八条で降りることを勧められます。
もとより八条で降りる予定の私は、(電車が動いている間に着けばいいや)と思って、あまり心配せずにまたぬくぬくと眠りの中へ。
渋滞でなかなか進まないバスの中では、イライラした空気が漂っていたかもしれませんが、私はひたすら寝ていました。

この日はバスツアー参加にしてよかったです。自力であちこち動くとなったら、体力の限界が見えたことでしょう。

結局八条口に着いた時には10時前になっていました。
ユゲさんはじめツアー客の皆さんとお別れをして、JRで宇治へ。



途中、伏見稲荷のある稲荷駅を通ります。
「JR」が「じぇいあーる」とひらがなになっていたのが、ツボでした。

● 一日がかりの熊野行

すっかり遅くなって、宿に戻りました。
ほぼ一日中寝ていたのに、夜になっても寝る気満々。
底なしの睡眠欲に、我ながらビックリです。



この日のルート。紀伊半島をぐるっと海沿いにとおりましたが、ほとんど夢の中でした。ああ~もったいない。
でも、底をつきかけていた体力がこれでかなり戻りました。
翌日は最終日。がんばっていこー!

4日目に続きます。



夏の西国ひとり巡礼 3-1

2017-08-16 | 近畿(奈良・和歌山)
2日目からの続きです。

● 宇治の朝

3日目は5時台に起床し、早目に宇治駅へ向かいます。
車通りを一本隔てた細道にはすだれのかかった家が多く、京都の夏を感じます。



宇治橋がデザインされたマンホール。
何度も撮っていますが、お気に入りの柄です。



宇治川のたもとにあるお茶屋、通圓 宇治本店。
いつも行列ができている賑わいぶりですが、開店前なので誰もいません。



宇治橋から臨む、朝の宇治川。観光客もまだいない、静かな時間。
奥に見える赤い橋は、源氏物語ゆかりの朝霧橋です。



橋の逆側にはJR奈良線の線路。
あれ、川の中になにかがいますよ。



よーく目を凝らしてみると、人とサギが、それぞれ魚を獲っていました。
共存しています。



駅前の交番。京都はこの平安騎馬隊のマークがかっこいいんですよね。
行き倒れたら、お馬さんに見つけてもらえるかしら?
今回の旅では、冗談ではなくかなり真剣に考えてしまいます。



● 世界一長い団子

2016年3月6日に、宇治川を挟んだ2つの世界遺産、平等院と宇治上神社を茶団子で結ぶというチャレンジが行われたそうです。
660メートルの距離に3万個の茶団子を並べ、「世界一長い団子"Longest Line Dango”」としてギネスレコードを取ったそうです。
うーん、知りませんでした。
茶団子をつなげてギネスに挑戦するという発想からしてビックリです。
でも宇治っ子たち、がんばったんですね!オメデトウ!



宇治から京都駅に移動し、八条口側に周りました。
前まで駅前のアスファルトをはがして、大々的な整備工事をしていたのが完成して、八条口は見違えるほどきれいになっていました。



● 巡礼バスツアー

今日は、たった一人で山に分け入ったり、体力を削るようなことはしません。
これから阪急の日帰りバスツアーに参加して、和歌山のお寺に向かいます。
集合場所の八条口側で、受付を済ませました。
(旅先で巡礼バスツアーに参加するなんて、変わった経験してるなあ)と、我ながら思ったりして。
ほとんど一日中バスに揺られているので、身体を休められそう。



この日行うのは、熊野那智大社と西国一番札所の青岸渡寺(せいがんとじ)の那智山両詣で。
西国のお寺の中で、この1番寺だけ飛びぬけて離れています。
そこで京都の人たちは、このツアーに参加するのが主流のよう。
昨日車に乗せてもらったユゲさんも、これで行ったとのことでした。

これから巡礼を始める人を対象にしたツアーになっています。
1番寺を飛ばして西国巡礼を初めた私のようなやり方は、レアパターン。
バスには、背中に「南無大慈大悲観世音菩薩」と書かれたおいずるを着た先達さんも同乗し、参拝の仕方などを教えてくれます。
線香とろうそく、お経集に納経用紙といった参拝の必要グッズが一人一人に配られました。
ところが私はすでに眠りかけ。すべての説明をを夢うつつの中で聞いています。

● すぐ寝落ち

人気だというこのコース、3連休のこの日は申込者が多かったようで、バス3台で出発。
参加者はご年配の方がほとんど。私は一番の若輩者レベルでした。
一人参加なので、隣席のお相手とご挨拶します。
「弓削です」と名乗られてびっくり。昨日に続いて、またユゲさん!
偶然の一致にしては、珍しい名前です。

外はとてもいい天気ですが、出発そこそこに、うつらうつら。
ユゲさんは、横浜からやってきて京都発のバスツアーに参加している私が珍しいようで、いろいろと話しかけてくれますが、無意識のうちに私がすぐに寝てしまうので、つられて寝ています。
「あなたたち二人が寝ているから、散華のサンプルが素通りしましたよ」と後になって、近くの席の人に教えてもらったり。
巡礼ビギナーの方々も、みんな親切です。



寝ていたら、あっという間に紀ノ川SAに着きました。
1日目に訪れた和歌山のお寺の近くだろうなあと思います。
あの日は、電車を何度も乗り換えて、乗り継ぎながら宇治までたどり着きましたが、バスだと一本で来れるので便利。

道中、何軒かのお土産屋に寄りました。
ここは紀州の梅干し屋さん。



まだ11時半ですが「じきにカーブが延々と続くから、今のうちにお昼にしてください」と言われて、お弁当が配られました。
カーブで酔わないように、慌てて車内で早目のランチタイム。
今回は、車酔い防止の酔い止め薬を飲んできているので、大丈夫だとは思いますが。

昨日のユゲさんが「覚悟はしていたけれど、長丁場できつい」とこのツアーのことを言っていたので、エア枕を持参しました。
あって助かりました。寝ている時には必需品です。
食後は吸い込まれるように寝ます。とにかく寝ます。
途中休憩では周りのざわつく気配で起きますが、完全に寝ぼけています。
集合時間が頭に入らないくらいに。
ここまで寝るなんて、我ながらビックリ。
よっぽど疲労がたまっていたんでしょうか。

● 右京区は右にない

目が覚めると、ちょこちょこと隣のユゲさんとお話しします。
彼女は四国八十八カ所をすませて、今度は西国に挑戦するのだそう。
四国ではほとんど徒歩遍路したそうです。すごいわ~。

ユゲさんは右京区の方。「右といったら清水寺の辺り?」と聞くと、「あそこは東山区です」と言われました。
「あれ、じゃあ金閣寺?」「あそこは北区」
「えーどこですか?」「大覚寺の辺りですね」
「ええと、じゃあ御所の辺り?」「あそこは上京区」
あれれ、全然当たりません。
難しいですね。地図で見ると、右京区は京都駅や御所の左側にあり(それなのになぜ右京なんだろう?)と不思議に思います。

あとで調べてみてわかりました。これは京都御所にいて北側を背に座る天皇から見て、右側か左側かということだそう。
それで、右京区と左京区は、位置がさかさまなんですね。
これをわかっていないと、単にややこしい地名になってしまいますね。

東京の妹さんの元をよく訪れているそうで、横浜にも詳しいこの日のユゲさん。
「横浜の人は親切で、困っている時にはすぐに助けてくれます」と何度も言ってくれて、こそばゆい気持ちになります。
そうかしら?京都の人は冷たいと聞くけれど、昨日のユゲ夫妻は親切だったし。
同じユゲさんという名前の西国巡りをしている若夫婦が親戚にいないかと聞いてみましたが、いないよう。
珍しい名前の人に連日出会うなんて、まさに偶然の一致です。

関東からわざわざ西国巡礼にやってきた私のことが、やはり気になるご様子。
お遍路を結願したこの方も、百観音巡りのことは知りませんでした。
やっぱり関西ではマイナーなんですね。

● 熊野への道は遠く

熊野へのアクセス法はいくつかありますが、今回は中辺路ルートを通っていきます。
基本、ずっと眠っているため、どの辺りを通っているのか全く分かりません。
「はい、着きました」と言われるたびに起きて、お寺に着いたのかと思って荷物を持ってバスを降りると、途中のお土産屋だったりトイレ休憩だったことが、何度もありました。



そうこうした後に、とうとう到着です。
ああ、久しぶりの熊野。
以前訪れた時は、熊野三社巡りをしており、隣に立つ青岸渡寺はお参りしたものの、御朱印は頂かずじまいでした。
ユゲさんも同じだったとのこと。
「だからまた来ることになったんですよね」

ただ、その時の私は、観音巡礼というものがあることさえ知らなかったので、頂いたとしても巡礼用ではなく、単なる御朱印だっただろうと思います。
だから、1番札所の御朱印を頂きに、やっぱり再訪しなくてはいけなかったことでしょう。

● のがれられぬ石段

降りてみるとバスの外はものすごい暑さ。列を作ってぞろぞろと参道に向かいます。
目の前の石段を見て、(ああ~)と思います。
ツアーに参加しても、やっぱり石段からは逃れられないのねー。
またお土産屋から杖を借りて、つきながら上ります。
旅の初日から毎日杖をついている私。



石段は足に響きます。
ユゲさんに「今でもきついから、年をとったら西国巡りはできないと思って」と言うと、彼女も「本当に、始めるのは早い方がいいですよね。
八十八ヶ所でも、なかなか石段を上れずにいたり、バランスを崩して転倒した人を何人も見かけましたよ」と言いました。
そこで(私はすでに昨日と一昨日、3回も転んでしまいました!)とは、言えませんでした。



ここは緑深い熊野山地の中。
上に上がるにつれて、見晴らしがよくなってきました。



石段はまだまだ続きます。
連日の石段の上り下りで疲労と筋肉痛が蓄積し、身体が思うように動きません。
年輩の方々がいてくれて助かりました。同じくらいの足取りで、杖を頼りにうんせうんせと上っていきます。
修行は若さを奪うわ~。



バスツアーなので、参加者の集合写真撮影タイムがあります。
カメラマンが「ここは那智なので、"な・ち!"でお願いします」と言いました。
「さんはい!」「なーち!」
チーズの時よりも、いい顔になりそう。

● 西国第1番札所 青岸渡寺



石段を上りつめてようやく着いた、西国第1番札所の青岸渡寺(せいがんとじ)。世界遺産です。
本来ならばこのお寺から巡礼を始めるものですが、なにぶん遠いためになかなか来れず、後回しになってしまいました。



お寺の柱にちゃんと「西国第1番札所」と書いてあります。
初日の粉河寺を訪れた時はフリーで、ツアー客を外から眺めていましたが、今はツアー団体の一員となっている私。
ツアーでは、一度に大人数がお寺に押し寄せるため、目的地が混んでいるのは覚悟の上ですが、今回は観光バス3台で来ているため、本当にごった返しています。





● 読経とおいずる

それほど大きくないお堂の中で押すな押すなの参拝をした後、先達さんの周りに集まって、みんなで般若心経を読経しました。
「ぶっせつま~か~はんにゃ~はらみた~しんぎょう~」
寝ぼけながらも、お経集を持ってきてよかったわ。



ユゲさんは、ここで西国巡礼の専用御朱印とおいずるを入手。
おいずるには、ここの印が押されています。
彼女は四国八十八ヶ所も、おいずると共に廻ったそうです。



私は、ここのご詠歌が書かれた手ぬぐいを購入。
那智の滝と五重塔が描かれています。



青岸渡寺の隣には、熊野三社の那智大社があります。
ごった返しているお堂の境内で、ここだけ静かに時が止まっていたので、パチリ。



ここでは、修行の格好をした白装束の人を何人も見かけました。
同行二人。本格的~。



その2に続きます。