風に吹かれて旅ごころ

はんなり旅を楽しむはずが、気づけばいつも珍道中。

京都・奈良 2018古都の秋 4-1(西ノ京)

2019-01-31 | 近畿(京都・滋賀)
3日目からの続きです。

● 夜明けの琵琶湖

夜明け前に起床。
「かなり寒いので、朝のお勤めに参加される場合には、十分防寒してください」とチェックインの時にフロントで言われていたので、モコモコの格好になって、外に出ます。
外はまだ薄暗く、ひんやりとした空気の中を、坂を上って根本中堂に向かいます。
歩いているうちに少しずつ明るくなってきて、夜明けの琵琶湖がきれいに見えてきました。



小高い場所に見えるのは、根本中堂の正面に向かい合う文殊楼。
868年に、円仁(慈覚大師)が坐禅の修行を行なう道場として建てたもの。
現在の建物は寛文8年(1668)のもので、大津市の指定文化財となっています。


根本中堂側からの文殊楼


● 朝のお勤め

お堂は、目下平成の大改修中。
建物全体が鉄骨ですっぽりと覆われており、この中に一大聖地の中心があるとは思えません。
体育館のようになっていて、かなりイメージとかけ離れています。(なので写真は撮らずじまい)
工事の骨組みの中のお堂に入り、僧侶たちの読経に耳を傾けます。
千二百年間絶えたことのない不滅の法灯は、お勤めの場所からはあまりよく見えませんでした。

読経の後に、お坊さんの法話を聞きます。
2日前には雪が降り、堂内は寒くてとてもつらいお勤めだったそう。
この日は割と暖かく、しっかり防寒対策してきたこともあって、きつくはありませんでした。

宿側からの文殊楼


延暦寺ドライブウェイが夜間は閉鎖するため、朝のお勤めに参加できるのは宿泊客のみ。
静かで贅沢な時間です。
お堂を出ると、目の前の文殊楼に朝陽が射して、明るく輝き始めていました。

● 精進モーニング

宿に戻り、防寒服を脱いで身軽になってから朝食をとります。



朝ももちろん精進料理。
ヘルシーですが、するすると体内に消化されるようで、少しするとすぐにおなかが空いちゃいます。



今回の旅は宿坊に連泊しているため、夕食は懐石料理か精進料理ばかり。
海から離れた山の上なので、ここは山菜メインです。
いよいよ仙人になれそうです。

● バスで下山

食後に辺りのお堂を見学して、宿をチェックアウト。
朝一のシャトルバスに乗って、下山します。



上りたての朝日が輝きだして、琵琶湖の湖面に反射します。
うーん、まぶしい。



そして神々しい…。
聖地では、太陽も月もこんなに大きく輝くのでしょうか?



30分のドライブルートを楽しんで、大津京駅前に着きました。

● ロッカー難民

昨日と逆方向のJRに乗って京都へ戻ります。
鴨川の辺りで電車が停まりました。京都駅が混雑しており、構内に電車が入れないそう。
とうとう電車まで混雑遅延…。

日の出前に起きたのに、山を下りて京都に着いたのは10時頃になっていました。
京都駅の構内でロッカーを探しますが、どこも見事に埋まっています。
手荷物預かり所に行くと、長蛇の列がとぐろを巻いていて、すさまじく時間がかかりそう。
ショッキングなレベルです。こんなに預けたい人がいるなんて。
外人の姿をとにかく多く見かけます。

改札の外に出てロッカーを探しましたが、こちらも全く空いていません。
大勢のキャリーをひいたツーリストたちが、空きロッカーを求めてグルグル移動しています。
10時の段階でこんな状態だなんて。

京都のすさまじい混雑ぶりに参ってしまい、この日は奈良へ向かうことにしました。
あきらめて、奈良まで荷物を持っていこうとコンコースを歩いていると、奇跡的に開いているロッカーがひとつありました。
壊れてるからかと思って確認しましたが、大丈夫そうなので、さっそく預けました。ラッキー!
身軽になって、近鉄に乗り込みます。
京都でロッカー探しに時間がかかってしまい、西ノ京駅に着いたのはもう12時近くになっていました。

● のんびり奈良

奈良に着きました。
あれ、空いてますよ!なんだかのんびり、ゆったりしています。
だって悠久の都、奈良だから!
しかも混んでいそうな東大寺の辺りは避けて、西ノ京で降りました。


鹿さんマンホール


ぽかぽかと暖かいいい天気。すがすがしい気持ちになります。
大混雑のカオスの京都からさほど離れていないのに、奈良はとってものどか。
パラダイスです。

● 唐招提寺へ

お散歩気分で、まずは唐招提寺へ向かいました。
鑑真高僧が建てた、奈良時代のとても古いお寺です。



門を入ってすぐにまっすぐ見えるのは、国宝の金堂。
落ち着いていて美しい建築様式。



中には、ご本尊の盧舎那仏坐像を中央に、薬師如来立像と千手観音立像が安置されています。
全て国宝の仏像の静かな迫力に圧倒されます。



奈良の有名な寺院はどこも敷地が大きいですね。
中央は2階建の鼓楼(国宝)。左は講堂(国宝)。右は礼室(重要文化財)。



● 太鼓と鐘

鼓楼と対をなす場所には、鐘楼があります。
広々とした様子が伝わってくるでしょうか。



鐘楼から見た鼓楼。美しい入母屋造です。
うちわまきの時には、この鼓楼の上からうちわが撒かれます。



紅葉が盛り。



静かで落ち着く場所です。

● 鑑真上人のお墓

本願殿にある鑑真像のお身代わり像(レプリカ)を参拝。
オリジナルの国宝は、年間数日しか公開されませんが、こちらはいつでも見られます。



境内の奥まった場所にある開山御廟で、鑑真上人のお墓参りをしました。



苔がきれいで見とれます。
境内の奥まったところにあるため、訪れる人たちもそう多くなく、落ち着いています。

● お宝とお経



双子のようにそっくりな、宝蔵と経蔵。
酔っぱらって帰ったら、間違えて隣の家をピンポンしてしまうレベル!



● 静かな秋

京都の喧騒を抜けて奈良に来たのは大正解。



すっかり落ち着きました。



京都は華やかで、奈良はじっくりと味わえる、それぞれの秋です。

その2に続きます。


京都・奈良 2018古都の秋 3-2(比叡)

2019-01-30 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。

● 同志社女子大文化祭

六波羅蜜寺から大通りに戻ってバスに乗り、相国寺へ向かいます。
そばにある同志社女子大が文化祭期間中でにぎやか。
女子学生たちに呼び込まれたので、ちょっとのぞいてみました。



わー、女子しかいないー!当たり前ですけど。
共学のキャンパスは、通りを挟んだ向こう側にあります。



創始者はクリスチャンの新島襄。
構内の建築物は、外観も内装も外国のような雰囲気があり、宣教師の協力で作られた学校だなあと感じます。



キャンパス内の校舎は古めかしく、登録有名文化財や重要文化財の建物が点在しています。
相国寺への道すがら、ヴォーリーズが設計したアーモスト館を眺めました。
クラーク記念館もありました。同志社のクラークさんと北大のクラークさんとは、どうやら別人のようです。

● ラスボス的なお寺

同志社大学と同志社女子大の間の道を進むと、相国寺の門が見えてきました。
臨済宗相国寺派の大本山。



そんなに目立つお寺ではありませんが、鹿苑寺(金閣寺)や慈照寺(銀閣寺)は、実はこの相国寺の塔頭。
塔頭というのは、支店というか、子分のようなお寺のことです。
修学旅行に行った人にとって、金閣寺と銀閣寺は京都のお寺の代表格。
その親分である相国寺は、ラスボス的な雰囲気がありますね。(勝手なイメージ)

● 鳴き龍の天井画

大本山らしい悠々としたたたずまいの、大きな法堂に入りました。
このお寺にも立派な龍の天井画があります。
通常非公開ですが、春と秋の年に2回、特別公開され、見ることができます。



慶長10年(1605)に狩野光信によって描かれた八方にらみの龍(撮影不可)。
建仁寺で見た龍は、平成14年(2002)のもので、とても彩色鮮やかでした。

ここの龍は400年以上前に描かれたのものですが、今も鮮やかな色が残っています。
そして、堂内で手を叩くと、音が反響して龍が鳴いているように聞こえる「鳴き龍」です。
2人で交互に叩いてみました。母の拍手の方に、龍ははっきり応えていました。



禅寺の石庭は、小さな宇宙。
華灯窓から覗く、静かな世界。



板張りの廊下に、小さな鐘が下がっており、「こんなところに鐘があるのは、なぜだろうね?」と母と話していると、背後から「いたずらして勝手に鳴らされないように、叩く棒を中に隠しているんですよ」という声が聞こえました。
お寺の人で、手を伸ばして鐘の中に手を入れたかと思うと、その手は棒(撞木、しゅもく)を握っていました。
「上手に隠しているんですね~」と、母とびっくり。

● 宗旦稲荷

久しぶりに宗旦(そうたん)稲荷もお参りします。
茶道家、千宗旦になりすまして、茶会を開いた狐を祀っています。



これは稲荷社ではなく、そこから見た景色です。

● 細道を迷う

相国寺のあとは、さらに西へ向かい、千本通上立売でバスを下車。
ここから千本釈迦堂に向かいますが、すごく変な細道です。
途中、通行止めの表示を見て、Uターン。
塀をへだてたすぐ向こうに見えているのに、行っても行ってもたどり着きません。

そういえばこの道、以前通ったことがあったような。
前に訪れたときにも、細道に迷いこんでぐるりと遠回りをする、同じ過ちをしでかしたことを思い出しました。


赤いルートでくねくねと


また同じことをしてしまったわ・・・。
遠い目になりながら、ひたすら細道を歩いて、大回りの上にようやくお寺の門にたどり着きました。
距離は1キロくらいでしたが、先が見えないため、相当長い距離に思えました。



● 東博の展覧会

お寺の宝仏殿の目玉は、六地蔵と十大弟子の像。
どちらも目下、東京国立博物館で開催されている展覧会、「特別展 京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」に展示中。
母も私も、2度鑑賞に行きました。



それで、快慶・定慶の彫った仏像たちを所蔵するお寺が気になって、今回寄ってみたのです。

おかめ像は佐川急便など、いろんな会社が寄進していました。
お賽銭を入れようとしたら、箱は小銭が詰まってぎゅうぎゅうあふれ出ている状態。
あまり見ない光景です。泥棒がやってくる前に、回収してー。



帰りは別の門から抜けて歩くと(上の地図の青いルート)、300メートルいかないところに上七軒のバス停がありました。
ここからくれば近かったのに~。

京都行のバスは、ギュウギュウに混んでいます。
みんな京都駅に行きたいようで、バス停に泊まっても乗客は誰も降りず、乗ってくるばかり。

● 養源院の参道

終点の京都駅に出てから、母のリクエストの養源院へ向かいます。
バスの中は乗客ですごく混んでいるし、道路も車が動かずに混んでいます。
11月の連休、恐るべし。
駅から臨時便が出る光景はもう見慣れていますが、今回は清水寺への直行便がでていた。
清水寺に行きたい人は、それほどに多いのです。乗客がばらけるので、とても便利です。



養源院の参道は、もみじが美しい場所ですが、今年はまだちょっと早めでした。



● 変わった観覧法

ここは独特の観覧システムを設けています。
小ぢんまりとした庵ですが、俵屋宗達のふすま絵など、国宝が何点もあります。
そうした数々の名宝を、係の人が解説しながら部屋ごとに紹介していきます。



浅井長政の供養のために、娘のお江が建てた、歴史と密接につながるお寺。
お市の方、茶々、お初、そしてお江の手へと渡った、浅井家に伝わる弁天様が祀られていました。

お宝の中でもインパクト大なのは、伏見城の戦いで命を落とした、徳川家康の家臣、鳥居元忠の血天井。
シミとなって残る血痕のついた天井を見上げるなんて、ゾッとしますが、供養のためにわざわざこうしているとのこと。
たしかに、床に張って踏んでしまったら、供養にはなりませんね。

説明してくれたのはご年配のおばあさん。
小さい場所で、住職らしき人の説明をカセットテープで流し、それからおばあさんが軽快に追加説明をします。

20名ほどの聴衆の中に一人すごく反応のいいおじさんがおり、「へ~」「ほ~」「なるほどね!」と、ひっきりなしに上がる合いの手に、おばあさんが喜んで、説明は弾んでいました。

● 京都のコナン

小さいお寺ながら、じっくり説明を聞いて回ると、案外時間がかかりました。



養源院は、コナンにも採り上げられたようです。
作者も取材に訪れたのでしょう。



でもやっぱり、こちらのポスターの方がしっくりきますね。



俵屋宗達による、表獅子・裏白象図の着色杉戸絵です。

● 道路が動かない

養源院を出て、すぐそばの智積院まで歩き、預けていた荷物を受け取って駅行きのバスに乗りました。

もう終点の駅に近い場所なので、バスは飽和状態。
キャリーを中に運び込むのにも一苦労です。
さらに道路が混んでいて、なかなか前に進みません。

そのうちに、バスは動かなくなってしまいました。
思わぬ時間のロスです。普段は10分あれば余裕で着く距離を、30分以上かかって駅に到着。
乗るはずの電車が、ちょうど出てしまったところでした。

● この旅一番のピンチ

これから京都を離れて延暦寺へ向かい、お寺の宿に泊まる予定の私たち。
大津京駅から、宿泊客専用のホテル行きシャトルバスが出ますが、次の電車に乗ると、バス発車時刻より2分遅れて駅に着くことになってしまいます。
バスはそれが最終便。
延暦寺までのアクセスは限られているし、どうしよう。

目の前が真っ暗になりましたが、とりあえず宿に電話して状況を伝えます。
「今はドライバーとつながらないので、何ともいえない」と言われました。

とりあえず次の電車で大津京に向かうことにします。
連絡が取れずにシャトルバスが行ってしまったら、大ピンチです。
大津京から比叡山に向かうバスは、ホテルバス以外にはなく、自力で行く方法がわかりません。

青くなったまま、駅に着いたら改札に猛ダッシュ。
どれほどの規模の駅かもわからず、シャトルバスの正確な場所もわからないため、不安はふくらむばかり。

● なんとかセーフ

駅の外に走り出ると、目の前にホテル名が書かれたバスが停まっていました。
待っていてくれたのです。宿の人が連絡をつけてくれたのでしょう。

転がるように駆け寄って、送れたことを謝って乗り込みます。
4分遅れの出発になりました。
ああ、乗せてもらえてよかった~。
ほかの乗客の方々には、ご迷惑をおかけしました。

この旅初めての緊張とピンチ。京都の混雑があそこまで凄まじいと、読み切れませんでした。
親子で心臓がバクバク。



ようやく落ち着いて、辺りの景色が見られるようになってきた頃には、バスはずいぶん高くまで山を登っており、琵琶湖がきれいに見え始めました。
天気がいい日なので、景色がとてもきれい。
30分間、くねくねと山を登っていって、とうとう比叡山の宿に到着しました。

● 延暦寺会館

チェックインを済ませ、部屋に荷物を置いて、安堵のため息をつきます。
部屋からも琵琶湖が望めます。



お茶菓子でほっと一息。
気がつけば、お昼を食べ損ねていました。



もうすぐ夕食の時間なので、空腹をお菓子でなだめて、宿周辺を散策します。
外に出ると、延暦寺のお堂がすぐそばにあります。



広い館内も散策。これは、お寺のステンドグラス?
ステンドグラスといったら教会を連想します。なんだか斬新~。



● 琵琶湖の夕暮れ

そのうちに、日が暮れてきました。
湖の夕焼けがきれい。



琵琶湖の西側に位置している比叡山。東側に夕焼けを見るのは変な気もします。
比叡山越しに沈む夕日が湖に映っているということですね。

● 精進料理

すっかりおなかが空いてしまったので、早めの夕食に向かいます。
智積院は、懐石料理も頼めましたが、ここは精進料理のみ。



パリパリの不思議な触感のものがありました。海藻クリスタルという名前だそう。



湯葉系と栗が多いメニューで、おいしくいただきました。



智積院では、おひとり様宿泊客といえばなぜか女性ばかりでしたが、延暦寺では、男性のおひとり様がちらほら食事の席にいました。
サイクリスト風の恰好の人もいました。自転車で比叡山の上まで登ったのたら、すごいですね。

建物内は、どこを歩いても新しく広々としていて、お寺の宿とは思えません。
ホテルのような宿坊がどんどん増えてきているんでしょう。

廊下を歩いていたら、お風呂からあがった青年がうろうろ、きょろきょろしていました。
館内探検中かなと思ったら、スマホで「おーい、ちょっと出てきて」と助けを呼んでいました。
部屋がわからなく迷ってしまったようです。

● 丹波の栗

部屋に戻り、錦市場で買った焼きぽん栗をデザートに。



粒が大きくて、食べがいがあります。



琵琶湖のイルミネーションを眺めて過ごします。
湖の向こう岸の明かりが、きれいに見えました。

湖の上に大きな赤くて丸い月が出ているのが見えます。
月は、地平線の近くでは大きくても、空の上に上がるとたいてい小さく見えますが、空の上の方にいっても大きなまま。
空が近いからかしら?



明日は最終日。滋賀から京都経由で奈良に向かいます。
時間が足りなくなってあせるのはもうこりごり。
なるべく混雑を避けていきたいものです。

4日目に続きます。


京都・奈良 2018古都の秋 3-1(東山)

2019-01-29 | 近畿(京都・滋賀)
2日目からの続きです。

● 朝のお勤め

この日も朝5時に起床。
また部屋のドアをドンドン叩かれると思い、慌てて起きましたが、ノックはありませんでした。
起床の放送も一度きり。昨日ほど激しくありません。
集合場所に見えたのは、前日とは違うお坊さんでした。
人によって、起こし方もいろいろなんでしょう。

お坊さんの案内に続いてお堂に入り、本堂と不動堂での朝のお勤めを1時間ほど。
その後、お茶をいただきながら、東山第一といわれる築山庭園を見学します。
おそらく一年のうちで一番長い間、正座をしている時です。

● 庭園鑑賞タイム



この日も、赤いもうせんの上でお茶をいただきながら、庭園を眺めます。



高貴な家柄の人になった気分。まろは~(男?)



膝の悪い私の母には、このように机を出していただきました。
さりげない心配りです。



座っている部屋の豪華な襖絵。
レプリカなので、撮影もOK。
本物は宝庫に入っており、そちらも見せていただきました。



お堂の外に出ると、ちょうど朝日が昇ったところ。



まだ早朝です。朝焼けがきれいでした。

● ハートの石庭

担当のお坊さんによって説明内容や見学ルートが少し変わるようで、この日は全日と違う石庭の前を通りました。



ハートの形に見えます。
以前仏前結婚式があったときに、若い僧侶がこの形に庭を作ってあげたそうな。
偉いお坊さんに反対されて元に戻したそうですが、結婚式の参列者がSNSにアップし、その反響が大きかったため、そのままハートが採用されることとなったそうです。



SNS効果。お寺の世界でも、ネットの影響力は大きいんですね。

● 僧侶それぞれ

今回のお坊さんは、襖絵「百雀図」に描かれた最後の一羽や、炭の濃淡で描かれた桜の枝を間近で鑑賞できるように、普段は立ち入り禁止の場所に入れてくれました。
サービス満点です。ありがたや、なむ~。

オレンジの衣と黒い衣の僧侶がいるので、違いを聞いてみると、黒衣は修行僧で、1年間ここで修行して過ごすのだそう。



智積院はいつも五色布がかかっているイメージ。
それは以前、この五色布がかかった状態でガイドブックに載り、そのイメージが付いたからだそう。
このままでいてほしいと旅行者からリクエストを受けて、さしあたりそうしているとのことです。
やっぱり外部からの影響力って大きいんだわ。

● トップの門

駅から七条通りをまっすぐ東に進むと、智積院の門に突き当たります。
でもその門は、普段は閉じており、車はその前で左右に方向転換します。
普通人々が入る門は、少しずれた場所にあります。
それではこの門は、いったい何のためでしょう?



これは、このお寺のトップが交代するときだけ開かれる門。貫主のみが通れる門なのです。
由緒正しい門を、お寺の内側から眺めます。
門の向こうに見えるのが、七条大通りです。



こちらは違う門。



明るくなってくると、紅葉の色が際立ちます。





● 朝日スーパードライ

数年前の朝日スーパードライの宣伝で、福山雅治のバックにこのお寺所蔵の絵が映りました。
ファンから「撮影時、福山さんはどんな風でしたか?」との問い合わせが多数寄せられたそうです。
実際にはCG合成で、彼が訪れたわけではなかったと、教えてもらいました。




国宝 長谷川等伯『松に秋草の図』





国宝 長谷川等伯『桜図』


おつとめの後、宿坊に戻ったら、そのポスターが壁に貼られていました。
その話を聞いていなかったら、なぜお寺にお酒の宣伝が貼られているのかとあやしんだことでしょう。



ここのお寺はやっぱりお豆腐がおいしい。
朝食をいただいて、チェックアウトしました。

● 昭和な商店街

この日はバスの一日乗車券を購入し、まずは清水道バス停で降ります。
清水寺へ行く人たちがごっそり降りる場所なので、その流れに乗って下車できました。



松原通りに渋い商店街がありました。昭和感満載。
「ハッピー六原通り」かと思いきや、これはスーパーの名前だそうです。

ちなみにこの辺りの地名は轆轤町(ろくろちょう)。
平安時代には葬送地、鳥辺野(とりべの)で、人骨が多かったことから髑髏町(どくろちょう)と呼ばれていました。
それが「どくろ」→「ろくろ」→「ろくはら」と変わっていったのだそう。
六波羅蜜寺って、ドクロからきてたのね・・・。

● 六道珍皇寺

まずは、前の日に行けなかった六道珍皇寺を訪れます。
六道珍皇寺は、臨済宗建仁寺派のお寺で、すぐそばに、建仁寺があります。



薬師堂が公開されており、最澄が作ったと言われるご本尊の薬師如来像が見られました。
迫力満点の閻魔像と、それを作成したとされる小野篁(802年-852年)の像があります。
ただ、どれもガラスに反射して、うまく撮影できませんでした。



草庵のようなお寺の中に入ります。趣のある境内です。
目下、特別拝観「寺宝展」開催中。
部屋には地獄や閻魔様の絵がたくさん飾られていました。

● 黄泉の国への井戸

お寺の奥まった場所には、小野篁が毎晩使っていたという、黄泉の国へ通じる井戸があります。



平安時代前期の政治家・学者・歌人だったマルチな彼は、昼間は朝廷に仕え、夜間はこのお寺の井戸から冥界へ行って死人をさばく閻魔大王の補佐をしていたという伝説があります。



いったいこの人いつ寝てたの?仕事中に居眠りしてたの?スーパーヒーローは寝ないものなの?



この辺りは、あの世とこの世の分岐点。
少し怖いし、のぞいたらいけないような気がするけれど、のぞかずにはいられない、これは人間のサガでしょうか。

● 黄泉がえりの井戸

その近くに、近年発見されたという、小野篁が黄泉の国からこちら側に戻るのに使った「黄泉がえりの井戸」もありました。



井戸の縁には「輪廻転生」と書かれています。
少し怖いし、のぞいたらいけないような気がするけれど、のぞかずにはいられない、これは人間のサガでしょうか。(二度目)



六道の辻の出口は、嵯峨の清涼寺にもあります。
もともと清凉寺の境内塔頭の薬師(福正)寺に出口があったとの言い伝えですが、昔の話過ぎてよくわかりませんね。

● 六波羅蜜寺

幽霊子育て飴のお店を見ながら、六波羅蜜寺へ。
この辺りは、いまだに死の気配が残る、独特の場所です。



そんな中で生者と死者を見守り続けるお寺の存在はありがたいもの。
供養のために、ここにお寺が建てられたのでしょう。



空也上人が建てたお寺で、口から6体のミニ仏を出している、あの有名な像は、ここに所蔵されています。
縁結び観音と呼ばれる十一面観音菩薩像が出迎えてくれました。

夕方近くにこの辺りを訪れたら雰囲気がありすぎて怖いかなと思って、午前中に行ってみましたが、いつ来ても時が止まっているような、不思議な空気が漂っている場所だなあと感じます。
死のイメージがあるとはいえ、敬遠される場所になっているわけでもなく、周囲には普通に人が住んでいます。
京都はつくづく、歴史を感じる場所です。

その2に続きます。



京都・奈良 2018古都の秋 2-2(桂)

2019-01-28 | 近畿(京都・滋賀)
その1からの続きです。

● 桂の町

錦市場で昼食をとった後、烏丸駅へ。
直径20センチくらいのカブのように真ん丸な淀大根を見かけました。
京都の伝統野菜、聖護院大根と一緒だそうです。



阪急電鉄に乗ります。
広い桂川を渡ったときに、桂離宮の辺りがちらっと見えました。

桂駅で降り、静かな街並みを歩きます。
地図を見ると、桂木ノ下町とか桂朝日町とか、この辺りには桂のつく町名ばかり。

「たばこ」の看板は見かけますが、「塩」の看板を見たのは初めてかもしれません。
今でも掲げているんですね。



のんびりした町に、クラクションが突然けたたましく鳴り響きました。
振り返ると、タクシーがぴったりと一般車の後ろにつき、間隔をあけずに後ろからものすごい勢いであおっていました。
ひ~、なにがあったの?
一般車は耐えきれずに車線を変えて、道を譲り、タクシーはそのまま走り去っていきました。

あおり運転をもろに目撃してしまいました。
それ以上のトラブルにはなりませんでしたが、びっくりしたー。

● 桂離宮へ

この日はこれから、桂離宮の見学の予約をとっています。
半年ぶりの桂離宮。人気が高く、なかなか予約が取れません。
近年、口コミで評判が広がり、海外旅行客が殺到して、いっそう見学が難しくなってきました。
そのためか、今月から宮内庁の参観所の中でも桂離宮のみ、参観料が1000円かかるようになりました。



青空の日でよかった。
紅葉は今年は少し遅め。ちょうどいい塩梅に楽しめています。



● 松琴亭

松琴亭一の間。床の間の市松模様が非常に特徴的です。



ここまで大胆な柄は、日本建築ではそうそう見られません。



外国人にここがとりわけ人気が高いのも、うなずけます。



回遊式庭園なので、全体像は見渡せません。



ルートに沿って、敷地内に点在する見どころを回ります。



見る方向によってまったく違う景色が広がるすばらしさ。



天橋立に見立てた中島と石橋。

● 園林堂



農家風の茶亭、園林堂(おんりんどう)。



桂離宮の茶亭の中で最も大きい建物です。





● 書院

書院群は、東から古書院、中書院、楽器の間、新御殿と連なっています。



シンプルなデザインの新御殿の書院。



"住吉の松"と呼ばれる独特な姿の松を置いて、その先を見えないようにしています。
建物に入るまで、庭園の全体像を見渡せないようにする効果をあげています。



離宮の入り口をさらさらと流れる小川。



いや~、どこもかしこも行き届いていました。
憧れの桂離宮を、秋の晴れた日に見学できて、感無量です。
日本庭園の最高峰の粋を堪能しました。

● 中村軒

帰りは近くの中村軒に寄りました。



明治37年に建てられた建物。奥で作っています。
「昔はこういうの、よくあったのよ」と母。



中は結構大きくて、テーブル席も2階もありました。
にゅうめんも出していますが、やはりここで作った和菓子をいただいたいところ。



デパートで京都物産展が開催される時に、ふたばの豆餅やここの麦代餅(むぎてもち)が販売されることがあります。
いつも豆餅の方にばかり向いていましたが、せっかくなのでここで作りたての麦代餅をいただくことにしました。
名前の由来は、かつては麦と交換していた和菓子だから。



ほかに、大好きな生麩まんじゅうを、お抹茶と一緒に。
笹にくるまれた生麩は、ふわふわのようでつるんとしています。



お店に飾られていた柿。秋ですねえ。

● I💛1010

桂湯という看板のかかった建物の前を通りかかりました。
西京区に唯一の銭湯だそう。
「I💛1010」(=アイラブ銭湯)
「I💛NY」(=アイラブ入浴)と書かれており、独特のセンスが妙に気になります。



すると、向こう側からやってきた青年が、戸を開けようとして表示に目を停め
「今日、休みじゃーん!アア!」と、頭をかかえていました。
残念―!

あとで調べてみたところ、内装はかなりアートなワールドのよう。
気になります!→桂湯

● 南座リニューアル

ふたたび京阪に乗って、桂川を超えて河原町駅まで戻りました。
新しくなった南座を眺めました。



ここの前はいつも人でごった返していますが、リニューアル後なのでとりわけ熱気があって大人気!
みんな、こぞって写真を撮っていました。



この日の最後に六道珍皇寺をお参りしようと、歩き始めた道の壁に、ちょうど六道珍皇寺のポスターが貼られていました。
「4時閉門」と書いてあります。
もう4時過ぎていたので、「行っても閉まってるね」と、この日はあきらめました。

● バスが混みすぎ

南座前からバスに乗ろうとしましたが、四条大通りは車で大混雑。
バスが来ても、あまりに混んでいて乗れなかったりします。
何台か見送って、ようやく乗り込みましたが、中は押すな押すなのギューギュー状態。
外国人観光客がたくさん乗っている、インターナショナルなバス。
みんな大きな荷物を抱えながら、じっと耐えています。
本当に、ここ数年で京都に外国人の姿が増えました。



途中の消防署で、消防訓練をしていました。
前にも見たことがありますが、混んでいる時期の夕方にやるのはなぜかしら?
出動機会が多いのかしら?

この日は平坦道ばかり歩いていたので、昨日に比べて疲れていないはずが、最後に乗ったバスで、二人ともどっとぐったり。

● 夕食

宿に着くと夕食の時間。
この日も懐石にしました。



手作り豆腐がとろけるおいしさ。



和菓子も食べたので、食後はおなかいっぱいですぐには動けず、二人でごろごろ。
上野のパンダのシャンシャン親子のようです。

お風呂から上がって布団に伸びながら、母と今日一日どこへ行ったかをおさらい。
母はそのまま早めに就寝し、私も12時前に寝ました。

その2に続きます。


京都・奈良 2018古都の秋 2-1(東山)

2019-01-25 | 近畿(京都・滋賀)
1日目からの続きです。

● 容赦ないモーニングコール

朝5時に起床。まだ外は真っ暗です。
ボーッとしながら顔を洗っていると、頭の上からジーとかピーとかいう音が聞こえて「起床の時間です!」と館内放送がかかりました。
続けてブザーが鳴り、少しずつその音量が大きくなっていきました。

極めつけに、部屋のドアをドンドンとノックされました。
(誰一人寝過ごさせないぞ!)という強い意志を感じます。

● 朝の法要

この宿坊を利用する宿泊客は全員、朝のお勤めに参加の義務があります。
みんなでロビーに集合し、薄いオレンジ色(木欄色というそうです)の衣姿の僧侶に案内されて、本堂へ向かいました。
金堂内にはすでに大勢の僧侶たちがずらりと揃っており、すぐに朝のお勤めが始まりました。

いろいろなお経を聞いてから、ひとりひとり焼香を上げます。
次は明王堂に移り、炎が燃え盛る護摩法要に参加。

● 庭園の見学

ふたつのお堂でお勤めを済ませた後は、庭園と宝仏殿の見学になります。



京都東山随一とされ、「利休好みの庭」と言われる名勝庭園。
中国の盧山をかたどって造られた築山の前に、池があります。
リアルを目指すために、あえて透明な水ではなく、濁りを残しているのだそう。



大書院に轢かれた赤もうせんの上で、お茶とおせんべいをいただきながら、庭園を鑑賞します。
贅沢な朝の茶事です。



ここのお寺はほかよりもきちんと朝のお勤めを行います。
収蔵庫の中に入れてもらい、長谷川等伯の描いた国宝の金碧障壁画を見られて、眼福。
彼の息子の書いた桜の絵は、貝を砕いた絵の具で描かれているため、明かりを消すと夜桜となって暗闇の中にふわっと浮かび上がりました。

● 食事の作法とあさげ

お勤めが全て済んだころには、空はもう明るくなっていました。
昨日よりも色鮮やかな紅葉になっています。





そのまま、朝食の席へ。
箸袋の裏に書かれた食事の作法5つをみんなで読み上げてから、いただきました。



● バスでもみくちゃ

食事を終えて部屋に戻ると、もう9時になっていました。
支度をして出発する頃には、きれいな青空が広がっていました。

智積院の門は、屋根がなく冠木を通した冠木門(かぶきもん)。
時代劇に出てくる関所の入り口のようです。



11月の連休はとても混む時期で、東山道を通るバスはどれも大混雑です。
なんとか乗りこんで、人の圧に耐えながら、ほど近い東山安井で下車。

● 安井金比羅宮

母が訪れたことがないという建仁寺に向かいます。
遠くから石灯籠が見えたので、近づいていくと、そこは安井金比羅宮でした。
見たこともないほど長蛇の列ができていて、びっくり。
まだ朝も早めなのに、すごい人気なのね。
あっけにとられているうちに、母は御朱印をもらっていました。



それは、例の縁切り縁結び碑の石くぐりをする列でした。
前にくぐったことがありますよ~。
境内はほぼ無人でしたが、秘密裏にしなくてはいけない気がして、コソコソ通ったものです。
今は列に並んでいるみんなに見られてしまうので、こっそり通ることは難しそう。
むしろみんなに見守られてるというべきか…。

林ざこばさんたちの絵馬が飾られていました。
「禁酒!三日間」とか「肝臓が2つあればいいのに」という飲んべえたちの心の叫びに、笑っちゃいました。



狛犬のそばに白猫。
似ているような、似ていないような。
ぽかぽかした日を浴びて、気持ちよさそうに丸まっていました。

● 建仁寺

建仁寺はすぐそばなのに、なかなか入り口にたどり着けません。
細い町道を迷って、ようやく中に入りました。
開く5分前で、長い行列ができていました。そんなに人気なの?



1202年開創。800年の歴史を持つ、京都最古の禅寺。
凛とした空気が張り詰めていて、身が引き締まります。
シンプルこそが美しいと教えてくれます。



方丈、大雄苑(だいおうえん)の枯山水式石庭は、砂の芸術です。
中国の百丈山の眺めを模して造られたそうです。



華灯窓からのぞく庭。
絵みたい。もはや絵でしょう。



小さなコズミックワールドです。

● 庭にわ

建仁寺の部屋ごとに美しい庭園が望めます。
禅の精神に満ちた建仁寺の庭は、どれも完成された小さな宇宙のようです。



〇△□乃庭。
まじめでお堅いイメージの禅宗ですが、名前に遊び心を感じます。
どう読むか悩みますね。
そのまま「まるさんかくしかくのにわ」と読みます。
禅の四大思想、血水火風を模したものです。



本堂の石庭もきれい。鳩がその上をちょこちょこ歩いていました。
足あとつけないでね~。



紅葉が庭に色を添えています。



大書院と小書院にはさまれた、潮音庭。



360度どこからでも見られる『四面正面』の中庭として知られています。
絵になるわ~。

● 双龍の天井画

法堂(はっとう)の高い天井に生き生きと描かれた、天を守る双龍の天井画に圧倒されました。
2002年、小泉淳作。うーん、すばらしい。
素晴らしいとしか言いようがありません。



描かれているのは、五爪の龍。
五爪の龍は皇帝の象徴とされ、通常は龍は三爪です。
このお寺を開山した栄西は、中国からお茶のみを持ち帰って日本に茶を伝えた茶祖。
それを功労して、五爪の龍を描くことを許されたそうです。

● 風神・雷神

俵屋宗達画の国宝「風神・雷神図」。
こちらはレプリカで、オリジナルは京都国立博物館で厳重管理されています。



私はこの「風神・雷神図」の御朱印帳を持っています。
そう話したら、母は「じゃあ別のにしようっと」と、桃山時代のふすま絵「雲龍画」の御朱印帳を購入しました。

● レトロな通行人

境内を眺めていると、おや、芭蕉のような人が歩いてきました。



反対側からは、舞妓さん風の人が歩いてきました。



さらに、お坊さんたちが一列になって歩いてきました。



うーん、今の時代を忘れそう。



これも、葉裏からのぞいた紅葉。

● 摩利支天

それから建仁寺の隣にある摩利支尊天堂へ。
正式名称は、臨済宗建仁寺塔頭 禅居庵です。



狛犬代わりにお寺を護っているのは、摩利支尊天の神使のイノシシ。
境内には、ほかにもイノシシ像がたくさんあります。



京都御所のそばにある護王神社も、狛イノシシがいます。
来年の干支なので、年が明けたら大人気でしょう。

● えびす神社

摩利支尊天堂の向かいにあるえびす神社へ。
そういえば、恵比寿様を祀っている神社はありますが、大黒神社ってあるのかしら?

考えてみれば、大黒様はオオクニヌシノミコトですね。
大国主命は、天照大神と対をなす国津神の最高神。出雲大社のご祭神です。
なるほど、失礼しました。



境内には白太夫社がありました。
「しろたゆう」って読むの?城田優?

「しらだゆう」と読むようです。浄瑠璃「菅原伝授手習鑑(てならいかがみ)」の登場人物で、忠義心のあつい菅原道真の従者。
北野天満宮にも祀るお社があるそうです。

● 秋の川

少し歩くと鴨川に出ました。
いい天気の日で、水面に雲が映っています。



そばを流れる高瀬川も雰囲気がよく、美しい風情を醸し出しています。



秋の小川もさらさらゆくよ~♪

● 錦市場

にぎやかな河原町に出て、錦市場を散策。
反対側から歩くのは初めてです。
専門家御用達の刃物店、有次(ありつぎ)で、刀鍛冶の手元を見学。



カリカリ博士では、チーズたこ焼きを注文。
チーズなので熱がこもって、あつあつでした。



錦市場に来ると、母は必ず丹波の焼きポン栗を買って、ニコニコしています。



観光客が食べ歩きしながら、串を片手に細い路地をそぞろ歩きしていました。
その2に続きます。