● prologue
横浜の友人と、山手・根岸のあたりを散策しました。
待ち合わせは根岸線の山手駅。
石川町駅と根岸駅の間にひっそりとある駅です。
学生の時に家庭教師をしに来ており、この辺りをよく歩いていましたが、久しぶりに降りた駅舎はピカピカに新しくなっていました。
5年前にバリアフリー化されたそうです。
懐かしい道なりに歩いてみることにします。
● 根岸の外国人墓地
まずは、友人に、根岸外国人墓地に案内してもらいました。
有名な山手のほかに、根岸にも外国人墓地があるというのは知っていましたが、いままで詳しいことは知らずに来ました。
市民にもほとんど知られていないのではないでしょうか。
こんな駅からすぐの場所にあったなんて、びっくり。
ここには歴史に名を残す有名人は埋葬されていません。
観光用に開かれておらず、中には入れません。
山手が陽ならこちらは陰。入口の門は固く閉ざされていました。
● 聖光学院
聖光学院高校の周りをぐるりと半周しました。
ここは小田さんはじめ、オフコースのメインメンバーの出身校。
他県にも同じ名前の学校があり、福島の聖光学院は甲子園にも出る野球の強豪校ですが、ここは「神奈川男子私立御三家」の一つとされるエリート校です。
聖光学院のそばにある、家庭教師をしに訪れていた億ションの前を通り、(あの子は元気かなあ)と感慨に浸りながら、バス通りに出て道沿いに歩きます。
じきに、ファイアステーションが見えてきました。
● ファイアステーション
カッコつけて言っているわけではありません。
ここは在日米軍のFIRE STATION No.5。日本名称は、米海軍司令部統合消防隊第5消防署。
現在も現役で、在日米海軍横須賀基地司令部憲兵隊が管理しています。
消防署のガレージには、真っ赤な日本の消防車とはちょっと違う、白と赤の消防車がスタンバイしていますが、この日は見えませんでした。
敷地内にはアメリカ国防総省発行のPacific Stars and Stripes(星条旗新聞)の自販機があります。
● ドルフィンの思い出
FIRE STATIONからほんの少し坂を下ったところに、有名なレストランDolphinがあります。
ユーミンの「海を見ていた午後」という歌で
♬ 山手のドルフィンは 静かなレストラン ♬
と歌われている場所。実際には根岸にあります。
私もかつて、あの歌に憧れてドルフィンに行き、ソーダ水の中を貨物船がとおるのを眺めましたよ!
ところが、ここの思い出はそんなロマンチック体験ではありません。
ここの駐車場は変わっているのです。
坂の途中に建っているため、駐車場内の傾斜が厳しい上に、弧を描いて奥まった形をしています。
免許を取りたてだった私は、あまりに上級者レベル過ぎる駐車場を前に立ち往生してしまい、駐車場の人に中に停めてもらいました。
ついでに車のキーも預ける仕組みで、知らない人に鍵を渡すというのが初めてで、店内に入っても(大丈夫なのかな、どこかに持って行かれちゃわないかな)と相当ドキドキしました。
だから実際には、ソーダ水を前にしても気もそぞろで、ロマンチック気分にひたるどころではありませんでした!
なつかしい~。今もそうしたシステムなのかしら。
この日はまだお店は開いていなかったので、わかりませんでした。
● 米軍住宅
ちょっとした標識も英語表示。
FIRE STATIONがあるように、この辺りには少し前まで根岸米軍住宅がありました。
昭和22年に接収されてから、根岸台の広大な土地は、フェンスで区切られた日本の中のアメリカでした。
その後日本への返還が決まり、住んでいる人は今はもう誰もいません。
ただ、まだなにか整っていないようで、所属がはっきりしない、宙ぶらりんの土地になっているのだそう。
いまだに日本人は中に入れない状況です。
● 根岸森林公園
元米軍接収地に隣接して、根岸森林公園が広がっています。
根岸競馬記念公苑には馬の博物館があります。
森林公園には、広々とした緑の芝生が広がっています。
わあ、こんなに広い場所で、電線がないのって、いいわ~。
家族連れが思い思いにくつろいでいます。
休みの日に、ここで一日ゆっくり過ごせるなんて、なんてすてきなんでしょう。
ここに家から歩いてこれる友人が、うらやましくなります。
● アイスリリーとコスモス
アイスリリーという見慣れぬ花を見かけました。
球根を冷凍処理した百合だそうです。
それって近未来小説に登場する「コールドスリープ(冷凍睡眠)」みたいなもの?
よく花が咲いたのね。
季節は秋。コスモスがきれいに咲いていました。
● 日本初の競馬場
この広い公園の敷地には、日本初の横浜競馬場跡地もあります。
初めは居留外国人専用に作られたもので、現在残る一等馬見所は、近代化産業遺産に認定されています。
クラシカルな建築が人気を呼んで、今ではコスプレイヤーの撮影会もよく開かれているんだとか。
建物をぐるりと囲むフェンスは、以前はなかったそうです。
なんとなく朽ちかけている外観。
修復の手が入っている様子はありません。このまま痛んでいくのはもったいないですね。
こういう建物が好きな人はたくさんいるので、少し予算をかけて、中を見学できるようにしたらいいのになあと思います。
● 米軍居留地のサイン
根岸森林公園は変わった形をしていて、紫丸の芝生広場と競馬場跡地の間に、赤丸の米軍居留地が、入り込むような位置関係です。
公園の途中に居留地が入り組んだ場所があり、そこにはやはり立ち入り禁止のサインがあり、高いフェンスの前には警備員が立っています。
この辺りにいると、もう見慣れた光景ですが、ちょっと独特ですね。
● 公園のかいぼり
再び芝生広場の方へ戻り、スイレン池にやってきました。
「ここの池には亀がいる」と友人が言うとおり、カメが甲羅干しをしていました。
水は少し濁って、どんな魚がいるのかよくわかりません。
「かいぼりしているのかな?」と話しながら周囲を歩いていると、立て看板がありました。
そこには、「池の生き物紹介」とありました。
在来種か外来種かも明記されています。
TV番組「池の水ぜんぶ抜く」を意識しての看板のようでした!
ミシシッピアカミミガメやコイのところには
「池の生態系を崩す外来種指定の生き物なので、新しいお家にお引越ししました」と書かれていました。
「どういう意味だろう?」「なんか気になるね」と友人とひそひそ。
大人になると、勘繰り深くて、やーね。
公園を散策してから、ふたたびバス通りに出て、坂を下っていきました。
● 南京墓地
山元町商店街にさしかかると、友人は花屋で花束を買いました。
そして、なんの変哲もない普通の曲がり角で、ふっと横道に入ります。
少し歩いたところには、また新たな外国人墓地がありました。
ここは中華義荘。またの名を南京墓地。
横浜で暮らした華人、華僑の人たちのお墓です。
友人のご両親もここに眠っており、この日はお墓参りに私も一緒に連れて行ってもらうことにしました。
ベルギーでも、友人がポーランド墓地にお墓参りに行くのに同行したことがあります。
南京墓地も存在は知っていましたが、どこにあるのか、詳しい場所はわかりませんでした。
なにも表示もありません。あてずっぽうに向かっても見つけられなさそう。
中国獅子に守られた入口から入り、長い階段を登り切ったところに、墓地が広がっていました。
お墓は日本のものとそう変わりませんが、中国のお墓事情は、なにもかもわからないことばかり。
訪れたばかりの根岸の旧競馬場が見えました。
● 中国のお墓参り
中国のお墓に行ったことがあるのは、西安の兵馬俑くらい。
そことはずいぶん雰囲気が違います。というかあそこが普通じゃありませんね。
だってあそこ、秦の始皇帝陵(お墓)ですから、そりゃハンパない規模でした。
友人は、木桶に水を汲んでご両親のお墓にお花を供えてお参りしました。
それから3階建の安骨堂(納骨堂)に入りました。
取り出したのは、日本の線香とはまるで違う、長くて太くて黄色い線香。
これに火をつけて、再びお墓のところに戻りました。
線香をお供えしてから、墓地の奥に並んだ墓石のところへ。
ここは、関東大震災などで亡くなった人々のお墓だそう。
そこに、一本ずつお供えしていきます。
お線香を分けてもらって、私もお参りしました。
● 4つの外国人墓地
それから、地蔵王廟という建物の中へ。
真っ赤な建物が中華風。
建物は、横浜市指定有形文化財に指定されています。
建築当初、ジェラール瓦が使われていたというあたりが横浜っぽいです。
ここで、墓地を守るお地蔵様たちに線香をお供えしました。
米軍居留地は、日本の中のアメリカですが、ここもまた、日本の中の中国。
山手はすごいところです。いろんな国が詰まっています。
横浜には4つの外国人墓地があります。
これまで、山手の横浜外国人墓地と保土ケ谷の英連邦戦死者墓地に行ったことはありましたが、この日、残りの2つ、根岸の外国人墓地とここ南京墓地を訪れたことで、市内4か所すべての外国人墓地を訪れることができました。
コンプリート!友人に感謝です。
歴史が浅い横浜でも、この辺りには分厚い近代史が残っています。
こんな感じで根岸の丘をゆるく散策しました。
その2に続きます。
横浜の友人と、山手・根岸のあたりを散策しました。
待ち合わせは根岸線の山手駅。
石川町駅と根岸駅の間にひっそりとある駅です。
学生の時に家庭教師をしに来ており、この辺りをよく歩いていましたが、久しぶりに降りた駅舎はピカピカに新しくなっていました。
5年前にバリアフリー化されたそうです。
懐かしい道なりに歩いてみることにします。
● 根岸の外国人墓地
まずは、友人に、根岸外国人墓地に案内してもらいました。
有名な山手のほかに、根岸にも外国人墓地があるというのは知っていましたが、いままで詳しいことは知らずに来ました。
市民にもほとんど知られていないのではないでしょうか。
こんな駅からすぐの場所にあったなんて、びっくり。
ここには歴史に名を残す有名人は埋葬されていません。
観光用に開かれておらず、中には入れません。
山手が陽ならこちらは陰。入口の門は固く閉ざされていました。
● 聖光学院
聖光学院高校の周りをぐるりと半周しました。
ここは小田さんはじめ、オフコースのメインメンバーの出身校。
他県にも同じ名前の学校があり、福島の聖光学院は甲子園にも出る野球の強豪校ですが、ここは「神奈川男子私立御三家」の一つとされるエリート校です。
聖光学院のそばにある、家庭教師をしに訪れていた億ションの前を通り、(あの子は元気かなあ)と感慨に浸りながら、バス通りに出て道沿いに歩きます。
じきに、ファイアステーションが見えてきました。
● ファイアステーション
カッコつけて言っているわけではありません。
ここは在日米軍のFIRE STATION No.5。日本名称は、米海軍司令部統合消防隊第5消防署。
現在も現役で、在日米海軍横須賀基地司令部憲兵隊が管理しています。
消防署のガレージには、真っ赤な日本の消防車とはちょっと違う、白と赤の消防車がスタンバイしていますが、この日は見えませんでした。
敷地内にはアメリカ国防総省発行のPacific Stars and Stripes(星条旗新聞)の自販機があります。
● ドルフィンの思い出
FIRE STATIONからほんの少し坂を下ったところに、有名なレストランDolphinがあります。
ユーミンの「海を見ていた午後」という歌で
♬ 山手のドルフィンは 静かなレストラン ♬
と歌われている場所。実際には根岸にあります。
私もかつて、あの歌に憧れてドルフィンに行き、ソーダ水の中を貨物船がとおるのを眺めましたよ!
ところが、ここの思い出はそんなロマンチック体験ではありません。
ここの駐車場は変わっているのです。
坂の途中に建っているため、駐車場内の傾斜が厳しい上に、弧を描いて奥まった形をしています。
免許を取りたてだった私は、あまりに上級者レベル過ぎる駐車場を前に立ち往生してしまい、駐車場の人に中に停めてもらいました。
ついでに車のキーも預ける仕組みで、知らない人に鍵を渡すというのが初めてで、店内に入っても(大丈夫なのかな、どこかに持って行かれちゃわないかな)と相当ドキドキしました。
だから実際には、ソーダ水を前にしても気もそぞろで、ロマンチック気分にひたるどころではありませんでした!
なつかしい~。今もそうしたシステムなのかしら。
この日はまだお店は開いていなかったので、わかりませんでした。
● 米軍住宅
ちょっとした標識も英語表示。
FIRE STATIONがあるように、この辺りには少し前まで根岸米軍住宅がありました。
昭和22年に接収されてから、根岸台の広大な土地は、フェンスで区切られた日本の中のアメリカでした。
その後日本への返還が決まり、住んでいる人は今はもう誰もいません。
ただ、まだなにか整っていないようで、所属がはっきりしない、宙ぶらりんの土地になっているのだそう。
いまだに日本人は中に入れない状況です。
● 根岸森林公園
元米軍接収地に隣接して、根岸森林公園が広がっています。
根岸競馬記念公苑には馬の博物館があります。
森林公園には、広々とした緑の芝生が広がっています。
わあ、こんなに広い場所で、電線がないのって、いいわ~。
家族連れが思い思いにくつろいでいます。
休みの日に、ここで一日ゆっくり過ごせるなんて、なんてすてきなんでしょう。
ここに家から歩いてこれる友人が、うらやましくなります。
● アイスリリーとコスモス
アイスリリーという見慣れぬ花を見かけました。
球根を冷凍処理した百合だそうです。
それって近未来小説に登場する「コールドスリープ(冷凍睡眠)」みたいなもの?
よく花が咲いたのね。
季節は秋。コスモスがきれいに咲いていました。
● 日本初の競馬場
この広い公園の敷地には、日本初の横浜競馬場跡地もあります。
初めは居留外国人専用に作られたもので、現在残る一等馬見所は、近代化産業遺産に認定されています。
クラシカルな建築が人気を呼んで、今ではコスプレイヤーの撮影会もよく開かれているんだとか。
建物をぐるりと囲むフェンスは、以前はなかったそうです。
なんとなく朽ちかけている外観。
修復の手が入っている様子はありません。このまま痛んでいくのはもったいないですね。
こういう建物が好きな人はたくさんいるので、少し予算をかけて、中を見学できるようにしたらいいのになあと思います。
● 米軍居留地のサイン
根岸森林公園は変わった形をしていて、紫丸の芝生広場と競馬場跡地の間に、赤丸の米軍居留地が、入り込むような位置関係です。
公園の途中に居留地が入り組んだ場所があり、そこにはやはり立ち入り禁止のサインがあり、高いフェンスの前には警備員が立っています。
この辺りにいると、もう見慣れた光景ですが、ちょっと独特ですね。
● 公園のかいぼり
再び芝生広場の方へ戻り、スイレン池にやってきました。
「ここの池には亀がいる」と友人が言うとおり、カメが甲羅干しをしていました。
水は少し濁って、どんな魚がいるのかよくわかりません。
「かいぼりしているのかな?」と話しながら周囲を歩いていると、立て看板がありました。
そこには、「池の生き物紹介」とありました。
在来種か外来種かも明記されています。
TV番組「池の水ぜんぶ抜く」を意識しての看板のようでした!
ミシシッピアカミミガメやコイのところには
「池の生態系を崩す外来種指定の生き物なので、新しいお家にお引越ししました」と書かれていました。
「どういう意味だろう?」「なんか気になるね」と友人とひそひそ。
大人になると、勘繰り深くて、やーね。
公園を散策してから、ふたたびバス通りに出て、坂を下っていきました。
● 南京墓地
山元町商店街にさしかかると、友人は花屋で花束を買いました。
そして、なんの変哲もない普通の曲がり角で、ふっと横道に入ります。
少し歩いたところには、また新たな外国人墓地がありました。
ここは中華義荘。またの名を南京墓地。
横浜で暮らした華人、華僑の人たちのお墓です。
友人のご両親もここに眠っており、この日はお墓参りに私も一緒に連れて行ってもらうことにしました。
ベルギーでも、友人がポーランド墓地にお墓参りに行くのに同行したことがあります。
南京墓地も存在は知っていましたが、どこにあるのか、詳しい場所はわかりませんでした。
なにも表示もありません。あてずっぽうに向かっても見つけられなさそう。
中国獅子に守られた入口から入り、長い階段を登り切ったところに、墓地が広がっていました。
お墓は日本のものとそう変わりませんが、中国のお墓事情は、なにもかもわからないことばかり。
訪れたばかりの根岸の旧競馬場が見えました。
● 中国のお墓参り
中国のお墓に行ったことがあるのは、西安の兵馬俑くらい。
そことはずいぶん雰囲気が違います。というかあそこが普通じゃありませんね。
だってあそこ、秦の始皇帝陵(お墓)ですから、そりゃハンパない規模でした。
友人は、木桶に水を汲んでご両親のお墓にお花を供えてお参りしました。
それから3階建の安骨堂(納骨堂)に入りました。
取り出したのは、日本の線香とはまるで違う、長くて太くて黄色い線香。
これに火をつけて、再びお墓のところに戻りました。
線香をお供えしてから、墓地の奥に並んだ墓石のところへ。
ここは、関東大震災などで亡くなった人々のお墓だそう。
そこに、一本ずつお供えしていきます。
お線香を分けてもらって、私もお参りしました。
● 4つの外国人墓地
それから、地蔵王廟という建物の中へ。
真っ赤な建物が中華風。
建物は、横浜市指定有形文化財に指定されています。
建築当初、ジェラール瓦が使われていたというあたりが横浜っぽいです。
ここで、墓地を守るお地蔵様たちに線香をお供えしました。
米軍居留地は、日本の中のアメリカですが、ここもまた、日本の中の中国。
山手はすごいところです。いろんな国が詰まっています。
横浜には4つの外国人墓地があります。
これまで、山手の横浜外国人墓地と保土ケ谷の英連邦戦死者墓地に行ったことはありましたが、この日、残りの2つ、根岸の外国人墓地とここ南京墓地を訪れたことで、市内4か所すべての外国人墓地を訪れることができました。
コンプリート!友人に感謝です。
歴史が浅い横浜でも、この辺りには分厚い近代史が残っています。
こんな感じで根岸の丘をゆるく散策しました。
その2に続きます。
読み進めている途中で
ユーミンの
♪山手のドルフィンは
静かなレストラン(^^♪
「海を見ていた午後」
ユーミンの一番好きな歌だ!
その歌の思い出がよぎり
次の文章に進めず、思わずコメントの欄に直行!!
あの歌詞の舞台!?
あかん!
今日の鼻歌は
♪山手のドルフィンは
静かなレストラン(^^♪
行きてぇ~!
横浜といったら、私の中ではオフコースとゆずとクレイジーケンバンド、まあまあサザンなので、ユーミンが横浜を歌っているのは珍しいなあと思います。逗子マリーナのイメージは強いんですけどね。
車で行けますし、にぎやかな辺りから少し離れているので、落ち着いて海を眺められますよ。機会がありましたら是非~😉