「Station-駅から始まる物語」を第1680回更新しました。
1959.JR東海道本線荒尾駅を公開いたしました。
「駅名標コレクション」を第425回更新しました。
「し」にアルピコ交通上高地線新島々駅を新規公開いたしました。
http://signboard.gionsyouja.com/
「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第633回更新しました。
「廃車&保留車 電車」の路面電車に横浜市電1100型1104号車を公開いたしました。
「Station-駅から始まる物語」を第1680回更新しました。
1959.JR東海道本線荒尾駅を公開いたしました。
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「廃車&保留車 電車」の路面電車に横浜市電1100型1104号車を公開いたしました。
「REI RINGONO status」を第317回更新しました。
「飲食店ブログ記事」の「千葉県」に千葉「Cafe MILANO」を新規公開いたしました。
http://status.garyoutensei.com/
「Station-駅から始まる物語」を第1679回更新しました。
1958.JR東海道本線垂井駅を公開いたしました。
15.東海道本線函南の駅取材と倒竹の運転見合わせ
三島で北口取材してから15:37熱海行きで隣の函南に行く。
駅を出るとポツポツと雨粒が降りてきたが、取材を強行する。
JR函南駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用し、駅舎とは跨線橋で結ばれている。
上下線共に主本線の外側にホームのない待避線が設置されている。
1934年12月1日に熱海から沼津を短絡する丹那トンネル経由の新線が開業、
それまでの旧線が御殿場線として分離された。
函南には信号場を設置する予定だったが、
函南村(現・函南町)の請願により、駅が設置されることになった。
ここで駅取材をして、16:00発の熱海行きで隣の熱海まで行く・・・つもりだった。
東海道本線は熱海がJR東日本とJR東海の境界駅で、
寝台特急などの特別な場合を除き、
原則的に全ての運転系統が変わり、熱海折り返しになる。
ホームで電車の到着を待っていたが、時間になっても来ない。
構内アナウンスで、倒竹の影響に列車が遅れていると案内があった。
詳しくはJR東海のホームページで確認して欲しいと云っていたため、
早速スマホで確認してみる。
それによると、
15時57分頃、函南駅~三島駅間で、
倒竹が列車の運行を支障したため、
ならびに、車両の点検を行っているため、
一部の区間で運転を見合わせており、
列車に遅れが発生しております。
とのこと。
つまり今待っている電車が倒竹の影響を受けているということか。
隣のホームには下り列車が止まっており、同じく足止めを喰っている。
暫く函南駅で足止めを喰らったが、約31分遅れで函南に到着した。
これに乗り込み終点の熱海まで行く。
時間的なロスや小雨が降り出したこともあり、
今回の取材はここで終了し、
熱海でリニューアルした駅を取材して撤収することにしよう。
※参考、引用/JR東海ホームページ https://jr-central.co.jp/
14.東海道本線新蒲原と三島の駅取材
富士川で駅取材を終了し、14:18島田行きに乗り込む。
富士川の隣の新蒲原に行く。
新蒲原駅は相対式2面2線の高架ホームを有する東海道本線の駅である。
築堤上にホームが設置され、1番線は下り、2番線は上りが使用する。
駅舎は築堤の下にあり、改札から階段を上がってホームに上がる。
新蒲原に駅が出来たのは1968年10月1日である。
駅前には「さくら丸」という漁船が飾られていた。
説明板も設置されていたが、経年劣化で一部は読めない。
このさくらえび漁船は、明・・・
に富士川沖でさくらえびが偶然発見され
漁が始まって以来、平成六年が百年目を
迎え・・・記念して、モニュメントを
・・・。
・・・ ・・・町
たぶん、これは桜海老漁船で、漁が始まって100年を記念して設置されたようだ。
この新蒲原で昼食を喰うために飛ばした駅取材は全て完了した。
この先は沼津から先の駅取材を続行する。
先ずは沼津の隣の三島に行く。
三島駅は島式2面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅であり、
また東海道新幹線のホームも有する。
1番線、2番線、3番線、4番線となり、
2番線と3番線が本線、1番線と4番線が待避線となっている。
東海道本線から隣接する駿豆線に直する特急「踊り子」は1番線を使用する。
新幹線は島式1面2線の高架ホームであり、
在来線から連番で5番線、6番線と付番されている。
島式ホーム外側に通過線があり、
基本的に通過本を中央にもってきて、
待避線を相対式ホームに設置するのが基本的な新幹線の駅にしては珍しい。
駅の西側には東海道新幹線三島車両所がある。
この駅は既に取材済みだが、北口がリニューアルしたため、
これを再取材したかったのだ。
13.東海道本線東田子の浦と富士川の駅取材
原で駅取材して隣の東田子の浦に行く。
東田子の浦駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
駅舎に隣接した単式ホームは1番線に付番されていて、下り主本線となっている。
島式ホームは2番線、3番線に付番され、
2番線は下り副本線、3番線は上り主本線となっている。
駅舎に隣接した単式ホームと島式ホームとは跨線橋で結ばれている。
東田子の浦に駅が出来たのは1949年9月15日で、
地元の請願により建設された。
駅所在地は静岡県富士市中柏原新田だが、
田子の浦の東にあることから東田子の浦と名付けられた。
「田子の浦」は駿河湾西沿岸を指す枕詞である。
東田子の浦で13:48静岡行きに乗り込み、
3つ先の富士川まで行く。
富士川駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
画像は西口で、階段を上ったところに改札があり、
実質的には橋上駅舎となっている。
単式ホームは1番線に付番されていて、上り主本線となっている。
島式ホームは2番線、3番線に付番され、
2番線は回送列車や貨物列車用の予備ホーム、
3番線は下り主本線となっている。
富士川に駅が出来たのは1889年2月1日で、
国府津から静岡が敷設されたのと同時に開業した。
現在の駅舎が完成したのは1970年6月1日で、
新駅舎供用と同時に駅名を「富士川」に変更した。
12.東海道本線片浜と原の駅取材
沼津で食事を出来るところを探し、偶然見つけたとんかつ店に入店する。
駅に戻り、飛ばしてしまった駅取材を下り方面にしていく。
先ずは12:54島田行きで沼津の隣の片浜に行くことにする。
JR片浜駅は相対式2面3線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り、2番線は下りが使用する。
画像は南口で、橋上駅舎化されている。
片浜に駅が出来たのは1987年3月216日で、
地元が全額負担して開設された請願駅である。
片浜から13:11で更に隣の原まで行く。
JR原駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
駅舎に隣接した単式ホームは1番線に付番されているが、
原則として旅客列車は使用せず、貨物列車の待避などに使用される。
島式ホームは2番線、3番線に付番され、2番線は上り、3番線は下りが使用する。
駅舎に隣接した単式ホームと島式ホームとは跨線橋で結ばれている。
原に駅が出来たのは1900年2月25日で、
現在の駅舎が完成したのは1948年2月である。
11.再び青春の旅-東海道本線由比と蒲原の駅取材と沼津の昼食
興津で駅取材を終え、10:30発の上り列車に乗り込む。
興津の隣は由比で、5分で到着する。
JR由比駅は単式2面2線と島式1面2線の、
計3面4線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
島式ホームを単式ホームで挟む形で敷設させており、
相対式2面2線と島式1面2線とも云える。
駅舎に隣接する単式ホームは1番線に付番、上り副本線となっている。
島式ホームは2番線、3番線に付番され、
2番線は上り主本線、3番線は下り主本線となっていて、
外側の単式ホームは4番線に付番されていて、下り副本線となっている。
駅舎に隣接する1番線と他のホームとは跨線橋で結ばれている。
現在、4番線は定期列車の発着はなく、ホームには雑草が生えていた。
由比に駅が出来たのは1916年4月15日で、
現在の駅舎が出来たのは1979年3月である。
由比は桜海老推しの様で駅前の道には桜海老を模したゲートもあった。
10:56発の上りで隣の蒲原に行く。
JR蒲原駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
駅舎に隣接する単式ホームは1番線に付番されており、
上り主本線になっている。
島式ホームは2番線、3番線に付番されており、
3番線が下り主本線になっていて、
2番線は予備ホームで貨物列車の待避に使われている。
駅舎に隣接する単式ホームと島式ホームとは跨線橋で結ばれている。
蒲原に駅が出来たのは1890年5月16日で、
現在の駅舎が出来たのは1967年2月である。
余談だが「蒲原」は「かんばら」と読む。
蒲原で駅取材を終わった段階で既に11:00a.m.を回っており、
いったん沼津まで行って昼食を喰うことにした。
次の取材予定は富士川だったが、
駅前で昼食を喰えそうな場所があるかは分からない。
それなら御殿場線との分岐があり、
駅前に飲食店が多くあることが予想できる沼津まで行った方がいい。
乗り込んだ11:17発の上り列車は313系8000番台が充当されていた。
313系はJR東海の一般型標準車両だが、
8000番台は転換クロスシート仕様の「セントラルライナー」用の車両である。
2022年3月から静岡車両区に一部が転入し、
他の313系や211系と同じ一般車両として運用されている。
この車両は写真を撮ったことはあるが、乗り込んだことはなく初乗車である。
蒲原から29分掛けて沼津まで行く。
沼津駅の駅舎は「ラブライブ!」の画像が大きく貼り出されていた。
このアニメに関しては詳しくないが、たぶん沼津が舞台なのだろう。
コピーには「私たちのふるさと、沼津。」と書かれていた。
ここで昼食を喰えそうな場所を探し、「こがね」というとんかつ店に入店した。
「Station-駅から始まる物語」を第1678回更新しました。
1957.JR東海道本線柏原駅を公開いたしました。
「駅名標コレクション」を第424回更新しました。
「ま」に中央本線松本駅を新規公開いたしました。
http://signboard.gionsyouja.com/
「旅の徒然に」を第660回更新しました。
「鉄道取材旅行記」に「愛と青春の旅立ち-柵原ふれあい鉱山公園の旅」を公開いたしました。
「REI RINGONO status」を第316回更新しました。
「飲食店ブログ記事」の「千葉県」に幕張本郷「中華わたる」の肉野菜定食を新規公開いたしました。
http://status.garyoutensei.com/
「Station-駅から始まる物語」を第1677回更新しました。
1956.JR東海道本線近江長岡駅を公開いたしました。
10.再び青春の旅-東海道本線東静岡と興津の駅取材
草薙で静岡鉄道からJR東海道本線に乗り換え、
ここからは再び青春18きっぷの旅を開始する。
先ずは本来の計画では青春18きっぷで東静岡に行き、
静岡鉄道長沼まで徒歩で往復することになっていたが、
真夏の徒歩移動は体力の消耗や熱中症のリスクがあるため、
静岡鉄道でそのまま移動して東静岡を飛ばしてしまった。
そこで草薙からいったん下り方面に行き、東静岡を訪問した。
JR東静岡駅は島式1面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は上り、2番線は下りが使用する。
画像は南口で橋上駅舎化されている。
東海道本線の北側に東海道新幹線が走っており、
南北自由通路が長く、動く通路が設置されている。
東静岡に駅が出来たのは1998年10月30日で、
ここにはもともと静岡貨物駅が設置されていたが、
それを東京側に約1km移動し、その跡地に東静岡駅が設置された。
取材した日は日曜日だったためか、動く通路は一部が閉鎖されていた。
東静岡を10:06に出発する上り列車で、
ここからは東京方面に向かって未取材先、再取材先の駅で途中下車していく。
隣の草薙は先ほど取材済み、
その隣の清水は2015年6月24日に訪問済みなので、
3つ先の興津まで行く。
JR興津駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
駅舎に隣接する単式ホームは1番線に付番され、下り方面が使用、
島式ホームは2番線、3番線に付番され、2番線は上りが使用、
3番線は上り方面から入線して下り列車に折り返す列車などが使用する。
単式ホームと島式ホームとは跨線橋で結ばれている。
9.静岡鉄道草薙の再取材と再びの東海道本線草薙の駅取材
長沼で十分に車両取材してからSuicaで入場し、静岡鉄道で草薙まで行く。
ここは既に駅取材済みだが、JR東海道本線の草薙は未取材である。
JRと静岡鉄道は約150mの距離で、両線の中で一番近接している。
静岡鉄道草薙駅は相対式2面2線の地上ホームを有する静岡清水線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用、2つのホームは構内踏切で結ばれている。
ここでも駅近くの道は車両取材しやすく、少し写真を撮る。
そのあと徒歩でJR草薙駅に行く。
JR草薙駅は相対式2面2線の地上ホームを有する東海道本線の駅である。
1番線は下り、2番線は上りが使用する。
画像は南口(県大・美術館口)で、橋上駅舎化されている。
1番線と2番線の間には中線があり、貨物列車の待避などが行われる。
下り線の南側にも待避線が設置されている。
草薙に駅が出来たのは1926年4月3日で、
この場所に1911年4月10日に草薙信号所が出来たのが始まりだった。
1922年4月1日に草薙信号場に改称、
地元住民による請願により開業に至った。
橋上駅舎化されたのは2016年9月18日である。
前回、静岡鉄道の取材をしたのは2015年6月24日で、
この時はちょうど橋上駅舎化工事の最中だった。
※工事中の草薙駅仮設駅舎。
※撮影日時 2015/06/24 10:24:04
橋上駅舎化後は画像は南口には「県大・美術館口」、
北口には「学園口」の副出入口名が付けられている。
ここからは再び青春18きっぷの旅の開始である。
有人改札を入場し、09:43の下り列車島田行きで東静岡に行く。
新静岡からずっと静岡鉄道での移動になっていたので、
方向的には逆だが、戻る形で東静岡を目指すのだ。
8.静岡鉄道長沼の駅取材と静岡鉄道の車両
日吉町駅をSuicaで入場、08:41の下りで4つ先の長沼に行く。
ここまで乗ってきたのはA3000形A3001編成である。
長沼駅は単式1面1線と島式1面2線の、
計2面3線の地上ホームを有する静岡清水線の駅である。
島式ホームは1番線、2番線に付番され、下り新清水方面が使用する。
通常は2番線を使用、1番線は始発列車や車両留置などに使用される。
単式ホームは3番線に付番され、上り新静岡方面が使用する。
駅舎は3番線側に設置され、島式ホームとは構内踏切で結ばれている。
3番線の奥側には長沼車庫が隣接している。
長沼駅は1908年5月18日の部分開業と同時に開業した。
車両基地が完成したのは1953年8月である。
併設されている車両工場には今日の運用のない4編成か留置されていた。
1000形からA3000形に切り替わりがほぼ完了した状況で、
在籍車両は1000形が2両編成✕12本=24両が在籍していたが、
2023年8月27日現在では1本のみが残されている。
残存の1008編成は「家康公が愛した静岡」ラッピングが施されていた。
大河ドラマの「どうする家康」にあやかっているのだろう。
A3000形は1000形置き換えのため、
2016年3月24日に登場した車両で、
2両編成×12本=24両全車が、
総合車両所横浜事業所で製造された。
1000形と同数の2両編成✕12本=24両が計画され、
現時点で2両編成✕11本=22両まで投入が完了している。
前面は非貫通型、18m級、前面は普通鋼製、
ほかは軽量ステンレス総合車両製作所sustina製、
主電動機は全閉内扇式かご形三相誘導電動機、主電動機出力120kW、
IGBT素子VVVFインバータ制御、TD継手式中実軸平行カルダン駆動である。
車体塗色も編成によって塗り分けられていて、
一部の編成は無塗色で車体ラッピング車として使用されている。
駅取材してから長沼車庫を敷地外から取材した。
隣にはバンダイホビーセンターがある。
ここは“ガンプラ”と呼ばれる機動戦士ガンダムやその派生作品に登場する、
モビルスーツと呼ばれる人形兵器などのプラモデルの生産工場である。
壁面にはガンダムのイラストが描かれていた。
このあと東静岡に徒歩移動する予定になっていたが、
やはり暑さや体力消耗への警戒のため、再び静岡鉄道で草薙まで行くことにした。
7.新静岡の車両取材と予定外の静岡鉄道日吉町の駅取材
東海道新幹線で約1時間、08:02に静岡に到着して、
改札を出る時に駅員に静岡鉄道新静岡駅の行き方を尋ねた。
駅員からは地下道から行く方法を教えてもらった。
新静岡駅は2015年6月24日に訪問済みで、
その時は新静岡からJR静岡駅に地上を歩いてきたのだが、
その時も迷いながら何とか到着した記憶がある。
地下道の案内を見ながら新静岡駅に到着した。
静岡鉄道はもともと製茶問屋から清水港へお茶を輸送する目的で、
1906年8月21日に設立された静岡鉄道が前身である。
1908年5月18日に辻村(現・新清水)から、
清水町(のちの波止場、現廃止)が部分開業した。
この会社は同年7月28日に大日本軌道の静岡支社となる。
同年12月9日に鷹匠町(現・新静岡)から辻村までの区間が開業、全通した。
1918年に「辻村」から「江尻新道」に改称された新清水から波止場の区間が廃止になる。
1919年5月1日に駿遠電気が設立され、大軌静岡支社の事業を引き継いだ。
駿遠電気は1923年2月28日には静岡電気鉄道に改称した。
静岡電気鉄道は戦時中の1943年5月15日に、
藤相鉄道、中遠鉄道、静岡乗合自動車、静岡交通を合併、
会社名が「静岡鉄道」に改称された。
この時、初代会長に東急の五島慶太氏が着任し、
戦後も東急が筆頭株主であるが東急グループではない。
この日は日本テレビ系の「24時間テレビ」の当日で、
駅前には募金を呼びかけるブースが設置されていた。
ここは取材済みなので写真は撮らず、
線路沿いで新静岡に出入りする車両を撮影した。
夏の終わりの季節であったが、
それでも日差しは強く暑さは厳しい。
車両を待つ間には日陰にいたい。
日陰を探しながら歩いていると、隣駅に到着してしまった。
隣駅は日吉町で新静岡との距離は500mしかない。
徒歩移動も十分な距離である。
地元密着の地方鉄道であるため、住宅街は駅間が短い。
日吉町駅は相対式2面2線の地上ホームを有する静岡清水線の駅である。
駅舎側の1番線は下り新清水方面、反対側の2番線は上り新静岡方面が使用する。
駅舎と2番線ホームとは構内踏切で結ばれている。
2番線の県道354号静岡環状線側にIC専用改札が2013年に設置された。
こちらは平日朝7:30a.m.から9:00a.m.のみ使用可能である。
1908年5月18日の部分開業と同時に開業した。
開業当時の駅名は「台所町」だった。
戦時中の1945年6月にいったん廃止になったが、
戦後「日吉町」の駅名で復活している。
予定ではこのあと再びJR静岡まで戻り、隣の東静岡まで行き、
徒歩移動で静岡鉄道長沼まで行く予定だったが、
日差しが強く徒歩移動がしんどそうだったので、
日吉町から長沼まで静岡鉄道で移動することにした。
6.隣ホームの200系塗色車と「ひかり501号」の旅
千葉駅を05:38に出た総武快速線は38分てだ東京駅地下ホームに到着する。
東京での乗り換え時間は47分で、朝食を喰う時間は十分にある。
そこで青春18きっぷでいったん外に出て、朝食を喰えるところを探す。
しかし朝早すぎたためか、また日曜で通勤通学客がいないため、
日曜定休にしている店舗があるためか、
なかなか朝食を喰える場所はなく、また開いている店には長蛇の列になっていた。
そこで東京駅での朝食は断念し、東海道新幹線の改札口から、
事前に購入した切符で入場する。
改札を通過してホームに上がり、売店で駅弁を購入し、
予約していた「ひかり501号」の6号車19番E席に座る。
ここで駅弁を喰いながら出発を待つ。
窓から見て気付いたのだけれど、
隣ホームには白と緑のカラーの車両が停まっていた。
このカラーは東北新幹線が大宮から盛岡までの区間が開業した、
1982年6月23日時点に投入された、
200系のデザインである。
※東京駅に停車中の200系新幹線
※撮影時刻 2001/10/27 14:56:18
東海道新幹線0系とフォルムは一緒だが、
寒冷地を走る東北新幹線での運用を考慮して、
車体下部に機器が露出しないボディーマウント構造を採用、
スカート部には雪掻き装置である「スノウプラウ」を採用、
外気の取り込み口には「雪切り室」を設けていた。
もちろん、200系は既に2013年3月15日に定期運用を終了、
同年6月までに全車廃車となっている。
この時は理由は分からなかったが、家に戻ってから調べてみると、
これはE2系J66編成で、2022年6月に登場したようだ。
「ひかり501号」は07:03東京を出発する。
車窓からは夏富士が見えた。
東海道新幹線に乗る時の密かな楽しみは、富士山を見ることだ。
59分の乗車で08:02に静岡へ到着した。
「Station-駅から始まる物語」を第1676回更新しました。
1955.JR東海道本線醒ヶ井駅を公開いたしました。
「駅名標コレクション」を第423回更新しました。
「な」に信越本線長野駅を新規公開いたしました。
http://signboard.gionsyouja.com/
「REI RINGONO Railway Encyclopedia」を第632回更新しました。
「廃車&保留車 電車」の路面電車に横浜市電1000型1007号車を公開いたしました。